表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
3/54

第3話 落ちてくる系の少女

 貴族の邸宅が立ち並ぶルア通りの左手には、首が痛くなるほど高い王宮の城壁が延々と続く。三番目の路地から数えて、十三番目の石。それだけが、他の石組みと比べて緩いのだ。そっと手で押すと、ずりずりと隣の石が動き、下草に隠れた石の入口が、黒々と口を開けた。大人一人がずりばいでやっと通れるくらいの狭さだ。


「昔の排水溝らしいぜ」


 ローシュが得意げに言う。


「昔、俺のボスが見つけた道だ。俺は奴らが城に入った後、出口を見張る役目だった。そんで、一人も帰って来なかった。首を斬られてはいおしまい、って話だ。それでも入る気かい?」


 そうだよ、とセトは掠れた声で答えた。この城に入れなければ、彼は杖も持てないのだ。忠告はしたからな、とローシュが口をへの字に曲げた。


「じゃ、さよなら。君には世話になった」


 そう言って、彼は狭い石の隙間に入ろうと身体を屈めた。


「やっぱさあ、止めようぜ!」


 袖を捕まれて、セトは驚いた。彼が、涙を浮かべてさっき無理矢理分捕ったセトの財布を差し出していたからだ。


「金欲しさについ教えちまったけど、城に入れば兵士に殺されるに決まってるだろ!  財布は返すから、お前もちょっとは考えろよ! 俺のせいで、お前が殺されることになっちまうよ!」


 生意気だが、気はいい少年らしい。セトは座って目線を合わせ、その赤毛をくしゃっと撫でた。


「ローシュ、お前が赤騎士に憧れるように、俺もあるものになりたいんだ。それには、絶対にこの城に入らなきゃならない理由がある。だから行くんだよ」

「そこまでしてなりたいものって、一体何だよ?」


 ローシュが涙目で聞いた。


「世界最強の魔術師」


 セトはそう答え、素早く身を翻すと小さな穴に潜り込んだ。



 暗い、狭い通路とはとてもよべない排水溝を、セトはずりずりと歩伏前進し、向こう側に微かに見えている光を目指していた。空気は澱み、かびの臭いが辺りに漂う。その暗さと臭いで、彼は小さい頃を思い出した。

 洞窟から出ることを許されず、じめじめした通路をさ迷い歩いていたあのとき、光差す場所を指し示してくれた魔術師、リュシオン先生。そこへ一歩でも近付きたい。そういう思いで暮らしてきたのだ、今までは。

 四角い出口はすぐそこだ。セトは油断なく周囲を見渡した。好都合なことに、そこは草が適度に茂みとなり、小さめのオレンジの木々が植えてある中庭だった。彼はずりずりはい出ると、すぐに茂みの中に隠れ、安堵の息をついた。とりあえず、計画の第一段階は成功だ。

 それにしても、ティルキア城は間近で見るとおそろしく豪華な建物だ。額縁のような窓飾りが縦横に施された背の高い窓が連なり、屋根を支える柱の一本一本には、精巧な葡萄のつるの彫り物が施されている。その上には、首が痛くなるほど上を向かなければならない尖塔が整然と並んでいた。セトは信じられない面持ちで、街にいたよりももっと高く威圧的に見える尖塔の群れを眺めた。


 ティルキア城の地図、というものは警備の関係で庶民の手に入るはずもなかった。唯一彼が見つけたのは、今まで育った場所、魔術師の都『神秘の塔』の図書館で見つけた、八百年前のティルキア城の略図だけが頼りだ。当然持ち出し不可で、ただ頭の中に何となく焼き付けてあるだけである。しかも八百年のうち、大火や改築、増築が何度も行われ、ここから見ていてさえ昔の面影がほぼないというのはわかった。これではほとんどゼロから捜すのと同然だ。それまで、兵に見つからずに動けるのだろうか。今は兵の姿などどこにも見えないがこれから先、ずっとこの幸運が続くとはありえない。しかしもはやこれしか道はない。彼は潅木や茂みに紛れながら、少しずつ壁から城の方へ近づいて行った。この高い塔が立ち並んでいる建物は、壁がまだ古石特有の黄ばみが出ていない様子からして比較的新しいものだろう。白亜の壁と青い釉薬のティルキア瓦の屋根が美しい。


