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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第2章 魔王討伐隊
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第42話 砂漠の楽園シャングリラ

 シャールバの民達が崩れかけた古代の遺跡の床の砂をはらうと、大きな銅製の跳ね上げ扉が巧妙に隠されていた。開けると、ラクダを連れた商隊でも通れそうなゆったりとした下り坂が暗闇の中に消え、湿っぽい臭いが立ち上る。セトは眉をひそめた。シャングリラ、つまるところ楽園とはほど遠い。


「こんな場所に住んでるのか?」

「まさか。いいから黙ってついて来なさい」


 ライラはそう言い、仲間に合図した。すぐに松明が用意される。

 用心しながら、セト達は坂を延々と下りていった。

 と、急に足元からびしゃっと水が跳ね返った。坂は終わったが、今度はぬかるみだ。 

 今までは涌き水を求めて砂漠を歩いていたようなものだった。

 だがラクダを引きながら足首まで浸かるぬかるみを進むのも、同じように厄介なものだ。

 シャールバの民達が松明で照らしてくれているが、やはりぬめぬめとして滑りやすい。


「地下水があけた、砂漠の中の洞窟よ。誰にも見つからない、私達の隠れ家なの」


 ライラは得意げに説明したが、水を比較的重要と思っていないセトにとっては、歩きにくいだけだった。ただ刺すような陽射しが遮られているのには感謝した。砂漠を歩いてからこっち、顔が日焼けで段々赤くなっているのだ。健康的な赤銅色に焼けたマリアンのようになればいいのだが、体質のせいかそうはいかず、頬にひび割れが出来て痛い。

 見兼ねたザグにラクダの脂を貰ったが、皆の前で塗るのは確実に馬鹿にされる気がするので使っていない。


 そうか、馬鹿にするであろう一人が、いなくなってしまった。


 セトがふと寂しく思ったとき、ライラがふと尋ねた。


「そういえば、外国人部隊ではビョルンだけいないのね。どうしたの?」


 思わず全員が黙った。それで察したようだ。


「ごめんなさい。悪いこと聞いたわ」

「そんなことはないさ。気にかけていてくれたなら、あいつも喜ぶよ」


 ラインツがしんみりと言った。その空気をはらうように、ライラが大きな声で言った。


「それにしても、凱旋したってことは、都までは皆帰り着けたのね。きっとのたれ死んだと思っていたわ」

「船乗りだった俺達の功績だぜ? 砂の海だってどんとこいさ」


 ジュリオが自慢げに笑った。一度水場を通り越したことは全く忘れているらしい。つくづくいい性格をしている。

 それにしても、この泥の道に果てはないのかと思いはじめた頃、わずかな光が洞窟の奥に見えてきた。出口だ。

 進むにつれて光は大きく明るくなり、岩肌の色もうっすらと見えるようになってきた。


 大きな洞窟の出口で、セト達は一瞬立ち止まった。少し小高い丘の中腹に出た面々には、シャングリラの様子が上から見渡せた。

 それは壮観な眺めだった。濃い緑の椰子の木々や、シダのような植物が生え、何より青く大きな湖が目を引いた。その周りには古代の立派な建物が木々の間に点在している。昔の建物を修復して使っているのだろう。確かにこの不毛と呼ばれた地において、ここは間違いなく楽園、シャングリラという名に相応しい。

 ジュリオがテンション高く叫んだ。


「ここが、理想郷シャングリラか!

 古代の黄金が眠っているって、世界中の無法者共が血眼になって探している楽園だぜ!」

「残念。古代の黄金なんてないわ。ただ古い時代の聖地なだけよ。

 私達も、砂漠を旅していて偶然見つけたの。それ以来、ここを拠点に活動しているわ」


 冷静なライラの言葉に、ジュリオはしょぼくれた顔をした。


「せっかくのロマン溢れた伝説だったのに。一言でへし折ったな」

「事実だもの。しょうがないでしょ」


 洞窟から出たとき、セトはもう一つ、こんな魔王の近くで暮らしているシャールバの民が魔物にもならず、襲われもしない理由に気付いた。

 ヴィエタ帝国が出来る以前に作られたであろう、古代魔術の結界が張ってある。そして、それは今でも作動しているらしい。セトが一歩日の光の中に足を踏み出した瞬間、ぴりっと魔力が伝わり、杖を出してもいないのに魔力が減っていくのが自分でも分かった。魔物や魔術師など、魔力の強いものが街に入ると、魔力を吸収し、無害化してしまう結界だ。ツタが絡み付いていてわかりにくいが、洞窟の左右には奇妙な彫りが施された石柱が立っていた。

 セトの知っているヴィエタ以後の魔術とは全く異なる。千年前ここにいた砂漠の民は、きっと独自の技術を持っていたに違いない。こんな術を使える魔術師はとうにいなくなったのに、この石柱は自分の役目をずっと果たし続けているのだ。


