第29話 捨てられたスレイブニル
セトは分厚い砂壁に囲まれた自分の寝室に入った。床には絨毯が敷いてあり、藁をつめた簡易ベッドまで用意されていた。地面に寝転がっていた今までと比べれば雲泥の差だ。
白い砂漠が月に照らされているのが、小さな嵌めごろしの窓から見える。ここならば、音が漏れる心配はないだろう。セトはため息をついてから呪文を唱え、空気の中から黄金の杖を取り出した。魔王討伐に出かけると、また杖を出す機会は限られてくるだろう。聞きたいことは山のようにあるのだが、この杖ときたら一筋縄ではいかないのだ。
「俺なら留守だよ! お前は口を開けば喋るなしか言わねーじゃねーか!」
杖の先に着いた黄金の鳥は、呼び出した早々、堂々と居留守を宣言した。
確かに、この杖には最近それしか言っていない。というより、無理矢理喋るのを止めている。マスターが命じたことは一応守る仕組みになっているらしく、喋るな、と本気で命令すれば止まるのだ。翼が骨の形の奇妙な鳥は、目に嵌め込まれた青い宝石を光らせてここぞとばかりに喋りまくった。
「いいか、こっちにしたら八百年ぶりのシャバなわけよ。
それなのに初代魔王の杖だとばれたくないから喋るなだの、魔術師ってだけでこそこそしなきゃならん国にいるだの、面白いことが一つもねえじゃねーか!
俺が活躍した火矢の魔術だって、誰ひとり褒めちゃくれねえ!」
「 あれはまずかった。変な杖を持っていることをラインツに気付かれたかもしれない」
セトは純粋に心配事を口に出したのだが、火に油を注いだようだった。
「まずいもくそもねえだろ! お前の呪文だけであんだけやれたと思ってんのか! 初代魔王の杖だった俺だからこその絶妙な出力加減が……」
「それで、ちょっと聞きたいんだが。お前は初代魔王の精神じゃないよな?」
話が終わるまで待っていられないので、話に無理矢理割り込んだ。鳥は、一瞬息をつめた。そして怯えるように言った。
「俺がそんな奴にみえるか? 初代魔王は神聖ヴィエタ帝国の皇帝なんだぜ。いや、俺の精神は俺のものだ。だからこそ『意思をもつ杖』なんじゃねえか」
その答えを聞いてほっとした。残忍で冷酷な政治をしいた初代魔王の精神が、ここまで口が悪くて軽いとは考えがたかったからだ。
「それともう一つ、聞きたいことがある。魔力を断ち切る魔力の剣のことだ」
鳥は残念そうに言った。
「ああ、お前がなくした俺の下半分な。あれがありゃ、体内魔力ももっと上がったのにな」
「そう、その仕組みだ。文献では、詳しいことはわからなかった。剣と体内魔力にどういう関係があるんだ?」
「あの剣でとどめをさすと、そいつの持っていた魔力が杖に流れ込む。元々、そのために皇帝は俺を作った。本当は倒した敵全員の魔力を効率よく吸収出来たら、と思ったらしいが、いくら皇帝でもそれは難しかったようだ。結局、剣で殺した者のみという形でしか実現できなかったんだ。いいか、想像してみろ。広間に並ぶ大勢の捕虜の首を、一人一人はねていかないといけないんだぜ。気が滅入る作業だが、皇帝の日課だったよ」
あまりにもさらっと話すので、セトは少しの間ぽかんとしていた。しかし、次の瞬間背に氷を入れられたようにぞっとした。初代魔王はこの杖で、自ら処刑を行っていたのだ。しかも毎日。他に方法がなかったとはいえ、とんでもないものを持ってきてしまった、とセトは初めて思った。
「とりあえず、取り決めを確認しよう。まず、出したそばから喋らないこと」
「ラジャー」
鳥は不機嫌そうなうなり声で返事をした。
「どうしても必要なとき以外、なるべく普通の杖のようにふるまうこと」
「ラジャー。でもそれじゃ俺、本当に普通の杖じゃん。まあ、下半分がなくなったせいでほぼ普通の杖になりさがっちまったが」
