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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
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第14話 満月の夜の出来事

「説得は効果なしだった、仕切り直しだ」


 そう言って、マリアンは疲れたように埃っぽい木箱の上にに寝っ転がった。


「もう一度頼むというのも、あれじゃ無理な話だろうな」


 王への直談判は失敗に終わった、という報告をセトは聞きながら、ネフェリア王女から聞いてしまったことを、どう処理すればいいかと考えていた。このマリアンが王家の庶子でもないというのなら、もっと大きな問題になる。本人は気付いていないようだが、こちらから言うのもはばかられる内容だ。だからこそ、ネフェリア王女も懺悔だといったのだろう。

 マリアンが見つけたペンダントを弄りながら呟いた。


「しかし、もう二年も経つんだ。怪我は治ったんじゃないのか? 目さえ何とかなれば、大丈夫だとは思うんだが」

「……そういう問題だったらいいんだけどな」


 セトは、ネフェリアに懺悔されたとき、思わず手を差し伸べた。タクト神教でもなく、魔術教でもない彼に懺悔などしても何もならないとは思った。しかし話を聞いたのは、誰にも理解されない孤独を知っていたからだ。そのときに掴んだ手のひらには、まだ包帯の感触が残っていた。怪我がすっかり治った、とはいいにくい。

 だが、ネフェリア王女の目下の望みについては、マリアンに言う必要があった。

 ネフェリアが、夜部屋の外に出たがっているということを話すと、マリアンは目を輝かせた。


「脱出なら私に任せろ! 姉様が外に出たいのなら、私だって協力したい!」


 さすが、この難攻不落の城において常時二十以上の出入り口を確保し、自由に出入りしているだけあって、自信満々だ。しかしセトは半信半疑だった。


「だが陛下が許さないんじゃ、当分頼むのは無理だろう。牢番を騙すとなると厄介だし。東宮には俺もマリアンも出入りする理由がない」


 セトは首を捻って考えこみ、尋ねた。


「逆に、東宮に夜入っても怪しまれない者はだれだ?」


 彼女はにやっと笑って言った。


「もちろん、警備兵だ!」


 そうと決まれば後の計画は早かった。東宮の警備の時間を調べ、制服をちょろまかしてマリアンが警備兵になりすます。セトだと大事になりかねないが、そこは王女の特権を使う。もし見つかっても、ただの王女の戯れですむようにだ。そして牢番から鍵を奪い、走って追い掛けさせながら窓から鍵を投げる。あとはそとにいるセトが鍵を回収し、ネフェリアの部屋の窓へ放り込む。マリアンが散々追われているうちにネフェリアが鍵を使って外に出る。


「完璧じゃないか!」


 オリンピア邸の地面に棒で描いた計画図ができたとき、マリアンが手を打って喜んだ。しかし、いろいろ準備も必要だ。まずは東宮の中の警備兵巡回ルートを調べなければならない。

「まかせておけ」 と胸を叩いてマリアンが言った。

 巡回表がどこにあるかも、彼女は把握しているらしい。何年も前から城を脱走していただけある。セトは、安心して布がかけられた板にもたれかかった。

 と、その布がばさっと落ちたので、彼は埃臭い布を跳ね退けた。そして息をのんだ。背もたれにしていたのは、板ではなかった。艶めくたっぷりとした赤毛に、弓形の眉の下の優しげな碧色に煌めく瞳。卵形の輪郭からほっそりと伸びた首に、瞳と同じ色のエメラルドが煌めいている。文句なしの美少女がそこにいた。彼は、その絵を見て、そして怪訝な顔をして木箱の上で頬杖をついているマリアンを眺めた。


