第27話 最果ての街ウルグ
翌日も、その翌日も、夜は不気味に静かだった。人狼の来襲は一通り終わったらしい。あらかた食料の徴収を終えてしまったからという理由もあるだろう。
セトは、初めレムナード兵に対して、いい感情は持っていなかった。魔術教信者を理由もなく処刑するという行為も野蛮だし、行軍の無茶な食糧徴収が大勢の村人を絶望させ、魔物に変えてしまったのも確かだからだ。人狼の襲来から数日は気が重く、いっそのこと単独で魔王を倒しに行こうと何度思ったかしれない。しかし、ウルグへ行くにはこの道しかない。それに一人で行ったとして、マリアンを放っておくわけにもいかなかった。いくら剣が強くても、初代魔王の杖を持っていても、頭数が多いにこしたことはないのだ。
しかし、最初は残忍に思えたレムナード兵達は、話してみると案外気さくだった。セトが魔術師である以上、気を許せる相手ではないのが残念なほどの人物もいた。その筆頭が料理人のザグである。ウルグ以降の荒れ地のために取っておくように、と命令されていた岩塩を、こっそりわけてくれたのだ。レムナードの甘い味付けは食べにくいだろう、という配慮だった。おかげで、セトやマリアンは飯を食べた後、岩塩のかけらをデザートにした。普段とは逆だが、それでも随分助かった。
毎日同じような景色と思っていても、荒れ地は徐々に姿を変える。ときに鳥の声が聞こえ、小さな支流が流れる場所もある。そういうところにはたいてい小さな村があり、魔王討伐隊はそこでしばしの休憩をとった。
外国人部隊で、レムナード兵に一番人気があったのはラインツだった。剣聖という二つ名や、サブリッドの素焼き祭で三回連続優勝した揚句、出場禁止になったことなどが知れ渡っていたからだ。外国人部隊は、ときにレムナード兵の隊長すらまじえ、酒を飲んで賑やかに騒ぎまわった。ビョルンやマリアン、それにレムナードの一兵卒も参加して、腕相撲大会に発展したこともある。セトも無理矢理マリアンに参加させられたが、勿論一回戦敗退だった。優勝者は、やはりといおうか、ビョルンだった。毎日でかい斧を振り回していたら、あんな筋肉がつくのだろうか。そう聞いてみると、爆笑された。
「俺は、木こりの子供だったんだ。お前の歳にゃ糸杉の丸太の四、五本は楽に担いでたんだぜ。年季が違わい」
その返答を聞いて、とりあえず筋肉で勝つ方向は目指さないことに決めた。
最後の岩場を通り抜け、下草や潅木の生えた土地に入ったときには、セトはほっとした。途中には一面緑色の見事な麦畑も見え、ときに馬飼いが沢山の馬を追って山の斜面を上っていく。どうやら、このあたりは比較的裕福でなくとも、普通に暮らしていける環境らしい。ウルグ辺境伯の領地に近づいている、と知らされたのは、首都サブリッド出発から二週間すぎたころだった。
「あそこは川が流れてるから水が飲み放題だぜ!」と、この旅の間に親しくなった伝令が嬉しそうに一言添えて、また隊列の後ろへ伝えに行った。
「やれやれ、カサン王国じゃ考えられないな」
ラインツが言った。
「東の荒れ地以外は川なんか珍しくもない。ほとんどの主要都市が川で繋がって交易しているしな」
「ヴェルナースも水に困ることはないぜ」
ビョルンが斧を担いで歩きながら自慢げに言った。
「冬になると凍結するのが難だが、それはそれで犬ぞり隊が走るしな」
「水とくれば私たちの街に敵うものはないな。だが飲み水となると雨頼み……」
マリアンがうっかりティルキアの都の様子をばらしそうになったので、セトはこっそり馬の尻を叩いた。馬は突然の痛みにヒヒンと鳴いて、隊列の前へ走っていった。ラインツが不思議そうに言った。
「いきなりどうしたんだ」
「さあ、馬が虫にでも刺されたんだろう」
セトは冷や汗をかいてごまかした。彼自身、日に日に警戒心が薄れてきているのが如実に分かって恐ろしい。マリアンがひょんなことからティルキア出身だとばらしそうで気が気ではなかった。
それから二日目の昼すぎ。とうとう、行軍の先、西の彼方に小さな黒い点が見えたとき、兵士達は歓声をあげて浮き足だった。長い行軍も終わり、明日の朝にはウルグに入れると伝令は言った。
太陽が沈みかけるころには、西の最果ての都、ウルグの影は大分大きくなっていた。夕暮れに黒々とそびえる岩山のようだ。兵士達が街道脇の下草の生えた空き地でウルグに向かって夕べの祈りをしているその横で、セトはやしの木陰で座って一休みしていた。
今は黒い影にしか見えないが、実際は砂で作られた荘厳な都らしい。度重なる西からの砂嵐を避けるように、高い砂の土手に囲まれている。
明日は久々に宿に泊まれると思うと、セトはほっとした。例え食事が全て甘口でも、寝られさえすればそれでいい。人狼の襲来以来、ふとした音で目が覚めてしまうのだ。ベッドで、あるいは贅沢言わずとも木の床ででも寝られるならば、今よりは熟睡できるだろう。
「覚悟しなさい。首都サブリッドはお祭り期間だったから、あんた達は見てないんでしょうね。あの時期はいつも片付けられるから」
横からフードの女がセトに囁いた。相変わらず暗い目をしている。
「何の話だ?」
「見たらわかるわ」
彼女は答え、立ち上がってやしの木陰から姿を消した。
何のことだろう。意味がわからなかった。大体、あのフードは一人で行動することが多い。腕相撲大会にも勿論加わらなかったし、身の上話もしないので何を考えているのかいまいちわからない。名乗らないので、セト達は勝手に『フード』と呼んでいる。
