第8話 大尖塔へ登れ
「古代竜が、海辺へやって来るなぞ……ありえませぬ!」
歴史学者が顔を青くして窓の外を眺めている隙に、セトは王女に引っ張られるように扉の外へと連れて行かれた。ばたん、と扉を閉めた後で、彼女は尋ねた。
「あの竜たちはなんだ? まずいのか?」
まずいも何もない。あの数の古代竜が暴れたら、この街は終わりだ。彼が短く説明すると、王女は少し黙った後、言いにくそうにしゃべった。
「元オリンピア邸に来てくれないか?」
薄暗い埃の臭いをかぎながら、彼等は城内の廃墟へ入った。ここは、気絶したセトが最初に運び込まれた場所だ。王女から聞いたところによれば、オリンピア邸は、元々王朝初期に使われていた王宮だったらしい。ここ数年は王太子が愛妾の館として使っていたが、二年前の火事で全焼してしまったそうだ。確かに、石造りの壁は煤け、扉の部分はごっそり欠けている。それに加えて、深夜見回りをすると幽霊が出るという噂も流れた。それ以来、この建物は直すことも壊すこともせず、ただ不必要なものを入れておく物置として使われている。そこに王女が目をつけて出入りしているのだ。そう、そこには不要な樽や、額縁、汚く古い装飾品しかないはずだった。
が、今現在。汚い床には毛布が敷かれ、そこで小さな動物が丸まって眠っている。猫くらいの大きさで、全身銀色の鱗に覆われている。特徴の一部と呼ばれているたてがみはまだ生えていないが、間違いない。
「どうして、古代竜の幼体がここに?」
セトは驚いて尋ねた。
「連れてきた」
王女が短く答えて、竜の頭を撫でた。
「何を考えてるんだ! いや何も考えてないのか! いつこんなの拾ってきた!」
彼は思わず王女に詰め寄った。
「いやあ、昨日お前が帰ってから、城下街の方へ行こうと森を歩いていたらばったり」
「ばったりじゃない! どうして連れて帰ったんだ!」
「最初は魔物かと思って退治しようかとしたんだが。それにしては可愛げがあるだろ?
キューキュー鳴かれたら情が移ってな。どうも、翼を痛めていたみたいだったから、城に連れて帰って手当してやったんだ。
……これって、あの竜達と関係あるかな?」
どう考えても大ありだ。セトは頭を抱えた。銀色の小さな竜は頭を撫でられたことで目が覚めたのか、竜はキューと高く鳴くと首を左右に振った。翼の付け根には包帯が雑に巻かれている。
「奴らはこの子供を探してるんだ。今、この街は存亡の危機を迎えているんだぞ!」
早く返さないと大変なことになる。セトはめぐるましく頭を働かせた。ここに、巨大竜達が着地できる場所はない。というか着地すると相当の建物が壊れることになる。この竜をできるだけ上へ連れていくしかない。
「この城で一番高い場所はどこだ?」
王女は少し考えて答えた。
「そうだな、大尖塔の上だ」
「この子を運ぼう、案内してくれ!」
セトは言って、毛布で素早く竜の子供を包んだ。竜は臭いを追って行動する。つまり、この街にこの迷子がいることは既に見透かされている。これ以上待たせたら、敵意があると見なされて街を焼き尽くされてもおかしくない。
やっと事態を把握したのか、王女がすっくと立ち上がった。
「わかった! ついて来い!」
走り始めた王女に続き、セトは意外に重い白い毛布の塊を抱えて走り出した。
大尖塔は王宮の中心にある、巨大な塔だ。上には鐘楼があり、さらに上には高く尖った屋根がついている。王女が主に暮らしている後宮とは建物も別で、王が政治を行うための場所だ。本来は王女さえ出入りしない。だが二人はなりふり構わず前宮の裏の扉を開き、豪華な廊下を走り抜けた。
「困ります王女様! ここからは立入禁止です!」
