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不死鳥と番犬  作者: 久陽灯
第1章 伏魔殿
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第10話 地下からの歌声

 あれから、彼は隙を見つけては熱心に王宮を見て回るようになった。隙といっても、ほぼ王女の勉強やダンス、剣術の練習、それに魔物退治に付き合っていて、ゆっくりした時間はとれなかったのだが。特に初期の王宮があった辺り、オリンピア邸を中心に、警備の目を盗みながら、ヴィエタ皇帝の残した痕跡を探そうとやっきになった。何しろヴィエタ帝国の紋章付の魔石入れが見つかったのだ。初代魔王の杖も必ずあるに違いない。

 が、他の召使いたちにそれとなく隠し部屋の噂などを聞いても、彼らは首を振るばかりだった。そもそもセトは信用されていない。それに、聞いた話によれば、二年前の大火の過失を問われ大量の召使いが解雇されたらしい。二年前より昔のことを知っている使用人はほとんどいないと言われ、セトは人に聞くことを止め、地道に探すことにしたのだ。

 それにしても、セトがカレル魔導師に裏切り者だの何だの言われていたにも関わらず、王女は彼に何も聞いてこなかった。

 所詮彼はただの従者だ。従者の過去のいざこざなど、王女にとっては興味がないのかもしれなかった。王女の興味は目下のところ自分で発見した魔石入れだ。皆が気味悪がっている初代魔王の魔石入れを、毎日身につけては喜んでいる。


 セトはその日、久しぶりに一人で王宮の裏庭をうろついていた。昼過ぎの裏庭は既に初夏の気配が漂い、誰もいない庭園には、白い花がぽつぽつと咲いていた。この海の側では珍しい。北の山に群生する、美しいクルップヘンの花だ。そのせいで、庭全体に甘い匂いが漂っている。

 今頃王女は、宮廷画家の前で気取ったポーズをとっているはずだった。王女は散々文句を言っていた。


「肖像画は去年も描いたんだぞ。それでいいじゃないか、と私は言ったんだ。現に今は君主の間にそれを飾っているんだし。

 そしたら、去年のものは喪章を付けているので、今後飾るのははばかられます、だと! 喪章を消せばいいじゃないかと言ったら、そんな不敬なことはできませんときた。じゃあ、去年私が苦痛に耐えてじっとモデルをしていた苦労はなんなんだ!」


 他にもいろいろ愚痴を言っていた気がするが、ついに待ちかねた侍女に連れられて無事衣装部屋へ連行されていった。じっとしているということは、あの王女にとってはよほどの苦行らしい。セトは王女が最後に見せた情けなさそうな顔を思い出し、くすりと笑った。


 そのとき、どこからか微かな歌声が聞こえるのに気づき、セトは慌てて周りを見渡した。後宮の従者がここにいても支障はないが、それでもやはり王女と一緒でないと何か後ろめたい。この辺りは警備の兵も滅多に回らないところだ。一体、どこから聞こえてくるのだろう。セトは耳を澄ませて歩き回った。どうもオリンピア邸の反対側、東宮のようだ。東宮も古い宮殿の一部だが、大規模な改築が施されている。王太子が生きていた間は舞踏会や茶会などに使われていたらしいが、今はひっそりとしている場所だ。召し使いの誰かが歌っているのだろうか。か細い声だったが、清廉な雰囲気の少女が歌っているような、澄んだ音色だった。彼は歌声に誘われるように、東宮の壁の方へと近付いた。そして、地面すれすれに開いた細長い窓から、その歌声が聞こえることを突き止めた。半地下の部屋なのだろうか。小さな長方形の窓に鉄格子がはめられている。もしかして、牢屋だろうか。セトは不審に思い、その小さな窓をのぞき込んだ。だが、暗く何も見えない。

 ふいに歌が止んだ。


「もし」


 さっきまで歌っていた美しい声音が、暗闇から語りかけてきた。


「ごめんなさい、そこをどいて下さる? 窓から入る明かりを眺めたいの」

「すまない」


 セトが影になっていたらしい。彼は急いで窓から明かりが入るように身体を避けた。


「あなた、警備の方? ここを通るなんて、珍しいのね」


 鈴の音をふるような声だ。それに、どことなく気品がある。

 彼は思わず本当のことを答えた。


「いや、従者だ。今は一人だけど」

「そうなのね。誰かとお話しなんてするのは久しぶりで楽しいわ。私、日の光を見ると、すぐに目が痛くなってしまうの。その小さな明かりとり窓から入る光だけが、私の見られる世界なのよ」


