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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
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第19話 紋章の扉

 深夜、月は細く青白く、銀を散らした天の川の中心にかかっていた。

 カンテラを持ち、セトは回廊の下を見下ろした。

「すごいな」ついて来たマリアンもそれを眺めてため息をついた。回廊の下に、美しく装飾された階段が続いている。


 夕方、日が沈むとすぐに、彼らはいわゆる『悪巧み』にとりかかった。西の隅、使徒の一人アルテラの像が彫られた柱。その下にある穴にハンドルをねじ込み、ぐるぐると回す。次第に水が波立ち、ごぼごぼいいはじめた。排水されていることを確かめて、彼らは一旦それぞれ夕食に戻った。


 そして今。貯水池は完全に池ではなくなっていた。多少底に水が残っているものの、紋章のついた扉が暗がりにうっすら見える。苔にぬめって滑る階段を、注意しながら降りると、その紋章は一層はっきりした。長年水に浸かっていたせいか、色は失われてしまっている。しかし、中央に巨大な鳥、翼が骨で尾が三本の紋章がはっきりと見えた。まぎれもなく、初代魔王の紋章だ。面白いことに、絵には描かれていなかった細かい場所にも、部分的に装飾が入っている。


「ティルキアの紋章もあるな」


 マリアンがぼそっと言った。碇に葡萄のつるが絡み付いた紋章が、ヴィエタ帝国の紋章のすぐ上にあった。中央の鳥の盾を囲むように、様々な紋章が小さめに彫られている。きっと、昔あった国々の紋章だ。従えた国の紋章を掘ったに違いない。けれど、ティルキアの紋章はヴィエタ帝国のものほどではないにしても、他の国よりは格段に大きかった。それに真上に配置してある。このことは、きっとティルキアが初代魔王の中で特別な地位をもつ国だったからに違いない。彼は当初の目的さえも忘れて古代の扉を観賞した。


「入らないのか?」とマリアンに言われ、初めて彼は今見ている歴史的遺物が目的地への扉だったことを思い出した。

 彼は、扉に手をかける前に、後ろを振り向いて、マリアンの瞳を真正面から捉えた。身長は同じくらいなので、まともに顔を見ることになる。赤い髪が夜風に流れている。その赤と同じ色の長いまつげに、緑色の瞳が映えていることに、彼は初めて気付いた。今までにないくらい、穏やかな気持ちでセトは言った。


「いろいろありがとう。俺一人じゃ、この部屋も見つけられなかった。多分、最初の時点で捕まって死刑になってただろうな。貴方のおかげで、ここまで来ることができたんだ。

 マリアン。貴方は本物の英雄だ」


 マリアンは、セトの素直な言葉に多少びっくりしたのか、頬をを赤くした。それから、はつらつとした声で笑ってセトの背中を痛いほど叩いた。


「いや、そんな素直に礼を言われると照れるな! 私は英雄赤騎士だ! 赤騎士に不可能はないからな!」


 不可能は無い。そんな言葉を、一度は言ってみたかった。だが、似合わないのは自分でも分かった。こんなことを恥ずかしげもなく言ってもいいのは、真の英雄か、真の馬鹿かのどちらかだ。そして彼女はその両方でもある。


 セトは、カンテラをおくと、藻でぬるぬるした石の円形の取っ手を両手で持ち、ゆっくりと力をかけた。あまりに時が経っているので、開かないかと心配したが、その必要はなかった。その紋章付きの扉は、まるで昨日まで普通に使われ、定期的に油を挿されていたかのように、ぎいともいわず、いっぱいに開いた。その瞬間、昼間のような光が目を焼いた。何だ? とマリアンも手をかざして呟く。


 目を細めたセトの前には、信じがたい光景が広がっていた。どこまでも続く、青い水面。そこから、白い大理石の柱がでたらめに飛び出している。その柱には蔦が絡み付き、緑の葉が白い柱に映えている。屋根のない、朽ち果てた水上の神殿。彼にはそう思えた。なぜ光が満ちているのかと見上げると、部屋の中にも関わらず、黄色く小さな太陽が真っ青な空に上っていた。セトは興奮で胸が震えた。今、自分は忘れられた古代の魔術を見ている。現在には構築方法すら伝えられていなかった、魔術における伝説の架空領域だ。

