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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第2章 魔王討伐隊
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第44話 楽園を求めた砂嵐達

 朝ご飯の席で、あくびばかりしているセトに、ライラが不審な目を向けた。


「眠そうね。昼間あんなに寝ていたのに」

「夜、眠れなくてうろうろしていたんだ。こんな珍しい場所めったにないから」

「まあ、そうよね。砂漠の果ての楽園なんて、これから一生見られないかもよ」


 黒髪を耳にかけ、小麦を練った餅を食べながら、ライラは自慢げに言った。


「そういえばご主人様はどうしたの? まだ来ていないようだけれど」

「今日はちょっと寝起きが悪かったんだ。

 たたき起こしたが、髪を結っている間に椅子で居眠りしてしまった。

 すぐに起きると思うんだが」


 どきどきしながらセトは答えた。

 だが、心配は杞憂に終わった。ジュリオが爆笑したからだ。


「姉御の寝起きが悪いなんて、珍しいなぁ。いつも早く起きて剣をぶん回しているくせに」

「天変地異でもおこるんじゃないか」


 笑う海賊達相手に、ライラがしごく真面目に話しかけた。


「あら、砂漠で天変地異はしょっちゅうよ。砂嵐に竜巻なんていつものこと。

 一番珍しいものを教えてあげましょうか?

 砂漠には、一年に数回だけれど雨が降るの。

 雨が降った後は壮観よ。

 普通の自然界では種から花に成長するまで、一年はかかるでしょう?

 砂漠の植物は違うわ。種のまま、じっと雨を待つの。

 そして、一度降り出して雨が上がるころには、一面の花畑が出来上がっているの。環境に適応した結果ね。地平線まで赤い花園が広がる光景はまるで天国よ。

 その花は一日で枯れ、種を残してまた元の砂漠に戻るの。何事もなかったみたいにね。

 私達もそう。じっと機を待つわ。この帝国に穿つ穴を空けるために。天国のような花を咲かせるために!」


 最後はすでに演説になっていた。シャールバの民はこぞって手を叩いて喜んだ。ザグは渋い顔をしていたが、特に批判することもなくココナッツの実をこそぎ取っては食べていた。


「よう、待たせたな! すぐ食べるから、ちょっと待ってくれ」


 陽気な声がして、お団子頭からさらっと赤く長い髪をなびかせ、マリアンが現れた。にこにこしながらセトの隣りにあぐらをかいて座り、半分に切られたココナッツと木のへらを取り、ガリガリとこそいではおいしそうに口に押し込んでいる。

 セトはちらちらとそちらをうかがった。態度も何も変わっているようには見えない。

 むしろ、昨日のことが幻か何かだったかのように思える。いや、皆の前で堂々と暴露されるよりは、そのほうが好都合なのだが。


「マリアン、首のそれは虫刺されか?」


 正面に座っていたラインツが、急に彼女の首筋を指さした。

 セトは、ぎょっとしてそれを眺めた。ココナッツをほおばりながら赤髪を手で梳いた隙に、彼女の首筋に朱い跡が見えていた。

 マリアンが、にやっと笑って言った。


「ああ、そうかも。昨日湖で泳いだし、そのときに虫に刺されたんだろう」

「さっすが姉御! あれだけ飲んでから湖で泳ぐだって? 自殺行為だぜ!」


 ジュリオ達がまた爆笑した。

 この海賊にはつくづく感謝しなければならない、とセトは思った。

 なにせ話の腰を積極的に折ってくれる。たとえラインツがキスマークだと気付いていたとしても、ここから話を戻すのは至難の業だ。


「泳ぐのはいいけれど、気をつけてよ。お酒が入っているときはね」


 ライラが真面目そうに言った。最初のつんけんした態度は微塵もなく、ただマリアンを心配しているということがよくわかる言い方だ。ライラはそのまま、優しい言い方で続けた。


「食事が済んで準備ができたら、私達シャールバの民が皆を峡谷まで連れて行くわ。

 ここから三日くらいかしら。かなり過酷だから気をつけて。

 結界を出れば、魔物も多いわ」




 峡谷に近い結界石を越えたのは、それからすぐのことだった。シャールバの民は砂漠を渡る準備になれているらしく、さっさとラクダを揃え、いつの間にかザグも彼らと打ち解けて一緒に食料を積みこんでいた。

 結界石のある場所で、セトは振り返ってシャングリラを眺めた。砂漠の中の天国。古代の遺跡、遙か昔の結界、そして青く澄んだ湖。もっと遺跡を研究してみたかった。結界の謎を解いてみたかった。 もう一度青い湖に飛び込んで、二人で笑っていたかった。

