第24話 酒場の二次会
「そんなに怒るなよ。久々の再会なのに」
マリアンが赤い顔でセトを見て微笑んだ。顔が赤いのは、酔っ払っているせいである。時刻は深夜近い。二人は、安宿の一階にある食堂兼居酒屋で飲みなおしていた。もっとも酒を飲んでいるのは、マリアンだけだったが。
素焼き祭の優勝者、マリアンは結局女ながら神の使いとして認められ、飲めや歌えの宴会に招かれて上席に座り、たらふく飲んだり食べたりしていた。一応準優勝だったセトも、そのおこぼれにあずかった。が、その帰り道、さらに宿屋でワインを飲みたいと言い出したのにはセトも驚いた。マリアンの胃袋はどうなっているのだろう。
だが、いいこともあった。まわりには酔っ払いしかおらず、どのテーブルでも喧騒をたてていて、ひそひそ話をするにはいい場所だったのだ。これで、誰にも気兼ねせずこの王女に詰め寄ることができる。
「怒るというより呆れてる。社交界デビューはどうした? ほったらかしてきたのか?」
「そんなことはない。立派にデビューしてきたさ。お偉方のご老人とのダンス、馬鹿馬鹿しい天気の会話なんかをね。一応大貴族への挨拶をすませた後、北まわりの船に乗ってレムナードに入り、コルヘラ港からこの街まで来たんだ」
セトは話を聞いて頭痛がしてきた。社交界デビューしておいて、一月後には敵国に潜入している第一王位継承者がどこにいるというのだ。
彼は頭を寄せてこそこそ話した。
「見つかったらどうする気なんだ。ここは敵国なんだぞ?」
「大丈夫だって。敵国だからこその利点もあるぞ。ティルキア人は誰もいないから、私が王女だと知られはしない」
彼女は軽く答えてワインを飲み、物足りなさそうに瓶を振った。
「やっぱりティルキアンじゃないと飲んだ気がしないな。深みが全然違う」
話が逸れそうになってきたので、彼は慌てて戻した。
「そもそも、どうしてここに来たんだ?」
「どうしてって、魔王を倒しにきたに決まってるじゃないか」
臆面もなく答えられ、セトは絶句した。一介の人間に敵う相手ではない、と以前よく言い聞かせたつもりだったのだが。
「魔術師協会も動けない、ティルキアも敵国に軍なんか派遣できない。だったら私が行ったほうがいいだろ? さくっと倒してさくっと帰ればいい。それに、私だって、黙って家出した訳じゃない。王家に伝わる古い慣習を使ったんだ」
マリアンは楽しそうに言った。
「王位継承者には、社交界デビュー後から半年間、他国への遊学が許される。その間どこへ行こうが、私の自由だ」
もう従者ではないにも関わらず、彼は再び頭を抱えるはめに陥った。
違う。絶対に制度を曲解している。
多分、家来を百人くらい引きつれ、同盟国を回って見聞し、外交センスを磨くことを前提に作られている制度だ。
その制度を作った大臣だか官僚だかは、まさか王位継承者が単独で敵国に乗り込むとは予想もしていなかったに違いない。もちろん、魔王を倒す旅に出るということもだ。
だが満足そうにしているマリアンを前に、彼は何も言えなかった。
「で、どうやった?」
突然、彼女がもっと顔を近づけてひそひそ声で聞いてきた。セトは眉をひそめた。
「何のこと?」
「仮面だ。棒が近づいたらひとりでに逸れた。
後、お前の持っていた棒もおかしかったな。準決勝の髭もそうだった。完全に避けているはずなのに、なぜかかわしきれていなかった。あれが魔術か?」
「まあ。どちらも同じ原理だ」
そう言ってセトは酒屋で注文したミルクを飲んだ。レムナード帝国の茶は甘くてどうも好きになれないのだ。
「光の屈折の魔術を利用した。仮面は常に見えた場所より少し奥にあり、棒も少し短く見えるように、事前に魔術をかけておいたんだ。要は魔道具の一種だ。
時間がたつと消えるから、そんなに頻繁には使えないけれど、名うての剣士に限ってぎりぎりでかわしたがるから今回は役に立ったと思った。
……貴女がしゃしゃり出てくるまでは」
「人を邪魔者みたいに言うなよ」
彼女はワインを最後の一滴まで飲み干した。
「大体、私から二週間は早く出たお前がなぜここにいる? もう少し遠くまで行ってるかと思ってた」
その質問に、セトは自分の顔が引き攣るのがわかった。
「路銀が尽きたんだ」
「レムナードの馬十頭買えるくらいは持ってたろう?
