第36話 舞踏会の夜
「それでは、英雄達の帰還に乾杯!」
一段高い台座に着いた辺境伯が音頭をとって、レムナード兵達は一斉に酒を飲み干した。
たっぷり休んだレムナード兵達は、日没後、壮行会の会場に再び戻っていた。
しかし、壮行会とは趣が違った。豪奢な装飾はそのままだが、料理が乗ったテーブルは隅に寄せられ、椅子も同様だ。どう考えても人数分の椅子がないので、皆遠慮しがちに立っている。中央の何もない空間がやけに気になった。
セトは例によって、酒は飲まずにコップを掲げるだけにし、机の上にすぐ置いた。そして、着慣れないヒラヒラした袖を無意識に引っ張った。
ひれの付いた魚にでもなった気分だ。多分、ラインツ以外、ほぼ全員が居心地の悪さを感じているだろう。
白いゆったりとした軍服姿が特徴だった兵達は、各々目も覚めるような派手な上着に身を包み、黒い皮のズボンとブーツを履いている。上着の袖からは白いフリルが飛び出し、衿には同じくフリルのついたネッカチーフが巻かれている。
ただ、やはりレムナード兵の証である白いターバンはそのままだ。
だからこそ、よけい異様な光景になっている。
悔しいが、その場ではラインツだけが堂にいっているように思えた。涼しい顔をして、白地に金糸のフリルがついた服を優雅に着こなしている。
「やはりラインツ殿、東大陸の人間だけあってカサン式が似合いますなあ」
辺境伯が上機嫌でワインを掲げた。
「いやあ、この辺境でこれだけのカサン式の祝宴が開けるとは思いませんでした」
軽く答えて、ラインツが酒を飲んでいる。セトは周りを見渡した。マリアンが見つからない。いつもなら「酒だ!」と笑いながら大声で叫ぶので、すぐ分かるのだが。屠殺場に連れていかれる牛のような目をして召し使いに連れられていってしまってから、会っていなかった。
実際に魔物を倒した英雄を差し置いて乾杯とはひどい。彼はこの成金趣味の辺境伯に、少し不信感を抱いた。
と、辺境伯がぱん、と手を叩いた。
「今宵の趣向は、カサン式の舞踏会だ! 皆、存分に楽しまれよ!」
同時に大きな扉が開き、こちらもひらひらした格好の女性がどっと広間に入ってきた。頭を結い上げて金銀のアクセサリーを飾りたて、色とりどりのスカートを大きく膨らませた美しい女性達だ。街から綺麗どころをかき集めてきたに違いない。彼女たちは大きく品を作って辺境伯にお辞儀をした後、それぞれ兵士達に話しかけに行った。
ラインツなど、あっという間に女の人垣に巻き込まれている。
レムナード兵達は、突然の乱入を拍手と歓声で迎え入れた。そもそも兵士というだけで出会いが少ない上に、彼女たちは厳選された美女だったからだ。あちこちで華やかな黄色い声があがる。待っていたかのように、東方から輸入されたのであろう弦楽器が美しい音楽を奏で始めた。
その中で、ひときわ目立つ赤毛の少女堂々と中央に立っているのを、セトは嫌でも見つけた。痩身だが出るところは出ている上半身に、引き締まったウエスト、ふわっと広がったスカート。真っ赤なドレスを身につけた王女がそこにいた。まるで、セトが最初に出会ったときのようだ。
「……あれは、姉御じゃねえか?」
鳥の丸焼きを貪っていたビョルンが、信じられないといった面持ちでセトに尋ねた。
「そうだが何か?」
「……信じられん。夢じゃないなら、女は化け物だな」
そう言うと、酔いでも覚ますかのようにセトが注文したミルクを勝手に一気飲みした。
本人は嫌がっていたが、評判は上々らしい。
マリアンがきょろきょろとして、早速こちらを見つけたらしく、足早に近づいてきた。
「やあ皆、酒はあるか?」
「中身がそのままなのが惜しいな」
そう言いつつ、ジュリオがワインのグラスをよこした。ぐっと一杯のんで、彼女はようやく自分を取り戻した、という顔をした。
「中身は英雄赤騎士だぞ。しかしコルセットがきつくて死にそうだ」
下着の話はやめろ、とセトが言いかけた途端、聞いたことのある音色が会場を満たした。見ると、兵士達と美女は広間の中央で踊っている。兵士だけあって少し不器用だが、それなりにステップを踏み、男女とも楽しげだ。
セトの頭に忌まわしい記憶が蘇った。『アルバニアータ』というこの曲のせいで何百回も足を踏まれたことを思い出したのだ。ティルキアの社交界では人気の曲で、習得は必須だった。
「いや、大変だったな。『アルバニアータ』じゃひどい目にあった。セトが遠慮無く足を踏んでくるから」
「え? 踏んできたのはそっちだろう」
マリアンに先手を打たれて、セトは戸惑った。
「いーや、踏まれた回数の方が多かった」
「そんなことはない。俺の方がステップを覚えるのは早かったんだから」
「瞬発力は私の方が上だ。いくら正しいステップでも、私の足を踏んだ時点でアウトだ」
「そんな理屈が通ってたまるか。大体、貴女は最後まで覚えられていなかったじゃないか」
ふふん、と彼女は鼻で笑った。
「今では私もステップを完全に習得した。金貨一枚賭けてもいいぞ」
「そうか、じゃあこちらも賭けよう」
売り言葉に買い言葉だった。セトは形式通り、右手をマリアンへ出し、左手を腰に当ててお辞儀をした。
「踊っていただけますか、お嬢様」
「喜んで」
彼女がセトの手を取った。二人は滑るようにフロアの中央へと歩みを進めた。
