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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第3章 多産の魔王
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第49話 魔術師の決闘

 彫像にでもなったように身体が動かない。腹の奥に響くようなドンドンという音が聞こえている。すこし経って、その音が自分の鼓動であるということにやっと気づいた。


 セトの目の前でリュシオン先生が黒檀の杖を出している。半年ぶりの光景なので、妙な懐かしささえ覚える。あの杖で数多の魔物が倒されるところを、先生の隣でずっと見てきた。しかし今、その杖は間違いなくこちらへ向けられている。冗談かと思ったが、先生の目も口調にも、そんな気配は感じられない。本気で攻撃してくる気だ。


 殺気を感じ取ったらしく、マリアンが片足を一歩踏み出し、魔力の剣を出す呪文を唱えだした。セトは、はじかれたようにそっちを向き、慌てて手で遮った。

 魔力を断ち切る魔力の剣は、対魔王戦の大事な切り札だ。無駄に使うわけにはいかない。


「ここは任せて。魔術師同士の決闘で片をつける」


 赤騎士は一瞬不満そうな顔を向けたが、セトの眼差しから読み取ったのか、渋々構えをといた。


「……わかった。あまり魔力を使うなよ。後の魔王が控えている」

「もちろん」


 後のことを考えられるほどの余裕はないが、そう答えるしかなかった。真正面から二人で戦っても、敵うかどうかはわからない相手だ。だが、ここで決闘に持ち込めば少なくともマリアンだけは体力や魔力を消耗しない。


「決闘? 二人まとめてかかってきても、私は一向にかまわんが」


 黒檀の杖をすっと引き、リュシオン先生が煽るように言った。


「一対一で勝負しましょう。俺が勝ったら、二人とも通して下さい」

「私が勝てば二人とも地獄行きでいいな?」


 セトは頷き、左手に持っていた杖をぐっと握りしめた。魔術師の決闘には、条件の提示がつきものだ。それに、決闘にはもう一ついいところがある。決闘の終了は杖が消えるまでと定められている。怪我や魔力不足で集中が途切れ、杖が維持できなくなった時点で負けだ。うまく勝てば、先生も多少の怪我で引いてくれる。


 マリアンがランプを持って洞窟の端によったのを確認し、セトはすっと杖の先を先生の方へ向けた。緊張で口がからからに渇いている。


「準備はできたか?」


 余裕の笑みを浮かべて、リュシオン先生が杖をこちらへ向けた。魔王と共謀していたのなら、セトが持っているのは初代魔王の杖ということも分かっているはずだ。それでも、実力の差が段違いだと思っているのだろうか。洞窟にぴんと張り詰めた空気が漂う。


「では——始めよう!」


 その言葉と共に、先生が白銀の髪をなびかせ、疾風のように突っ込んできた。

 魔術を使うと見せかけて殴打するのは先生お得意の攻撃だ。予備知識が無ければ大抵の魔術師は一撃でやられる。

 だがセトはその癖を見抜いていた。横から振り回される黒檀の杖を跳びさすって交わし、同時に火矢の呪文を唱えた。火力と数は抑えめにして精度を上げ、目視できないよう自身の後ろに出現させる。


「フィアネ・レジ—ナ!」


 唱えるなり、軌道を邪魔しないようにさっと伏せた。セトの頭の上を熱いものが通り過ぎ、杖を空振りした先生目がけて数十本の火矢が次々と襲う。今のタイミングで魔法防御の呪文を唱えるには遅すぎる。

 が、リュシオン先生が素早く呪文を唱えた瞬間、シンバルのような音と共にちりちりと肌が焼かれるような熱が伝わってきた。黄色い炎の壁が二人の間に割って入っていた。


「教えなかったか? 炎はより強い炎で打ち消されると」


 壁越しにリュシオン先生の声が聞こえた直後、炎の壁が勢いよくこちらへ迫ってきた。失敗だと思う暇もない。全力で走って壁の端を回らなければ大やけどだ。が、嫌な予感がしたのでセトは早口に呪文を唱えた。

 その瞬間、壁の端からいきなり炎が吹き出した。走って避けていたら、確実に仕留められていただろう。しかしセトは背中に黒い翼を生やし、音を立てて飛び立った。すぐ下でセトのいた場所が焼かれ、炎の壁は壁際まで走って消えた。