……まさか、ローシュみたいな奴に騙されたんじゃないだろうな」
そのまさかだった。セトは、二週間前、既にレムナード入りを果たしていた。
南航路から交易船で入ったのだが、その船中で冒険家と名乗る人物が話し掛けてきた。今話題になっている魔王を倒す、と豪語したその冒険家に、彼は思わず自分も魔王を倒しに行くと言ってしまった。ぜひ仲間にと誘われ、後はなし崩しにその冒険家と行動を共にすることとなった。船から降りて、レムナードの港街で一泊したとき、朝起きたら男は消えていた。一緒にセトの財産のほとんどが入った革袋が消えていた。
男の行方を探し回ったが見つからず、港で嫌な情報を聞いた。今朝早く、金を大盤振る舞いして一艘の船を買った男がいる。彼は港からその船で出て行ったらしい。船を売った男に聞くと、ちゃんと身分証明の旅券を持っていたから信用した、という。船舶の売買を記した帳簿には、セト・フェニックスと流暢な筆跡でサインが書かれていた。
海に出てしまえば、もう後は追えない。
セトに残された選択は、近々首都で開催される『素焼き祭り』で優勝し、魔王を倒す仲間と資金を一挙に手に入れること、それだけだった。
「ローシュが心配してたとおりだな」
かいつまんだ話を聞くと、彼女は気の毒そうに言った。
「お前は人を信じすぎる。メイドさーん、ワインもう一本!」
彼女はワインを瓶からまた並々と注ぎ軽い調子で手を上げて店員に叫んだ。
「人を信じるのはてっきり美徳だと思ってたよ」
「悲しいかなその限りじゃないな。まあ、それでもここで出会えてよかった。
我らの再会に乾杯!!」
これで幾度目かわからないほどの再会への乾杯をして、彼女はレムナード製のワインをあおった。
「おい、姐御!」
景気よく飲んでいるマリアンの後ろに、ぬっと大きな人影が立った。二本角がついた鉄の兜を被り、馬鹿でかいまさかりを担いでいる。筋骨隆々としていて髭も髪も、もじゃもじゃとのびている。セトは内心どきりとした。準決勝で、いんちきを使って勝った男だ。あまり会いたくない部類の人間でもある。しかし、マリアンは笑顔で振り向いた。
「どうした? お前も一緒に飲むか?」
おうよ、と答えて彼はどかりと空いた席に座った。
「とにかく乾杯だ! 優勝者に!」
そう言い、彼は自分の持っていたエールをぐっと飲み干した。そして、セトの前にあるコップをを眺め、爆笑した。
「お前、ミルク飲んでるのか! その割にはちっこいな!」
「成長期に入ればのびるんだよ、おっさん」
かちんときて彼は言い返した。向こうも気を悪くしたようだ。
「ま、変な手で俺に勝ったところで、お前がこの姐御に倒されたときはすっきりしたぜ」
「で、我々に何の用だ? 喧嘩を売りにきたわけじゃないだろ?」
マリアンが眉をあげた。大男はにやっと笑って告げた。
「ああ、そうだ。俺は売り込みに来たのさ。姐御は強いが、実戦は不慣れだろう。傭兵として俺を雇わないか?
