第25話 西方への出立
朝日が街の端を流れる大河を金色に染める頃、浅瀬を荒々しく渡る一団がいた。レムナードの兵士達、精鋭の百人だ。化け物——レムナードでは魔物のことをそう呼ぶ——退治に集まった兵士は、皆揃いの白いターバンを被って、世界にこの馬ありと呼ばれるレムナード馬に乗り、水音を立てて次々と浅瀬を渡っていく。
「乗せてやろうか?」
馬上にいるマリアンがセトに声をかけた。
いい、と断って、セトはブーツと靴下を脱いで浅瀬を渡りはじめた。結局、彼は、マリアンの従者として魔王討伐に同行することになった。従者が主人の馬に二人で乗るのは流石に体裁が悪い。
しかし、この部隊は殆どがレムナードの兵達だ。マリアン含め、外国人は7人しかいない。
昨日、捨て台詞を残して去ったラインツは、見事な毛並みの白馬に乗っている。その横では、靴に水が入ろうとお構いなしといった調子で、鉄腕ビョルンがのしのしとまさかりを担いで歩いている。後は、剣を腰に下げた男が二人。ターバンを着けていないので、どこか別の国出身だろう。深く頭巾を被った女も、外国人に違いない。顔は見えないが、レムナード人ではない肌色をしている。
それにしても、とセトは浅瀬の温い水に膝まで浸りながら考え込んだ。素焼き祭で優勝、というのは一見いい考えだと思った。仲間と資金、両方を一度に手に入れられるからだ。だが、こんなにもレムナード人がいると、セトが魔術師だと分かれば放っておかないに違いない。レムナード人の宗教、ゴルダ教はタクト神教以上に魔術教に対して厳格だ。たとえ彼が魔術教から破門されているとはいえ、魔術を使えば即、異端として処刑される。せっかく初代魔王の杖を手に入れたのに、面倒なことになってしまった。
それに、別の心配もあった。レムナードの兵達は剣と槍、後は弓くらいしか持っていない。魔物の装甲は、大体が硬いのだ。力押しでぶった切れるのは、マリアンくらいだろう。本来は、武器全てに魔術をかけ、魔物の装甲を破れる魔道具にしなければならない。彼らはそれすら知らないのだ。百人の精鋭とはいえ、本当にこの魔王討伐は上手くいくのだろうか。出発した時点から、彼は不安で仕方がなかった。
「進路は西にとれ。西の果ての都ウルグから、化け物討伐に入る」
前の方から淡々とした命令が伝令より伝わってきた。西方の人が住める範囲ぎりぎりにあると言われる最果ての都、ウルグ。そこからは植物もほとんど育たない灼熱の荒れた大地が広がっていると言われる。そのどこかに、多産の魔王が潜んでいるはずだ。そして、リュシオン先生もきっとその近くにいる。何ヶ月便りがなくても、あの先生が魔物に倒されて死ぬことはない、とセトは自分自身に言い聞かせた。
と、ラインツが川を渡っているセトをちらっと見て、馬上のマリアンと轡を並べた。
「君は他人の忠告を聞かないな」
よく言われるよ、とマリアンが笑った。
「だが、彼は前から私の従者なんでね。それに、セトは素焼き祭の準優勝だ。
見くびってもらっちゃあ困る」
ふん、と鼻をならして、ラインツは言った。
「どうだかな。俺は一対一の剣術試合に小賢しい真似を持ち込む輩は嫌いでね」
そう言い捨て、彼は白馬に鞭をあて、水を派手に飛ばして隊列の前方に駆けていった。セトはいらっとして水を跳ね飛ばしながら歩いた。今やれっきとした杖持ちの魔術師だ。杖の補助武器として練習した短剣の技術だけでどうやって勝てというのだろう。
しかし、あの騎士は気になる存在でもあった。セトが魔術師であることを最初から知っているかのように語っている。素焼き祭りで使った魔術はそこまで魔気も散らず、普通なら使っていることさえ分からないはずだ。マリアンが見破ったのは、仮面を付けていても身のこなしや剣の癖のおかげでセトとわかったからだろう。だがあの剣士は違う。一目見て、彼が魔術を使っていると見抜いたのだ。用心しなくてはならない、とセトは気を引き締めた。
浅瀬を渡った先は、あちこち土壁が続く集落と、時折石の転がった畑地になった。しかし、河から離れるにつれ、だんだん風景は変わってきた。土は痩せ、畑もひょろひょろとした麦が生えているだけだ。大木も育たず、ろくな木陰もない。