「飛行術か! だが飛んでいる以上、他の魔術は使えまい!」


 先生が眼下で笑い、また呪文を唱えている。

 声が小さくて何の魔術が来るのか特定できない。

 黒檀の杖の先が光った直後、セトはいつものようにきりきり舞いをして避けようと思ったが、いきなり思ってもみない方向——上から光球が降ってきたのでかわし損ねた。脇腹を掠めた光球の痛みに、一瞬呼吸ができなくなる。

 洞窟の中心、光の漏れている位置に黄色い魔方陣が見えた。

 この洞窟の中で『オートソル』の魔術を使えるとは思わなかった。

 光球は次々と生み出され、複雑な軌道を描いてセトを襲う。

 死にものぐるいでかわし続けてもどんどん増えていくのが始末に悪い。逃げていればいるだけ不利になる。

 セトは思いきり急降下して、先生を狙った。飛行魔術以外が使えなくても、頭に杖を振り下ろして意識がなくなれば勝てる。本来の使い方ではない、と見習いの試合では怒られることだが、実戦ではリュシオン先生も含めてよく使われる手法だ。

 しかし、振り下ろした杖はがちっと音を立てて黒檀の杖に遮られた。

 やむなく翼の周りの風を操作して急上昇する。セトを追っていた光球も一斉に上昇してきた。ただの一つも先生を誤射しない。さすが、オートソルの魔方陣が小さめとはいえ、精度はセトの比ではなかった。

 ならば、荒技だが仕方ない——


 セトは魔方陣を狙って杖を放り投げた。杖を手放したそのとき、ふっと翼が消える。

 じゅっという音がして、右腕に鋭い痛みが走った。光球がまた掠っていったようだ。まだ数個の光球がセトを狙っている。まともに当たれば一撃で終わる。

 ぞっとしながら、彼は放物線を描いた杖の行方を追った。杖が黄色い魔方陣の真ん中に入った途端、澄んだ音を立てて魔方陣が粉々に割れる。と、目の端から全ての光球が消えた。

 狙い通りだ。後は杖の呪文を唱えて、その後また飛行術の呪文を唱えて——。

 だが、杖をもう一度手に出したところで、腹に衝撃が走った。息が出来ないまま壁に叩きつけられ、そのままざざっと音を立てて滑り落ち、地面に落ちたと同時に右半身に痺れるような痛みが伝わった。


「おい、大丈夫か!」


 マリアンが対角線上で叫んでいる。ぼやける視界に先生の黒い杖が落ちているのが見えた。先生が応用を利かせて、セトに杖を投げつけたのだ。魔術ではないにも程があるが、詠唱の長さを考えるとこの方法が一番手っ取り早い。現にこっちは息も絶え絶えになっている。


 目の前の黒檀の杖が消えた。目を上げると、ガラスの塔の近くに立っているリュシオン先生の手に杖は戻っていた。セトがうめき声を上げながら立ち上がると、先生は不満げに顔をしかめて言った。


「手応えが無い。もしかしてお前、私を生かして勝つつもりじゃないだろうな?」

「……いい考えだと思いますが」

「傲慢としか言えないな。誰も傷つけず、誰をも救う?

 そんな覚悟では魔王はおろか、私だって倒せはしない!」


 その言葉の後、先生が詠唱に入った。今度はゆっくりと時間をとっていて、精霊の唱和がいやに大きく聞こえる。こっちが息切れしているときを狙って、とどめをさす気だ。

 セトは自分の杖を引き寄せ、起き上がりながら口の中で呪文を唱えた。落ちたときに切ったのだろうか、血の味がする。

 身体中が悲鳴を上げているが、今はそれに耳を貸している暇はない。

 先生の呪文は聞こえないが、精霊の唱和で何が来るかは分かっている。ならば、こちらも同じ術をぶつけるまで−−

 と、リュシオン先生が詠唱したまま再びこっちへ走ってきた。今度は杖の先に光を灯して。セトは戦慄した。

 距離を詰められてはこちらの術が間に合わない!


