第54話 エピローグ 夜明け
帰り道はこれでもかというくらい順調に進んだ。シャングリラに戻った一行を、シャールバの民は温かく迎えた。ザグは再会の感動で泣きに泣いた。セトは案の定結界に阻まれて倒れ、終始死にそうになりながら過ごしていたが、他の皆は飲めや歌えの宴会にかまけていた。驚いたのは、ロビがシャングリラに留まると宣言したことだ。
「ウルグまでは同行するよ。だが、城門に入るのは遠慮しておく。今まで俺の天職は海賊だと思っていたんだが、砂漠の民の暮らしも性に合っているみたいなんでな」
照れ隠しにそう言って笑っていたが、ライラの顔が真っ赤になっていたため全く言い訳になっていなかった。なので宴会の席では思うさま野次られていた。
宴が終わると、ウルグの手前までシャールバの民とロビが送ってくれた。ライラもついてきたが、これがあのつんけんした娘かと思うほどに柔和になっていた。シャールバの民の受難はまだ終わっていないとはいえ、ロビとの出会いは確実にライラの心を開かせていたようだ。
シャールバの民は城門の手前で手を振りながら、また砂の荒れ地に戻ってしまった砂漠に消えていった。
西の果ての都市ウルグに入ると、またもやザグが涙した。またウルグで軍の炊事係として働くので、ここで別れなければならないらしい。
ついて行きたいです、とごねるザグに手間賃を渡して無理矢理説得に当たった。どうにか納得してもらったが、次にレムナードへ来るときには必ず連絡するように、とのお達しがあった。どうやら、この面々は放っておくと何かとんでもないものを食べてしまうと思い込んでいるらしい。
そこから荒れ地を通り抜け、一行は南方面へ向かった。レムナードを抜け、無事国境を越えて南のロンダル王国に入れたとき、セトは心底ほっとした。少なくともロンダル王国では魔術を使っても処刑されないし、ティルキア人だからという理由で捕まったりもしないからだ。
ロンダル王国を更に南に進み、港街カシャへ。カシャはティルキアをはじめ、様々な国へと繋がる海路の収束点だ。ティルキアやカサンへは月に数回定期便が出ている。
一行は大きなバザールでしばし観光客気分を満喫した。バザールの角にある織物屋では、人だかりの中を覗くと通称『高速婆さん』が本当にいて、目にも止まらぬ勢いで糸を渡し絢爛豪華な錦を織っていた。三人は港街の宿に泊まり、毎日のように遊び歩いた。主にマリアンが飲み歩き、セトが無理矢理連れ帰る毎日だったが。
しかし、楽しい日々は矢のように過ぎ去る。出航の日は着実に迫ってきた。
大きなバルコニーから海風が吹き抜ける。セトは宿屋の二階で鞄に荷物を詰め直していた。隣ではマリアンがベッドに腰掛けて、夜明け前の空を眺めている。まだ太陽は昇らないが、何となくものの形が分かるような白み具合だ。
セトは準備がすんだ鞄をじっと見つめた後、意を決して話しかけた。
「もう行かなきゃ」
「ラインツと同じ船に乗るんだろう? 間に合うのか? あいつは昨日とっくに出たぞ」
そのとおり、ラインツは昨日の夕飯の後、華麗なカサン式のお辞儀をみせ、跪いてマリアンに別れを告げた。
「剣をご用命の際は、ぜひこのラインツをお呼び下さい。貴女のためならどこにでも」
セトは今生の別れだと気持ちを押さえ、マリアンの手の甲にラインツがキスをするところまでは許した。ラインツは最後にセトに向かってにやりと笑い、またな、と言って港へと去って行った。出航まで優雅に船中泊をする気だろう。
夜明けに船は東大陸へと発つ。マリアンはもう少し遅くに出航するティルキア行きの船に乗る予定だった。
「飛べば間に合う」
