Episode:60
「母に言われて、夢中で裏口から逃げ出したんだ。みんなを連れて。
ただ子供の足なんて、たかがしれてるだろう? もたもたしてるうちに、町中戦場になっててね」
それでも必死に、逃げられるだけ逃げたんだっていう。
「けどある場所で、いきなり機銃掃射さ。
とっさに伏せてしのいだけど……気付いた時には僕と僕が抱いてたリティーナ以外、全員死んでたよ」
グラスを一気に先輩があおった。
「あとはどこをどう逃げたかもわからない。
気付いたらリティーナと二人近くの町にいて、運良く誰かが保護してくれたらしくてね。学院への入学手続きなんかもしてくれたらしい。
――もっとも僕も動転してたらしくて、よくは覚えていないんだが」
また先輩がグラスを空ける。
「来月僕が二十歳になって卒業したら、ここを出て二人で住もうと思ってたんだ……」
やり切れない思い。
俺も……何も言えなかった。
先輩の、いや学院中の嘆きが聞こえる。
とつぜん命を断ち切られた者の嘆き。
とつぜん大切なものを失った者の嘆き。
怒り、苦しみ、戸惑い……さまざまな感情が渦を巻く。
めまいがした。
「先輩すみません、俺ちょっと、向こうで横になってます。
帰るの面倒だったら、隣の部屋のベッド使ってください。空いてますから」
それだけ言って、寝室へ引っ込む。
「結局……誰も守れなかった……」
先輩の背中から悲痛な声が聞こえる。
いろんなものに、押し潰されそうだった。
セヴェリーグ先輩は結局酔いつぶれて、隣のベッドに寝た。
けど、俺の方はそうもいかない。
――やべぇな。
まだ声が聞こえる。
戦闘中に比べればマシだけど、苦しみと怨嗟の声とがずっと聞こえてやがる。
あまりのすごさにぜんぜん寝れねぇし、マジで参りそうだった。
実戦自体は、まったく初めてってワケじゃない。ただ……ここまで負の感情を浴びたのは、初めてだ。
本当の「声」なら、ドアを閉めて耳を塞いで、毛布でもかぶってりゃ聞こえないだろう。
でもこれはそうはいかない。
心へ直接聞こえる嘆きの声は、締め出せねぇ。
かなりヤバいくらいの吐き気がする。
痛い…… 熱い……
死にたくない…… 助けて…… 苦しい……
終わらず続く叫び声。
そこかしこにうずくまる、死んだ連中の影。
傷つき、血を流し、焼け爛れて……。
さすがにこれ以上は、耐えらんねぇと思った。
机の引出しを開けて、錠剤の入った瓶を二つ取り出す。
片方は精神安定剤。もう片方は睡眠薬。
以前似たような状況になった時に、見かねてムアカ先生が出してくれたやつだ。
――使いたくねぇんだけどな。
けどこのままだったら、遅かれ早かれ気が狂うだろう。
どっちも規定より量を増やして、まとめて口に放りこむ。
そこまでしてようやく……落ちつかないながらも、俺は眠りに落ちた。