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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第3章 多産の魔王
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第52話 対魔王戦

 セトは角から飛び出てすかさず物理防御を発動させた。だだっ広い洞窟に魔術を使うときに出る『精霊の唱和』が反響する。古代竜の生態はほとんど知られていない。ただ強力なブレスを吐くということだけは、昔から語り継がれている怪異譚でも有名だ。注意しなくては。

 それを見て魔王が楽しそうな口調で言った。


「門番はやられたか。役立たずの魔術師め」


 かっと頭に血が上り、セトは無言で杖を突きつけた。途端にまた魔王が笑い始めた。炎のような舌が長い牙の間に見える。腹に響く声で笑いながら魔王は驚くべき発言をした。


「久しいな、意思を持つ杖『パラドクス』よ」


 初めて聞く名前だった。と、杖が何か言いたげにパクパクと口を動かしている。セトは戸惑いながら杖にかけた沈黙の命令を解いた。


「懐かしい名前だな! すっかり忘れちまってたぜ」


 キンキンした耳障りな声で杖が叫んだので、彼はぎょっとして杖を眺めた。この杖は初代魔王にしてヴィエタ帝国皇帝、シド・ヴィエタの杖だ。それは知っているつもりだったが、古代竜に名指しで呼ばれるものだとは思ってもみなかった。


「知り合いか? なぜ言わなかった!」

「いや、俺は覚えてねえな。デカブツ、どうして俺の昔の名を知っている?」


 魔王はこちらを見据ていた赤い瞳をゆっくり瞬きし、ぐっと首を逸らした。瞬く間にセトの身長の五倍くらいの位置に大きな頭が持ち上がった。


「我は覚えている。お前の名も、皇帝の仕打ちも全て!」


 怒りに満ちたうなり声が洞窟に反響した。


「我の翼を焼いたことを忘れたか。その昔、我らは人間の可能性を信じて帝国に協力した。

 その結果がこれよ」


 魔王が背の翼を広げた。いや、翼といっていいものだろうか。その皮膜はボロボロに穴が空き、飛べそうもない。セトは研究資料に書かれた一文を思い出す。魔王はこの数年、地図の一定の座標軸から全く動いていない、と。あえて動かないのか、図らずしも動けないのかで議論になっていたが、この疑問の正体は白日の下にさらされた。


「我の目は幾千の魔物が見たものを全て見、我の耳は幾千の魔物がきいた音を全て聞く。

 だからこそ皇帝の邪悪な思いに気付いた……だからこそ封印されたのだ。

 我は全知の神として長い間、洞窟で息を潜めていた。しかしもう時間がない」


 セトは眉を寄せた。古代竜は二千年生き続けられるといわれる。それで時間がないというのはどういうわけだ。彼は用心しつつ、魔王に尋ねた。


「初代魔王に傷つけられた古代竜が、なぜ今魔王となって世界を襲う?」

「お前達は増えすぎた。暗黒が再び訪れる前に、芽は潰しておかねばならんのだ」

「何のことだ? 人間が増えても、こんな場所には来ない。お前には関係のないことだ!」

「知らぬ身には批難もできよう。しかし無知とは愚かなものだ」


 ばしっと音を立てて巨大な尻尾が大地を叩いた。その木霊が静まるのを待って、魔王がまるで予言を宣託するように厳かに告げた。


「暗黒。再び皇帝がこの世に訪れたとき、世界は暗黒に包まれる」


 暗黒。皇帝。復活。よく分からない単語が、頭の中を駆け巡る。セトは混乱して杖に尋ねた。


「……杖、何をいっているのかわかるか?」

「……俺には言えねえ」


 黄金の鳥は今までの饒舌さはどこへやらで、そのまま押し黙った。魔王はそれを見て、にいっと鋭い牙をむき出した。


「言えぬだろうよ。パラドクス、お前は未だ支配されている。お前の口からそれを言うことは、皇帝が許さぬ」


 魔王が何を言わんとしているのか考えると同時に、セトはもう一つのことに気付いていた。魔王が話している間に、マリアンがゆっくりと左に回り込み、魔王の尻尾の辺りで隙を窺っている。あそこから一撃浴びせることができれば、致命傷にはならなくても大分有利になるはずだ。

 魔王はそれに気付いていないようで、話はますます熱を帯び、演説のように語りだす。


「我がなぜ魔王となったのか、教えてやろう。

 来たるべき暗黒を避けるため、お前達人間を減らさねばならぬからだ。

 人間は絶望をもたらし、絶望は自らをも滅ぼす。

 ならばいっそ何も感じぬ魔物となって、互いに殺し合うがよい。

 絶望のはびこるこの世において、私こそが真の救済者なのだ!」


 魔王は一瞬間をとった。そのとき、朗々とした声が魔王の低い声を遮った。


「我が名は英雄赤騎士、リアン・フェニックス!