「おーい、何してるんだ?」


 マリアンの声で、セトは我に返った。うっかり自分の考察の世界に浸りきっている隙に、隊列は緑の森の先まで進んでいた。彼は慌てて後を追ったが、木の根に引っかかりべたっと倒れた。まずい、と指先から冷えていくのを感じながら、セトは何とか立ち上がろうともがいたが、力が入らなかった。皆には楽園かもしれないが、セトにとって、ここは地獄かもしれなかった。




 涼しい風が吹くころ、セトは目を開けた。天井には砂をかぶり、あちこち剥がれてはいるが見事な壁画が施されている。

 どうやら、結界のせいで魔力増減症になってしまい、知らないうちに屋内へ運ばれたようだ。


「大丈夫か?」


 ごそごそと動いたセトに気付いたのか、マリアンがベッドに近寄ってきた。


「魔物用の結界が張ってあった。ただの魔力増減症だ、すぐ治る」


 彼が情けない気持ちを抱えて起き上がると、驚いたことにライラもそこにいた。


「不思議ね。あの銀髪の魔術師とそっくり。あの人も村へ続く道で倒れていたところを見つかったのよ」


 なるほど、リュシオン先生もあの罠には引っかかったらしい。いや、あれは魔術師のだれもが引っかからざるを得ないだろう。セトの中で、少しは情けなさが消えていった。


「いま、ライラと話し合っていたんだが、峡谷までは案内してくれるそうだ。

 そこからは危ないらしいから、断ったよ」


 マリアンが行き先に宝の山でもあるかのように生き生きと言った。


「峡谷には、結界はないんだろうな?」

「結界? なんのこと?」


 ライラが首を傾げる。一般人にとっては、とるに足らないもののようだ。


「変な彫り物がついている石の柱だよ。二本対になっている」

「ああ、出口にある柱ね。あれが結界なの?

 村の出口は二つ、洞窟側と峡谷側よ。

 そういえば、どちらにも石柱はあるわね。ただの出入り口の印だと思っていたわ」


 セトはほっとしてため息をついた。とりあえずこの村から出れば、魔力は回復するだろう。それまでは、この結界が許す範囲の魔術しか使えないということになる。古代の魔術師は、平和主義だったのか、それとも交戦してきた敵の魔術師をククリナイフで滅ぼしたかったのか。どちらにしろ今のセトには迷惑な話だ。

 しかし、この結界のおかげで魔物が入らなかったことも確かだろう。そう考えると、古代の人々の知恵には感嘆するしかない。



 マリアンがにやっと笑って言った。


「さあ、夕食だ。さっきちょっと見てきたが、すごいぞ。肉はあまりないが、ココナッツが大量だ。それに、ワイン樽もたくさんあるんだ!」


 どうやらそちらが目当てのようだ。入手経路が気になったが、あえて聞かないことにした。海賊に販路を聞くのと同じくらい無意味なことだ。


 そして、大広間で宴会は開かれた。カサン式のしゃれこけたものではなく、皆車座になって座り、酒を酌み交わしてココナッツを割り、中のジュースを飲んでから、果肉をこそいで食べる。ココナッツの液体が飛び散ろうが、だれも気にしない。あの舞踏会よりもずっと気楽で、外国人部隊は早くもワインを一樽開け、酔っ払っていた。

 ジュリオが大声で叫ぶ。


「おーい、セト! 大道芸やってみろよ、あの鳥がしゃべるやつ!」

「だから、古代魔術の結界内では無理だって言ってるだろう!」


 セトは説明したが、すでにジュリオはべろべろで聞いていなかった。

 酒の席は一週間くらい前に体験したばかりだったはずだが、異様に盛り上がっている。

 シャールバの民は、フードを外せば本当に見慣れた普通の人々だった。ただし、女性が異様に多い。男性は老人か成人前くらいの若者だけだ。恐らく、成人した男性は兵士はレムナード兵になったか、或いは逃げたか、殺されたか。あまり愉快な話にはなりそうもなかった。

 しかし、女だてらに彼女たちはよく飲み、よく働いた。ココナッツと酒は途切れず、酒を飲まないセトはココナッツだけを大量に食べるはめになった。


 こんな楽しい思いをしていていいのだろうか、とセトはふっと思った。リュシオン先生の後を追い、もうすぐ近くまで迫っているというのに、魔術も使えない街で宴会三昧。すぐにでも後を追うべきだろう。

 だが、皆のにこにこした顔を見ると、とてもそうは言い出せなかった。


「何、暗い顔してるんだ! もっと楽しめ! なんせここはシャングリラなんだからな」


 マリアンに絡まれて、セトは曖昧に笑った。そうだった、ここは砂漠の中の楽園だ。一日くらい、ここで楽しく過ごしても罰はあたらないだろう。そう思い、彼はまたココナッツを一つ手に取った。

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