 目的のものは、水の中にある小さな岩にあった。セトの身長より大きな黄金の杖だ。上には、杖を止まり木にしているように、骨の翼を持つ鳥の意匠がある。その眼と胴体には、青いダイヤ型の魔石がはまっていた。三分の二ぐらいは持ち手になっていて、そこには青い布地か巻かれている。その下には小さな球から両刃の剣が生えている。あれが、噂に聞く『魔物を断ち切る魔力の剣』だ。その剣の部分が、岩にしっかりと刺さっていた。


 セトが驚きと緊張で動けなくなっていたときだった。拍子抜けするようなだみ声が、どこからともなく響いた。


「パンパカパーン! 久々に、チャレンジャーの登場でーす!」


 どこから声がするのかと、セトはきょろきょろと見回した。


「ここだよここ! 決まってんだろうがよ、何しろ俺は『意思を持つ杖』なんだぜ?」


 そう言われてやっと、彼は正面の黄金の杖の上で、鳥の形をした意匠のクチバシがかちかちと動いているのを目撃した。

 すごい。その一言しか出なかった。どうやってあんな杖を作ったものか、セトにはおろか今の賢者にだって分かりはしないだろう。そもそも、八百年前に死んだ人間の杖が、今も元気に生き残っているというのがおかしいのだ。


「あの杖、喋るのか?」


 怪訝そうにマリアンが聞いてきた。セトは頷き、思わず水の中へと足を進めた。いや、水では無かった。セトの足は沈まず、ただ足跡がさざ波となって波紋が広がった。これは魔力の根源だ。魔力の根源とは、一の根源——混沌とほぼ同じ物質でできている。水のように澄み渡るが、呪文によっては土のように固くもなる。万物の元になる存在だ。

 彼は湖面にさざ波を残しながら、ふらふらと小さな岩へ近寄っていった。


「はい、部屋へ入った! 契約成立! それにしても本当に久々の人間だ! 

 三百年は経ってるか? じゃ、ルール説明に移ろうか!」


 意外と軽い調子で、杖は叫んだ。初代魔王の杖というものはもっと重々しいと思っていたセトは、ルール説明という言葉を聞いて、思わず首を傾げた。青い宝石が入った片目でこちらを見ながら、杖はクチバシを動かす。


「ルールは簡単、単純、手間いらず! 杖を持って引っこ抜くだけ!

 当たればラッキー! 世界最高の杖、つまり俺が手に入ることになる!」

「外れたら?」


 あまりの高いテンションに、セトはつい疑いの眼差しで聞いた。


「下を見ろ。俺の居場所を陰から支える贄達だ。奴ら選ばれなかったものの仲間入りってわけだ! ま、やってみる前から心配するな!」


 水のような根源の底に目をやり、セトはぎょっとした。おびただしい人骨が、水底に沈んでいるのが見える。百や二百は下らない。この人々が、かつて初代魔王の杖を欲し、そして失敗したのだ。


「痛っ!」


 マリアンの叫び声が聞こえ、セトは思わず後ろを振り向いた。


「大丈夫か?」

「ああ、入ろうとしたら、びりっときた」


 手をさすりながら、彼女が答えた。


「はいそこ、ルール違反!」


 初代魔王の杖が不機嫌そうに叫んだ。


「次の方は、前の方が死んでからに願いまーす! ちゃんと順番は守って!

 でないと電撃で死んじゃうよ!」


 本当に初代魔王の杖なのだろうか。そんな疑問も出てくるほどの軽い口調で、杖の先の鳥はだみ声で喋り散らかす。


「じゃあ、チャレンジャー! 何百年ぶりの人間だから、もっとおしゃべりしていたいが、次のお嬢さんのためにさくさく進行してくれ! 杖を掴むだけでいいんだぜ、呪文なんて何もいらない。なんてパーフェクトな親切設計なんだ!」


 セトは、深呼吸をして気を落ち着けた。早く、早くと鳥がせかす。実際の杖がセトの想像に反して、妙に軽い変な鳥付きだったとしても、魔王の杖には間違いない。これを持つ者は、世界を変えることすらできる。そう言わしめた杖だ。そして、魔術師協会に破門されている彼は、この杖以外を持つことは許されない。

 ふいに、後ろで待っているマリアンの顔が脳裏に浮かんだ。いつもの元気そうな表情ではなく、ネフェリア王女を斬った後、カウチで寝転がっているときに見せた、あの表情だ。

涙が溜まってはいたが、それ以上に瞳の奥には暗い悲しみがあるように思えた。

 あんな表情の人間を、もういたずらに増やしてはならない。

 彼は意を決して、左手で黄金の杖を掴んだ。

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