 人類の敵、多産の魔王よ。おまえの悪行はもはやこれまで! 覚悟しろ!」


 彼女に気配を消して斬りかかるという選択肢はないようだった。ランプを地面に置いたマリアンが輝く剣を抜き放ち、魔王に突きつけている。なんの奇もてらいもない、いつもの姿だ。

 愚策にもほどがある。しかし不思議と頼もしかった。緊張がほどけたセトは、杖を握り直して素早く呪文を唱えた。今度は魔法防御の呪文だ。

 剣を突きつけた赤騎士を一瞥して魔王は低く笑った。


「面白い。我に剣を向けたこと、後悔するがよい」


 その言葉と同時に、太い尾が鞭のようにしなり、地響きを立てて打った。マリアンはすんでのところでかわし、剣をさっと走らせる。いつものとおり、魔力を断ち切る魔力の剣はすっぱりと胴体を切り裂くはずだった。が、剣が届く寸前、魔王はその巨体に見合わぬ素早さで避けた。そして気味の悪い呼気の音が聞こえ、魔王の口に僅かな光がともる。光はどんどん輝きを増し、巨大な光球となる。

 まずい、あれが話に聞くブレスだ。


「マリアン、後ろへ!」


 セトは打撃が失敗に終わったマリアンの前方に走り込み、魔法防御を発動させた。間髪入れず巨大な光球から熱線が発射される。視界が目映い光でいっぱいになった。魔法防御の結界がびりびりと音を立てて拮抗した。

 熱線が途切れた瞬間、マリアンが飛び出した。剣を振りかぶり、光の消えた暗闇を疾駆する。竜の前足をくぐり抜け、魔力の剣が黒い鱗をなぎ払う。今度は当たった。しかし剣の長さが足りなかったらしく、竜の胸の鱗に浅い傷ができただけだった。


「魔力を断ち切る魔力の剣、か。なるほど、これは厄介だ」


 全くそうは思っていない口調で魔王が言った。


「しかし我には効かぬ!」


 魔王はまた音を立てて息を吸い込み始めた。マリアンが前足の間から転がり出たとき、熱線が今までいた場所を焼き尽くした。

 セトは生きた心地がしなかったが、既に次の呪文は唱え終わっていた。数十本の火矢が空間に出現し、一見でたらめな軌道を描いて巨大な的へ次々突進していく。目まぐるしく動くマリアンから、魔王の注意をそらすためだ。

 魔王は火矢が当たっても平気らしく、飛んできたハエがうるさいというようなそぶりで首と尻尾を振り回した。全ての火矢は黒い鱗に阻まれ、魔王の身体から滑り落ちた。

 やはり効かない。セトはきっと唇を結んだ。魔術で古代竜の鱗を打ち破れなかった。

 『魔力を断ち切る魔力の剣』でなければ、厚い鱗に守られた魔王を傷つけることさえできないのだ。

 反対に言えば、この剣は魔王にとって脅威になり得る。だからこそ、砂漠で散々こちらを攻撃してきたに違いない。


 最後の火矢が叩き落とされた後を狙って、またマリアンが突っ込んでいく。魔王は今までのように尻尾でなぎ払おうとした。剣がきらりと光り、血しぶきが舞い上がる。彼女の振り下ろした一撃は、魔王の尻尾の先を切断していた。怒りからか痛みからか分からないが、魔王が地の底から湧き出る鳴き声を発した。鼓膜を嫌というほど振るわせる声に、セトは思わず次の魔術の詠唱を中断した。その瞬間、セトの目前に鋭い牙が迫った。


「危ない!」


 マリアンが横っ飛びに間へ入る。黄金の剣が煌めいた。いや、煌めいたのは魔王の口の中だ。またブレスがくる。近すぎる。詠唱が間に合わない! 光がぱっと散って四方に広がる光景が展開され、セトは思わず目をつぶった。

 熱い光を肌に感じる。しかし、不思議と痛くはなかった。ブレスが続いている間に、彼はうっすら目を開けた。

 目の前にマリアンの背中が見えた。彼女は黄金の剣を高々と差し上げている。驚いたことに、熱線が刃の辺りで二つに避けていた。切っ先から火花がほとばしっている。

 さすが、魔力を断ち切る魔力の剣だ。まさか熱線すら斬れるとは思ってもみなかった。


 魔王がブレスを吐ききると、マリアンは剣を振るってそのまま攻撃に転じた。一見優雅に思える剣の動きには、恐ろしい力が秘められている。だが魔王はさっと首を引き、剣から身を遠ざけた。セトはその間にまた防御呪文を唱えて魔王の攻撃に備えようとした。

 不思議な感覚だった。まるで一挙手一投足が決められてでもいるように、二人の息はぴったりと合っていた。戦闘というより、熱を帯びたダンスのようだ。ウルグの舞踏会で踊ったときのように、もはや一体となって魔王と対峙している。

 マリアンは一、二度前足に切りつけたが、足の爪と鋭い牙が襲ってくると飛び退いた。しかし頬を爪の先が掠め、さっと一線赤が走った。

 魔王は勢いづいたのか、また地響きのような声を立てて笑った。


「足掻くな、愚か者達よ。死すべき定めに従え」

「そんな定めなどごめんだ!」


 セトはマリアンの怪我に焦り、こちらに注意を引きつけようと怒鳴った。果たして魔王は珍しそうに深紅の瞳を光らせてまじまじとこちらを眺めた。こんな口をきいた人間はセトが初めてだったのに違いない。