レムナードは大きな領土をもつ豊かな国だと思っていたが、肥沃な土地は大河沿いだけで、後はこんな荒れた土地が続くのだろうか。セトは歩きづめで疲れた足を動かし、隊列に続いた。身分の高い人々は自前の馬で歩くが、身分の低い者は徒歩だ。レムナードの精鋭達の後ろには、従者達が思い思いに荷車をロバに引かせたり、鍋釜を担いだりして野営に備えている。休憩の合図が出ると、途端に彼らは目まぐるしい働きをみせ、百人ほどの飯を用意しにかかるのだ。途中の村々では伝令が行き渡っていたらしく、小麦と薄いパンのような物体を徴収し、荷車はどんどん増えていった。比較的大きな村の、最初の休憩では、薄いパンのような物体と得体の知れない甘いジャムのようなものが配られた。
「飯というよりお菓子だな」
一口食べたマリアンが、セトの気持ちを代弁して言った。だがレムナードの兵士達は、ごく普通に食べている。近くにいる兵士に聞くと、これはこの国の主食のようなものだ、と親切に教えてくれた。
つまり、ここではあまり食事に期待はできないということだ。
セトは少しがっかりしながら、昼食を食べ終え、次の村へ向けて足を動かし始めた。
次の村へつく前に、日没が来た。石がゴロゴロある荒れ地の中、レムナードの兵達は一斉に夕日の方角を向き、体を曲げて彼らの神に祈りを捧げた。セトのような外国の七人はたったまま見ていた。今から魔王を倒しにいく西方を向いて、白いターバンが一斉に下がる光景を、セトは理解ができずに見ていた。
「皆、神の神殿が夕日の彼方にあると信じているんだ」
白馬から降り、手綱を取って、隣にいたラインツが言った。
「俺がタクト神を崇めるように、彼らも彼らの神を崇める。勿論、魔術教もな。信じるものは違うが、ある意味どれも同じだ。誰にだって、この世をすべる偉大なるものが必要なのさ」
俺に神はもういない、と言いかけて、セトは慌てて口をつぐんだ。うっかり破門のことを話してしまいそうになった。この騎士には気をつけておく必要がある、と今日肝に銘じたばかりだとういのに。
夕べの祈りがすむと、レムナード人達はてきぱきと夜営の準備にとりかかった。やはり甘い味付けがされた干し肉の夜食をすませたころには、満天の星が空にちりばめられていた。天幕に入れるのは、高い身分の人々だけだ。選抜組のマリアンやラインツにはそれぞれ天幕が用意されていたが、セトも他の従者達の手前、マントで身体を覆ってごろ寝することにした。だが、少ししか眠らないうちに、多少乱暴に顔を叩かれて目覚めた。太い腕をした髭のおっさん、ビョルンが顔をしかめてセトを覗き込んでいた。
「お前の主人を連れて、ラインツ様の天蓋に来い。外国人だけの秘密会議だ」
レムナード兵は、見張りの数人を残して寝静まっていた。セトは、起こしたマリアンとビョルンと共に、見張りから隠れるようにこそこそと一際大きなラインツの天幕に入った。既に、七人の外国人部隊は、その三人以外全員集まっていた。椅子などないので、皆たき火を中心に円を描いて座る。どこか緊張した雰囲気が、青い天幕の中に漂っていた。
それを打ち破るようにラインツが言葉を発した。
「こんな辺境の地で、集まったのが何かの縁だ。俺はラインツ。カサン王国出身。テュルギス伯の三男だ。剣の腕をかわれて魔王討伐隊に同行することになった。こっちの右のは私の従者、ビョルン・メギド。ヴェルナース人だ。斧の腕は私が保証する」
「で、話ってなによ? できれば明日に備えてゆっくり寝ておきたいんだけれど」
頭巾の女が不機嫌そうな声で言った。
「お前たちの素性を簡単に聞かせてもらいたい。それでは、そこの頭巾のあんたからだ 」
「私? わざわざ外国人同士で手のうちを明かすことに、何の意味があるのかしら?」
女は小首を傾げて答えた。早く終わらせたいと考えているのが明白だ。
「意味はあるさ。誰だって背後を取られたくない相手と組みたくはないからな」
「私だって選抜のひとりよ」
女は頭巾をずらした。腰まで伸びた真っ直ぐな黒髪がこぼれ落ちる。白い肌からみて、北方、あるいは東方の人間だろう。なかなかの美人だが、どこか暗い顔をしていた。
「私が名前を言ったとして、それが果たして本当の名前だと誰がわかるの?
