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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第2章 魔王討伐隊
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第43話 暗闇に潜む愛

 深夜、気味の悪い鳴き声を発してフクロウがすぐ前を横切った。セトは、びくっとして立ち止まった。魔物はいないはずだし、空には満月がかかって明るいので、灯りを持つ必要はないと思ったのだが、やはり急に獣に出てこられると驚く。

 彼は、洞窟と反対の方向、つまり峡谷への結界に向かっていた。

 宴はとうに終わり、皆部屋へと引き上げたはずだった。例によってセトは一人倒れていたため、皆と睡眠時間がずれてしまっている。眠れないので散歩も兼ねて、湖のほとりをぐるっと周り、西の峡谷を眺めてから部屋へ戻ろうと思っていた。


 と、湖で魚がぱしゃん、と跳ねたような音がした。こんな僻地にも、魚は生息しているらしい。セトは不思議に思って、銀色の満月がゆらゆらと映った暗い湖面を見た。そして、口をぽかんと開けた。

 湖から出てきたのは、魚ではなかった。月の薄暗い光でも間違いようがない。マリアンが、湖の中を長い髪を濡らしながら泳いでいる。

 開いた口がふさがらなかった。

 地面を見ると、あっちこっちに赤い軽装鎧と服が脱ぎ散らかしてある。ということは……。

心音が一気に跳ね上がった。

 これは覗きに入るのか、いっそ声をかけて潔く謝ったほうがいいのか、それとも黙って立ち去るべきなのか。

 混乱して言葉もなくへたり込んでしまったセトに、気付いたマリアンが脳天気な様子で手を振ってきた。


「おーい、セト! こんな夜中に何してるんだ?」

「こっちの台詞だよ!」


 セトは知らず知らずのうちに叫んだ。

 そうだ、マリアンは元々こういう人種だった。常時侍女に着替えを手伝ってもらっていたためか、恥の概念が全く欠落しているらしい。


「見て分からないか? 泳いでるんだよ! 久しぶりだからな、楽しいぞ?」

「やめてくれ、人が見るかもしれないのに!」

「大丈夫だって、お前以外誰も起きちゃいないし」


 やはりといえばいいのか、言っても聞かない。うらやましいほどすいすいと泳ぎ、近寄ってくるマリアンに、彼はため息をついて立ち上がり、後ろを向いた。


「とにかく、見つからないうちに早く上がって服を着てくれ」


 と、いきなりくるぶしをすごい力で引っ張られた。何が起きたか分からないうちに、セトはばしゃん、と湖に落とされた。暗闇の中、夜の冷たい水が身体中に纏わり付いてくる。また溺れるかもしれないという潜在的な恐怖が蘇り、彼はそこにある温かいものに夢中でしがみついた。やっと顔が水面から出て、ぜえぜえと呼吸を繰り返す。


「大丈夫だって。足は立つから」

「……え?」


 言われて気付いたが、水はせいぜい肩の高さだった。ほっと一息ついた後、セトは自分が何にしがみついているか、やっと気付いた。くびれのある腰に手をまわして、マリアンをぎゅっと抱きしめている。マリアンの碧色の瞳が、セトのすぐ近くで笑っていた。顔が耳まで真っ赤になるのが自分でも分かった。


 勘違いするな。

 セトは気力を振り絞って自分に命じた。

 マリアンとは、身分と宗教が違う。何より、彼女は舞踏会の席で言った。ネフェリアには、すなわち自分自身には昔から婚約者がいると。

 彼女はネフェリアの身代わりとして、隣国の王子と盛大な結婚式を挙げるのだろう。

 王様と女王様は、いつまでも末永く幸せに暮らしました、というのが昔からあるおとぎ話の定番の最後だ。魔術師は悪者か、せいぜい幸運を運ぶ端役にすぎない。


 声は少し裏返ったが、セトはわざと気にしていない口調で言った。


「水に飛び込まされるのはもう三回目だ。こっちは泳げないって言っているのに」

「はは、そうだったな。宮廷にいたときに、水泳も教えておけばよかった。随分昔みたいに思えるけど」


 マリアンはくすくす笑った。だが、その笑い声はひどく寂しそうに聞こえた。

彼女は突然、セトの首に腕を回し、頬をすり寄せるようにして、耳元で囁いた。


「……ずっと、このまま旅を続けられたらいいのに。本当は、女王になんてなりたくない。一度も会ったことのない人と結婚なんてしたくない」


 この癖を、彼は知っている。マリアンは涙を見せるのを嫌うのだ。だから、泣くときには顔が見えないように耳に唇を近づけて話す。

 セトは、かける言葉が見つからなかった。こんなことを考えながら戦っていたなんて、ちっとも気付かなかった。なにせ、彼女が当然のことのように話していたからだ。国を背負う手前、婚約も結婚も即位も、しごく当たり前のことなのだから、彼女の性格からしても受け入れていると思い込んでいた。

 婚約者がいるという発言にショックを受けてふて寝した挙げ句、一人で出発しようとした自分が今更恥ずかしくなってくる。

 それでいて、濡れて水滴の垂れているロイヤルレッドの髪の毛を撫でることくらいしか出来ないことに、少し嫌気がさしてきた。

 少し落ち着いたらしいマリアンが、涙声で言った。


「どうせなら、魔王がもっと遠くにいればよかった」

「ここまで来たのに、そんなこと言わないでくれないかな」

「じゃあ、ひとつお願いを聞いてくれないか」


 セトは戸惑った。マリアンは普段こんな言い方をしない。お願いというより命令するのが常なのだ。不審に思いながら、セトは尋ねた。


「俺にできることなら、何でも」

「今だけでいい。嘘でもいい。私のことが好きだと言ってくれ」


 頭をがんと殴られたような衝撃が襲ってきた。せっかくの決心ががらがらと崩れていく。セトはマリアンの両頬を手に当てて、彼女の顔を真正面から見た。少しきつい瞳が、涙で濡れている。顔が赤いのは、日焼けではないだろう。セトは思わず頬に流れている涙を、小指で優しく拭った。

 その途端、何かのたがが外れたのが自分でも分かった。

 身分や宗教など、今このときに何の関係があるのだろう。このひとが泣いているのに。世界で一番愛すべき人と、二人きりで抱き合っているというのに。


「……ずっと好きだ。今だけでも、嘘でもない。貴女が結婚しようと、女王になろうと、変わらない」


 二人は見つめ合い、唇が近付いて一瞬触れた。と、マリアンがふと気付いたように言った。


「そういや、何回目だっけ?」

「今で三回目。二人で水に落ちた回数と一緒」

「そうか。じゃあ、今日はもっと落ちなくちゃな」


 温かい唇の温度を再び感じながら暗い水の中へ引き込まれたとき、セトは、昼下がりに王宮で読んだ、レイセルの詩の一編を思い出した。


『愛は暗闇に潜みて静かに音もなく忍び寄る。

 それはときに死神のように、それはときに憎しみと化して。

 光差す庭にあふれた愛は美しく、皆に祝福される愛は、女神のように崇められる。

 しかし暗闇の愛は誰にも賞賛されることもなく、それでいて消えることのない炎となって燃えさかる。

 ほとんどの人々が、自身の運命の相手が誰であるかを知らない。

 私はその答えを手に入れた。

 その愛はどれだけ私の心に響いたか。

 もう愛とは呼べぬ妄執と化してなお、その煌めきは永遠である。

 純粋である。そして残酷である』

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