 そうなんだ、とセトは少し同情して言った。彼女はどうやら病弱で、目が悪いらしい。


「外は今、どうなっているの? 甘い匂いがするけれど、もうクルップヘンの花は咲いているのかしら?」

「ああ、満開だ」


 何も考えず、セトは一輪のクルップヘンの花を摘んだ。そして、鉄格子の間からその花を差し出した。かさりと音がして、花は暗闇の中へと消えた。


「……ありがとう。とてもいい匂いだわ。レイセルの詩にあるように。

『クルップヘンの花が咲くとき、山に夏来たりて世界は喜びに満ちたり』」


 受け取ったのだろう、彼女はこう答えて、細い声で古代の詩を朗読した。

 彼にも聞き覚えのある詩だった。思わず次の句を続ける。


「『全ての幸福はこの香りの中にあり、全ての世界はこの白き花の中にある』」

「あら、レイセルの詩をご存じなの?」


 意外そうに、少女の声は尋ねた。確かに、レイセルの詩を知っている人は少ないだろう。元々、レイセルは魔術教の信者だ。タクト神教の人々にはうけが悪い。だがセトは白山生まれのその詩人の本を研究していた過去があった。セトはこの暗闇の住人に興味を持ち、半地下の小さな窓の隣りに腰をかけた。


「パルシア・レイセルの詩は大体分かるよ」

「素敵よね。私も大好きよ。異教徒でも、繊細な感性を持っている人はいるものよね。

 でも、目を悪くしてから、短い間しか読めなくなって悲しいわ」


 セトは気付かれないように苦笑した。彼はもはや魔術教ですらない存在だ。タクト神教の人々には、繊細な感性を持っていないと思われているらしい。だが、この少女に言われても、不思議と腹は立たなかった。むしろ、その優しい言い方に、久しぶりにゆったりとした気分が味わえる。人を引っ張り回すあの王女とは大違いだ。目の悪い、病弱な薄幸の少女だが、レイセルの詩を読むあたり教養のある人に違いない。彼は何気なく窓越しに聞いた。


「俺はセト・シハク。貴方は?」

「私? 私はネフェリア・グレイフォン・ティルキア。この国の第一王位継承者よ」


 セトは返事を聞いて凍り付いた。彼女は今、上で文句を言いながら肖像画のモデルになっているはずである。それに、こんな声でもないし、レイセルの詩など絶対に知らないと断言できる。頭がついてこない。しばらくたって、彼はやっと絞り出すように言った。


「……そんなはずはない。何かの間違いだ」

「嫌ね。自分の名前を間違うはずがないでしょう?」


 彼女が少し機嫌を悪くしたように言う。

 確かに、自分の名前を間違うはずはない。セトの混乱をあおるように、さらに暗闇から質問が飛んできた。


「それで、貴方は確か従者だったわよね。誰の従者なの?」


 ネフェリア・グレイフォン・ティルキア王女の従者である、とは言えなかった。

 彼は答えに窮し、彼は逆に質問に切り替えた。


「……誰だと思いますか、王女様?」

「まあ、当て物? 難しいかしら」


 朗らかな声で彼女は言った。少し楽しい趣向くらいに思っているようだ。セトは慎重に、答えを探していく。


「赤毛で、つり目で、剣術が強くて……」

「あら、そこまで言うと簡単に分かってしまうわよ」


 鉄格子の窓の中から、自信満々に声は言った。


「私の義妹、マリアン・オリンピアの従者でしょう? あの子、剣術は大得意なんだから」

「……」


 あら、外れた? と聞かれて初めて、セトはいいや、と否定した。

 初めて聞く名前だったが、彼女は赤騎士のときにこう言っていた。リアン・フェニックスと呼べ、と。

あのときの名前はネフェリアの最後のリアから取ったものだと思っていたが、どうも違ったようだ。

 そもそも、何となく違和感はあった。一国の王女にしては出来が悪いのだ。いや、始めるのが遅いと言うべきか。普通、第一王位継承者となれば、幼少の頃から帝王学から歴史、語学、ダンスまで学ばせるのが一般的だろう。しかし、あの王女——いや、マリアン・オリンピアは、見ていてもわかるように剣術を除いて全てが付け焼き刃なのだ。

 残念な話、ここにいるのが本当のネフェリア王女であることは疑いの余地がなかった。

 セトがショックを受けていることにも気付かず、本物のネフェリア王女は静かに笑った。


「あの子のことは好きだったわ。私のお母様と、マリアンのお母様……パデュール・オリンピア様の折り合いは悪かったけれど、マリアンと私は歳が同じだったせいもあって、とっても仲がよかったの。

 二人で木登りなんかをして、散々怒られたことを思い出すわ。よかった、あの子も生きていたのね。てっきり……」

「てっきり?」

「二年前の火事で亡くなったかと。だって、一度も会いに来てくれないんですもの。私も、あの火事で火傷をしてしまって、昼間の光では目が見えなくなってしまったし……こんな格好じゃ外にも出られないわ」


 二年前の火事で、一体何があったのか。セトは一つの可能性に行き当たった。いや、それしか考えられない。後宮の召使いがほとんど解雇されたのも、誕生祭でのバルコニーの謁見がなくなったのも、版画が詐欺だったことは関係ないかもしれないが——全て一つの点を示している。

 つまり、入れ替わったのだ。

 正統なティルキア王位継承者のネフェリア・グレイフォン・ティルキア王女と、庶子のマリアン・オリンピア。彼女たち二人が、こっそり名前と立場を逆転させている。

 これが外に漏れたら、一大スキャンダルになるだろう。それどころか、国家の存亡も揺るがしかねない。セトは、自身が余りにも大きな秘密を抱えてしまったことに対して戦慄した。

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