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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
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第11話 王女と王女

「ああ、疲れたあ。じっとしているほど面倒なことはないな。

 せめて画家が面白い話でもしてくれたらいいんだが」


 少女はそう言って、ごてごてと飾られたかんざしや髪留めを次々と外した。後頭部に、髪と同じ赤色の楕円形のものが留められている。頭に鞍を置いてる気分だ、と彼女は言い、それも外して豪奢な金の装飾が施された鏡台へ置いた。

 セトはこの部屋、王女の自室には、あまり入らないようにしている。いつも侍女がいるというのもあるが、妙に豪華すぎて居心地が悪いのだ。絹の天蓋のついた黒檀のベッド、舶来の絨毯、そして、美しいネコ足の家具の数々。特に、ガラスのはまった戸棚には陶器で作られた精巧な人形が沢山飾ってある。とてもではないが、剣術好きな彼女の趣味とは思えない。その理由がようやく分かったところだ。いつもなら、黙っていても彼女はオリンピア邸に来る。その方がセトも気楽に話せるのだ。

 だが、彼はオリンピア邸に彼女が来るのを待てず、後宮へ入った。丁度肖像画の時間が終わったようで、彼女は侍女に着替えさせられていた。セトの姿を見るとすぐ、彼女は侍女達を下がらせた。まだ御髪が残っています、という侍女を前に、自分でやると言い放ち、追い出したといったほうが正しい。侍女の不審な眼差しを受けながらも、彼は静かに王女の部屋に入り、彼女が髪を梳くのを待っていた。

 しかし不器用だ。剣はあんなに得意なのに、ブラシを振り回すだけでどんどんもつれていく。見かねて彼は聞いた。


「やろうか?」

「頼む。難しいものだな。だがお前、女の髪を結ったことがあるのか?」

「見よう見真似でできると思う。少なくとも今の状態よりは」


 そう答えて彼はブラシを受け取り、ロイヤルレッドのたっぷりした髪を梳き始めた。滑らかな艶が出るまで綺麗に梳くと、両脇の毛束を三つ編みにして結い上げる。本当に見よう見真似だが、なんとかいつもの形に収まった。鏡の前で、王女は満足そうに微笑んだ。


「いいな、これ。いつもと同じように見えるのに、すごく楽だ。

 侍女にやらせると、やたらと痛いんだよな」


 侍女達はきっとほつれ毛の一本も許さないのだろう。これから髪はお前に結ってもらおうかな、という彼女の言葉を聞き流し、彼はさっき知り得たことをいつ言い出そうかと悩んでいた。


「で、どうした?」


 王女がこれまたごてごてと飾り付けられたピアスを外しながら聞いてきた。


「何かあったのか、セト? 普通ならオリンピア邸で待っているはずだろう」


 普段は抜けているくせに肝心なところで鋭い。彼は言葉を選びながら尋ねた。


「……何かあった、というわけじゃない。この部屋にパルシア・レイセルはあるかな?」

「なんだそれ? 新しい武器の名前か?」


 やはり、かの詩人のことは全く知らないようだ。しかし、先ほどから髪を梳いていた鏡台に映った本棚には、緑色の皮で装丁したレイセルの本がきっちりとはまっていた。間違いなく、彼女はネフェリア王女ではない。


「それは何か知らないが、肩が凝った! 肖像画なんて去年のを見て適当に描いてくれれば助かるのにな。今日は街に降りてローシュにでも会って、また魔物が出ていたらやっつけようかな、気晴らしに」


 彼女は伸びをしながら屈託のない笑顔で言った。セトはブラシを鏡台に置き、静かに爆弾を投下した。


「……今日は魔物退治じゃなく、真面目な話をしようか、マリアン」


 彼女は、俯いて黙った。てっきり何か反論があると思ったセトは、その赤髪の中の緑色の瞳をのぞき込もうとした。その途端、恐ろしい力で突き飛ばされた。肘がみぞおちに入り、ぐっと声が出る。バランスを崩して絨毯に転がったセトに、マリアンがのしかかった。抵抗する暇もなく、今まで髪を飾っていたかんざしが、ひたりと首筋に押しつけられた。


「誰が言った?」


 低い声が聞こえた。今までの朗々とした彼女は影をひそめ、ぞっとするような冷たい眼差しがこちらを見ている。これが、今まで魔物に対して見せてきた表情だったのだ、とセトはその冷たい眼差しを見返しながら思った。だが、次第に彼女の顔は、泣き笑いのような、懇願するような表情に変わっていった。


「お願いだ。誰が言ったか教えてくれ。そうでないと……」


 そうでないとどうなるかなど、セトには十分すぎるほど分かっている。これは国家の重大機密だ。知っている人間は、始末されるに違いない。きっと、セトも含めて。しかし、言わずに放っておくわけにもいかなかった。このまいけば庶子が玉座に座り、かたや王女が地下室に閉じ込められる。そんな理不尽がまかり通るほど、この国は自由ではない。

