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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
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第22話 さよならは言わない

 最後の最後に、またこの霊廟にお世話になるとは思わなかったな、とセトは思いながら、朝日のさしてきた、静かな墓地を後にした。崖から落ちた二人は、何とか街の運河の岸辺にたどり着き、霊廟で着替えて朝を待って外に出たところだった。相変わらず彼女は珍妙な赤騎士の格好をしているが、もういい加減慣れてきたセトには、並んで歩くことなど朝飯前になってしまっている。ときおり、誰か知らない人から赤騎士のお弟子さん、と声をかけられることもあるくらいだ。似て非なる者だが、そういうときは苦笑いで受け流すことにしていた。

 そんな日々も、もうこれで終わりだ。幾度となく別れの言葉を口にしようとしたが、セトの口はうまく動かなかった。彼女のほうも、別れを言い出す気配はなかった。街の城壁から外へと出られる秘密の出口の前で、彼は立ち止まった。ここからは一人で行こう。彼は声を絞り出した。


「見送りはここまでで十分だ。ローシュにも、よろしく言ってくれ。あの子にも、随分世話になった」

「水くさいなあ。そういうのは、自分で言ってくれよ」


 後ろから突然声をかけられ、セトは戸惑った。振り向くと、ぼさぼさの赤毛の子供、ローシュがにやっと笑って立っていた。


「セト、どうしたんだ? 田舎へでも帰るつもりなのか?」

「いや。ちょっと旅に出ようと思って」


 ゆっくり首を振って答えるセトに、ローシュは一瞬真面目な顔つきになって言った。


「とにかく、今街から出るのはまずい」

「なぜ?」

「兵が街を包囲してるんだ。自警団もかり出されてる。どうも、お尋ね者が逃げ出したみたいなんだ。この辺は、治安もよくないし重要な施設もないから後回しにされているみたいだが、港や市場のあたりには兵が一杯いてやりにくいったらありゃしない。だからここまで逃げてきたのさ」


 心当たりは大いにあった。間違いなく、セトを水際で捕まえるつもりだろう。それでなくても、王女が警備兵を殴り倒した挙げ句、海に飛び込んで行方不明というのは、王宮にとってかなりの異常事態だ。


「わかった。いろいろありがとう、ローシュ」

「やっぱり、行くのか?」


 ローシュは、少し残念そうだった。後輩ができて喜んでいたからだろう。


「どうせ、行かなきゃならないから」

「まさか、お前がお尋ね者じゃないよな? 今更、王宮に忍び込んだのがばれたのか?」


 セトは曖昧に笑ってみせたが、ローシュには分かったらしかった。彼は途端に生き生きとした調子で身を乗り出した。


「よし、俺も手を貸してやる! 兵達に、お前の目撃情報を目一杯言いふらしてやるからな! どっちに行ったことにすればいい?」

「港で頼む」

「オーケー。下っ端狙いで片っ端から小銭を稼いでくる! じゃ、元気でな!

 ほとぽりが覚めて街に戻ってきたら、また一緒に赤騎士様のおごりで飲み食いしようぜ!」


 ローシュはマリアンとセトに向かって手を振った後、口笛を吹きながら、石畳みの通りを元気よく駆けていった。頭の回転の早い子供だ、と彼はつくづく思った。だが、きっとセトがティルキアナへ戻ることはもうないだろう。


「そういえば、酒は抜けたか?」


 マリアンが、心配そうに聞いてきた。昨日は匂いがするほど酒が身体に染み渡っていたが、必死で泳ぐ真似をしたり、霊廟で仮眠をとったりして、おおかた酒は抜けているように思える。

 とりあえず、実践してみるのが一番だ。二人は、誰も人通りのない小さな路地に入った。ここなら当分は見つからないだろう。

 セトは、早口で杖の召喚呪文を唱えた。今までは、魔術師修練所の仮杖しか召喚できなかった呪文だ。仮杖はまさに仮の杖の名前にふさわしく、威力も出力も最低レベルだ。しかも修練所の練習場でしか出せない設計になっているという、あまりにも安全に配慮しすぎた杖だった。外でいくら杖の召喚の呪文を唱えても、今までなら何も起こらなかったはずだった。

 しかし、今。左手から魔力光が眩しいほどに満ちあふれた。光の粒が長く形を作る。粒子がどんどん形をはっきりとさせ、ついに黄金の杖がその手に出現した。上についた鳥の意匠が陽気に叫んだ。


「じゃじゃじゃーん! 呼ばれて飛び出て……なんだこりゃ!」


 最後の叫びは、決め台詞ではなく驚きから発されているようだった。セトもまじまじと杖を見てしまった。確かに、杖は召喚できた。だが、下の方にあった魔力を断ち切る魔力の剣の部分がまるごとなかった。途中からぱっきりと折れたように、杖の下三分の一くらいが無くなっている。セトは首を捻った。


