第18話 王女流ハンドルの入手法
タクト神教と十二人の使徒達が一人ずつ彫り込まれた回廊を、セトはぐるぐると歩き回って、深緑の水面を覗いていた。もちろん、扉など見えるはずもない。できるならばすぐ貯水池に跳び込みたいくらいの勢いだ。だがそんなことをしても溺れるくらいが関の山だろう。
「やっぱり、水を抜かなければ」
貯水池ならば、水を抜く仕組みくらいあるとは思う。この城は何度も大火に見舞われた。中庭の貯水池も、その一環として作られたものだ、という考えは常識としてあった。まさか、部屋を封印する手立てが貯水池だとは思わなかった。長年この城で暮らしていたマリアンでさえ、貯水池の水かさが減るほどの日照りを経験したことが無かった。あの古代の絵がなければ、隠された扉など到底見つけられなかっただろう。
あの絵の真の姿を見た後、彼らはすぐに回廊の周辺をじっくりと調べ始めた。もうすぐダンスの練習時間だったはずだが、今はそんなことにかまっていられる余裕が無かった。
「おーい」
手を振りながら、赤いドレスのマリアンが走ってくる。何か見つけたのだろうか。
「何かあった?」
「ああ、思い出したんだ!」
満面の笑みで、彼女は言った。
「この街には、いつも春の初めに大嵐が来る。そのときには、適度に水を抜いて調節しているはずだ! でないと回廊まで水浸しになるからな」
セトは口に手を当てて考えこんだ。回廊が水浸しになる前に、どこかから水を排出する装置があるはずだ。彼が今まで見た貯水池には、ハンドルを回して水門を開き、水量を調節する場所が多かった。場所的にも、貯水池に近い位置にあることがほとんどだ。だが、この回廊には何度回ってみても、ハンドルの類いは見つけられなかった。
そう話すと、彼女は困ったように頭を掻いた。
「まあ、こういう貯水池は美しさが第一だからな。さすがに見える場所にハンドルなんて無粋なものを付けないだろ」
「見えない場所についている、ということか?」
「いや、そうじゃない。必要なときにしか付けない、ということだ。警備兵にそれとなく尋ねる、ってのが妥当な線かな」
警備兵と聞いて、セトは露骨に嫌な顔をしてしまった。マリアンが警備兵に成り代わった一件以来、いやそれ以前からもだが、彼らの前を通る度執拗な視線を感じる。仲間が三人も魔物に殺された上、駆けつけてみると警備兵の格好をした王女が剣を抜き、糸で絡められたセトを守るように立っていたのだ。普通は従者が王女を守るのが当然なのに、という常識と、自分たちの力が及ばなかったという悲しみが混じり合い、今でもしらっとした眼でセトを見る者が多い。王女が警備兵を出し抜いたのも影響していると思うが、今では召使い達の噂が嫌でも耳に入ってくる。セトが制服泥棒だったとか、一人で不必要に王宮内をうろうろしているのは怪しいとか、王女が侍女を無理矢理帰らせて二人きりで部屋へ入るなんて愛人としか考えられないだとか。根も葉もないとは言い切れないが、やはり変な噂を流されていい気はしない。
「まあ、いつものつてで私が警備兵に聞くよ」
彼女が軽い調子で言った。いつものつて、とは何か分からないが、早速彼女は駆けていってしまった。セトは、慌ててその後を追った。もうそろそろダンスの時間だ、というつもりだったが、言いそびれたのだ。彼女はよほど速く走って行ってしまったらしい。目当ての場所を探したが、なかなか見つからなかった。
が、角を曲がって広い芝生の庭に入った途端、とんでもない光景が眼にとび込んできた。マリアンと一人の警備兵が、仲良く肩を組んでいたのだ。長身で、栗色の髪をしたおじさんといってもいい年齢の男だ。なぜ、こんな男とマリアンが肩を組む必要があるのだろう? セトの脚はそのまま動かなくなってしまった。
楽しげな口調で、マリアンと警備兵は話している。
「じゃあ、やっぱり嵐の晩には貯水池の水量を下げるんだな?」
「もちろんです。水浸しになったら我らの責任になりますから」
「ほうほう。じゃ、そのハンドルはどこにある?」
「また悪巧みをする気ですか? 警備兵の服を盗んで懲りたのではなかったのですか」
「まだまだどうして。それに、お前にとってもいい取引だろう。
ハンドルの場所を教えるだけだ。お前に疑いは一切かからない」
