第16話 伏魔殿
マリアンは再び、謁見室で国王と相対していた。深夜近く、カンテラが明々と灯る部屋で、彼女は膝を曲げたまま、微動だにせず被害の報告を聞いた。
死者四名。うち警備兵が三名、牢番が一名。血なまぐさい惨劇にそぐわない、淡々とした報告だった。
あの後、すぐに他の警備兵や宮廷魔術師の一団がやって来たが、剣を持って立ち尽くす彼女を見るなり侍女が呼ばれた。侍女に引っ張られるようにして湯殿へ連れていかれ、全身の血を湯で流した後、王から呼び出しがあると聞かされた。セトと会うことはなく、彼がどうなっているのかマリアンは不安だったが、王の召喚となればそちらを優先するしかない。
案の定、人払いがなされた謁見室で、王は疲れたように椅子のひじ掛けに肘をついていた。そして、マリアンに魔物の被害の状況を話したのだ。
あの牢番は死んだのか。彼女は遠い目をして追憶に浸った。昔、あの牢番がまだ牢番ではなく、ネフェリアの世話役だったころ、彼女はあのじいさんが嫌いだった。ネフェリアを巻き込んでマリアンが騒動を起こす度、鉄のようなげんこつをくれる人だった。だが、果樹園で何か果物がなったら、一番にネフェリアとマリアンに一つずつ取ってくれた。そんな楽しい日々も、かつてはこの城にあったのだ。
彼女の感傷をよそに、王が重々しく口を開いた。
「仕留めたのはお前だそうだな。王女である手前、軽はずみな行動は関心できんが、魔物を倒したことについては褒めてとらす」
マリアンは、気持ちの悪さに身震いした。褒められるらようなことは何もしていない。むしろ、平時では許されないことだ。彼女は我慢できずに口を挟んだ。
「魔物ではありません。あれは姉様で」
「ネフェリアよ!」
王がその言葉を遮るように叫んだ。彼女は、はっと顔を上げた。王は背筋を伸ばし、肘掛けに持たれるのを止めていた。暗く落ちくぼんだ眼に、鋭い光が灯っている。
「お前には姉などおらぬ。お前が倒したのは魔物じゃ」
ぞっとするような声音で、王は言った。
「この国が小国で、他国からも常に牽制を受けていることを、まさか知らぬとは言うまい。
北のヴェルナース王国と、南のロンダル王国、そして西の大国レムナード。
特にレムナード帝国はゴルダ教——異教徒の地だ。我らの国が乱れることは、他国にとってこのティルキア王国を潰す好機に他ならん。今のところ、北のヴェルナースと南のロンダルとは、比較的よい同盟を結んでいる。だが、決して信用してはならぬ。儂らが一歩選択を誤れば、この国は滅びるということを肝に命じよ。ティルキアの正統な王位継承者がおらぬことなど、あってはならぬ事態なのだ。もちろん、正統な王位継承者が二人いることもな。よいか、お前も自分の立場をわきまえよ」
王と話していると、時に彼女は操り人形にでもなった気分になる。糸を引くのは王であり、マリアンはその通りに動くしかないのだ。
そして、王は苦々しげに続けた。
「それに、魔術師の中でまことしやかに囁かれている噂を知ったようじゃが、それはただの噂にすぎん。
魔術師は、軍には必要じゃ。だが奴らも所詮異教徒よ。異教徒の考えを信用し過ぎてはならぬ。
人が魔物になるなど、タクト神を冒涜する考えじゃ」
はい、と彼女は小さく答えた。納得はしていなかった。しかし、魔術師くずれのセトの立場をこれ以上悪くしたくない。ぞっとするような声で、王は続ける。
「それであの従者、どこまで知っておるのかのう?」
「彼は何も。夜中に出歩いた私を探して、たまたま遭遇したのです」
「そうか。もし、お前の秘密を知っているようならば……前に言っていたように、責任を取る覚悟はあるか?」
「もちろんです、国王陛下」
彼女はしっかりと返事をし、優雅に頭を下げた。
