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短編集

ネガティブ

  人生は暇潰しである論は永遠のテーマである。

 

  思い出を作る為に人生は展開されるのであり、数々の出来事は年老いた最期の走馬灯を創る為に収束すると言っても過言ではないのかと日々、思うのである。

 

  だがしかし、人生というものというものは過半数が嫌な事の連続である。

 だから私達は、その日々の思い出というものを忘れてしまっているのである。(忘れない人も居るだろうが。)


  若者が毎晩パーティーに興じるのも一種の反発行為なのであろう。

 現実というものは「つらい」。

 ぶち当たる壁が大きければ大きい程に彼等は楽しい方向に拍車をかけることになるだろう。

 従って、つらい事はツケで回ってくるリスクのほうが相対的に大きくなる事が明白である。

 

  現実とぶち当たることは当然であって、そもそも肥大なんかしなくとも又は持ち合わせ無くたって自己回避不可能な存在なのが現実なのであって、長い長い人生そのものからの逃避は事実上不可能なのだ。

 

  そこまで逃避したければさっさと自殺でもしろ。


  とでも言いたい程に誰しもが遭遇しているいわゆる全員証人状態なのである。

 

  少しでも楽しむことが必要だ。

 なにより生きる原動力というものは基本ポジティブから派生して成り立っているから、反発してひたすらネガティブに生きることの難しさに戸惑ってしまうからだ。

 

  何事も支障が出ない程に上手く立ち回らなければならない。

 

  その為に生きるのがベストだとわかっているつもりなのだが、如何せん人間という生き物はポンコツ過ぎる。

 感情に走ったり、四分の一は睡眠を摂らないといけなく、何に貢献してるのかわからない社会活動をしてお金で生きていかなければならない。

 冷静に考えればどれもこれも不必要だ。

 ただ、生きていく為の機械と化した糞製造機なのがほとんどを占めているのだ。

 お偉い社会に役立っている人でさえも、役に立っているかといえばごく少数存在するのか、しないのかなのだ。

 厳密に言えばそんな人なんて一人も存在しない。


  つまり、夢や希望という存在はネガティブな奴ほど持ったことがあるということだ。

 ネガティブは失敗を経験して恐れている二度目の選択肢としての新たな選択肢に加えられた新たなカードとして捉えてもらうほうが良いのだ。

 

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