「どうした?」
ヤシの実を取ろうと躍起になって長剣を振り回していたマリアンが、目をしばたたかせて聞いてきた。
「フードだ。ちょっと気になることを言われて」
「あの子のことは私も少し気になってる。思い詰めているみたいなんだが、私には話してくれないんだ。何かしてやれることがあればいいんだがな」
「あの子は山岳民族、シャールバの生き残りさ。国が亡くなりゃ、疑心暗鬼にもなるだろ」
話に入ってきたラインツに、セトは目を丸くした。ククリナイフと戦い方を見て、多分レムナードに併合されたシャールバの民だとは思っていたが、なぜ遠く離れたカサン王国のラインツがそれを知っているのか。
「あの子の村の剣士と一度試合で戦ったことがあってな。武器も、接近戦の仕方も全て同じだ。多分、同じ流派に入っていたんだろう。そいつは、レムナードの兵になるのが嫌で逃げてきたと言っていた。嫌だと言った男は、全員処刑されたそうだ」
ラインツがこともなげに言い、持っていた甘い茶をすすった。
「……国がなくなる、ということは、それだけひどいことなんだな」
マリアンが剣を鞘に納め、暗い表情で言った。そして、不思議そうに付け加えた。
「それにしても、お前はどうしてそこまで国際試合に出るんだ? 仮にも貴族だろうに」
「貴族とはいえ、そこまで歴史もない家柄の三男だ。領地も金も私には渡らん。剣で身を立てるしかなかったからな」
ま、リアンも同じようなものだろ、と彼は言った。
「見たところ良家というわけじゃなさそうだし、どうせ武官の娘だろう。
そこまで剣を磨いてしまった以上、大人しく結婚する気にはなれませんってところか」
セトの頭にかっと血が上った。誰を捕まえて話しているのだ。確かに、彼女は庶子とは言いがたい庶民の出で、粗野で素行も悪く、大酒飲みで馬鹿で楽観的だ。……悪口が過ぎた。だが、彼女は間違いなく、ティルキアの第一王位後継者にふさわしい人物だ。しかし彼の怒りに反して、マリアンは腹を抱えて陽気に笑った。
「あははははは! 確かに、そうかもな! 剣聖ラインツ様に剣の腕を褒められると心強いものだ! また、試合をしようじゃないか! 今度は剣と剣の尋常な勝負で!」
「よし、言ったな。五年前の借りはきっちり返すぜ」
ラインツは、にやりと笑って甘い茶を飲み干した。セトはその怒りをどこに持っていっていいか分からず、ただ心にため込んでラインツを睨み付けた。
最後の夜も、何事もなくすぎ、朝もやのなかを隊列は進みはじめた。ウルグに行ったことのある者は、どんなうまい店があるかを語り、まだ見たことのない兵士達は期待で足が早まっていた。
相変わらず隊の後ろについていたセトは、ウルグの城壁にほど近い、岩の絶壁をみたとき、フードの女が警告した意味を知った。数体の元人間が、縛り首にされて日のあたる岩にぶらさがっている。とうに骨になっており、服装はボロだったが、一人は明らかに黒い長衣をまとった魔術師の姿だった。
こちらを見ず、マリアンが馬上から小さい声で問いかけた。
「知り合いか?」
「違う」
彼は即答した。リュシオン先生ならそんなへまをしでかさない。
「なら、見るな。我が国でも、港で捕まった海賊はこうなる。一種のみせしめだ」
彼女はセトにだけ聞こえるような声で言うと、すぐに陽気に叫んだ。
「さあ、都はすぐそこだ! いくぞ、セト! ついて来い!」
マリアンは突然馬に鞭を入れた。慌てて、セトも走り出した。
あの魔術師は誰だったのか、どう処刑されたのか。彼もまた、同じ運命を辿るのではないか。そんな不安が完全に払拭されるまで、マリアンに続いて走らされた。
おかげで、都の入口につくまでには、疲労困憊してそんなことを考える余裕がなくなっていた。
砂で作られたウルグの城壁には、レムナード帝国のサソリの紋章の下に、魔王討伐隊歓迎の垂れまくが張られ、色とりどりの小さな三角旗が西方からの埃っぽい風に舞っていた。レムナード兵隊長が、二列縦隊を命じて城門を通ると、ウルグの街から歓声がわきあがった。子供達が二階の窓から紙吹雪を投げ、男達は拳を突き上げて歓待し、女達は兵士に手を振る。
「まるで、もう魔王をやっつけて凱旋してきたみたいじゃないか」
マリアンが面白そうに呟いた。この魔王討伐隊は、相当期待されているに違いない。討伐隊は砂の都ウルグで一際高い建物、ウルグ城を目指して行軍を続けた。
ウルグ城は、やはり茶色い砂を固めたような外見だった。しかし城門をくぐって中に入ると、セトはその壮麗さに度肝を抜かれた。確か、この街は、世界最高の強靭な体力と一日千里を走ると呼ばれるレムナード馬の主要産出地域だ。それにしても、城の中側は大理石やガラスを砕いたモザイクタイルで壁から天井まで埋め尽くしてあり、床には金糸銀糸を織り込んだレムナード製絨毯が敷いてある。ただ、窓は小さく、西側は特にはめごろしの窓が多かった。なので昼までも薄暗く、美しい曇りガラスに入れられたカンテラがあちこちにぶら下げてあった。
セトは小さな窓を覗いた。街の外は、緑の畑地、そして灌木の茂みを経て、どんどん薄茶色に染まっていく。地平線は、まるで砂の王国のように茶色い。
ようやく、ここまできたのだ。あの西の荒れ地の彼方に、魔王と、そしてリュシオン先生がいる。