三人の侍女達を従えて、青白い顔をしたマリアンがこちらへ歩いてくる。赤いドレスを着ているので、よけいそう見えるだけだろうか。セトは今まで寄りかかっていた壁から背中を離した。ナイフで糸を取っている間に、マリアンは侍女達に連れ去られてしまった。糸はなかなかとれず、絨毯をナイフで削ってやっとのことで脱出したときには、既に警備兵によって魔物の死体も運び出されていた。警備兵の一人に尋ねると、彼は嫌そうな顔をしながらも、王女は王様に謁見中だと教えてくれた。いつもなら怒られたところでめげないマリアンだが、今回は流石に心配だった。なので、糸でねばつく服を着替えた後、王女の部屋の前で待ち伏せをすることにした。それから一刻ほど、警備兵や召使い達の不審そうな目にも耐え、ずっと王女の部屋の前で待機していたのだ。
セトの顔をを見た途端、王女は軽く手を振り、侍女達を制止した。
「お前達、下がってよい。皆、夜遅くまで大変だっただろうしな」
「ですが、寝衣へのお召し替えをしなければ」
「よいと申している。下がれ」
何を言っても無駄だと悟ったのか、侍女達は膝を折ってお辞儀をし、カンテラを持っている侍女がセトにそれを渡すと、次々と角を曲がって消えていった。
最後の一人が消えるのを確認して、彼は気になっていることを聞いた。
「王様との謁見はどうなった?」
「まあ入れ。ここでは誰が聞いているか分からん」
王女は扉を開け、セトを招き入れた。セトは、美しい黒檀の猫足のテーブルの上にカンテラを置いた。テーブルの上に置かれている黄金の鳥かごを模した小さな水時計は、今が既に深夜を過ぎて夜明けに近いことを示している。少女趣味な小物が溢れた部屋は、マリアンにそぐわない。やはり、ここはネフェリアの部屋だ。
マリアンが部屋の中央に置かれたカウチに反動をつけて寝そべった。
「結局、お咎めはなしだ。ただし、気をつけてくれ。お前が知っていることは誰も言うな。そうでないと、文字通りお前の首が飛ぶ」
彼女はそう気だるげに言うと、寝返りをうってセトに背を向けた。
「じゃ、お前も下がっていいぞ。さすがに今日は疲れた。私も眠ろう」
「……ごめんなさい。それだけ言いたくて待っていた」
「お前が謝ることはない」
彼女は背を向けたまま言った。それでも、彼は自分が許せなかった。思わずカウチの側に膝をつき、頭を下げた。
「俺がネフェリア様の希望なんて言い出さなければ、こんなことにはならなかった。
それに……俺がもっと強ければ、貴方にネフェリア様を斬らせるなんてことをさせずにすんだ」
王女はまた寝返りをうち、こちらを向いた。その緑色の瞳が、真正面から彼を見つめる。諦観にもにたその表情に、セトはぎょっとした。こんな顔のマリアンは、初めて見た。
「いや。私も、もっと早く気付くべきだった。私が手にかけた魔物は、全て元は人だった。
私の手はとうに汚れている。王女を騙っている時点で、既にお前よりたちが悪いしな」
彼女は最後に、自嘲気味の笑いで締めくくった。いつもの、張りのある陽気な笑い声ではなかった。セトは、その力なくだらんと垂れた手を握った。温かく、剣だこが目立つ戦士の手だ。
「マリアン。君の手が汚れているというのなら、俺の手も汚れている。
俺達は、悪巧みの共犯者なんだから」
返事は聞こえなかった。その代わり、抑えた嗚咽が王女の喉から漏れた。乱暴にカウチに引き上げられ、何が起こったかわからないうちに、セトは息ができないほどぎゅっと抱きしめられた。
「……今だけでいい、胸を貸せ。それに、顔を見ないでくれないか」
嗚咽混じりの声が、耳元で囁いた。セトはぎこちなく、そのたっぷりとしたロイヤルレッドの髪を撫でた。闇を抱えた王宮は、これからも、この王女を生け贄として、王位継承戦争をくい止めるのだろう。セトは、耳元で声を出さずにむせび泣くマリアンの頭をゆっくりと撫でながら、ぼそっと小さな声で呟いた。
「本当の魔物は、この王宮そのものだ」