そもそも、本当は魔術で出来ることなど限られている。四大元素のぶっ放し、と呼ばれる魔術は、比較的簡単な部類だ。火の矢を放つことも、風を吹かせることも、根本的には大差ない。武器を対魔物用にする魔術も実質、魔力を含んだ風の薄い膜を武器全体にかけているだけだ。実際問われるのは、その制御と精度だ。武器を対魔物用にする魔術には、ある程度の制御が必要だ。呪文は勿論、杖の出力も多いに関係する。そういう意味ではこの杖の言っていることは正しい。
と、廊下からばたばたと数人の走る音がして、セトは思わず杖を隠す場所を探してしまった。杖を解除する呪文を唱えればいいだけだ、と気づき、すぐに唱えて空気に変えた。
荒々しい叫び声が聞こえるが、何と言っているのかはわからない。
外で何かが起こっているのだろうか。
窓の外を覗き、セトは思わず一歩下がった。
満月が、ウルグの砂防壁の少し上から光を投げかけている。しかし、その月を真っ二つに割るように、黒くうねうねとした何かが、街の壁の外に立ちはだかっていた。ぐにゃぐにゃとした棒のようなものは、気味の悪いくねくねとした動きを繰り返しながら、どんどん街の壁に近づいてくる。一旦、姿が見えなくなった途端、ドォンと腹に響く低い音とともに部屋の壁から砂がはらはらと落ちた。馬のいななきに似た、恐ろしい悲鳴が聞こえる。
「魔物だ!」
どうやら、やっとベッドで寝られると思っていたのは間違いだったようだ。
そのとき、乱暴に扉をノックされた。
「今のを聞いたか、セト! 魔物だ、いくぞ!」
マリアンの声だ。彼は急いで扉を開けた。既に準備万端整えた、赤い鎧を纏った女騎士が立っていた。赤毛だけが、いつもの結い方ではなく、そのまま長くなびいている。髪をといたところで異変に気付いたに違いない。
彼女はセトが扉の鍵を閉めるのさえ待たず、手首を掴んで走りはじめた。角を幾つか曲がったところで、微かな違和感がよぎる。こっちは、出口の方向ではない。
と、彼女がそのまま廊下を突っ切り、階段をすごい勢いで登りはじめた。明らかに違う。流石にセトは止めた。
「おい、こっちは上だぞ!」
「わかってる! だがあそこまでは遠い!
レムナード兵の宿舎は街の反対側、外国人部隊も走って行ったが、間に合わん! あいつ、暴れて砂防壁を壊す気だ! だからあれを使うぞ!」
駆け足で登っていても息も切らさず、マリアンが答える。手首を掴まれてやっとのことでたどり着いたのは、小さなベランダだった。二人の他は誰もいない。美しい月も見えるが、巨大なゲジゲジの親玉のような魔物の姿もはっきり見え、彼は思わず眉をしかめた。マリアンが急ぐように言った。
「火矢もまだ用意されていない。今がチャンスだ、前のように、私を抱えて空を飛べ!」
セトは目を丸くして固まった。ここレムナードで、堂々と魔術を使わせる気だ。まあ、今ならまだ間に合う。夜で視界も暗く、兵士の数もまだ少ないだろう。もとより、ここまできた以上考えている暇はない。
彼は頷くと、できるだけ早口で杖の呪文を唱えた。そのまま詠唱を続けると、魔気があふれ、不思議な音で大気が満ちる。誰も気付かないでくれ、と願いながら、彼は最後の呪文を唱えた。肩から黒い羽根が熱と共に生えたことを確認し、マリアンに手をのばす。彼女はごく自然に首に手をまわし、命令した。
「行け!」
ごうっという風でベランダに積もった砂をまき散らしながら、彼らは奇妙な魔物へと猛スピードで迫っていった。確かに速い。高度をぐっと上げると、街の城壁もあっさりと越えることができた。
まだ兵士達は街の城壁には来ていない。見張りの兵が騒いでいるのが見えたが、魔物に夢中でこちらが見つかる心配はないだろう。
「しかし、あの魔物は何だ? 今まで見た中でも断トツにでかいぞ」