 と、セトは一旦動きを止めた。たった一つ、塔のすぐ下の窓が空いているのを見つけたからだ。他の窓は全て閉じていて、人の気配もなさそうだったが、その窓だけ、豪奢な赤い地に金刺繍のカーテンが揺れている。あの窓から誰かが見ているかもしれない。そう思い、彼は茂みの隙間から目を細めて人がいるかを見極めようとした。しかし、あのカーテンはおかしい。風もそんなにないわりに、生き物のようにはためいている。

 そのとき、窓からばさり、と白い縄が降ってきた。そして、カーテンと思っていた赤い布から足が突き出しているのを見た瞬間、彼は理解した。カーテンではない。あれは女ものの豪華なスカートだ。金糸に彩られた緋色の豪華なスカートが、窓辺に見え隠れしているのだ。慌てて窓の数を数えると、七階上だった。あんな高い場所で窓枠に立つなんて、正気の沙汰ではない。白い縄、と思ったものは、よく見ると適当に結び合わせた白い布地の切れ端だ。まさか、あそこから地上まで降りる気か。


 果たして、その頼りない綱にぶら下がり、まるで猿か何かのようなスピードで目も眩む高さから下りてくるのは、真っ赤な長髪を流し、豪華な装束を着込んだ少女だった。

 一体、何者なんだ。セトは首をひねった。だが、こうやって秘密裏に脱出している以上、後ろ暗いことのある女なのは確実だ。城に忍び込み、大胆不敵に逃げだそうとは、よほどの犯罪者に違いない。セトは無意識に憤り、そしてすぐに自分も大胆な犯罪者の一人だということに気づいた。そう考えると、この少女にも意外に親近感のようなものが湧いてきた。セトは何もすることなく、彼女が地上に降りて立ち去るまで待つつもりで、茂みの中で腰を落ち着けた。

 だが、するすると下に降りていく少女を見ていて、セトははっと気づいた。縄が前より伸びている。いや、窓枠に結び付けられた紐が、どんどん細くなっている。切れるのも時間の問題だ。いくら速く降りているとはいえ、窓の数を数えると、少女はまだ五階の位置までしか達していない。あの高さから落ちれば、無事ではすまない。縄が切れる寸前なことには、まるで気付いていないようだ。


 無理だ、落ちる。


 セトがそう思った瞬間、縄が音もなく切れた。悲鳴をあげるかと思ったが、彼女は何も言わず頭からおちていく。


「危ない!!」


 思わずセトは叫び、茂みから飛び出した。少女の下へと走り込み、腕を伸ばして何とか受け止めようとする。少女は長い髪とドレスをはためかせながら落下し——空中で身体を丸めてくるりと一回転した。


「え?」


 あまりの身のこなしに戸惑うセトの額に、少女の膝がごつっと入った。ぎっという声が出た。バランスを崩したまま、身体に少女の体重がかかる。足首がごきゅっとなって熱くなり、そして後ろ頭ががつりと音を立てた。目の前が真っ暗になる。何が起こったのかわからないうちに、セトの意識は闇に沈んだ。




「おーい、大丈夫か?」


 見慣れない顔が、セトを覗き込んでいた。少しきつい目つきだが、どことなく愛嬌のある碧色の瞳。にっと笑っている口許。長く艶やかな赤毛は一部は頭の上で複雑に結われて、残りはさらさらと肩から流れ落ちている。目の焦点が合わずにぼーっと眺めた後、急に記憶が追いついた。五階から落ちた揚句、セトの額に見事な膝げりをくらわせた少女だ。

 急いで起きようとするが、頭を少し動かした時点で目がちかちかするような痛みが襲ってきて、呻いて諦めた。右足もひどく痛い。なるべく頭を動かさないよう、目をできるだけ足の方へ向けた。ブーツは脱がされている。そして、嫌なことに足首は紫色になって倍くらいに腫れ上がっていた。最悪だ。

