第34話 勝利とレムナード兵隊長
最初は何が起こったのかわからず、誰も口を聞かなかったが、突如兵の間から喝采がわき起こった。角笛係が、三回大きく笛を吹いた。勝利の合図である。
「化け物が……倒れたぞ!」
「リアン殿、素晴らしいお手前でした!」
「これでレムナードも安泰だ!」
レムナード兵に担ぎ上げられ、マリアンは照れたように笑っている。セトはこの騒ぎのうちに、慌てて杖を消した。見ると、マリアンの黄金の剣もとうに消えている。彼女の魔力では、この程度の時間で魔力が尽きて自動的に消えるにちがいない。
それにしても、とセトは改めて周りを眺めた。四方の砂はあらかた消えて、すり鉢状になっている。その中に巨石で造られた迷路のような遺跡だけが残っていた。
「犠牲者を数えろ。怪我人は何人だ!」 すかさず副官が指揮を取っている。
セトは、また自分に魔力が流れ込み、手足が冷たくなるのを感じた。
しかし、最初のときのような氷水に飛び込まされたときのようなショックはない。酷く眠いが、まだ堪えられる。もしかしたら、魔力吸収に耐性が出来ているのかもしれない。
それに、あのときは飛行魔術で魔力を限界まで使った後、魔物の魔力を取り込んだせいだったのだろうか。とにかく、気分は悪いがすぐに気絶するほどではないようだ。
とりあえず、マリアンを探すと、広場の中央の人だかりに目立つ赤毛が見えた。急いで動かないように気をつけながら、隣まで移動する。人だかりの中央には、隊長が横たわっていた。真っ青な顔をしている隊長に、セトは思わず話しかけた。
「大丈夫か?」
ああ、と隊長は笑いながら言ったが、両腕からは大きな傷口があり、血が流れ続けている。蛇の魔物の牙のせいだ。レムナードの衛生兵が消毒用の酒をかけ、治療している。
「どうして、私を庇ったの?」
放心したような声が聞こえた。人垣の中にフードが、突っ立っていた。
「私を蹴って、化け物から距離を取らせたのはどうして?」
「……私のターバンを取って、腕に巻いてくれないか。どうも血が止まらん」
その質問には答えず、隊長は弱々しい声で言った。若い兵士が申し出る。
「包帯にするのでしたら、私の物を」
「いいや、自分のものを使いたい」
兵士の一人が、慎重にターバンの留め具を外した。ぐるぐると白いターバンを巻き取っていく。なるほど、包帯にも使えるとは便利だ、とセトが納得しかけたとき、ターバンの残りの布がばさっと落ちた。
それを見て、フードが一歩後ずさった。セトとマリアンも、はっとして隊長の髪の色を見た。レムナード兵のなかにも、口を開けてぽかんとしているものがいる。蛍光オレンジといってもいいほどの、恐ろしい赤毛だった。
ロイヤルレッドだ。
生粋のレムナード人には、黒髪しかいない。明らかに他民族、もっと言うと、ティルキアやヴェルナースといった東方民族の髪色だ。隊長は手にターバンの布を巻かれながら、静かに話した。
「私も、純粋なレムナード人ではない。五十年前に併合されたナバ族の出身だ。ゴルダ教に改宗はしているが、今でもターバンで隠せない髭や眉は染料で染めている。
この精鋭部隊には、シャールバ出身兵も混じっているんだ。もちろん、他の民族もな。
そもそも、レムナードの名前の由来はゴルダ教の中に出てくる多くの民という意味だ。
シャールバの民の言い分は分かるが、もう既に国は滅びた。その現実を受け入れなければ、先に進めはしない。
それに、私はレムナード兵の隊長で、隊員を守り魔物と戦う命を課せられている。砂漠の案内人を守るのは当然のことだ」
「……馬鹿じゃないの」
フードが、震えていた。そして、そのククリナイフをパタリと落とした。その大きな瞳から涙が流れているのにも、気付いていないようだった。
「民の誇りを捨て、タクト神も捨てたた貴方に、何が分かるものですか。
私達は今から、あなた達を置き去りにする。せいぜい生き抜くことね」