 かたかたとかんざしが震えている。いつも魔物に対しては勇敢な彼女なのに、セトの喉元を狙う手は怪しかった。彼はかんざしを右手で持ち、しっかりとした声で言った。


「ネフェリア・グレイフォン・ティルキア王女その人だよ」

「そんな……!」


 緑色の瞳がいっそう丸くなる。かんざしを持っている手の力がなくなり、セトはかんざしを取り返し、腹の痛みを我慢して起き上がった。


「とりあえず、裏庭に来てくれないか」



 クルップヘンの咲き乱れる裏庭まで、彼女は走り通しだった。追ってきたセトは既に息が切れていた。小さな長方形の窓を指さすと、彼女は躊躇なく腹ばいになり、鉄格子の向こうの暗闇に向かって呼びかけた。


「姉様! 姉様!」

「あら、マリアンなのね! 来てくれて嬉しいわ」


 鈴の振るような声が聞こえた。セトはぎょっとした。ニセの王女、マリアンが涙を流していたからだ。マリアンは鉄格子に身体を近づけ、手をできるだけ窓の中へ差し入れた。そして、その体制のままでむせび泣いた。


「……よかった! 姉様が、ネフェリア様が生きている!」


 二人のつもる話を、彼は警備兵がこないか見張りながら、ずっと聞いていた。二年前のオリンピア邸の火事のとき、マリアンは運良く外出していたらしい。王女の手前言葉を濁していたが、どうやらそのときから魔物退治をやっていたようだ。


「しかし、どうして姉様もオリンピア邸にいたのですか? 私が帰ってきた時には、もう手の付けようもなく燃えていて……その後、両親と王太子妃、それに姉様が亡くなったと聞かされたのです。どうして、生きている貴方までが死んだことに……」

「私、死んでいるも同然でしたもの。声が戻ったのも最近なのよ。奇跡に近いとお医者様に言われましたわ」


 そして、暗闇からの声は、一旦間を置いて話し始めた。


「私がオリンピア邸に向かったのは、母の言葉を聞いてしまったからですわ。こんなことを言うのを許して下さる? 王太子は、あまりにも貴方の母親——パデュール様に対して愛情を注ぎすぎていました。ないがしろにされた母は、あの夜、一言言ってやるとオリンピア邸に行ってしまいました。そのまま母は帰ってこなかったのです。私はとても不安で……カンテラを持って、見に行ったのです。そうしたら、もう煙が充満していて……私はそこで気を失ってしまいました」


 その火事のせいで大火傷を負い、ほぼ見えなくなった目と出せなくなった声のせいで地下へと送り込まれたのだ。完全に息を吹き返したのは、三月も経ってからだったという。


 今度は、マリアンが話す番だった。彼女は、王女が完全に死んだと聞かされていた。王太子に続き王女までが死亡したとなれば、ティルキアに王位継承者がいなくなるのだ。このままでは次々に王位継承者をなのる分家筋が現れ、この国は混乱の温床と化す。

 そう説得されて、庶子ながら背格好と赤毛が似ている彼女が、代役としてネフェリアを名乗っているのだ。社交界デビュー前、王宮の奥で育てられていたネフェリアは、すり替えをしても気づかれにくい存在だった。後宮に関係する召使い全員を入れ替えたのも、何とかすり替えをばれないようにするためだ。


 そして、剣に生き、日々何不自由なく自由を謳歌してきたマリアンという少女は死んだ。

(最も、身分を隠してうろうろしているのはしょっちゅうだが)

残ったのは、ネフェリア・グレイフォン・ティルキアという王女の肩書き、趣味ではない服や家具、付け焼き刃の帝王学の授業。霊廟で自嘲的に笑ったのは、そういうことだったのか、と彼は今更ながら思った。


「……また、話に来て下さる? マリアン、そしてセト」

「もちろん、姉様」

「ありがとう、嬉しいわ。でも、もう寝るわね。少し話し疲れたわ」


 マリアンが約束を交わしている間、セトは改めて考えていた。

 宮殿というものは、牧歌的で退屈な日々と思っていた。趣味が魔物退治という破天荒な王女の世話があるとはいえ、朝から勉強やダンスの練習に明け暮れる毎日は、刺激的とはほど遠かった。だが、それとは違う、何かしら背筋が凍り付くような恐ろしさが、この宮殿には満ちている。そんな気配がして仕方なかった。


「どうして、私を処刑しないんだ?」


 オリンピア邸への帰り道に、セトはマリアンの後ろ姿にぼつりと尋ねた。マリアンは、結った髪を左右に振ってこう答えた。


「他の誰かに、お前がもらすか?」

「言うわけないだろう、こんな大事」

「だろう? じゃあ胸の内にしまっておけ。こんなことは知らなかった。そう思え」


 無茶な命令だったが、彼の立場ではそうするしかなかった。いつも背筋がぴんと伸びて、美しい背中は、どことなく寂しさが漂っているように思えた。マリアンが、ぼつりと呟いた。


「それに、私こそ処刑されるべき人間だろう」

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