第45話 砂漠の赤い船
シャングリラに戻るころには、もう昼もすぎていた。ジュリオの葬儀が行われている間、セトは一人結界石の外側で、潅木にもたれかかって座っていた。もう一度入ってしまえば、また魔力の回復に時間がかかるからだ。
ここからまた出発するとなると、さっきのところまでたどり着くにまでには夕方を過ぎるだろう。そして、また魔物の攻撃が始まり、死者が出ては追い返される。楽園には結界があるから安心だ。しかし攻撃されて戻ることを繰り返していては、人数が減るばかりで目的が果たせない。
「セト、大丈夫か?」
声に振り向くと、マリアンが手を挙げて立っていた。
「ジュリオは?」
「神殿跡に埋められた。あいつはいい奴だったよ。神の加護があらんことを」
そう寂しそうに言って彼女は手を胸に当てた。セトは砂漠の彼方にある峡谷を睨んだ。
「そうだな。海賊だが、根は陽気で気がよかった。
だが、ここからまた仕切り直しだ。砂漠を渡るのに、三日もかけるわけにはいかない。必ず魔物が定期的にやって来て、疲弊させられていくだろう」
「でも、食料に天幕は徒歩じゃ持てないだろ? あの走りもしないラクダに載せる以上、人数を減らしたところで稼げる日数は知れている」
せめて馬並みに走ってくれればな、とマリアンは悔しそうに言った。
ふと、セトの頭の中に青い湖の光景が浮かんできた。あの湖には、船が浮かんでいなかっただろうか?
「船だ! 船なら奴らが思うより、絶対に速いはずだ!」
「大丈夫か?」
マリアンに同じことをもう一度聞かれた。
「ここは砂漠だぞ。船なんて何の役にたつ?」
セトは手を組み、にっと笑った。
「魔王の裏をかいてやる。きっと俺達が魔力を温存して、徒歩で進むと思っているはずだ。そこを逆手に取る」
「まさか、砂漠で船を動かす気じゃないだろうな? そんな魔術があるのか?」
「そのまさかだ」
実際、うまくいくとは限らない。だが碇を外し、船の綱を持って低空飛行すれば、理論上は砂の上を走る船の完成だ。セトの魔力が尽きるのが先か、峡谷へたどり着くのが先かは分からないが。だが、低空で一直線に飛び続けるだけなら、いくら燃費の悪い飛行術でも半日は持つはずだ。いや、持ってくれないと困る。
「湖から一台、小さな船をもらってきてくれ。歩いて三日かかる砂漠を、半日で越えてみせる」
だが、この作戦には欠点もある。セトが船を引っ張る以上、最小限の人数しかのせられない。戦闘要員のマリアン、ラインツ、船の舵をとるロビ、案内人のライラ。残念ながらシャールバの人達の助けは請えなくなる。しかしだからこそ、裏をかけることは確かだ。
マリアンもにやっと笑った。
「砂漠を走る船、か。面白い、やってみる価値はある」
決まると、後は早かった。一番軽いという赤いボートが湖から引き上げられ、シャールバの人々によって結界石の外に運び出された。そこにラクダから最小限の荷物を移し替える。念のため、荷物は紐で念入りに括った。もし飛ばされたらそれこそあの魔物と同じ、餓えと渇きでのたれ死ぬことになる。
ただ、ザグだけが多少ごねた。一人でシャングリラに残るのは嫌だというのだ。涙を流してザグは言った。
「干し肉だけで我慢できますか? 私も最期までお供したかったです」
「心配するな、すぐに帰る。うまい料理を待ってるよ」
マリアンは自信満々に言い切った。
「でも、砂漠を船でねえ。魔術でそんなことが出来るの?」
ライラは疑い深そうな眼差しでセトを見た。
「理論上は」