 少女が思ったよりも明るい声で言った。


「応急処置はした。足は捻挫だ。骨は折れてない……と思う。頭は?」

「……痛いにきまってるだろ。あんたは大丈夫なのか?」

「ああ、ぴんぴんしてるよ。いきなり出てくるからつい膝蹴りしてしまったが、もしかして助けに来てくれたのか?」


 普通はそうだろう。セトは痛む頭を押さえて話した。


「まさか、あの高さから落ちて無事ですむとでも思ってたわけじゃないよな?」

「ん? まあ五階ならぎりぎり大丈夫だと思うが。怪我させてすまなかったな」


 馬鹿なのか、高所が平気なのか、それともやはり馬鹿なのか。

 シーツの縄をもっときちんと結えばよかったな、と少女が斜め上方向から反省している間に、セトはぼんやりと周囲を見渡した。どこか、石造りの廃墟のようだ。黒くすすけた天井には、大きな穴が空いていて、そこから青い空が顔を出している。そこから、柱を避けて降り注ぐ光で、周りが見えた。樽から額縁まで、雑多なものが数多く置いてある。


「……ここはまだ王宮の中なのか?」


 動けないままで、セトは少女に尋ねた。


「ああ、ここは王宮の敷地内にある元オリンピア邸だ。

 心配するな、ここには兵が見回りにこない。そもそもろくなものも置いていない野外倉庫みたいなものだし、それに、二年前の火事の亡霊が出るって有名だからな」


 にやっと笑いながら、彼女は言った。亡霊など馬鹿馬鹿しいが、兵が来ないのは助かる。そう言うと、彼女はなぜか笑い転げた。


「亡霊なんて信じる方が馬鹿だ、なんて思っていないだろうな。この建物がまだ残っているのは私の努力のたまものなんだぞ。私が深夜に数回シーツを被って兵を脅かしてたんだ。そしたら噂が噂を呼んで、この建物は取り壊されないことにきまった。そしてめでたく私の秘密基地となったわけだ」


 しかし、この少女は何者なのだろう。セトがそれを聞こうとして口を開けた瞬間、少女が独り言のように呟いた。


「いや、しかし今日はついてるな」

「……どういう意味だ?」


 セトにとっては、城へ入れて以降、ついている要素はまるでない。頭も足も痛くてろくに動けもしないのだ。高いところから落ちても平気だと笑う変な少女など、放っておけばよかった。


「ああ、お前をここへ運んだり、介抱したりしていたせいで時間がなくなってしまったのはいたいがな。詳しいことは後で話すとしてだ」


 と、少女はすっと立ち上がり、セトに指を突きつけて命令した。


「お前、今すぐ服を脱げ!」

「はい?」


 セトは目をぱちくりさせた。押し売りの次は強盗、その次は追いはぎだ。都会は犯罪者でしか成り立っていないのだろうか。その沈黙を別の意味で理解したらしく、彼女は慈愛に満ちた眼差しで微笑んだ。


「そうか、その足じゃあ自分で脱ぐのは無理か。じゃあ手伝う」

「いい、手伝わなくていい! 大体、なんで俺が脱がないといけないんだ!」


 セトは必死でずりずりと這って、この変な女から身を遠ざけた。


「そうだな、お前の言わんとするところもわからんでもない」


 そう言うと、少女は自分の豪奢な上着のボタンを上から外しだした。何が起こっているのか理解できないうちに、真っ赤な金糸に縁取られたドレスが、ぱさっと少女の足の周りに落ちた。レースの入ったシャツも、下にはいたパニエも次々と乱暴に放り投げられる。セトが呆気にとられているうちに、白いキャミソールとドロワーズが眩しい、下着だけになった少女が仁王立ちになっていた。


「じゃあ私から先に脱ごう! それなら文句あるまい!」


 さっきからつきまとっていた思いが、確信に変わった。この女、正気じゃない。


「そういう問題じゃないから! 今すぐ服着てくれ頼む!」

「うるさいぞ! あんまり声を立てると流石に兵が来るかもしれん!

 さっさとお前も脱げ!」

「嫌だ止めて誰か!」


 手をわきわき動かしながら近付いてくる少女に、セトはさっきの強盗とは違う得体の知れない恐怖を感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