叫ぶフルプレートの兵士を、緋色のドレス姿の王女が脚を引っ掛けてあっさり蹴散らす。こういうときは役に立つ、とセトは一瞬見直したが、そういえばこのトラブルの元凶もこの王女だったことも思い出した。本当に、少しでも目を離すと何をするのか見当もつかないところが恐ろしい。
王宮の廊下には政治を語りにきた貴族達も少しはいたが、大半は窓の外で円を描いて舞う古代竜の姿の方に気をとられていたようで、彼等の脇を猛スピードで走り抜ける二人を止める人はいなかった。赤い絨毯の廊下を走り抜けると、次は石造りの螺旋階段が延々と続く。
「お待ち下さい王女様!」
下から兵士や魔術師の叫ぶ姿が目に入る。もちろん、二人とも待つつもりは無かった。上から下まで吹き抜けの螺旋の石段を、彼等は必死で登り続けた。登り切ると、鐘楼の下に、武装した兵士と魔術師が控えているのが見えた。古代竜が暴れだした場合に備えて、防御を固めているのだ。
「ちょっと通せ!」
緊張した雰囲気を、後ろから王女の拳がぶち壊した。まさか後ろから攻撃されるとは思ってもいなかった兵士達は動揺し、ざわつく。その隙に、セトは大尖塔へ続く急な階段を駆け上がった。心臓が飛び出しそうなほど脈打ち、脚は思うように動かせないほど疲れていたが、ここで止まるわけにはいかない。事態は一刻一秒を争う。もしも早まった兵士が竜へ矢を射かけたら。竜の一匹が、早合点して王宮を破壊しようとしたら。その時点でこの街を舞台に惨劇が繰り広げられることは確かだ。重い毛布を抱えて、彼は登りつづけた。鐘楼の階段は狭く急で手すりもなく、今にも落っこちそうだ。息が切れ、毛布の中の竜がいっそう重く感じる。天井近く、屋根の内側になるであろう小さな窓が、次第に大きくなる。
セトはやっとのことで鐘楼を登りきり、尖塔の内側、人一人が通るのがやっとの出窓までたどり着いた。ふらふらしながらも、彼は窓を開けようと、毛布の下から苦労して手を伸ばす。と、後ろから手が出て来てかちゃっと窓を開けた。
「お先!」
セトの脇をくぐり抜け、王女が出窓から身を躍らせた。ひっと声を上げて、セトは彼女が急な尖塔から落ちていないか慌てて下をみた。
「大丈夫」と声が隣から聞こえる。赤毛というよりオレンジのような色の髪と、緋色のドレスを風になびかせて、彼女は屋根に付けられたごてごてした飾りの上に立っていた。そして身軽に出窓の上に跳びうつった。赤毛を重力に垂らして、出窓の上から覗き込む王女は、両手を差し出してこう言った。
「竜をこっちへ!」
本当に理解できないが、この高さで逆さを向いたところで平気らしい。セトはこわごわ毛布を渡し、自身も恐る恐る青い屋根の上に足を踏み出した。ありがたいことに装飾は尖塔の上まで続き、一番てっぺんには葡萄と碇の紋章がついた国旗が翻っている。四つん這いでなら登れそうだ。王女は片手で竜を抱え、空いた片手と足だけでてっぺんまでどんどん登っていく。セトも慌てて後に続いた。いびつな装飾を登っていく間に、既に彼の耳には、唸り声のような囁きが空に響き渡っているのが聞こえた。
『あの子だ』
『あの子よ』
『人間が、あの子を持っている』
魔物と同じ言葉。古代竜が話すのを聞いたのは初めてだ。初期の純正な神聖ヴィエタ語に近く、魔術の呪文に使われる言葉と同じ語源でもある。セトにははっきり聞こえるが、他人には意味不明な鳴き声にしか聞こえないだろう。しかし、その言葉が聞こえているかのように、赤毛の王女は腕に旗の棒を引っ掛けると、竜の子供を毛布から取り出し、するすると翼の包帯をほどいた。白い毛布と包帯は、風に舞って青空を飛んでいく。
王女は堂々と尖塔のてっぺんに立ち、朗々と名乗りをあげた。
「私は、ネフェリア・グレイフォン・ティルキア!