「それが姉様だよ、美人だろ?」


 よく入れ代わろうと思ったな、という言葉が喉から出かかったが、止めておいた。彼女だって好きで入れ代わったわけではないのだ。だが、あの押し売りされた版画は、ある意味真実だった。こんな野外倉庫に置かれるにはもったいないような絵だ。彼は、もう一枚、その後ろにも板があることに気付いた。特に他意もなく、彼は木の板を奥から出して、その絵を眺めた。こちらは随分古い絵だ。黄ばんでいるが、それでも一流の絵師が描いたと分かる。タクト神と十二人の使徒達が彫られた柱と四角い人工の貯水池で、王宮と後宮の間にある中庭の絵だと分かる。その正面に、弓を持つ金髪の少女が描かれていた。緑色の瞳を持つ少女は、どこか視線を遠くに向けている。唇には不思議な笑みをたたえ、悲しいのか、それとも楽しいのか分からない眼をしている。どことなく、凄みを感じる絵だった。


「この絵は誰なんだ?」

「うーん、知らない人だ。でも、王族の一人だろうな。装束や弓の形からして、大分昔の人じゃないか? 父様がこの絵を気に入ったから、以前は東宮に飾ってあったんだ。もう必要ないから、ここにしまわれているんだが」


 不思議な絵だな、とセトは思った。少女と回廊ははっきりと描かれているのに、背景の貯水池と王宮は、霧のかかったようなふわふわした色調で描かれている。そもそも、なぜ弓を持って回廊に立っているのかが不明だ。そこまで考えたとき、この絵についてよりも重要なことを思い出し、セトは立ち上がった。


「ちょうど警備の兵が東宮の横を通った頃だ。王女様に計画について話に行こう」





「白い夜会用の帽子が欲しいわ。帽子もなしに庭に出るなんて考えられないもの。

 それに合わせて作ったタフタのドレスがあるの。それも運んできて下さる?

 もちろん手袋もね」


 マリアンがうきうきとした調子で夜の散歩計画を話した途端、ネフェリア王女がそう言ったことに、セトは改めて身分の差を感じた。マリアンが帽子を被っているのは、あの英雄赤騎士ごっこをするときだけである。この王女はやはり、生粋の貴族だ。


「ああ、あのドレスと帽子ね。大丈夫、用意して事前に放り込みます。見つからないようにできます?」

「ええ、元々地下牢でも、私の家具は置いてありますもの。クローゼットの後ろに隠しておくわ」


 それにしても、二人で悪巧みなんて本当に久しぶりね、と王女は声を上げて笑った。


「まるで昔みたい。とっても楽しいわ」

「今は三人です。いい従者でしょう?」


 にやにやと笑いながらマリアンが言う。セトも悪巧みの数のうちにしっかりと入れられていた。


「そうね、うらやましいわ」


 王女は鈴の振るような声で笑った。


「私にも、セトのような従者がいればいいのに」

「姉様ならもっといい従者が列を作って押し寄せますよ」


 マリアンに即斬って捨てられたので、セトは少し気を悪くした。しかし思い直した。そもそも彼は貴族でも何でもなく、ただの魔術師くずれだ。初代魔王の杖を手に入れに、わざわざ城に忍び込んだところを王女に気に入られたに過ぎない。従者としては失格どころか、本来は絞首刑にされている存在なのだ。




 決行は、一週間後の満月の日と決まった。全く袖を通されていない——恐らくマリアンの好みではなかったのだろうドレスと白孔雀の羽根がついた夜会用の帽子は、鉄格子の間から無理矢理差し込んだ。

 マリアンはどうやってか知らないが、警備兵の正確なルートや時間を口笛を吹くような軽い調子でどんどん調べてきた。それによると、東宮の警備兵は見回りをほとんどしないということが如実に分かった。王太子が亡くなった今、東宮の重要性はほぼ無いに等しい。だからといって警備をおろそかにしていいわけではないが、彼らにとっては役立つ情報だった。ついでに、本当にマリアンは警備兵の制服を洗濯物置き場からちょろまかしてきた。詰め襟の黒服を着込み、長い髪を帽子の下に入れ込むと、夜であれば見間違う程度に警備兵にみえた。そもそも身長があるので意外と似合っている。