「無知なる者が暗闇を呼ぶ。我のみが全てを知りえ、この世を憂える資格を持つのだ。

 絶望にまみれた魂を我が救済せねば、いずれこの世は暗闇のものとなる。

 お前達は大事の前の、小さな犠牲に過ぎないのだ」

「なにが暗闇だ! なにが『救済者』だ!」


 頭の中で何かが音を立てて壊れ、言葉が堰を切ったようにあふれ出した。注意を引きつけようなどという一種の作戦めいた考えは、さっぱり消えてしまった。熱に浮かされたようにセトは叫び続けた。


「お前こそ何も知っちゃいない!

 ネフェリア王女のことも、鉄腕ビョルンのことも、海賊ジュリオのことも、リュシオン先生のことも、なにひとつ知ってはいないんだ!

 皆もがきながら生きてきたんだ! お前にとっては小さな犠牲かもしれないが、誰もがかけがえのないただ一人の人間だったんだよ! 洞窟に閉じこもって全てを知った気になっているお前が、どうこうしていい命じゃなかったんだ!

 真の救済者というのなら、お前のせいで死んだ全ての人間を蘇らせてみろ!」

「……口の減らぬ小僧だ。しかしな」


 魔王はセトの投げつけた言葉を飄々とかわし、言った。


「詠唱を忘れるとは魔術師の風上にもおけん」


 そして無防備なセト目がけてブレスを吐こうと大きく口を開けた。

 魔王は気づいていない。セトが叫んだ言葉に反応することで、僅かにブレスのタイミングが遅れている。

 その隙をついてマリアンが駆け出し、高く跳んだ。尻尾の付け根に降り立ち、瞬く間に黒い鱗に覆われた胴体を駆け上がる。首の付け根に到達して、彼女は剣を振り上げた。


「これで終りだ!」


 固い鱗も、魔力の剣の前では無意味だ。魔王の首の付け根に深々と剣が突き刺さる。

 ギャァァァァッとこの世で一番不快な悲鳴が響き渡り、ついで魔王が激しくのたうった。隅のランプが尻尾に弾き飛ばされ、ふっと消える。

 突然、防御すらしていないセトの全身が炎を押し付けられたように熱くなった。骨が軋む。自分が尻尾に殴打されたのだと気付いたのは、地面に転がって呻いてからだった。


「おのれ、矮小な毒虫どもめ。もはや遊びもこれまでよ。

 わが灼熱の息吹で死ぬがよい」


 魔王がセトのすぐそばでかっと口を開けていた。灼熱の光が喉の奥に見える。セトは寝転がったまま呪文を唱えた。


「エル・メリネロ……」


 光球はどんどん輝きを増していく。間に合うかどうかは賭だった。精霊の唱和が立ち上る。しかし、魔王は気にしていないようだった。セトの魔術が通じないことを知っているからだ。


「……サトル・セルケリエス・アモルファス!」


 最後の言葉と共に杖が冷たい光を帯びた。まだ間に合う。光球が目の前に迫る中、セトは立ち上がって、すぐそばにある焼けそうなくらい熱い口中の奥へ腕もろとも杖を突きだした。と、光球の熱がいきなり消えた。


「何だと!」


 魔王が喋った瞬間、その牙が噛み合わさった。骨を砕かれ神経をじかに触られる激痛にセトは悲鳴すらあげられずその場にうずくまった。左手をかみ砕かれたのだ。腕を押さえても血がだらだらと流れ出して止まる気配がない。

 しかし、霞んだ目に映る光景は、セトの望んだものだった。ゆっくりと変化が始まった。魔王の口の中は、既に赤くなかった。無色透明のガラスの牙が、音を立てて砕けた。ついで舌も砕け、魔王はくぐもった唸り声を上げた。

 古代竜の鱗に魔術は効かない。しかし口の中なら話は別だ。たった一撃、ガラス化の魔術を叩き込んだだけだったが、それは確実に魔王を蝕んでいった。

 喉から鱗が透明になり、ばらばらと剥がれ落ちる。炎のような瞳も、冷え固まったマグマのように光を失った。魔王は魔術に抗うように全身を震わせた。セトはそのとばっちりをうけ、巨大な前足に蹴飛ばされてまた転がった。


「セト!」


 腕の傷を見たに違いない。

 魔王に振り落とされ、あらぬ方へ転がっていたマリアンが血相を変えて駆け寄ってくる。


 駄目だ、危ない。敵に背を向けてはならない。

 そう言おうと頭をもたげたとき、マリアンの胸の辺りから黒い鈎爪が飛び出した。

 空気が上手く吸えずに、セトは固まった。鎧は紙屑のように裂け、マリアンはその場に崩れ落ちた。不意に咆哮が響いた。ガラスとなって崩れゆく魔王が、こちらを向いて笑っている。


 嘘だ。最後の最後に、マリアンまで失うなんて。

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