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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
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第13話 暗闇に潜むもの

 ネフェリア王女はクルップヘンの花束を抱きしめて、ベッドの中で歌を口ずさんでいた。

マリアンやセトが話しに来てくれるおかげか、この頃日増しに体調はよくなっている。日に何度も起き上がれるようになり、窓の外の光を見ていられる時間もだんだん増えてきた。医者もあまりの回復に驚いているくらいだ。


『愛は暗闇に潜みて静かに音もなく忍び寄る』

 彼女はレイセルの詩を節をつけながら口ずさみ、まだ不自由な唇を上げてにっこりと笑った。


 あんな小さな歌声に気づいてくれた。

 そして、花を投げ入れてくれた。

 医者や看護婦、それに牢番のじいや。彼女の胸の内まで話せる人は、この二年間ほとんどいなかった。


『その愛はどれだけ心に響いたか』


 もし、あの人が運命の人だったのなら――

 日の光がわずかに差す地下牢の中で、包帯まみれの手に美しい花を持ち、彼女は歌い続ける。もちろんセトは気づいていないだろう。しかし、ネフェリアは、確実に自分の気持ちに気がついていた。怪我などしていなければ、堂々と会いにいけるのに、と幾度思ったことか。


 さくさくと草を分け入る音がする。ネフェリアは慌てて起き上がり、苦痛に呻いた。まだ急ぐと身体中が痛むのだ。しかし、それをおして窓の下に置かれたロッキングチェアへと移動し、そわそわしながら身を横たえた。ここが、一番声が聞こえやすいのだ。


「王女様」


 窓から、少年の声がした。落ち着いてはいるが、少し高く掠れた声だ。最初に彼が話すのは、いつもマリアンがいないときと決まっている。うわずった声音で、ネフェリアは尋ねた。


「あら、マリアンは?」

「王様に謁見中です」

「まあ、今度は何をしでかしたのかしら?」

「何かをしでかすのはしょっちゅうなので、何で呼ばれたかは分かりかねます」

「そうね」


 ふふ、とネフェリアは笑った。いつだって、人の倍は元気で、人の倍は動くマリアンのことだ。もちろん、怒られることも人の倍はあるだろう。ただ、ネフェリアが笑ったのはそれだけではなかった。今、このときだけでもセトを独占できるからだ。

 静かな午後、セトと語らうひとときは、ネフェリアの癒やしだった。

 だが、今日は文学の話をするのは止めにした。この胸のつかえを取りたくて仕方がないのだが、今まで誰にも話せなかった。きっと、信じてくれないか、生返事だけされるかの二択だと思っていたからだ。だが、この魔術教の詩人にも寛容な少年——セトなら、彼女の話すことを信じてくれるかもしれない。それに、ネフェリアにとって彼は既に信頼できる相手だった。

 彼女は意を決して、静かに話しかけた。


「ねえ、今日は私の懺悔を聞いて下さる? マリアンにはとても言えないことなの」

「……私でよければ」


 沈黙の末に答えが返ってきた。


「二年前の、王宮の火事の話よ。大体は、マリアンに話したことと同じなのだけれど。

 お父様……王太子様はパデュール様のことを愛していたわ。元々、お母様とは政略結婚だったから、きっとお母様も割り切った考えで結婚したと思っていらしたのね。だから、パデュール様に子供ができたと聞いたら専用のお屋敷まで改装して、王宮の中に住まわせていたの。でも、お母様は、本当に王太子様のことを愛していらっしゃったのよ。大抵のことは我慢されていたのだけれど、その日は運が悪いことに、お母様の結婚記念日だったわ。

 私、お昼に回廊の間でお母様がパデュール様と喧嘩しているところを見てしまったのよ。結婚記念日の舞踏会の後、どちらの館に王太子様がいらっしゃるかしら、と」

「それで、王太子様は愛人を選び、惨劇が起こったわけだ」


 ネフェリアははっと顔を上げ、眩しく輝く四角い窓を見つめた。


「……どうしておわかりになったの? まだ全て話していないわ」

「火事で三人の貴人だけが死ぬなんて、そもそもおかしいんだ。召使いは? 兵士達は? 全て下がらせなければ、あの館での火事なんてただのぼや騒ぎですむ。誰かが、警備の兵や召使いを下がらせたんだ。自分の目的を確実に果たすために。ただ、そんな身分の高い人が自ら手を下すだろうか、という疑問は残るけれど」

「手を下したんじゃないわ。あのとき、母は本当に一言言ってやるというつもりだっただけよ。パデュール様と王太子様の二人がいる前であらいざらい話すと言っていたわ……マリアンは、本当は王太子様の子供じゃないってことを」

「待って、それはどういうことだ!」


 突然、鋭い声が飛んできて、ネフェリアはびくっと身体を動かした。


「パデュール様がそう言っていたのを、以前母は聞いてしまったのよ。『生まれた子供がロイヤルレッドで助かった』と」

「……」


 沈黙が続き、その後ため息のような声が、そうか、と言った。


「ごめんなさい。こんな話をしてしまって。でも、本当に信じてもらえないかもしれないのはここからよ」


 ネフェリアは掠れてきた声を振り絞って言った。


「私がランタンを持ってオリンピア邸にいったとき、お母様の姿はなかったわ。パデュール様とお父様が、階段の上で炎に巻かれていたの。いいえ、あれは自分たちの周りに松明の灯を付けて、なんとか魔物を寄せ付けないようにしていたのよ」