 もちろん、昼間の授業やダンス、剣術も欠かさないわけにはいかなかった。忙しい毎日をこなしながら、合間合間に準備を重ね、ついに、満月の日を迎えた。


 果たして、うまくいくのだろうか。二人は気もそぞろで、ダンスでは一緒になって互いの足を踏みまくり、ついに教師に喧嘩でもしたのかと心配される事態になった。

 時計の針の進みが遅い。セトは待ちきれず、召使い用の夕食もそこそこにオリンピア邸にやってきた。程なく、全力で走る足音が聞こえた後、マリアンが姿を見せた。侍女がお休みの挨拶をして下がった途端、走ってきたのだという。


「ああ、こんなに緊張するのは初めて赤騎士になって以来だ! わくわくしてきたな!」


 警備兵の制服のボタンを留め、マリアンがそわそわしている。セトは、それを手伝いながら一抹の不安を感じて言った。


「うまくいけばいいけれど」

「もちろん、うまくいくさ! 私は英雄赤騎士なんだ。一人の姫の願いくらい叶えられなくてどうするというのだ」


 すでに英雄赤騎士になりきっている。この状態では、彼女はもはや無敵だ。


「じゃあ、鍵を投げる窓は右から三番目だ。頼むぞ」

「了解」


 オリンピア邸から外に出ると、大きな銀色の丸い月が上っていた。彼は、念のため茂みに隠れて東宮の指定の場所——鍵を受け取るための角から三つ目の窓の下で待機した。待っている時間というものは、長いものだと決まっている。彼はやきもきしながら、マリアンが鍵をいつ放り投げてもいいように、暗い窓をじっと見ていた。


 やがて、小さく話し声が聞こえてきた。いや、小さい話し声ではない。遠くで大きな声で話しているのだ。


「おいそこの! ここは警備兵でも立ち入り禁止じゃぞ!」

「いやあ、新人なので! 道に迷ってしまって!」

「行け! 早く行かんと、首になってもしらんぞ!」

「そういうわけにもいかないんだよなあ、じいさん!」


 ばきん、と音がした。何の音かは分からないが、老人が怒鳴り声を上げている。そして怒濤のような足音がしたかと思うと、セトのいるちょうど真ん前に、銀色の鍵がぽいっと放り投げられた。どんな手を使ったのか分からないが、鍵の奪取には成功したらしい。

 セトは慌てて鍵を拾い、ばっと立ち上がった。そのタイミングが悪かった。血走った目をした牢番と、窓越しにばったり目が合ってしまったのだ。


「お前もあいつの仲間か!」


 答えずに、セトは全力で地下牢の窓へ向かって走り出した。地下牢の窓へさえ鍵を放り込めば、後は何とかなるのだ。幸運なことに、窓は人が乗り越えられる位置にはない。半地下から出てくるのに、きっと手間取ることだろう。ただ気がかりなのは、警備兵の格好をしたマリアンが追い回されるのではなく、その鍵を受け取ってしまったセトが追い回される方にまわったということだ。マリアンならまだしも、セトの体力はしれている。それでも速く、できるだけ速く、彼は足を動かした。息を切らしながら、地下牢の窓へと走る。そして、かがんで鍵を窓の中へ放った。


「さあ、貴方は自由です!」


 そういった瞬間、玄関の方から怒鳴り声が聞こえてきた。


「鍵を返せ! そこの召使い!」


 まずい。完全にこちらがターゲットにされている。ただ、牢番は鍵が牢屋へ返ったことに気付いていない。チャンスだ。


「鍵はこっちだ! 取り戻してみろ!」


 彼はそう挑発すると、また全力で走り始めた。警備兵がいない場所を、的確に選択し、息が切れる直前まで走り抜ける。心臓が痛い。だが、この追いかけっこの時間稼ぎで、王女は外へと出られるのだ。止まるわけにはいかない。





 久しぶりにパジャマを脱ぎ、お気に入りの夜会帽をかぶってタフタのドレスを着たネフェリアは、この部屋に鏡がなくて残念に思った。せっかくおしゃれをしてみたが、なにも確かめる術がない。だが、思い直した。君主の間にいけば、大きな姿見がある。それに、貯水池の隣、回廊のすぐそばにある君主の間は、月や星が貯水池に映り、とても美しく見えるのだ。最初に行く場所は、あそこにしよう。

