第28話 ウルグ城の壮行会
彼等は、荘厳なシャンデリアがぶら下がっている吹き抜けの大きな広間に、レムナードの兵達と共に並んだ。
広間の上に続く階段の上に、青いターバンを着けた男が現れたとき、今まで静かだったレムナード兵が「フィオ様!」と一斉に叫び、三日月刀を顔の前に掲げたので、セトは面食らった。
どうやら、あの人物がウルグ辺境伯らしい。彼は鷹揚な調子で話し始めた。
「皆、ここまで道中ご苦労であった。今日はこの街でゆるりと休むがよい。
そして、化け物討伐に腕を振るってもらいたい。
我々も馬が襲われて相当困っているのでな」
青いターバンの男は髭をひねりながら言った。兵士がよく着ているレムナードの白く長いチュニックとだぶだぶしたズボンという衣装とは違う。セトは首を捻り、ラインツが半笑いをしているのをみて思い付いた。
金銀の糸を惜し気もなく使ったぴったりした仕立てのコートのような上着と、革のズボンはカサン王国の衣装にそっくりだ。
「なるほど、東方かぶれと言われるわけだ。だがターバンは外せないらしい」
ラインツが言った。
そのターバンの中央には、口より大きいかと思うようなサファイアがはめこまれている。
「流石潤っていらっしゃるわ」
皮肉か何かわからないが、フードが呟いた。
「さあ、次の扉を開けよ!」
辺境伯が命じると、数人の家来が音もなく次の間の扉を開けた。今まで見たこともないような長いテーブルに、揚げた鳥や湯気の立っているスープなど、美味しそうな料理がみっしりとのせられていた。兵は刀を我先にしまうと、歓声をあげてテーブルの料理へと吸い寄せられていった。
「剣聖ラインツ殿、三年ぶりですかなあ。ウルグの剣試合で優勝されてしまってから」
長い階段を下りてきた辺境伯が、笑顔でラインツに握手をもとめた。
彼が笑いながら握手に応じている。
「優勝賞品のレムナード馬は今も乗っていますよ。実に素晴らしい奴だ」
ラインツは本当に知り合いが多い。それにしても剣技大会荒らしにもほどがあるだろうと、セトはその光景を目の当たりにして考えていた。その間に、外国人部隊も食堂にいってしまったらしい。
「セト! 早く早く!」という声がきこえ、彼は辺境伯から目を離し、既にマリアンが席について大声で叫んでいるのを目撃した。
「カニがあるぞ! こんな内陸で信じられない!」
やめろそれ以上喋るな、と言うためだけに、彼はマリアンの隣にとんでいった。
「珍しいじゃろう。遠く南航路から、湿ったおが屑に入れて運ばせたのじゃ」
その台詞を聞いていた辺境伯が、彼女の発言に疑問も持たず、自慢げに述べてくれたので助かった。普通、カニなんて内陸の人間は知らない。レムナードの兵士の幾人かも、恐怖の眼差しでその赤く大きな甲虫ような物体を見ていた。
「懐かしいなあ、兄貴。俺達の故郷じゃよく食べたものだ」
「そうだな、ロビ。カニなんてもう何年も食べていない」
双子の剣士がそう言い合っているのを聞いて、セトは一安心した。とりあえず、双子の故郷の南島セファルでもカニが食べられているらしい。ティルキア名物と聞いていたので、てっきり他の地域ではこんな気味が悪いものを食べないと思い込んでいた。
「それでは、我らの勝利を願って、乾杯!」
辺境泊は杯を掲げ、兵達は皆、それに答えて歓声をあげ、酒を飲み干した。もちろん、セトは口もつけず、早々にミルクを注文した。そこから、陽気な騒ぎと共に、久しぶりの大宴会が始まった。カニだけではない。辺境伯は兵士たちのために、宗教で禁じている牛や豚肉以外のものを全て用意させたといっても過言ではないほどの食材と量だった。
と、双子の一人、確か兄の方のジュリオがさっきの話をむし返した。
「なあ、姉御。あんたさっきからカニばっかり食べているが、そんなに好きなのか?」