そうか。いつもそうやって聞ける友人、いや恋人がいたのか。セトは、遠い目をして彼女の背中を追った。警備兵は、呆れたように言った。
「やれやれ、王女様もお好きですな」
「じゃあ、いつものように」
いきなり、彼らはばっと離れた。マリアンが、にやにやと笑っている。その手には、警備兵の持つ長剣の鞘が握られていた。ふと見ると、おじさんの警備兵も、鞘を握って構えている。彼女は自信満々に言った。
「私が勝てたら、ハンドルの場所を教えろ。私が負けたら、さっさと仕事に戻れ」
「相手をしてもらえるだけで、私は幸運ですよ。貴方との試合はじつに面白い」
セトなら絶対口にしない台詞を、警備兵は吐いた。あの棒で叩かれるだけの剣術の何が面白いのか。
しかし、ざっと足を踏みしめ、鞘の先を正面にむけて二人が相見えたとき、彼は場の空気が変わったのを感じた。ぴんと張り詰めた空気の中、マリアンと警備兵はざっと足を運び、円を描くように互いに周る。間合いをはかり、いつどちらが飛び込むのか、そのときどう動くのか、見計らっているのだ。静かに、そして油断なく、彼らはゆっくりと回り続ける。
と、先に警備兵が動いた。突然足を速めると、少し右に円を描きながら走ってくる。同時に、鞘を上段へ振り上げる。王女はそれを迎え撃つため、さっと後ろへ下がって鞘を上げた。それを計算に入れていたのだろう。警備兵は王女の近くへきたとき突然鞘を上段から下段へと落とし、ドレスに包まれた足を狙う。と、ドレスに鞘が触れたかと思われた瞬間、王女が飛び上がった。ゆうに人一人分ぐらいの高さまで、軽々と跳ね上がる。そして、ガキッ、と音を立てて警備兵の鞘の上に着地した。呆気にとられたのは警備兵だけではない。セトもだ。こんな剣技は聞いたことがない。警備兵の鞘は、下げられていたこともあって彼の手から簡単に落ちてしまった。そして、ぶん、と音がして、警備兵の首にマリアンの鞘が突きつけられた。
「はい、一本」
そう言って、彼女は自分の鞘を引き、警備兵の鞘を拾った。そして、割れてしまった、すまん、と謝った。
笑いしか出ませんな、と警備兵はマリアンが割ってしまった鞘を見ても笑顔だった。
「前回よりはよく耐えた! だが、私はまだまだ腕を上げるからな。お前もついてこい」
「これ以上腕を上げられては困りますなあ。警備兵長官の私の立場がありませんよ」
セトは頭を抱えた。まさかの警備兵長官だった。警備兵長官と言えば、以前大尖塔に登ったとき、怒られた兵士長よりもさらに上の立場の人間だ。
負けてなお嬉しそうな長官と、相変わらずにやにやしているマリアンの二人に、セトは遠慮がちに近付いた。すぐに、マリアンが気づき、快活に言った。
「ああ、セトか。この人は警備兵長官。二年前から私が稽古をつけているんだ。なかなか筋がいいんだ。こちらも真剣に向き合える」
「いやいや、そう言ってもらえれば助かります。ですが、ここで見たことはどうかご内密に」
仮にも王宮警備兵長官ともあろうものが、王女に稽古を付けてもらうなど恥ですからな、と男は情けなさそうに言った。
「しかし、私はネフェリア王女の練習を見た瞬間に分かりました。この人は並の剣の使い手ではないと。だからこそ、私は身分差という無理を押して一本勝負をお願いしているのです」
なるほど、とセトは思った。王女がどこから情報を仕入れてきているのか、これですっかりわかってしまった。とにかく、この男が王女の恋人でなくてほっとした。この一本勝負は、全て賭が絡んでいるらしい。王女が警備の裏側を楽に探れるのも、勤務表を見られるのも、この長官が毎回負けるおかげなのだろう。今回もハンドルの場所を賭けて、勝負をしたに違いない。できるなら王女の剣術練習の相手役も、セトではなくこの長官にやって欲しいくらいだ。セトに無駄な青あざができなくてすむ。マリアンが腰に手を当てて、はつらつと言った。
「さあ、約束は守れよ」
「くれぐれも、悪いことには使わないで下さいよ」
「なに、世界のためになることだ」
悪いこと、の定義はよくわからない。だが、貯水池の水を抜くことは、確かに世界のためになることだ。セトはそう考え、マリアンのように、にやりと笑った。この警備兵長官は、貯水池のハンドルが世界の鍵になることなど、思いもしていないだろう。
ダンスの授業を完全にさぼり、教師を激怒させていたことに、二人はこの試合の一刻後に気付いた。