この国の第一王位継承者だ! 竜達よ、探しものはここだ!
受け取れ、そしてどうか街から立ち去ってほしい!」
古代竜達の中から、一際大きな竜がゆっくりと尖塔へと舞い降りてきた。尖塔のある鐘楼よりも巨大な翼をはためかせ、王女の方へ向かっていく。王女の腕から、キューという鳴き声を立てて、子供の竜が抜け出した。彼女は鷹狩のように子竜を腕に捕まらせ、巨大な竜の方へ差し出した。ブレスの一息で王女を殺せる位置にまで、巨大な竜は迫っている。セトはたまりかね、初期の神聖ヴィエタ語で叫んだ。
「我々は敵じゃない! 迷子の竜を保護しただけだ!」
通じるとは思っていなかった。現に、魔物の言うことは分かっても、向こうにはいくら話したところで届かないというのは、リュシオン先生との研究でも証明済みだった。
『分かっておるよ』
大きな鐘がなるような声で返事が返ってきたときには、セトは驚いて屋根から落ちそうになるところだった。古代竜とは、言葉が通じるのだ。
『この子から薬草の臭いがする。我等の子を助けてくれてありがとうと伝えてくれ』
竜はそう言うと、ゆっくりと王女の前に頭を差し出した。子供の竜は、キューキュー嬉しそうに鳴きながら、王女の腕から竜の頭へと飛びうつった。
「敵意はないみたいだな」
王女が言う。そうみたいだ、とセトは答えて、まだこちらを見据えている古代竜へと向き合った。
『我等の言葉が話せる少年よ。私達は人間が嫌いだ。だが、これだけは教えておこう。我々は、無益な争いはせぬ。だからこそ、我々は東大陸へと旅立つのだ』
セトは驚きのあまり口も聞けなくなった。どうして、古来から西の荒れ地で過ごしてきた古代竜が、海を渡って東大陸へいく必要があるのだろう。セトの沈黙を受けたのか、子供を頭に乗せた竜が言う。
『西大陸は、我々が住むには汚れすぎた。我々は、他の竜と比べても魔力が桁違いに多い。反面、他の魔力の影響も受けやすいのだ。悲しくも、我々の中から魔物が出てしまった。これ以上仲間が魔物になる前に、我々は大陸を捨てなければならない』
『まさか! レムナードの荒れ地にいる、多産の魔王のことか!』
そう考えれば全てに納得がいく。今までの魔王とは桁違いの魔力。世界全土にまで及ぶ影響。どうして気づかなかったのだろう。西の荒れ地に住む一匹の古代竜が、魔王と化したのだ。
『我々と話すことができる少年よ、そして心優しい少女よ。そなたらが魔物の世を生き抜けるよう、我等は願っている』
巨大な竜はそう言うと、最後に遠吠えのような長く響く声を出し、空へと登っていった。それに続くように、次々と他の竜達も街から離れ、高く上っていく。竜の襲撃は回避されたのだ。セトは胸をなで下ろした。きっと下の兵士達も同様だろう。しかし、この王女ときたら。あっけらかんとして、旗の棒を持ちながら純粋な笑顔で竜達に手を振る彼女を眺め、セトは改めて確信した。放っておくと何をしでかすか分からないとはこのことだ。よく今まで何事も起こらずに暮らしてこられたものだ。
鐘楼から降りてからのことはあまり思い出したくない。二人して鬼瓦のような顔をした兵士長に捕まり、ものすごい勢いで怒られた。その説教の途中、国王からの使いがやってきた。この騒ぎの説明のために、国王の元へ呼び出されたらしい。
「じゃ、後はよろしく」とばかりに、彼女は召使いと謁見の間へと去って行った。どさくさに紛れて、王女と共に扉を出ようとしたセトは、がっちりと襟首を押さえられた。こわごわ後ろを見ると鬼瓦のような兵士長が、にっと笑っていた。だが、目は一切笑っていない。
「逃げ出せるとでも思ったか? いや、俺はまだ言いたりない」