セトの答えに、マリアンが振り向いて人懐こい笑みを浮かべた。
「なあ、やっぱり一緒にティルキアへ帰らないか? 宮廷魔術師になればいい」
何度目かの提案に、セトは苦笑して首を振った。
「……行けない。それに『神秘の塔』は厳格なんだ。無認可の杖を持っている魔術師くずれがなれる職じゃない」
ティルキアへ戻るつもりはなかった。マリアンの傍らにヴェルナースの王子がいる光景が思い浮かび、セトは苦労してその忌まわしい考えを振り払った。
無理だ。一緒にいればいるだけ辛くなることは目に見えている。
それに、一度指名手配されてしまった身であれば、いくらマリアンとはいえ庇い立ても難しい。もし上手くいったとしても、今度はマリアン自身が白い目で見られることになるだろう。未来の女王にこれ以上汚点があっては困る。
セトはバルコニーへゆっくり歩みを進めた。少しのためらいの後、敷居を踏み越える。
外へ出ると海風がいっそう強まった。マントをはためかせながら杖の呪文と飛行術の呪文を唱える。早く終わってしまわないように、今までで一番時間をかけたつもりだった。そうしていても、時間は止まってはくれない。
黄金の杖が手に収まり、黒い翼が肩から飛び出す。セトは何か忘れ物はないか、と宿の部屋を見渡した。あって欲しかったが、特に何も忘れてはいない。
マリアンもバルコニーに出てきた。強い海風に長い赤髪が旗のようになびく。碧の貴石のような瞳が潤んでいるのを見て、セトは思わず手を差し伸べ、口走った。
「……一緒に行こう。どこか遠くで、平和に暮らそう。
そもそも貴女は王女じゃない。王位継承者ですらないんだ」
いいや、と静かにマリアンが言った。
「……ごめん。私は姉様に成り代わると決めた。私の国の民達を、シャールバのような境遇にはしたくないんだ」
泣き笑いのような表情だったが、彼女はきっぱりと言い切った。
「私はネフェリア王女に戻るよ」
セトは緩やかに手を戻し、静かに言った。
「……それでこそ、俺の好きな貴女だ」
黒い翼を広げると魔力の風が吹き上げて、彼の身体をふわりと支える。一緒にロイヤルレッドの長い髪も浮き上がった。王女の肩に手を置いて、彼は耳元でそっと伝えた。
「さよなら」
と、ぐっと首に腕を回され、彼は抱きしめられる格好になった。
「なあセト、最後に秘密を教えてやろう。ネフェリア・グレイフォン・ティルキアはティルキア王国のものだ。でも」
彼女は真剣な口調で囁いた。
「マリアン・オリンピアは未来永劫お前のものだ」
温かい唇が合わさった。
セトは目を閉じて、碧の瞳から溢れる涙を見なかったことにした。
次に目を開けたとき、マリアンはにっこりと笑って腕を離した。
彼は黒い翼を羽ばたかせ、気流に乗って高く舞い上がった。
大バザールの屋根の連なりがどんどん小さくなっていく。
下を見ると、宿のバルコニーでマリアンがちぎれんばかりに手を振っている。
彼は手を振りかえしたが、ふと目の端に眩しい何かを捉えた。
水平線の際、僅かに朝日の欠片が見える。陸と海の境が金色に輝き、カモメが数羽、海の彼方へ飛び去っていく。
夜明けが来る。
マリアンの言うとおり、この世界は美しい。
セトは潮の香りがする空気を目一杯吸い、白帆がひしめく港へ飛んでいった。
終わり
「不死鳥と番犬」はここで終わりです。
ここまで読んで下さった皆様、またブクマ・コメント・感想・評価して下さった皆様、本当にありがとうございました!
エタらずにすんだのは皆様のおかげです! 力量的にも精神的にもキツかったですが、おかげさまで完結しました。間口は狭いけど奥は深い物語です多分。
それでは、ありがとうございました!