俺はビョルン。ヴェルナース生まれ。自分でいっちゃあ悪いが腕ききの傭兵だ。数年前のカサン南北戦争にも参加した。俺が試合で樫の棒じゃなく、斧を持ってたとしたら、対戦相手は皆眉間に一太刀で死んでる。どうだ、雇う気になったかい?」
マリアンも片頬を上げてぐいっとワインを飲んだ。
「悪いが私の従者はそこのセト一人でな。お前のことは中々気に入ったが、私だって実戦の経験ぐらいあるさ。それに、セトの棒も見切れなかっただろう?」
「それは……」と大男は言葉に詰まった。セトも冷や汗を流してマリアンを必死で見つめた。駄目だ。酔っ払ったらセトが魔術師だということをばらしてしまいかねない。
「けっ、お貴族のお嬢様はそんなひょろっちいのがお好みかい」
ビョルンはやけ酒のようにエールを煽った。
「俺なら、雇ってやってもいいぞ」
テーブルの向こう側から、静かだがよく通る声がした。
「鉄腕のビョルン。カサン内乱じゃいろいろと悩ませてくれたな」
部屋の隅のテーブルからゆっくりと歩み寄ってきたのは、金髪に紅い目をした青年だった。隅のテーブルには縞のドレスの女が二人いて、「ラインツ様、早く戻ってきて」と嬌声をあげている。その声で、ビョルンの顔つきが険しくなった。
「剣聖ラインツ、こっちも世話になったぜ。お前のせいで仲間が大勢死んじまった」
どうやら、どちらも有名人らしい。セトは俗世のことに詳しくないが、カサンで王位継承権をめぐり、南北に別れて大きな内乱があったことは聞いている。
お互い様だ、とラインツは涼しげな顔で言った。
「南北戦ではヴェルナースの傭兵ならこちらにもいた。どちらで闘ったかはこのさい関係ない。要は、俺はお前の腕をかってるということだ。実は俺も魔王討伐隊に選ばれている。今回の優勝者と行く先は一緒だ。問題あるまい」
うむ、とビョルンは口をへの字に曲げた。
「いいだろう、俺もプロの傭兵だ。剣聖ラインツ様のお抱えなら箔もつく。しかし、なぜ祭に参加しなかった? あんたの腕なら簡単に優勝出来ていただろう」
ラインツは口の端を歪めた。
「素焼き祭りは、数年前から出場禁止になっている。毎年俺を崇めるのがレムナード人は嫌になったに違いない」
そう言って、彼は持ってきていたグラスを上げ、マリアンへ優雅にお辞儀をした。
「リアン・フェニックス、だったか。今回の優勝者に乾杯! 自己紹介が遅れたな。俺はレオンハルト・ラインツ・トゥルギス。カサン王国のトゥルギス伯の三男坊だ。しかし、リアン。君には一度あったことがある気がするが」
「そうか? 覚えてないが」
マリアンは眉をひそめた。本当に覚えていないようだ。
「俺は一度見た太刀筋は忘れない。まだ剣の腕もそこそこだった五年前、ティルキアの首都、ティルキアナに行ったことがある。道場破りを繰り返して、まあまあ有名になった頃、赤い仮面の少年剣士が喧嘩をふっかけてきた。道場破りをしている馬鹿を見に来たとか何とか言ってな。俺は奢っていた。子供に負けるわけがないとふんでいた。適当に遊んでやれ、と。だが、してやられた。剣で勝負だと思いこんでいたが、最後に跳び蹴りされて負けるとは思っていなかったんだ」
話を聞きながら、セトは暗澹たる思いでマリアンを眺めた。四、五年前からこの調子だったらしい。一体どうすればそんな子供に育つのだろうか。
ふふ、と彼女は笑ってラインツに向かってグラスを上げ、一気に飲み干した。
「それが私なのかどうかはさておき、戦場では先に気を抜いた方が負けだ。それが知れただけでもよかったじゃないか」
「そうだな。君であるはずがない。ここレムナードはティルキア人の渡航を禁止しているからな」
何もかもわかっているぞ、というものいいをして、彼は女二人を待たせているテーブルに戻りざまに、セトをちらりと見て、マリアンに忠告した。
「リアン。そいつを従者にするのは止めておけ。底知れない嫌な魔力が見える」
「ご丁寧にどうも」
戻っていく背中に、マリアンが声をかけてまた飲んだ。
「魔力? たしかレムナードじゃあ……」
「そんなものはない。セトの身柄は私が保証する。ラインツの見当違いだろう。大体、他人の魔力が見えるってのがおかしいじゃないか」
ビョルンの驚いた声に、マリアンが人差し指を立てて言った。そして、陽気に続けた。
「さあ、お前も雇用が決まったことだし、今日は飲め! メイドさん、ワイン一本とエール、あとミルク追加で!」