そのステップは、他の誰とも違っていた。回る度に翻るスカートに、複雑な足さばき。踏みこみと引きを自在に繰り返し、腕を組んだかと思えば半回転して手を取り合う。二人で踊っているというよりも、まるで一つのそういう生き物のように、互いの手足が動く。
レムナード兵達が驚きの顔をして見つめているのも、二人は既に気付いていなかった。円を描く動きはどんどん大きく華やかになり、マリアンの赤いスカートが翻る。足が踏み出された瞬間こちらの足を引き、相手が引いたらこちらが踏み込む。
最後のバイオリンの音が終わった後、彼等は手を取り合い、夢から覚めたように立ち尽くした。顔が赤くなり、息があがっている。どちらも、相手の足は踏まなかった。
大勢の拍手が沸き起こり、やっと二人はレムナード兵や娘たちが踊るのも止め、こちらに見入っていたことに気付いた。
まずいことになった。直感的にセトは思ったが、もう遅かった。
セトとマリアンの間に、どっと人垣が押し寄せてきた。
「素晴らしいわ! これが今外国で流行しているダンスですのね!」
「でも難しそうだわ。どうやって練習なさったの?」
「あら、抜け駆けしないで! ねえ、貴方どこのご出身?」
口々に話しかける美しい黒髪の少女達に取り囲まれ、セトは圧倒された。マリアンは、と見ると、彼女も同じような目にあっている。
「ねえ、聞いていらっしゃるの!」
美女達は容赦なく迫ってくる。こういうことに慣れていないセトは、香水のいい匂いに頭がくらくらしてきた。ラインツならば、何か気の利いたことを言い返せるのだろうが。そう思って助けを呼ぶように彼を探したが、なぜか見当たらない。どうせ目当ての女でも見つけて口説いているのだろう。
どうでもいいことに腹をたてながら、彼は途方にくれていた。
多少の砂を我慢すれば、夜風に当たるのは気持ちがよかった。
マリアンは、取り巻きから逃れてほっとしながら腕を回してのびをした。
あの後、次々とダンスを申し込まれたが、彼女は指相撲で一番強い相手と次に踊る、と条件をつけたのだ。兵士達は指相撲に夢中になり、ちょっと飲んでくる、というマリアンをやすやすと解放した。その間にそっと抜け出したのだ。
「ワインをどうぞ」と、暗がりから声が聞こえてきた。金髪の青年が、金のカップを一つ差し出している。
「ラインツか。取り巻きはどうした?」
彼女はワインを受け取り、一気に飲んで笑った。
「貴女と同じで、まいてきたのさ」
そう言うと、いきなり彼は膝をつき、彼女の手をとった。
「リアン殿、数々のご無礼をお許し下さい」
「おいおい、何を言っている?」
今までのラインツとはとても思えない態度に、彼女は戸惑った。
「貴女は少なくとも、ティルキアの大貴族だ。あのダンスでわかった。
あれはティルキアンステップ。王家をはじめ、限られた身分の貴族にしか舞踏会で踊ることを許されないダンスだ」
そういえば、最初にそんな説明を受けたような気がする。全く覚えていなかったが。
冷や汗が出てきたが、まあラインツなら漏らすような真似はすまい。
「他の人には秘密な」マリアンは唇に指を当てた。
「勿論です。しかし、貴女は本当に美しい」
「そうか? 私は赤鎧の方が格好いいと召使いに力説したんだがな。聞く耳もたずに、こんななりだ」
ははは、とラインツが苦笑した。
「美しいと言ったのはドレスのことじゃない。貴女そのものだ」
ラインツが立ち上がり、手をとったまま一歩近付く。
「ロイヤルレッドの髪がここまで似合う人を見たことがない。
そのエメラルド色の瞳も、紅い唇も、貴女の全てを引き立てている」
「大丈夫か? 酔っ払ったのか?」
「私は本気です。貴女は他の誰より美しく、強いひとだ。私のこの思いを胸に秘めておくことは出来ません」
ラインツの手がマリアンの腰に伸びる。
「愛している、リアン」
「ラインツ、止めておけ」
眉を下げて、困ったように笑いながらマリアンが言った。
「それ以上言うと、背中にナイフが刺さるぞ」
「ナイフが怖くて、恋愛などできるわけがない」
ラインツがふっと笑いながら、後ろを向いてセトに聞こえよがしに言った。
その言葉で、セトは余計かっとなった。
マリアンがバルコニーへ行ったのを、セトは目ざとく見つけていた。
何とか女達を言いくるめ、指相撲大会へ注意を向けさせると、彼はこっそりバルコニーへ出た。またあの王女に脱走されてはかなわない。
そう思って出てきたが、衝撃の場面に遭遇した。ラインツがマリアンを口説いているのだ。しかもかなり強引に。
気がついたときには、黒曜石のナイフを彼の背中に向けていた。
「それに、私を口説いたって無駄だ」
彼女が砂漠の風に赤毛をはためかせ、ラインツの手をほどいて寂しそうな口調で言った。
「私には婚約者がいる。四歳のときに決められた、親同士の約束だ」
時が止まった。
セトのナイフが、音を立てて床に落ちた。
誰も何か言い出せないでいるうちに、マリアンは空になったワインのコップを持ち、バルコニーをゆっくりと歩き出した。
「すまん」
セトの横を通り過ぎざまにそう言って、彼女は大広間に戻っていった。
「まあ、そうだろうなあ。大貴族階級になれば、小さい頃に相手の一人くらい決まってるだろうな」
ラインツがため息をついて独り言のように言った後、こちらを見て目を丸くした。
「おい、セト。まさかお前、従者なのに婚約者のことを知らなかったのか?
顔が真っ青だぞ」
問題ない、と自分が答えている声が彼方から聞こえた。




