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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
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第20話 初代魔王の杖

 杖を掴んだとき、セトは何も感じなかった。あまりに杖の喋り調子が軽かったのと、魔気さえ感じなかったので、何かの間違いかと思ったくらいだ。これを引っこ抜けばいいだけ、と杖は言った。そのくらい簡単だ。彼はふっと力を入れようとした。が、そのとき脳裏でバチッと音がするような激痛が左手に走った。思わず彼は手を離そうとしたが、離れない。左腕はぶるぶると震えているが、のりでくっついたように手のひらは微動だにしない。激痛を堪え、杖を岩から引き抜こうとするが、痛すぎて立っていられなくなった。彼は膝をついた。左手を見ると、全ての爪の間から血が出ている。ばきっと音が鳴り、激痛は腕にまで広がった。血管が浮かび上がり、今にも破裂しそうに思える。


「はい、ざんねーん。君は選ばれし者ではありませんでした! ご愁傷様!」


 上から鳥が何か言っているが、頭が朦朧として言い返せない。痛みは瞬く間に全身に達している。まるで、血液が反乱を起こしたようだ。身体中が押しつぶされるように痛くてたまらない。


「おい、まだだってば!」


 鳥がまた叫んでいる。


「まだ先に入ったのが死んでねーの! ちょっと時間がかかるから、もう少し待ってから入ってくれよ!」

「うるさい、この口汚い魔王の杖が!」


 言い返したのは、セトではなかった。入り口の方を振り返ると、バチバチと音をたてながら、マリアンが部屋へ押し入ろうとしているのが見えた。髪を逆立て、手を目一杯伸ばし、こちらへ前屈みになって足を一歩ずつ動かして、ずりずりと進んでいる。


「止めろ、来るな!」


 セトは自分の痛みも忘れ、掠れた意識の中で叫んだ。電撃は目に見えないが、マリアンがひどい痛みに襲われているのは確かだ。だが、彼女は気丈な張りのある声で叫んだ。


「来るな、だと? 命令するのはこの私だ! お前こそ、手を離せ!」

「嫌だ! この杖が手に入らないくらいなら、死んだほうがましだ!」


 身体に力が入らなくなったようで、彼女はこちらへ一、二歩、足を動かした後、がくっとひざをついた。だが、その手は嘆願するようにこちらに差し延べられている。なぜか顔には、苦痛というよりも微笑みが見て取れた。

 彼は、上を向いて初代魔王の杖に叫んだ。


「お願いだ、今すぐ電撃を止めてくれ! 彼女は関係ない!」


 しかし、黄金の杖からはそっけない対応が返ってきた。


「いや、ルール違反の説明もちゃんとしたぜ。そっちの馬鹿が勝手に入ってきたんだろ?」

「セト!」


 ひざまずいた彼女がこちらへもっと手を伸ばした。その眼には、涙が光っている。


「口汚い杖なんかなくても、お前は十分強い!

 それに、私だってもう嫌だ! 父様も母様も、姉様だって亡くなった!

 これ以上、大切な人を失いたくない。だから、杖から手を離せ!」


「外野はすっこんでろ! チャンスは一度きり、一度掴んだらキャンセル不可!

 わかったら戻れ、そこの赤毛! よくこの俺を口汚いと言えたもんだな!」


 バチバチという音がもっと強くなる。セトは、杖を見上げた。この杖のために、城へ忍び込んだ。王女だって体よく利用するつもりだった。全ては初代魔王の杖を手に入れるためのはずだった。

 けれど、この城で従者になった日々は、今思えば何と楽しく、充実していたのだろう。もちろん、悲しい出来事もあった。宮廷の闇がいかに深いかも思い知った。それでも、彼女がいたからこそ、王宮の日々は輝いていた。彼は、知らず知らずのうちにマリアンへ右手を差し伸べていた。


「そうだ、手を伸ばせ! そして、ここから出よう!」


 無理だ。左手は杖に吸収されたように引っ付いてしまっている。それでも、セトは王女に向かってそろそろと右手を伸ばした。彼女も殆ど寝そべるようにしながら、手をこちらへ伸ばす。僅かに届かない。恐ろしい痛みは相変わらず身体中に襲いかかっている。それにも構わず、二人は手を伸ばす。その指先が触れ合い、人差し指が一本、やっと絡まった。瞬間、セトの杖を持った手が急に動いた。


「え?」


 鳥が声を上げる。セトの身体の痛みが急に消えていく。彼はマリアンの指を離すことなく、後ろを見た。岩から、初代魔王の杖が抜けていた。


「そんな馬鹿な! 二人がかりなんてインチキだ!」


 杖の先の鳥が叫ぶが、魔術は既に発動しているようだ。魔術を使うときに出る音、精霊の唱和と呼ばれる不思議な金属の声が、架空領域に響き渡る。


「嘘だろ!」


 杖はそう毒づきながらも黄金の光を放って一際輝くと、セトの手のひらへ吸い込まれるように消えていった。途端に恐ろしいほどの魔力が、身体中に満ちるのを感じる。本当に、杖を取り込めたのだ。ぽかんとした顔で、セトは自分の手をまじまじと眺めていた。

 どこからか魔力の唸り声が聞こえて、彼は正気に戻った。唸り声だと思ったのは、廃墟のような柱がみしみしという音だった。見る間に、一本の柱が音を立てて崩れ落ちた。この架空領域は、たった今主を失った。恐らく、杖を取ると崩壊するように作られているに違いない。


 マリアンは、と焦って振り向くと、彼女は指を繋いだまま、ぐったり横たわっていた。大丈夫か、と呼びかけたが、返事がない。だが息はしている。多分、電撃と魔力過多の状態で一時的に気を失っているのだ。セトはふらつく足で立ち上がり、マリアンを抱えて引きずるように歩いた。後ろでは廃墟の柱が次々に崩れ、人工太陽が根源にゆっくりと落ち、どんどん薄暗くなっていく。

 ぼろぼろになりながら、彼はマリアンを引きずってやっと扉の外までたどり着いた。マリアンを静かに寝かせ、ほっと息をついたら、急に頭がくらっとした。セトはそのまま彼女と寄り添うように倒れた。こちらにも、そろそろ魔力増加の影響が出てきたのだろう。体内魔力が一気に変化すると、一時的に気分が悪くなったり、眠くなったりするという話はよく聞いていた。だが、ここまで強い魔力を取り込んだらどうなってしまうのだろうか。とにかく、手足が冷たい。思わず、マリアンの両手を包んだ。こちらもひどく冷たかった。そのとき、彼女がうっすらと目を開け、微笑んだ。


「ほら、赤騎士に不可能はない」


 その言葉とともに、セトの意識は闇に落ちた。

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