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耳が憶えている。

作者: 桜月りま

昔、今、未来…

 それはずっとそこにあった。

 私が生まれた時にはそこにあった。

 少し大きくなってからは母の話にはよく聞いていた。

「ソレは私が買ってあげたのよ」

 少し自慢げに指差すのは父のクラシックギター。中には漢字で銘があった。『如月』と。

 もう一本あったギターは十年くらい前に猫が落としてしまって、壊れたので、残ったのは母の買ったギターだった。

 小さな紙切れに残った日付を見れば父の誕生日に近く、両親は結婚前であった。

 だから母が母になる前、一人の女性としての心がこもった愛しい彼への誕生日プレゼントであったのだろう。母に聞いてみれば『そこまでは覚えていない』というが、それは本当に覚えていないのか、照れなのか、娘には言えない何かがそこに形として残っているような気がする。

 その思いがわかっているのか父はそれを大切にしていた。

 時々、ぽろぽろと弾くその手つきを見て、右手と左手が違う動きをするのやら、爪に弦が当たってキュっと鳴るそれの妙に、どこか魅かれていた気がする。

 幼い時は大好きな父だった。山登りに連れて行ってくれたり、喫茶店に連れて行ってくれたり、何かにつけて娘の私に優しかった。それは兄が羨むほどであった。

 そんな父はギターやピアノが弾けたが、すべて独学だった。

 音楽好きな父だったから、家には山ほどレコードもCDもあった。

 一軒屋に住み替えてからは普通の家庭にはないほどたくさんのオーディオ機器や子供の体ほどの大きさがあるスピーカーを買ってきた。そのくせ、部屋は防音ではない。家が揺れるほどの大音量で慣らす為、とても近所迷惑だった。

「もぅ、小さくしてっ」

 っと、何度訴えた事か。父は迷惑な大人だな、と思い出した頃が、私の思春期の始まりであった。

 でも父は大音量の音楽と同じように止めてくれなかった煙草をふかして、楽しそうに音楽に聞き入っていた。

 父は団塊の世代と呼ばれる時代の人。大学を卒業してからはずっと同じ会社に勤め、小さかった会社は大きくなって、一部上場企業になった。たまったストレスも大きかったろう。それを晴らすのにギターや音楽が父の側にはあったのかもしれない。

 よって私の側にも音楽があった。

 元々、父の父、私の祖父が音楽が好きだったそうだ。

 トランペットだか何だかを吹けたらしい。当時としてはハイカラな人だ。しかし戦時中、祖母が死守したのは芋をふかすための鍋で、祖父の楽器は鉄として徴収されてしまったそうだけれど。

 音楽は側にあって、私もピアノを持っていたけれど、弾けるようにはならなかった。ギターも大きくなってから一度握らされたけれど、小一時間ほどで匙を投げて二度と触れる事はなかった。

 そんなこんなで私は楽器は弾けないけれど、音楽は側にあった。耳は悪くない、っと思う。それでも素人でしかないけれど。

 たまに漏れ聞こえる音楽が好みだったり、父の聞いていた曲だったりすると懐かしいと思う。

 無口とまではいかないが、大音量で音楽を聴く様な人の迷惑を考えない父だったし、大きくなってしまってからは反目する事が多かった。

 そんな父に高校くらいで付き合った彼氏と合わせた時、その反応は凄く悪かった。だから私が社会人になって、結婚を決めた男性を連れて行った日。年齢も高くなったし、大丈夫だろうと思ったが、緊張しないでもなかった。

 心配をよそに、その日の父はとっても歓待ムード。最後にはギターを弾いてくれた。いつもよりお喋りな父の様子が、何だかちょっと恥ずかしかった。

「初見でギター弾かれるとは思わなかった……」

 っと、家を出た後に苦笑いをした今の連れと私だったが、父は最大に歓迎してくれたのだと今、振り返って思う。

 結婚してから、子供に恵まれ、一番上の子がギターを習う事になった。四段階のギタースケールがある安いギターから、二番目くらいの大きさのギターを買い与えた。

 それから暫くして、父が脳梗塞になって、麻痺が残ってギターを弾けなくなった。一命は取り留めたものの、言語にも支障が出て、声も小さくなった。それから数年でガタガタと悪くなって、病院入院中、急に亡くなった。朝の巡回時に気付いた感じで、もうダメだったらしい。

「何だかさびしい……」

 亡くなる前、父はそんな事を言ったそうだ。何か感じていたのだろうか。あの大音量で音楽を聴く人だ。きっと本当に病院はとても寂しかったろう。

 まぁ、止めろと言った煙草も止めず、食事制限もあまり守っている感じではなかったから、仕方ないと言えば仕方ない。元気な時は買いたい時に買いたいものを買ったり、食べたい時に食べたい物だけ食べていたし、太く短く父はきっと楽しい人生だったと私は思う。

 それから誰も弾く者がなく、残された可哀想なギターを我が家に持って来たかったが、住んでいる場所が遠くて、二~三年持って帰る事が出来なかった。それを今年の正月、やっと連れ帰る事が出来た。

 私は弾けない。

 だから十一歳になった息子にそれを与える。習い始めた頃は大きかったろうフルスケールのギターが、ちょうどよくなっていた。弦張りなどは楽器屋に頼んでいるので、それが済んで鳴らしてみた。

 ポロン……

 たった一音。

 けれどちょっと驚いた。

 それは昔よく聞いた父の音だった。とても懐かしく、大きさも違うせいか今まで弾かせていた安いギターの音より響きが良かった。

 遊び半分の息子が弾くので、なかなかいい音は聞けないが、時折『父の音』が響き、料理する手を止めて振り返る事がある。

 ギターケースの中に入っていた紙を調べてみれば、そのギターはヤイリギターと言って、今もその工場はあった。

「今は割れもなく弾けているのですが、何かあったら診て頂けるでしょうか」

 と、聞けば、大破しているわけでもなければ『大丈夫ですよ』と言う返事が聞けた。今は新しいギターを買う方が安いのかもしれないが、お金では変えられない価値がそこにはある。

 いつまで息子がギターを弾くかはわからない。昨年から始めたサックスは来月に発表会で弾くが、ギターは先生が遠方になってしまったのでレッスンは辞めてしまった。

 けれど毎日練習するように声をかけると今は弾いてくれる。

 簡単な曲だと楽譜なしで耳コピで弾いている。私がハミングした曲を勘で弾いてくれたりもする。それでたまに音がわからないと、次男に買い与えた電子ピアノを私は叩き、二人で『あれでもない、これでもない』と、音を探して遊ぶ。

 私にとって楽しい時間だ。息子にとってはよくわからないけれど、楽しいと思ってくれていれば嬉しい。

 そこにあるのは私にとって懐かしくもあり、今、この瞬間にある新しい音でもある。

 まだ暫く私の側でこの音は鳴って、賑やかに生活を潤してくれるのだろう。

 彼の耳にこの音が残るだろうか?

 このギターはきっとその手を渡って、時代と共に受け継がれていく。

 音と共に……これから彼が人生を歩む時、大切な誰かとその時間を共有できれば。そんな事を願ってやまない。

お読みいただきありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] ぼくも大人になってから、独学でピアノを始めたのですが、もしも子どもができたら、こんな下手くそな演奏は聞かせられないと思っていました。しかし、この作品を読んで、技術的な面は伝えられなくとも、音…
2016/01/30 19:17 退会済み
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