彼は簡潔に答えた。魔力の消耗が激しくなるのはわかっている。だが、魔王の裏をかかなければ必ず全滅まで追い込まれるだろう。それに、このやり口を彼は知っていた。疲弊したところを見計らい、全面攻撃を仕掛ける。リュシオン先生が、よく魔物に使っていた策だ。この攻撃を仕切っているのは本当にリュシオン先生なのか、会って問いたださなければならない。
碇が外され、舳先に丈夫なロープがくくりつけられる。皆が乗り込み、準備は整った。
「どっちへ向かえばいいかは、ライラが指示してくれ。舵はまかせるぞ、ロビ」
「ラジャー」
ロビが一人前の船員の顔をして、船尾の舵をとり、砂に突き立てた。さらさらとした砂だからこそできる芸当だ。
セトは、腰に綱を結わえつけ、呪文を唱えて杖を取り出した。呼び出された杖は、セトの格好を見て呆れたように言った。
「珍妙な格好してるな。今度は何をする気なんだ?」
「ラクダの真似だよ」
彼はそう言うなり、飛行呪文を唱えた。砂煙が上がり、後ろの船に座った皆が咳き込む中、構わず詠唱を続ける。黒い翼が背中からばさりと生えた感触がしたときき、地面すれすれに風の魔術をたたき込む。
ざっと音がして、小さな赤い船は最初ぽんっと浮き上がった後、ものすごい速度で砂漠を突っ切った。風が耳元でうなり、目も耳も砂煙でほとんどきかない。ただ、耳元をすごい勢いで風が通り過ぎていく。
微かに、ラインツの声が聞こえる。
「おいおい、早すぎるぞ!」
「捕まってろ! 三日の行程を半日で行くんだ、これくらい我慢してくれ!」
「少し進路がずれているわ! ちょっとだけ右へ!」
ライラの指示に従って、彼は方向を変えた。あのラクダ達よりも、こちらの方が圧倒的に早い。その分魔力はなくなっていくが、峡谷へついた時点で少し休めば問題ないだろう。ただ、この砂漠を突っ切ってしまわないことには、いつまでたっても前に進めはしない。
砂丘を大波のように乗り越え、時に乱暴にかしぎながらも、セトと赤い船は砂漠を疾走していく。魔力が尽きるまで飛び続けなければ、夕方までに峡谷にはつけない。
と、二刻たった頃くらいだろうか、誰かが大声で叫んだ。
「おい……左舷方向からとんでもないものが来てる!」
誰の声かと思ったら、ロビだった。ほとんどジュリオと一緒なので、間違いそうだ。一瞬考えて、セトは頭を振った。ジュリオはもういない。セトは感傷を押さえて怒鳴った。
「何だ?」
「魔物だ! 馬鹿でかいトカゲが、こっちへ向かってきてる!」
セトは一旦速度を落とし、舞い上がる砂を払って確認した。
相変わらず巨大な大きさの茶色いトカゲが、べこべこと足跡をつけながら、右から走ってきている。身体の大きさもあり、かなり早い。また次の魔物だろう。
「分かった! 振り切ろう! 皆しっかり捕まって!」
そう言うなり、セトは風の出力を上げた。今まで船が壊れそうで遠慮していたのだが、あれに追いつかれてしまえば、また戦わざるを得なくなる。
逃げるが勝ち、という言葉通り、今は戦わないのが一番だ。
船は最高速度ですっ飛んでいった。多分、もう舵はきかないだろう。すでに少し浮いていて、がたがたと左右に揺れている。
ライラの悲鳴や、「もっと上手く制御しろ!」というラインツの怒号が聞こえる中で、セトの耳に「いやっほう!」という声が飛び込んできた。
さすがマリアンだ、とセトは笑い出したくなったのを堪えた。この状況をなんの躊躇もなく楽しんでいる。
最高速度で飛ばすと、トカゲの速さなど、こちらの比ではなかった。トカゲはどんどん引き離されていく。
ついにトカゲが地平線から見えなくなった、という報告をロビから受けた後も、セトは念のため飛ばし続けた。
彼らはみるみるうちに砂丘をいくつも越え、一路峡谷だけを目指した。