タクト神に誓ってもいいわ、私の名前なんて誰も……」
「わかった、名乗らなくていい。君のその発言だけで十分だ」
ラインツがいきなり話を遮った。女は機嫌を悪くしたようにそっぽを向いた。ラインツは構わず、マリアンに話しかけた。
「で、あんたは素焼き祭りの優勝者、リアン・フェニックスだったな。その従者は何者だ?」
「ああ、彼はセト・シハク。素焼き祭りの準優勝者だ。自己紹介としては、それで十分だろう?」
自信たっぷりのマリアンの物言いに、ラインツはにやっと笑って肯いた。彼らがティルキア人、というところは黙認したようだ。
残ったのは、二人の男だった。どちらも二十代ほど。兄弟だろうか、驚くほど顔がよく似ている。違いは、一人がウエーブのかかった青い髪をくくっていて、もう一人はそのまま垂らしている、というところだけだ。ラインツが懐かしそうに言った。
「さて、そっちの双子はよく知ってる。ジュリオとロビだったか。南島セファルの生まれだったな。セファルの剣術試合はなかなか楽しかった」
「剣聖ラインツ様に覚えてもらえているとはありがたい」
髪をくくったほうが苦々しい笑いを浮かべた。
「だが、私とロビ二人を相手にすれば、あなたは優勝できなかっただろう」
「タッグは嫌いでね。組むと仲間のことを心配しなきゃならんからな」
ラインツが簡単にいなし、そしてぱん、と手を打った。
「さて、本題だ。ここにいる皆、一人を除いてタクト神教だということは証明された」
「それがどうかした? 世の中の半分の人はタクト神教よ。ここレムナードじゃ肩身は狭いけれど」
女が面倒くさそうに言った。
「そうだ。我々は肩身が狭い。だが、もっと狭い人間もいる。ゴルダ教の人間は、ここにはいない。だからこそ、言っておくべきことがある」
ラインツの剣だこの出来た指が、真っ直ぐにセトを指した。
「そいつは魔術師だ」
あまりにはっきりと断定され、セトはぽかんと口を開けた。レムナードでは、これは一方的な死刑宣告だ。
「ちょっとまて」
慌ててマリアンが止めに入る。
「他人の従者を魔術師呼ばわりされては困る。特にレムナードじゃな」
「だからこそ、我々だけで話しているんじゃないか」
ラインツは平気そうに言った。
「何だ、やっぱり魔術師か。変な技使ってると思ってたぜ!」
ビョルンが声を荒げた。それも手で制し、ラインツは静かに言った。
「聖なる力、というものを知っているか?
だれにでも宿るものではない、神から与えられた能力だ。俺はそれを持っている。俺には他人の魔力が見えるんだ。あくまでもぼんやりとだがな。
だからこそ、酒場でリアンには忠告した。もし魔術師だとばれたとき、レムナード兵百人を敵に回し、従者を雇いつづける覚悟はあるのかとね。まあ、今でもその気持ちは変わらないらしい」
聖なる力。魔術教では、『能力持ち』という地味な名前で呼ばれている。
魔術の基本法則は、体内魔力×杖による魔力出力×呪力。しかし、体内魔力と魔力出力が人より優れた人間がまれに生まれる。杖もなく、呪文も唱えずにある程度の魔術めいた能力が手に入るのだ。勿論本来の魔術よりは弱く、また能力も限定的だ。
魔術教ではそう考えられているが、タクト神教では神から授かった力、という一言ですませるらしい。
「とにかく、魔術師だということはお見通しだ。しかも、薄気味悪いほどの魔力を持っていることもな」
「……レムナード兵と一緒に俺を処刑する気か?」
セトは、間に入っているマリアンごしにすごんだ。が、驚いたことにラインツは微笑んで首をふった。
「いいや。ここにいる全員、お前に協力すべきだと言っているんだ」
あまりの展開に、セトは言葉が出なかった。
「俺は、剣士の試合に卑怯な手を使う魔術師は好きじゃない。だが南北戦争では、魔術師の恐ろしさを知った。十人で百人の戦力をひっくり返せる力を持っているのを目の当たりにしたからな。お前もそうだろう、ビョルン?」