 また、ここに帰ってこられるだろうか。


「大丈夫。また、帰りにゆっくり見られるさ」


 マリアンがセトの気持ちを代弁するように言い、肩を叩いた。いつもの元気のいい叩き方ではなく、そっと触れるような感触だった。セトは微笑んで、峡谷の方に向き直った。


 緑色の草木は、結界の石を越えるにしたがって減っていった。

 それにつれて、セトの魔力も回復しているように感じる。結界に入ったときのように急激な変化ではないので、若干気持ちは悪いものの、また気絶したりということはなさそうでほっとした。

 緑色の低木が茶色の植物に変わり、見慣れた砂漠になるまで一刻もかからなかった。振り返っても、大きな砂丘に邪魔されてシャングリラは全く見えない。

 まさに、幻の楽園だ。


「ああ、灼熱地獄へ帰ってきてしまった。セト、風幕張ってくれよ」

「悪いが、魔物の襲撃のために魔力を取っておきたいんだ。我慢してくれ」

「ちぇっ、ケチだなぁ」


 ジュリオが口を尖らせて文句を言った。例によってロビも肯く。


「いや、彼は正しい……まずいぞ、魔力が見える」


 ぶうぶうと文句を言う海賊を止めて、ラインツが真面目な声で呟いたあと、シャールバの民にも聞こえるように大声で叫び、剣を抜いた。


「気をつけろ! 魔物が来るぞ! しかも複数だ!」


 その声が終わらないうちに、地平線からズアッという音を立てて、巨大な砂の壁が立ち上った。シャールバの民が口々に叫んでいるのが聞こえた。


「砂嵐がやってくる!」

「嵐だ、口に布を当てろ!」


 砂の柱はどんどん大きくなり、確実にこちらへ近づいてくるのがわかる。知っている魔術で何とかならないだろうか。セトは必死で考えた。しかし、結界石を越えたにしても、今の魔力では火矢さえ満足に出せないだろう。


 なるほど、砂を巻き上げれば、太陽の光を使う『オートソル』の魔術は使えない。そもそも、このタイミングで仕掛けてきたのは、セトに魔術を使わせない為だろう。この砂嵐も、きっと魔物の仕業だ。結界石を越えて魔力が回復しきっていない今、魔物を魔術で倒すのは無理がある。

 敵も、本気で考えてきているのだ。


「無理だ、魔術はまだ使えない! 皆、早くここから離れて、結界石の中に避難してくれ! 敵は俺達、魔王討伐隊を狙っているんだ!」


 セトは、シャールバの民に向かって叫んだ。


「そんなこと、私達のプライドが許すと思って?」


 即座にククリナイフを振りかざしたライラに怒鳴り返された。


「魔術がなくても、今まで私達は何とかやってきたのよ。皆、マスクを!

 砂嵐が来るわよ!」


 その言葉と同時に、砂嵐がごうっと押し寄せてきた。セト達は、思わず左袖で口元を覆った。

 杖さえ出せれば、と思ったが、やはり呪文を唱えてみても黄金の杖は現れなかった。心許ない黒曜石のナイフを持ち、目をこらして魔物の影を探す。

 しかし、やはり視界は砂の中だ。ほとんど見えないどころか、目が痛くて仕方がない。

 この砂を何とかしなければ。


「ラインツ! 今の状況で魔力が見えるのはお前だけだ! 頼む、砂の魔物を倒してくれ!

 このままじゃやられる!」


 知らず知らずのうちに、セトはラインツに向かって叫んでいた。


「お前、俺に初めて頼み事をしたな!」


 後ろから、妙に嬉しそうなラインツの声が聞こえる。


「任せておけ、剣聖ラインツの力を見せてやる!」


 剣をじゃきっと振る音がして、ラインツがセトの横に並び立った。そして、意外なことに、セトの立っている地面に剣を突き立てた。

 ぎゃっと悲鳴が上がり、地面がぼこぼこと沈んでいく。セトはバランスを崩して思わず倒れた。

 灯台下暗しとはこのことだ。砂嵐を起こしていた魔物は、彼の足下にいたらしい。砂が椀上に盛り下がり、流砂が起きる。

 その一番中心には、気色の悪い蜘蛛のような、それよにも少し胴体が長いような生物がいた。色は黄土色で、黒い点々が不気味で仕方ない。生理的に無理、という言葉が頭の中を駆け巡る。もちろん、虫のような外見でも、巨大な牛くらいの大きさだ。

 この魔物は砂嵐を起こし、それで立ち止まった餌の下に移動してすり鉢状の巣に落とし込み、喰うことで生きながらえているのだろう。

 ずるずると気色の悪い魔物の元へ引っ張られるセトの背中を、ラインツのブーツがどんっと弾みをつけて踏んでいった。そして、瞬く間に中央の大きな魔物に向かって長剣を振るった。真っ二つ、という言葉が相応しいくらいに切れ味よく、その魔物は悲鳴を上げながらすり鉢状の中心でのたうち回り、そのうち静かになった。