「ああ、大好物なんだ。ただ味付けが甘いのだけが気にかかるが」
「南方じゃよく食べられているからな。どこの生まれなんだ?」
想定外の質問に、げほげほとむせるマリアンを前にして、セトは必死で頭を働かせた。南方の港——リュシオン先生と一緒に魔物の調査をしに行った場所が、一つだけある。
「私たちは二人とも南のロンダル王国、港街カシャの生まれだ」
彼は、むせているマリアンの代わりに、無難な返事を用意した。しかし、その答えで双子は目を輝かせた。
「何だって? あそこはいいところだ。私たちが船を持っていたときには、いつだってあそこで荷を下ろして市場へ遊びに行ったものさ」
「そうだったな。船を奪われてから数年行っていないが、変わっていないか?」
しまった、とセトは心の中で舌打ちをした。どうやら、知っている場所だったようだ。船を奪われたというのが気になるが、彼らは元船乗りなのだろうか。
「……いや、特に変わっていない。大きなバザールはそのまま……だと思う」
「そうか、あの角の織物屋の婆さんは元気か? ほら、店頭ですごい速度で織っている『高速婆さん』てあだ名で有名だった」
知らない。見たのかもしれないが、港街カシャに行った目的はリュシオン先生の魔物研究のためだ。織物屋の『高速婆さん』なる面妖な人物など目に入らなかったに違いない。ある種魔物のようなあだ名がついているが。
「それより、お前達が船を手放した理由が気になるな」
と、ワインをぐっと飲み干して、マリアンが陽気に話を逸らした。いい機転だ、とセトは再び息をついた。
「嵐か? それとも海賊か?」
「どちらも不正解」
テーブルの向かいでチキンの香草焼きをぱくついていたラインツが代わりに答えた。
「そいつらの話は前に聞いた。正解はティルキア海軍との戦闘だ」
「ティルキア海軍? 何で南の島の人間と海軍が……」
そこまできてマリアンは彼らが何者か分かったらしく、目を丸くして双子を眺めた。
「お前達、違法密輸でもしてたのか」
「まーな。俺達の島は砂糖きび以外何にもねえところだ。一儲けしようと船を買って交易したのはいいものの、結局できたことは海賊まがいの略奪さ。船の扱いと剣の技量が上がったくらいだ。ま、姉御も剣はなかなかの腕前だと思うぜ」
元海賊だったことを恥じらいも何もなくそう言ってのけ、グビグビと酒を飲むジュリオの姿に、セトは若干の嫌悪感を覚えた。だが、すぐに自分も同じくティルキアでは犯罪者になっていることを思い出して、落ち着くために目の前にあったミルクを同じように飲み干した。
「ティルキアの航路を通ろうとしたのが運の尽きだったな。こっちのぼろ船とティルキア海軍じゃ勝ち目はなかった。あいつら、船に魔術師を乗せてやがる。
あっけなく船が燃やされ、小舟で脱出して七日間。死ぬかと思ったとき、レムナード行きの密輸船に助けられたんだ。
借金して船を買った手前、島へ帰るにも帰れないから、こんなところで小遣い稼ぎがてら外人部隊に入ったというわけだ」
「なるほど、ティルキアの海軍は優秀だからな」
マリアンはにやりと笑って、こちらもワインをぐっと飲み干した。そして無邪気に尋ねた。
「あと、なぜか皆姉御と呼ぶが、私はまだ十五だぞ?」
セト以外の外国人部隊全員がしばらく絶句した後、彼らは口々に喋り始めた。
「いやはや、信じられんわ! ワインをがぶ飲みしている十五歳なんてヴェルナースでも見たことがねえよ!」
「確かに、五年前は少年と見間違うくらいだったから、実際はそうなんだろうが……どう見ても十五には……」
「なんなの、あなた! 毎日飲んだくれているのにどうやって修行を積んだのよ?」
「言ってろ、私は私の道を行く! ワイン追加だこの野郎!」