「どうしてだ?」

「おまえらがインチキしたからじゃねーか! 半分なくなっちまった!」


 鳥は相変わらず口汚く怒った。どうも二人で杖を取る事態は想定していなかったようだ。


「なんだ、剣がついていないじゃないか」


 マリアンも、不満そうに言った。


「私は剣の部分をもっとよく見たかったのに。これじゃただの口汚い杖じゃないか」

「何だと! 俺を目の前にしてよくそういうことを言えたもんだ! 俺は最高出力を誇る魔法の杖なんだぞ! 自分の杖と比べてみろ!」


 鳥は気を悪くしたように言った。


「そう言われても、今まで杖なんて持ってなかったしな。私はもちろん、セトだって」


 マリアンがそう言うと、鳥のトーンがにわかに落ち込んだ。


「まじかよ……杖さえ持ってない奴らに俺は負けたのか……」


 鳥なりに、ショックを受けているようだ。セトはすかさず追撃を続けた。


「ちなみに俺は破門されている。だから魔術教ですらない、ただの魔術師くずれだ。後、彼女はタクト神教人で魔術師としての教育すら受けてないからな」


 打ちのめされたのか、鳥はもう何も言わなくなってしまった。沈黙を打ち破ろうと、セトは努力して言葉を探した。


「まあ、そんな感じだがこれからもよろしく」

「よろしくしたくねえ!」


 黄金の鳥は、クチバシをかちかちさせて抗議した。


「大体、俺を迎えに来るのは、初代魔王のはずだったんだぞ! それがなんだ! 杖も持てない魔術師くずれと、ルールの意味すら理解できない脳みそを持った女だ! 情けなくて涙が出て来そうだぜ!」


 本当にうるさい杖だ。口でも縛ってやれば大人しくなるかもしれない。

 セトは本気で紐を売っている店でも探そうかと、通りの角から顔だけ出してきょろきょろ見渡した。と、そのとき通りを歩いてくる兵士に、こちらをもろに見られた。


「おい、あそこにいるぞ!」


 さっと通から顔を引いたが、にわかに通りが騒がしくなる。気づかれた。

 セトは持ったままの黄金の杖に叫んだ。


「口汚いだけの杖じゃないなら、今ここでお前の力を見せてくれ!」

「なんだとこの野郎! 俺の力を信じてねえのか! 何でもいいから、呪文を唱えてみやがれ!」


 セトは、杖を両手でしっかりと持ち、神聖ヴィエタ語で呪文を唱えた。昔から、杖をもらったならぜひ最初に唱えてみたいと思っていた呪文だ。不意に、沸き上がるような不可思議な音が、周辺から聞こえてくる。自分が今精霊の唱和と呼ばれる音を出していることに、彼は感動していた。

 その途端、兵士が数人角を曲がってきた。そして、杖をこちらへ向けているセトを見て、

くるぞ、と慌てた声で叫んで後ずさった。きっと兵士達を待ち伏せ、攻撃しようとしているとふんだのだろう。


「ちょっと大人しくさせてこようか?」


 マリアンが兵に攻撃しようとするのを静止し、彼はどんどん大きくなる音と魔力に酔っ払ったようになりながら、彼女の腰に手を回した。呪文を唱え終わるがいなや、セトの背中がかっと熱くなる。背中越しに後ろを見ると、肩の後ろからカラスのような黒い羽根が生えていた。

 成功した。古代に使われていた、飛行魔術だ。この魔術は出力と魔力をかなり喰う。一流の魔術師でないと、まず翼を出すことすら難しいのだ。彼は夢でも見ているような気持ちだった。リュシオン先生のように白銀の羽根でないのが多少残念だが、多分髪の色に関係してくるのだろう。


「さあ、俺の首に掴まって!」


 マリアンがセトの首に手をまわすと、彼は杖で地面をついた。その途端、一気に下から竜巻のような風が巻きあがり、彼らは真っ青な空に天高く放り出された。どこまでも深く青い海に、オレンジの城壁が映える。青い瓦の宮殿は、ここから見るとひどく小さかった。


「飛んでる、私たち飛んでるぞ!」


 その事実に今頃気付いたかのように、マリアンは目を輝かせた。


「どうだ、俺の力は? キャハハハ! 最高だろ?」


 偉そうに黄金の鳥が言うが、二人とも聞いていなかった。空から見るティルキアナは、まさに絶景だった。澄んだ空気、美しい海、そこに張り出した城下町。兵達が野営をしているところも、小さく見える。魔術師達もかり出されているはずだが、この魔術をきちんと使える人間はそういない。そして、その一人は今歯をへし折られ、当分呪文すら唱えられない状態になっている。

