第31話 砂漠の隊列
どこまでも続く草原を走っていた。風が耳元で音をたてて過ぎ、景色は目まぐるしく移り変わる。蹄は小気味よいリズムを奏でる。背に乗せた主人は上機嫌だった。手綱の取り方でそれがわかった。
そんなとき、丸い石に蹴つまずき、つんのめって膝から倒れた。主人が前に放り出された。ひやっとしたが、どうやら主人は怪我をしていないらしかった。彼は腰を抑えて立ち上がった。そして、ぴしりと鞭をくれた後、こちらの前膝をじっくりと見て、ため息をついたあと首をふった。悲しそうな顔をしていた。
それから数日後、他の馬達と共に、何もない砂ばかりの世界に送られた。途中で歩けなくなった馬は殺された。砂漠の真ん中で、『砂の神への捧げ物を放て』という声とともに、馬商人は次々と私達に鞭を喰らわせた。ほうほうのていで逃げ出したの行く先は、食べ物もない不毛の大地だった。砂の神などどこにもいなかった。だから私達こそが、大地を駆ける砂の神となった。
セトがはっと目を開けると、一番に目に入ったものは殆どオレンジといってもいい、夕暮れのような赤毛だった。マリアンが心配そうにこちらを見下ろしていた。
「大丈夫か? 随分うなされていたぞ」
夢の内容は覚えていなかったが、何かやりきれない気持ちを抱えていたことだけは思い出せた。
「ここは?」
まだ夢うつつのままで、セトはぼんやりと尋ねた。
「ウルグ城のお前の部屋だ。いきなりぶっ倒れてびっくりしたぞ。本当に大丈夫か?」
「心配ない、ただの魔力増減症だ」
そう答えて彼は起き上がった。確かにセトにあてがわれていた部屋で、藁のベッドに寝かされていた。起きた途端に、昨夜の記憶がありありと蘇った。
「俺はいつまで寝てたんだ?」
「半日ってとこかな。もう昼過ぎだ」
マリアンがベッドのすぐ脇に座っていた。そしてなぜか、ラインツも腕を組んで壁にもたれかかっている。何をしに来たのだろう。セトをだしにして、マリアンを口説きに来たのかもしれない。
「魔術の件はうまくごまかせたのか?」
「ああ、何とか」
マリアンは軽く答えた。
「俺の入れ知恵だからな」
ラインツが何故か不機嫌そうに言った。
多分、自分が活躍できなかったせいだろう。
「ああ、助かったよ。
ラインツに教えられたとおり、月が綺麗だったので城壁を抜け出て散歩していたら魔物が出て来たんで倒した、と説明したんだ。
従者一人だけ連れて砂漠を歩くなんて無謀だと、隊長からは大目玉だったよ」
からからと笑いながらマリアンは言った。そんな言葉を信じる隊長で助かった、とセトは心から安堵した。
と、『多産の魔王に近づくな』と書かれた布が、ばさっとベッドに広げられた。ラインツが渋い顔をして尋ねる。
「で、お前が持っていたこの布切れはなんだ?」
「俺の先生が書いたものに間違いない」
「へえ、魔術師教会は魔王討伐に先鋒隊を送り込んでいるわけか」
先鋒隊なんていいものじゃない、とセトは暗い顔をして思った。何せたった一人なのだ。体のよい厄介払いと言っても過言ではなかった。
「リュシオン先生は……」
「ちょっと待て、リュシオンって、あのアレクサンダー・リュシオンじゃないだろうな?」
突然慌てたようにラインツが言った。
「そうだけど? リュシオン先生を知っているのか?」
「小さい頃、奴の技を一度見たことがある。恐ろしい魔術だった。リュシオン家は元々カサン魔術師教会の名門だ。なぜこんなメッセージを寄越したかは疑問だが。奴なら自分で伝えそうなものだ」
「そうなんだ」
セトは、リュシオン先生を褒められて気をよくした。ラインツも手が早いだけで、そこまで悪い人間ではないかもしれない。
しかし、わざわざ魔物の尻尾に結び付けて警告するとは、手の込んだ真似だ。ひょっとしたら、命が尽きるときに力を振り絞って……と思ったが、彼は否定するように首を振った。そんなときなら、流暢に文字を書いている場合ではない。それに、リュシオン先生があの程度の馬の魔物に倒されるなんてことはありえない。
三人ともああだこうだと知恵を絞ったが、結局答えは出なかった。最後に、こういうことに一番不向きなマリアンがこう言った。