いろいろ言われてついにすねたのか、ばんとテーブルを叩いてマリアンは次の瓶を催促した。しかし、頬は緩みっぱなしだ。テーブルはいつまでたっても空にならず、彼らは延々と食べ続け、笑い続けて酔っ払った。
レムナードの兵士達は流石に規律正しいもので、食事の終わりの時間を知らせる鐘がなると、一斉に宿舎に引き上げていった。
外国人部隊も、流石に夜も更け、腹もくちくなった。彼らには兵舎の代わりに、広い城の中の居室が用意されていた。久しぶりに壁に囲まれた空間で寝ることができるらしい。
驚いたことに選抜組だけではなく、なんと従者にまで一室があてがわれていた。恐ろしいまでの歓待ぶりだ。
彼等はそれぞれ部屋の鍵をもらい、暗く長い廊下を歩いて自室へと向かった。一人減り、二人減り、ついにラインツとマリアン、そしてセトの三人だけになった。マリアンとラインツの部屋が一番奥にあるようだ。
実は、セトは途中で自分の部屋を既に見つけていた。が、とりあえずマリアンを部屋へ送り届けるまでが従者の仕事だ。そうでもしなければ、また何をしでかすかわかったものではない。それに、他人と二人にさせると、また彼女が危うい発言を連発する気がしたので、わざわざついてきたのだ。
「ここだな」鍵に着いたざくろの文様と同じ形のプレートがドアに打ち付けられているのを見て、マリアンが言った。
と、三人しかいない廊下で、ラインツが声を抑えてセトに尋ねた。
「あえて聞くが、あのときの魔術はなんだ?」
「人狼に使った魔術のことか?」
初めてにしては、なかなかよく制御できたほうだと思う、という感想が出かかったが、ラインツが先を続けた。眉間に皺を寄せ、さっきまでの明るい気配は微塵もない。
「昔同じ火矢の魔術を見たが、矢はせいぜい三本程度だった。だがお前は一度の詠唱で何十本も出し、しかも当たらない矢は途中で軌道修正していた。妙な魔気だとは思っていたが、何者だ?」
「まさか、私の従者が魔物だと? 酒の席でミルクを飲んでいる魔物がいると思うか?」
すかさず、マリアンが茶化してごまかした。まさか、初代魔王の杖を持っていることを部外者にばらすわけにはいかない。それはマリアンもよく分かっているようだ。助けらたことは素直にうれしいが、セトは少々むっとしてマリアンを見とがめた。何でもかんでも甘い味付けのこの国では、ミルクの他に飲むものがないだけだ。
「そうは言わない。ただ、興味本意だ」
「セトは強力な魔術師、それだけだ。でなければ従者にしないさ」
「なるほど。雇い主の君がそう言うなら仕方ない」
マリアンがにっこり笑うと、ラインツはこちらも笑みを浮かべ、両手を挙げて引き下がった。
「じゃあ、私はこれで。明後日からは、砂漠の行軍が始まる。せいぜい鋭気を養おうじゃないか」
そうマリアンが言い、個室に入ろうとしたとき。ラインツがマリアンの腕を取った。
低い声だったが、セトの耳には確かに聞こえた。
「気をつけろ。君からも、なぜか彼と同じ魔力が見える。彼よりは少し薄いが、それでもちょっと妙だ」
「はは、気をつけよう。では、お休み」
本気になどしていない様子で彼女はくったくなく笑い、パタンと扉を閉めた。
セトはぞっとしてこの金髪の背の高い男を眺めた。どこまで知っているのか、皆目わからない。だが、この男から目を離してはいけないと、頭のどこかで警鐘が鳴っていた。
「……あーあ。部屋まで戻るか」
沈黙の後、伸びをしてラインツがそう言ったので、セトはびくっとして聞いた。
「あんたの部屋は、この奥なんだろう?」
「まさか。リアンに付いてきただけさ。お節介な従者がいなくなったら、口説きに入る予定だったんだがな。ちょっとは気を利かせてくれ」
ぎょっとして固まったセトを尻目に、ラインツはきびきびと長い廊下を戻っていった。
セトはますます確信した。
絶対にマリアンを奴と二人きりにさせてはいけない。