 そういうわけで、彼らはなんの邪魔も入らずに、空の散歩を楽しんだ。時折黄金の杖の自慢という邪魔は入ったが、完全に二人の世界に入っていたので、最後には鳥すら黙った。


 いつまでも飛んでいたかったが、そんなわけにもいかなかった。全てのものには終わりが必要だ。セトは、黒い森の手前、空から見て兵士が配置されていない場所に、静かに降り立った。翼は、降りた瞬間ふっと消えた。


「ほらほら、俺ってすごいだろ? 尊敬するだろ?」


 相変わらずうるさい杖に、一言唱える。まだ自慢を言いたりない様子だったが、黄金の杖は徐々に薄くなり、セトの手のひらから消えた。

 ここは、唯一城下町が見えない丘と丘の間にある場所だ。一方の丘は草地になっていて、牛が大儀そうに群れをなして草を食んでいた。もう一方は暗い森だ。どちらも緑に覆われて、昼の太陽に葉が燦めいている。


「そろそろ、本当に言わなくちゃならない」


 彼がそう言うと、マリアンが帽子を取り、仮面を外した。さあっと赤いロイヤルレッドの髪がなびき、エメラルド色の瞳が、寂しそうにこちらを見つめている。


「さよな……」


 ら、のところで、いきなりマリアンがセトに顔を近づけた。唇と唇が触れあう。あまりの事態に、セトは目を見開いたままだった。

 唇はすぐに離れた。普段は日に焼けた小麦色の肌をしている彼女が、髪の毛と同じように、顔が真っ赤になっている。多分、自分も同じような顔をしているだろう。セトは、こっちがキスされたにもかかわらず、思わず謝ってしまった。


「ごめん、初めてだった?」

「いや、二回目だ」


 誰とだよ。

 最後の最後までセトの心に爆弾を投下するひとだ。ロマンスとは無縁の剣術馬鹿だと思っていたが、それなりに経験はあるらしい。それでも、こういうときには黙っておくのがマナーというものだろう。思わず、彼はたしなめた。


「そういうときは正直に言うなよ」

「何で? ファーストキスもお前とだぞ」


 セトは驚愕で眼を見開いた。そんな記憶は一切ない。健忘症にでもかかってしまったのだろうか。声がうわずる。


「いつ、どこで!?」


 いやあ、と相変わらず照れたままマリアンは頭をかいた。


「最初にお前が海に落ちたとき、かな。引き上げたら息してなかったから、人工呼吸で何とかしようとして思わず」


 なぜ、それを覚えていなかったのか。頭をがんがん叩きたいほどに思い出したい記憶だ。


「さよならなんて言うな。きっと、また会おう」


 失望しているセトをよそに、マリアンがそう言った。


「私は今から城に戻って、ネフェリア王女として、この不始末に決着をつけてこなきゃならない。でも、また会える。そんな気がするんだ。言っただろう、赤騎士に」

「「不可能はない」」


 二人の声が揃った。そして、セトとマリアンは、思うさま笑った。重かったセトの気が、一度に軽くなった。たとえ魔王を倒しに行くのだとしても、ここでマリアンが笑顔で暮らしてくれてさえいれば、きっとセトは幸せなのだ。


 さて、とセトは言い、再び杖の召喚の呪文を唱える。光があふれ、さっきと同じうたい文句で杖がとびだした。


「呼ばれて……」

「それはもういい」


 途中でセトに制され、鳥は不満そうに言った。


「なんだよ、俺がせっかく来てやっているのに」

「とにかく、今のお前のマスターは誰だ?」

「はいはい、そこの魔術師くずれのお前様ですよーだ」


 むくれた杖をよそに、飛行魔術の呪文を唱える。魔力が満ちあふれて、精霊の唱和が大々的に鳴り響き、肩から黒い翼が生えた。どうも、杖の機嫌を損ねていても力自体は使えるらしい。


「じゃあ、また」


 彼はそう言うと、翼をしならせ、空の太陽目指して、高く飛び上がった。


「また会おう! きっと、どこかで!」


 マリアンが、帽子を振ってそう叫んでいる。小さくなっても、まだ帽子を降り続けている姿が見えた。

 セトは、不意にこみ上げてきた涙を目をしばたたかせて堪え、ティルキアナに背を向け、西の黒い森の方角を見た。西には、レムナード帝国がある。レムナードのもっとも西に位置する荒れ地。そこに、リュシオン先生と多産の魔王がいるはずだ。彼は意を決して、強く羽ばたいた。馬車とは比較にならないほどの速さで、彼は太陽の沈む方角、西に向かって飛翔していった。

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