「何を?」

「……魔物よ。鱗がびっしりついた、大きなヘビみたいな魔物。王宮にあんなものが出るなんて思わなかった。魔物は、二階の吹き抜けから私に気付いたの。噛みつきにくる、と思った瞬間、柱が焼けて折れた。屋根が王太子様やパデュール様、魔物の上にまともに落ちて……私は気を失ったわ。気付いたらひどい火傷を負っていて、この地下室から出ることもできなくなってしまったの」


 窓の外からは、何も聞こえてこなかった。不安になって、ネフェリアは尋ねた。


「ねえ、信じて下さる? 医者や牢番には、こんなところまで魔物が来るはずがないと言って、聞いてもらえなかったのよ」

「……もちろん、信じます」


 ふいに窓の光が陰り、鉄格子からすっと白い手が差し出された。


「見えます?」

「ええ」


 彼女は痛む腕を伸ばして、窓から出された手を握りしめた。優しく握り返してくるその手から、包帯越しに、温かい人の体温が伝わってくる。


「きっと、終わらせてみせます。この魔物の世を」

「あら、貴方もマリアンと同じことを言うのね。もっと大人しい人だと思っていたわ」


 信じてもらえた安心感で一杯になったネフェリアは、やっと朗らかに笑うことができた。

 窓の外からは、自嘲的な答えが返ってきた。


「大人しい人間なら、あのひとの従者は勤まりません」


 ネフェリアは、ますますセトの顔を見てみたくなった。もちろん、マリアンにも会ってみたい。こんな鉄格子の柵がある場所ではなく、もっと広い、自由に歩ける場所で。


「ねえ、迷惑ついでにもう一つ、お願いしたいことがあるの」

「なんでしょう?」

「外に出たいわ。昼間はもちろん駄目だけれど、夜なら私の目も大丈夫だと思うの」


 牢番は絶対にここから動いてはいけないと言うけれど、身体も大分よくなってきたのよ、とネフェリアは自信満々に言った。


「でも、こんな格好じゃ外に出られないわ。それに、牢番のジェミの許可も下りないと思うの。元々は私のじいやだったんだけれど、私が怪我をしてから頭が本当に固くなってしまって。私が怪我をおして歩き回らないように、いつだって出口で見張っているのよ。クルップヘンの花束も誰に貰ったのかしつこく聞いてくるし。結局、看護婦と言って誤魔化したわ。本当にデリカシーがないのよ」

「……わかりました」


 白い手がゆっくりと引き抜かれた。


「マリアンと相談して、何とか外に出る方法を考えましょう。とりあえず、謁見が終わった頃です。迎えに行かなくては。あのひとを一人にしておいたら、何が起きるか分かりませんから」


 ざっと立ち上がる音がして、足音が遠ざかっていく。ネフェリアは、その足音が聞こえなくなるまで手を窓の位置から動かせなかった。セトはマリアンの従者だ。迎えに行くのは当然だ。そんなことはわかっている。それでも、ネフェリアは寂しくて仕方がなかった。






「ならぬ」


 王の返事は簡潔で冷淡だった。壮麗な謁見の間で、マリアンは跪いたまま、凍り付いたように固まった。人払いされたこの場には、窓の外から聞こえる海風の音しか聞こえない。赤い玉座に座った王は、頬杖をついてマリアンを見ていた。その皺や長い髭、彫りの深い顔に隠れ、表情をうかがい知ることはできない。だが、その言葉は、マリアンが思った以上に無慈悲だった。


「そもそも、お前も一度は納得したのだぞ。庶子のマリアンが死に、正統な王位継承者のネフェリアが生き残る。ならば、この国も安泰だと。それに、お前にとってもよい話じゃろう。一生を修道院で過ごすよりは、この宮殿で女王として生きられるのじゃから」

「ですが……私は知らなかったのです! 姉様は、王女様は生きておられます! それならば、私が王位継承者などと騙ることはできません」


 彼女はすがるように、膝をついて玉座へと近寄り、手を差し伸べた。


「生きている、とな?」


 王が白髪の多い眉を上げた。皺の奥に見えるその眼光は鋭くマリアンを射た。


「果たして、あれが生きていると言えるのか。一生を暗闇で過ごさねばならぬ病弱な王女など、王位継承者の価値もない」


 彼女は、たまりかねて禁じられた敬称を使った。


「お爺様! 貴方に慈悲の心はありませんか? これからも嘘を貫きとおすことに、良心の痛みはないのですか?」

「そんなもの、国王になれば一番に捨てねばならぬことよ」


 きっぱりとした返答に、マリアンは思わずまともに国王の顔を見上げた。ぞっとするような緑色の瞳を光らせて、国王は玉座から立ち上がった。王がまとっているのは、赤い緋のマントだけではなかった。威厳と、そして畏怖の空気だ。


「お前も、一国の王になる身じゃ。だから教えてやろう。国王に嘘はつけぬ。儂の言葉は、儂が発したときから全てが真実となるのじゃから。それに、今更秘密が漏れると困るのはお前じゃ。彼女は怪我が治っても今のまま、地下牢から出すことはならぬ」

「そんな……!」

「謁見は終わりじゃ、ネフェリアよ。

 参れ、皆の者!」


 ばん、と手が叩かれると同時に、扉が開き、しずしずと侍従や侍女、兵士達が戻ってくる。その様を、唖然としてマリアンは見守っていた。

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