「考えても仕方がないな。その師匠にきかない限り、答えはわからん。とにかく、お前も元気になったことだし、私は一旦休もう。セトも少しは休んで、明日に備えてくれ」
にっこりと笑って、彼女は立ち上がり、出ていった。その後に続き、ラインツも扉の方へ行こうとする。
「待ってくれ」
セトはラインツの袖を引っ張った。
「何だ?」
眉を寄せて尋ねる彼を相手に、セトは扉がしっかりと閉まったことを確認し、冷たい目を向けた。
「あのひとに手を出すなよ。お前が思っているよりずっと酷いことになる」
「ふん、従者の分際で忠告か? 馬鹿馬鹿しい。私は私の心の赴くままに行動するたちでね。もっとも、身分で私にかなうものはいないと思うが」
ラインツは自信満々に言った。
「考えてみろ。爵位もなく、異教徒でしかも従者。君が俺に勝てる要素なんて、これっぽっちもないんだよ。諦めるんだな」
そのとき、かちゃんと鍵をかける音が遠くから聞こえた。セトは、にやっと笑ってラインツの袖を離した。ラインツははっとして振り向き、笑った。
「なるほど、彼女が部屋に鍵をかけるまでの時間稼ぎというわけか。
それではお休み、姫騎士の従者。だが、忘れてはいけない。機会は無数にあるんだ。
この旅が終わるまでに、きっと彼女を落としてみせる。じゃあな」
話したいことを話したあと、ラインツは颯爽と消えていった。セトはやれやれと息を吐いて、明日のためにとろとろと眠りについた。
朝日とともに、魔王討伐隊は砂漠へと入った。兵士達はレムナード馬ではなく、見たこともないこぶが着いた四足の生き物に乗っている。
ラクダだ、と料理人のザグが鍋釜を乗せた動物の手綱を引きながら言った。
「レムナード馬じゃ、砂漠は渡れない。皆ウルグの街で乗り換えるのさ。こいつは暑さに強くて水がなくても二、三日は死なない。もしオアシスにたどり着かなきゃ、血を飲むことだって出来る」
自慢げに語る料理人を前に、そんなときは絶対こないよう願いながら彼は足を進めた。
しかし、暑い。ウルグからこっち、木陰というものがまるでない。まるで波のようにうねった白い砂の山が延々と続いているだけだ。ちゃんと見当をつけて進んでいるんだよな?セトは少し不審に思いながら尋ねた。
「隊長が北に三日くらい行ったところだって言っていたし、間違いないだろう」
セトはぎょっとして足をとめた。鍋を満載したラクダはそのままいってしまった。
「どうした、セト」
後ろから、マリアンが声をかけてきた。まだラクダに乗り慣れず、歩みが遅い。ひょっとしたら歩いたほうがましかもしれない、というほどの速度だ。
おかしい。彼とリュシオン先生の計測では、レムナード砂漠の西に三百コルカ。徒歩で五日以上はかかる距離だ。計測が間違っていたのか、セトが王宮にいた間に魔王が移動したか、それとも、北に行っても見つからないかのどれかだ。そう話すと、マリアンはうーんと首を捻った。
「だが、隊長は北に向かっている。おそらく道案内がいるんだろう。そいつを見つけて聞いてみたほうがいいな。ちょっと話してくる」
言うなりラクダに鞭を当てたが、鈍重な動きで尻尾を振るだけで、歩みは少しも速くならなかった。
「なんて生き物だ。これじゃ三日どころか一週間くらいかかりそうだぞ」
マリアンは盛大にため息をついた。
太陽がぎらぎら輝き、遮るもののない日光がまともに身体にあたる。ついに、外国人部隊の面々も体裁にかまっていられず、レムナード兵の着ている白いマントを身につける羽目になった。マリアンは意外と似合い、他の兵士にうちの隊に入るか、と大笑いされていた。元々青白いセトはまさに借りてきた衣装という具合で、こちらも別の意味で笑われた。
道案内は砂漠に相当詳しいらしく、昼飯時には大きな岩場の場所へたどり着いた。水はないが、大きな空洞が岩場にいくつも空いていて、影で涼めるようになっている。
寝っころがっている兵士も沢山いるなかで、セトとマリアンは、昼飯も食べずに案内人を探した。水をちびちびと革袋から飲んでいた隊長は、探し人のことを尋ねると、怪訝な顔をして指を指した。
「ほら、砂漠の案内人はあの子だ」
二人は顔を見合わせ、そして目をぱちくりさせた。
シャールバの山岳兵、フードが遠くを睨みながら甘いパンを食べていた。