 そのとき、足音共にかちゃんという音がして、暗い窓から銀色の鍵が落ちてきた。

 貴方は自由です、という言葉を残して、足音は走って遠ざかる。

 信じられない思いで、ネフェリアは足下の鍵を見つめた。

 本当に、セトとマリアンは、ネフェリアを二年ぶりに外に出すため、鍵を手に入れてくれたのだ。

 彼女は感謝の気持ちで一杯になりながら、鍵を拾い、鍵穴にさして回した。小さな音共に、鉄の扉が開く。

 手はず通り、牢番もいない。少し痛む足を引きずりながら、ネフェリアは地下からの階段を登り始めた。この階段から外に出て行ける日が来るのは、もっと先のことだと思っていた。いや、もしかしたら、怪我が治らず、ずっとこのまま地下で過ごしていくのかと嘆いたこともあった。しかし今、彼女は階段を登りきり、マリアンに教えられたとおり、警備兵のいない東宮の裏道に出る廊下を通って、回廊の間に出た。

 彼女は回廊から空を仰いだ。月が出ている。銀貨のように、美しく光る月が。そして、満点の星空が。そして貯水池に映っている月をいとおしく思いながら眺めた。この景色をまた見ることができるなんて。痛む足で、彼女は回廊を夢見心地で抜けていった。

 もうすぐ君主の間につく、というとき。ふと、彼女は自分の足下が気になった。本当はお気に入りだった銀のパンプスを履きたかったのだが、この足では無理だったのであきらめたのだ。

 それでも、サンダルは余りにも変だったかしら。それとも、ドレスで目立たないかしら。

 ネフェリアはそう思い、貯水池に映っている自分の姿を見た。

 そして、ひっと声を上げた。そこには自分ではなく、何か得体のしれないものが映っていたからだ。ネフェリアは貯水池からいそいで離れた。あれは幻影だったのだろうか。そうだ、目が悪いから、変な風に見えてしまっただけだ。

 彼女は、君主の間を目指した。君主の間には、姿見がある。それに、代々の王位継承者の肖像も飾られている。ネフェリアの分も、二年前に描いてもらい、あの部屋に飾ってあるはずだった。

 苦労して回廊を周り、ネフェリアは君主の間にたどり着いた。長年の地下暮らしで暗闇になれているせいか、はっきりと現王の肖像画が見えた。

 彼女はほっと一息ついた。やっと目が治ってきたようだ。やはり、さっきのは目のせいだったのだ。


 が、そのとき大きな姿見が目に入った。そこに映っていたのは、貯水池に映っていたものと同じ——いや、もっと悪かった。彼女は声も出せずに、それを凝視した。孔雀の羽根がついた豪華な夜会帽の下には、顔の半分がくしゃっと縮んだような輪郭。落ちくぼんだ目と、ほとんどない小さな鼻、上唇が引きつれている口。タフタのドレスの胸元は包帯がまかれ、その間から真っ赤な傷痕が縦横に走り、耳の横まで達している。手は手袋をしていてもその中身が針金のように細く、鶏ガラのようにやせていることが分かった。

 これは、誰なの——。彼女は答えを知っていながらも、自問自答した。看護婦や医者にいくら頼んでも、鏡を持ってこさせることはできなかった。その理由を、ネフェリアは今知ってしまった。彼らは恐れていたのだ。この姿に、彼女がショックを受けるであろうことを。


 目眩を起こし、ネフェリアはへたへたと座り込んだ。その目の先に、信じられないものがまた飛び込んできた。艶めいた赤毛をした、つり目で面長の少女が真面目くさった顔をして、肖像の中から彼女を見下ろしていた。以前、ネフェリアの肖像画が飾られていたその場所に、マリアンの肖像画が飾られている。


「ああ!」


 自身の顔も、王位継承権も失った。ネフェリアは全てを悟り、顔を覆って慟哭しようとした。しかし涙は一滴も出ない。ただただ、耳元で何か金属の擦れるような音が囁いている。彼女は声を上げた。それは不愉快な金属音となり、どんどん大きくなっていった。

 彼女の映った鏡が、その音と同時にパリン、と不吉な音を立てて割れた。

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