 セトはほうほうのていで上がった。ラインツは意気揚々と坂を駆け上がってくる。


「さて、魔物は他にもいる。さっさと始末してしまうか」


 一匹やっつけたことで、砂嵐が少しましになった気がした。と、ククリナイフを持っているシャールバの民達がぼこぼこと空いている穴に、ナイフを投げつけている。あらゆる場所に穴が空き、あの気味の悪い魔物が出現しているのだ。ククリナイフは刺さっているのだが、いまいち決定打にかけるのか、魔物はぎいぎいと声を上げて怒っている。


「よこせ」

「よこせ」

「水をよこせ」

「食べ物をよこせ」

「楽園はどこだ、水はどこだ」


 シャングリラを探しに来たのだろうか。それとも、魔王を倒しにきたのだろうか。どちらにしろ、この魔物達は砂漠で水もなく、のたれ死んだ人々だ。セト達も、一歩間違えればこうなっていたかもしれない。


「姫様ァ! 誰か、姫様を助けて!」


 誰かが叫んだその言葉で、セトは魔物の声から我に返った。何かまずいことでも起こったのだろうか。

 少しは薄くなった砂煙の中を走り出すと、マリアンと出会い頭にぶつかった。


「セト、今のはなんだ!」

「わからない! だが、ライラを探そう!」


 ぼこっと下がった魔物の巣に、マリアンは果敢に突っ込んでいき、気味の悪い魔物を一刀両断していた。結界石のせいで黄金の長剣は出せていないようだが、力ずくで切り刻んでいる。しかし、数が多いせいでライラがどこにいるかは見つからない。

 セトとマリアンは必死で声の方向へ駆けだした。


 その時だった。一つの穴に、ライラが落ちこんでいる。父の形見と言っていたククリナイフが、魔物の頭に刺さっていた。だが、魔物はまだ死んでいない。砂を掻き、ライラを中心に取り込もうとしている。


「ライラ! ちょっと待ってろ、今助ける!」


 マリアンが長剣を振りかざし、穴に突入しようとしたそのとき、ざざっと隣から滑り降りる音がした。ライラが目を丸くして叫んだ。


「ジュリオ!」

「美人をほっといたら罰があたるぜ」


 中央に滑り落ちたジュリオはそう言い、確実に仕留めようと魔物に向かって白刃を振り下ろす。ばしゅっと体液が飛び散り、魔物はぎゃあぎゃあとわめいた後静かになった。

 セトはほっとした。ライラもジュリオも無事そうだ。

 ククリナイフを引き抜いて二人がすり鉢状の坂を上ってくるとき、事件は起こった。

 ジュリオの背後から、音もなく砂が盛り上がった。そして、ジュリオがぎゃっと悲鳴を上げた。もう一匹魔物が出てきて、彼の背中に噛みついたのだ。

 この巣に限って、二匹いた。そうとしか考えられない。


 ライラは一瞬固まった後、鬼のような形相になって魔物の胴体を刺した。今度はうまく急所に当たったらしく、魔物は一撃で静かになった。


「しっかりして、ジュリオ!」

「兄さん!」


 ロビが、巣からジュリオを引き上げた。

 だが、血が後から後から砂漠の砂に染みこんでいく。

 セトもマリアンも、動くことができなかった。

 ライラが狼狽して叫んでいる。


「どうして、私なんかを助けるの!」


 ジュリオはライラに膝枕をされて、夢うつつのように呟いた。


「そうだよな……いくら美人でも、人助けなんて俺らしくないよなあ」

「兄さん、しっかりしてくれ! 前だって魔物に喰われたけど、生きてただろ!」

「……ああ、あれは臭かった」


 ロビの必死の言葉に、ジュリオはにっこりと笑った。


「でも、今度は歯に当たっちまったからな。運が悪かった。背中が痛えし、寒いし散々だ」

「そんな……まだ、新しい船を買ってないだろ! 借金も返してないし」

「だが、俺達はシャングリラを見た。世界の無法者共が血眼になって探した理想郷だ。

 そいつが見れただけでも……」


 そこで、彼の話は止まった。ロビが呆然として、ジュリオの名前を連呼している。

 ライラが、そっとジュリオの目を閉じさせた。彼女の瞳からは、大粒の涙があふれ出している。


「魔物は片づけた。だが、ジュリオはどうした」


 ラインツが汚れた長剣を片手に携え、戻ってきた。よく見れば、砂嵐はおさまっていた。地中に埋まった全ての魔物を、全部退治したにちがいない。

 彼は状況を見てすぐに、何が起こったか理解したらしい。


「……また、一人減ったか」

「いいえ。私も行くわ」


 ライラが思い詰めた表情で言った。


「いや、ライラ。あんたには別の頼みがある」


 普段は無口なロビが、真面目な口調で言った。


「兄さんを、シャングリラに埋めてほしい。楽園で眠っていてほしいんだ」

「……わかったわ」


 魔力がないということは、本当にやるせない。

 歯がゆい思いをしながら、セトはジュリオの穏やかな顔を眺めていた。

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