Episode:76 追憶
>Tasha Side
目の前に、はるかに広がる海があった。
あの激戦から半月がすぎ、学院生はようやく、ケンディクの町へ出ることを許されている。
町はにぎわっていた。
この国第二の都市ケンディクは、同時に観光都市でもある。春を過ぎて初夏に近くなるこの季節は、町中が花に彩られることもあって、観光客が多いシーズンのひとつだ。
学院生も相当な数がここへ来ているはずだが、町を行きかう人々にまぎれてしまい、姿は見かけなかった。あの惨劇で傷つききった生徒が多いが、今日はきっとどこかの喧騒の中で、少しは笑顔でいるのだろう。
ただ……ここだけは静かだ。
もう二十年近くも前、西と東の大陸を結ぼうと始まった大計画。
だがその夢はうたかたと消えた。
工事に着手して間もなく大戦が始まり、計画は僅か数ヶ月で中止されたのだ。
まるでその悲しみを留めたかのように、この建物と残骸だけは錆びついたまま、今もひっそりとしていた。
大戦は、タシュアにも大きく影響を与えている。それ以外にもこの学院では、あの戦争で孤児となった者も多かった。
遥か先に視線を移す。
海の向こうは――ヴィエン。
タシュアにとっては生まれ故郷だ。
もっとも楽しい思い出はほとんどない。無機質と激戦と喪失が彩る記憶ばかりだ。むしろヴィエンを出てこの学院に保護されてからの方が、よほど人らしい生活だったと言えるだろう。
かつて七人いた弟と妹も、すべて死んだ。残ったのは自分ひとりだ。
自分にとって、そして妹や弟たちにとって、ヴィエンで過ごした日々はなんだったのだろうか?
答えは掴めなかった。たしかに胸のうちにあるのだが、上手く形にならない。
だが……それがあったからこそ、今の自分がいるのもたしかだ。
(結局は自分次第なのでしょうが……)
たとえ恵まれた環境で育ったからといって、その当人にとって満足のいく人生になるとは限らないだろう。
逆に自分は、嘆く気はない。
そういうものなのだ。
と、後ろに気配を感じた。
「――シルファ、何か用ですか?」
声をかけようかと迷っているパートナーに、振り向いてこちらから話しかける。
シルファがほっとした表情になった。
「その、買出しに行こうと……」
遠慮しながらそう聞いてくる。
優しいシルファのことだ。考え事の邪魔をしたくないと、ためらっていたのだろう。
その彼女に、タシュアは微笑を向けた。
「かまいませんよ。別になにかしていたわけでもありませんしね。
――何を買うのですか?」
シルファの表情が明るくなる。
「せっかくだから……ケーキの材料を……」
「では、今日はおいしいおやつが食べられますね。
たくさん買うのでしょう? 荷物を持ちますよ」
「すまない」
そう言いながらも嬉しそうに、パートナーが歩き出す。
連れ立って夢の残骸をあとにし、店めぐりになった。
シルファは本当に嬉しそうだった。あれもこれもと手に取り、次々と荷物が増えていく。
「まだ買うのですか?」
ついそう言うほど、シルファは買いこんでいた。
「あ、すまない。もうこれで終わりにするから」
「いいですよ、慌てなくて。久しぶりですからね、いろいろ切らしているのでしょう?」
「よく……分かるな」
彼女は驚いたが、買っているものを見れば一目瞭然だ。小麦粉のような材料もさることながら、お菓子作りに使う調味料(?)の数が、かなり多いのだから。
それからもう少し買って、やっとシルファは学院へ戻ると言い出した。気の済むまで買い物をして、満足げな表情をしている。
それを見るタシュアも満ち足りていた。
故郷を出て手にしたもの……それがここにある。
そしてこれがあればこそ、自分はここまで強くなれたのだ。