 後ろへ逃げようとしたが、すでに壁際だ。高々と杖が振り上げられる。セトは身を縮め、ごろごろと横に転がった。先生の杖は壁に触れ、甲高い音と一緒に岩壁の一部が透明なガラスとなり、砕け散った。セトは自分の杖を夢中で振り回した。最後まで呪文が詠唱できなかったせいで不完全だったものの、ガラス化の魔術は発動し、足下にガラスの床ができる。まったく無意味に発動したので、次の手を考えようと転がり続けて距離をとった。


 が、先生は既に次の呪文を唱え終わっていた。間髪を入れずに熱線が空を貫く。それは肩ぎりぎりを掠めて通り過ぎ、セトはその熱風で余計に転がった。

 呪文を唱えなければ。早く手を打たなければ。

 そう思うのだが、頭を打ったせいかむやみに転がったせいか、くらくらして反応が悪い。

 それでもセトは素早く膝立ちになり、魔法防御の呪文を唱えた。

 轟音を立てて熱線と防御の魔術がかち合った。さっきの熱風で距離が空いたので助かった。危ないところで次の熱線をはじいたようだ。しかし熱線の魔術は間隔が短い。魔法防御の呪文は発動しているが、ひっきりなしに熱線が当たり、逃げる暇もない。ついに、ぱきっと嫌な音がして、透明な防御壁に白い裂け目ができた。もうそろそろ防御壁も限界を迎えようとしている。

 その途端、今までより一回り大きな熱線が防御壁に迫った。慌てて防御壁を強化しようとしたが、間に合わなかった。防御壁と熱線がぶつかり合う耳障りな音がして、防御壁が粉々に砕け散る。セトはその衝撃でまた地面に転がった。


「セト!」


 マリアンが叫んでいる声が聞こえる。痛みを堪えて目を開けると、洞窟の向こう側にいる彼女が見えた。その姿は、真っ赤な炎がキラキラと輝いているように思える。いや、あれは側に置いてあるランプの明かりのせいか。

 そのとき、妙なことに気づいた。


(さっきよりも薄暗い?)


 天井に空いた穴からの光が弱まっていた。陽の入らないところまで太陽が進んだのか、空が陰ったのかはわからないが、とにかく薄暗くなっている。光を反射させて洞窟全体に行き渡らせている水晶の力をもってしてもどうにもならないくらいに。


 ——勝機はそこにある。


 セトは素早く起き上がった。足下がおぼつかないが、何とか熱線を避け続けながら呪文を唱える。気も遠くなるような時間が経ったと思われた後、精霊の唱和が周りから聞こえ出した。最後の熱線を避けざまに、彼はこちらからも熱線を放った。トランペットのような高らかな音と共に、光の線が洞窟内を貫く。それはリュシオン先生ではなく、狙い通り中心の水晶に当たった。水晶は高い音を立てて砕け散った。


 一瞬で洞窟の中は夜のように暗くなった。光を反射する水晶の塔がなくなり、隅々に闇が生まれ出る。

 セトは不思議な落ち着きが湧き上がるのを感じていた。彼の姿は相手から見えない。しかし彼には、はっきりと分かった。マリアンが壁際で息をのんでいる姿が見えるのはランプに照らされているから当然として、四方の壁の出っ張り一つ一つまで、見るのではなく身体全体で感じられた。そして、リュシオン先生がどこにいるかも手に取るように分かった。闇の中でも全てが視える。そんな間隔を、随分昔に知っていたような気がする。


 彼は口の中で密かに飛行術の呪文を唱え、天井へ飛び上がった。翼さえあれば、怪我をしていても機動力は確保できる。リュシオン先生はふいに周りが見えなくなったからか、当てずっぽうに熱線を打つのを止めている。こういう場合、人は本能的に光の当たる場所——丸穴の下に移動してくるはずだ。はたして、先生も丸穴の真下へ駈け寄ろうとしている。

 セトは影が映らないよう、丸穴を避けて先生を追った。


「上だな! お前の考えなどお見通しだ!」


 そう言うなり、先生がぶつぶつと呪文を唱え出した。

 まずい、こちらの動きも読まれている。

 セトは杖を握りしめ、斜め上から急降下した。先生が呪文を唱え終わるまでに間に合うかどうか。もう賭けるしかない。

 そのとき、ごぼごぼという音がして、天井の穴から滝のように水がなだれ落ちてきた。何が起こったのかセトにもわからなかったが、リュシオン先生にとっても想定外だったらしく詠唱が中断した。


 今しかない。


 セトは翼を消し、渾身の力を込めて、杖を振り下ろした。がつっと嫌な音がして、先生の脳天に黄金の鳥の飾りが当たる。セトはそのまま自分も体当たりするように突っ込んでいった。二人はもつれ込みながら、水の流れ落ちる丸穴から暗闇へ飛ばされた。


 黒檀の杖が先生の手から離れ、僅かに光が届く岩の上に転がると、音もなく消えた。

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