どいて、と短くフードが言って、兵士達を押しのけて砂漠へと向かった。
シャールバの民は、その背を追うように、来た時と同じくさっと消えていった。
兵士の一人が、その背に矢を射かけようとする。
「やめろ!」
隊長が怪我をしているにも関わらず、怒鳴った。
「しかし、奴らは反逆者でしょう! このまま行かせては、レムナード兵の名折れです!」
「大丈夫だ、彼らは戦意を失った。我らレムナード兵も併合された諸国からの集まりで、彼らと大差ないのだ。彼らもいつか改宗し、この国に飲み込まれていくのだろう」
静かに語る隊長を前に、しんみりとした雰囲気の中、兵士達の数を数える声が聞こえる。
セトはどこの神にも見捨てられている手前、居心地が悪くなって、隊長のいる場所を離れた。兵士の少ない場所へと足を進める。と、この遺跡の中央、死んだ魔物の隣にある大きな古代竜の彫刻が目に入ってきた。
そういえば、この土地に居着いていた民族も同じだ。リュシオン先生と魔王について調べたとき、徹底的にレムナードの砂漠について文献を調べた。
一千年前、砂漠の地にもオアシスを移動する民がいたらしい。彼等は砂漠に井戸を掘り、古代竜を信仰して暮らしていた。しかし、東から来たレムナード人に攻め込まれ、砂漠の民はたちまちレムナード民族に併合された。この頃は、まだ帝国にはなっていなかったが、レムナードは強い勢力を誇っていた。
しかし、彼ら砂漠の民は最後の抵抗として、井戸を埋めたのだ。おかげでウルグ以西は、誰も住めぬ土地になった。それから長い年月がたち、遺跡は砂に埋もれたのだろう。
この民の風習には生け贄文化もあり、それには専ら蛇と豚が使われた、という不穏な文章も思い出し、彼は今回の魔物の正体にも思い当たった。あれは、太古の昔に神に捧げられ、そして忘れられた生け贄達の魂だったのかもしれない。
「で、隊長。異端者はどうします?」
鋭い声に、セトははっとして周りを見渡した。射手が今度はこちらを向き、今にも弦を放ちそうだ。
「おい、やめろ! セトは私の従者だぞ!」マリアンが叫んだが、兵は弓を離さない。
「この少年は魔術師だ! 杖を持って、砂漠から砂を巻き取った!」
「私は見ていないな。見るな、と誰かが叫んだからだ。
お前はそれに従ったか?」
隊長が静かに言った。兵は言葉に詰まった。
「それに、突然起こった砂嵐のおかげで、化け物退治が出来たんじゃないか。お前も化け物に喰われずにすんだ。いいことではないか」
「しかし……それでは教義に反します」
「教義か。教義と隊長である私の命令、どちらに従う?
もし教義に従うというのなら、私を射貫け」
兵は、それ以上何も言わずに弓を下ろした。
セトは、ほっとした。いつ矢が飛んでくるかとひやひやしたが、隊長が収めてくれたおかげで、何とかお咎めなしですんだようだ。
「別の問題はどうします? 砂漠の案内人がいなきゃ、帰れませんぜ」
さっきとは別の兵士が、隊長に不安げに問い掛ける。衛生兵が流石に耐えきれなくなったのか、文句を言った。
「怪我人の隊長にあまり喋らせるな。何とかなるだろ」
「もちろん、何とかなるさ」
声は上から降ってきた。眩しさを堪えて、セトは見上げた。相変わらず双子が一番高い柱の上に座っていた。ジュリオかロビ、どちらかが自慢げに言った。
「俺たちゃ海の男だ。何もない場所をうろつくのは慣れてる。コンパスと正弦四分儀さえありゃ、たとえそこが白い砂漠の海だとしたってウルグに帰り着ける。帰りの案内分、金もはずんでくれりゃ完璧さ」
「そうか。今回の戦闘ほど役立たずでなくて助かった」
ラインツが辛辣な文句を言ったが、彼らには効いていないようでしこたま笑っている。
「ははは、俺らは慎重派なんだよ。ある程度パターンを見越してから攻撃しねえと、生き残れないからな」
やはり、彼らは海賊なのだ。だが、不思議とさっきまで感じていた嫌悪感は消えていた。
頼もしい案内人だということが、わかってきたからかもしれない。