髭づらの大男はしぶしぶ頷いた。
「確かにな。奴らがいなきゃ、南軍は勝っていた。六人の賢者の一人でも、南軍についていたら歴史が変わっていただろうな」
まだ事態が飲み込めていない外国人部隊に、ラインツが静かな声で言った。
「というわけで、このことは絶対レムナード兵には秘密だ。そして、黙っている対価として、我々の武器に魔術装甲破壊をかけてもらいたい」
なるほど、それが狙いか。セトはやっと合点がいった。ラインツは諸外国で魔物と戦うときに、いつも魔術装甲破壊の魔法をかけてもらっていたに違いない。黙っていることと引き替えに、その任をセトに任せる気らしい。その方が魔物の装甲も破りやすく、魔王も倒しやすいのは事実だ。
「なにそれ? 魔術装甲破壊ってなんだ?」
一人、分かっていていない人物が無邪気に聞いてきた。もちろん、マリアンである。セトは、できるだけわかりやすい言葉を使って説明しようとした。
「貴女には必要ないだろう。力押しでいつもぶった切っているから。だが、魔物と戦うときには魔術装甲破壊という魔法を武器にかけておくのが一般的なんだ。効果は二三日で消えるから、かけ直す必要はあるが、切れ味がよくなって魔物を倒すのが格段に楽になる」
「そうなのか? 知らなかった! 私のにもかけてくれよ、刃こぼれが減る」
驚いたように、ラインツがマリアンを凝視した。
「まさか、今まで魔術装甲破壊をかけずに魔物を倒していたんじゃないよな? できないことはないが、随分骨が折れるぞ」
そのまさかだ、とセトは苦笑いした。彼の中では、随分前からマリアンについて一つの仮説が立っていた。本人に言うつもりはない。調子にのって今以上の無茶をされては困るからだ。城の五階から落ちて無傷なのも、魔物を一太刀で倒す力も、大の男さえ負ける剣戟の立ち当たりも、恐らく『能力持ち』の一言で氷解する。彼女は身体強化の能力を持っている。以前から不思議だと思っていたが、警備兵を全員のしたあたりで確信した。剣技は身につけたものかもしれないが、身体強化は天性の『能力持ち』だ。おっと、彼女はタクト神教なので、『聖なる力』と言うべきか。
その彼女が、セトをのぞき込む。寝起きなので、髪を三つ編みに垂らしたままだ。
「へえ、魔術って、いろいろ使い道があるんだな。じゃあ、怪我を治したりはできるのか?」
「いいや、それはできない。魔術の中でももっとも難しいのは治療の魔術だ。
……小指の逆むけくらいなら治せるかもな」
「魔術師が怪我を治せれば、南北戦争であんなに死ななくてすんだのにな。便利なんだか、不便なんだか。とにかく、各自武器を出せ。二三日ごとに集まって魔術装甲破壊の魔術をかけてもらおう。レムナード兵には、絶対に感づかれるな」
真剣な顔をして、ラインツが締めくくった。魔術師を匿ったことが知れたら、彼らも無事ではすまない。全員は緊張した面持ちで、誰からともなく武器を差し出し、たき火の上にかざした。長剣が三つ、ククリナイフ、サーベル、斧。セトは立ち上がり短く呪文を唱えた。右手から光の粒子が立ち上り、そして金色の杖が現れる。鳥が何か喋り始める前に、セトは魔術装甲破壊の呪文を唱えた。
小さなオルゴールのような音色と共に、各自の武器が光輝き、そして段々に消えていく。
「俺……」
杖がしゃべりかけているところを、強引に止めてセトは杖を消した。
「きちんとかかったんでしょうね? 時間が短すぎるわ。
それに複数同時にかけるなんて雑よ」
ククリナイフを持った女が、しげしげと眺めながら嫌そうに言った。
と、野営地にけたたましいラッパの音が響き渡った。
レムナードの兵たちがざわめき始める。テントの中からでも、外の切羽詰まった叫び声が聞こえてきた。
「敵襲! 敵襲! 南南東から魔物の群れだ!」
「この魔術装甲破壊を試すいい機会がきてくれた」
ラインツがサーベルを鞘に戻し、生き生きとした表情で叫んだ。
「行くぞ! 出陣だ!」