悲鳴のような声を上げて、ぐにぐにと足を動かす魔物をしげしげと上から観察して、マリアンがいぶかしげに言った。
「魔王の生息地に近づくにつれて、魔物は巨大化し、増殖し、凶暴化する。リュシオン先生の仮説だが」
セトは説明しながら、どこに降りたものか考えていた。この飛行魔法を使っている限り、他の魔術は使えない。早急に降りなければ迎撃できないのだ。あまりに魔物の近くでは狙われてしまう。かといって遠くに降りては、一番乗りした意味がなくなる。どうしたものかと思いながら、魔物に気付かれないように旋回しながら高度を下げていく。が、一番警戒しなければならないことを彼はすっかり忘れていた。
「この距離ならいけるな。じゃあ、お先!」
「え?」
セトが目を見開いている間に、マリアンがあっさりと空中でセトから手を離した。よりによって魔物の真上だ。そのまま垂直に落ちていく。
「なっ!」
冗談じゃない。高度もろくに下げていないのに、なぜこんな無茶をするのだろう。セトは翼をたたみ、慌ててマリアンを追った。彼女に気付いた魔物が、うなり声をあげた。どちらかというと悲鳴のような声だった。真っ直ぐ落ちながら、彼女は剣を引き抜き、魔物の胴体に突き立てようとした。だが、がちっと音がした。その多足の足で、彼女の剣は受け止められていた。それどころか、真ん中からぽっきりと折れてしまったのだ。
「蹄鉄?」
首を傾げた瞬間、他の足がとんできているのが見えた。彼女が蹴られそうになっている。危ういところで、セトはぎりぎりで翼を広げ、横抱きにマリアンをかっさらい、また魔物が襲えない場所まで高度を上げた。
「無茶は止めてくれ!」
冷や汗をかきながら、セトは懇願した。しかし彼女の興味は、また別のところへ移ってしまっていた。
「斬れなかった! どういうことだ? あの魔物の足、金属の蹄鉄が付いている! 蹄鉄で受け止められたんだ」
「蹄鉄ねえ。わかった、あいつら、元馬だぜ」
突然、話に杖が混ざってきた。
「必要なとき以外は喋るなと言っているだろう!」
風の制御で必死なセトは、その呑気な調子にいらいらしながら喋った。なにしろ魔物がこちらへ気付いたのだ。また上半身をコブラのように上げ、ゆらゆらゆれてこちらの隙をうかがっている。
「なんでえ、せっかく教えてやったのに」
右手で持った杖の先の鳥がむくれたように言った。セトは観念した。どうせ空の上だ。喋りたいだけ喋らせてやろう。
「わかった、何でもいいからあの魔物の倒し方を教えろ、手短に!」
その言葉を待っていたかのように、杖は立て板に水で話し始めた。
「西の最果てと言えば馬だろ?
最果ての馬は高級品だ。一頭の価値が宝石より高い奴もいる。それは初代魔王の時代から変わってねえ。
だがな、一握りの高級品を作るために、奴らはどうするか知っているか?
基準に合わねえ馬は、最果ての砂漠に置き去りさ。そいつらが魔物化したあげく、ここまで同化したんだろうぜ」
「胸くその悪い話だな!」
マリアンが憤りながら相づちを打っていたが、セトは頭が痛かった。確かに、嫌な話ではあった。しかしどうすれば倒せるのか、今の話からは解決方法が何も見いだせない。あの足は全て馬の足だというのは分かったが、弱点はどこなのだろう。助かるすべを考えるうちに、高度が下がってきた。もう飛行魔法が切れかかっているのだ。燃費の悪い技とは聞いていたが、これほどとは思わなかった。下からは、まるで落ちるのを待つかのように、馬の足が何十本もついた魔物が伸び上がってこちらを向いていた。本来首があるであろう位置にある、ぎょろっとした大きな目玉が、月に反射して輝いている。
セト達が城壁から魔物を随分引き離したせいか、レムナード兵達も到着する気配がない。
万事休すとはこのことだった。




