規律を破壊する人種の戦い
※『依頼を遂行する人種の戦い』のかなり後に位置する物語ですが、読まずとも特に問題はありません。
―――ギリン、ギンギャリン
剣戟により火花が散った。
二人は距離を取り、僅かに息を整える。
片や刀を持った目立たない男。
汗一つかかず、余裕を持った笑みを浮かべていた。
「それじゃ、次の打ち合いで休憩。本気でいくよ」
「わかった、わよ」
片や直剣を持つ整った顔立ちの少女。
噴き出る汗を拭おうともせず、相対する男から視線を外さない。
<縮地>
次の瞬間、男の形がぶれる。
少女に捉えることが出来るのは、男が引く影、軌跡のみ。
しかし確実に、見切ることができた。
数週間続いたこの訓練の成果だ。
―――見えた!
数メートル前方、右斜めから黒い影が迫りつつある。
今までに男の口振りから下段からの切り上げ、上段からの切り下ろしのどちらかだ。
少女はどちらにも対応が可能な中段で直剣を構える。
男が引く軌跡は地を這うように低い。
構えているであろう刀は地面に当たり、別の軌跡を描いている。
―――下段からの切り上げ!
そう確信した少女。
しかし、次の瞬間。
「消え―――」
激しい衝撃に少女の腕が跳ね上げられる。
直後、後方から土に何かが刺さる音が聞こえた。
首筋にはヒヤリとした何かがあてがわれている。
「それじゃ、休憩だ。この暑さだし、水浴びでもしてきたらどうだい?」
地に突き刺さったのは、少女の直剣だ。
男の刀は少女の僅かに首の皮一枚を切ったのみ。惚れ惚れするような腕前だった。
「―――そうね。汗もかいたし、そうするわ」
男―――ダチョウが刀と呼んでいる片刃剣を納め、懐から取り出した菓子をバリバリと食べる。
彼女―――リヴが【剣姫】と異名を付けられ数ヶ月、以前とは比べ物にならないほどの戦いを経験していた。
ある国が平和だからといって、他国がそうだとは限らない。
ダチョウと共に旅をして、それを痛感した。
例えば、南と西の国間で勃発した紛争。
ダチョウと共に南の国に初めて傭兵として雇われ、血塗れの戦場を経験した。
今まで魔物としか戦った事のなかったリヴは、その後一週間は固形物が食べられなかった。
食卓を共にしたダチョウが我関せずと食事をしていたのが腹立たしかった。
例えば、世界最大手に位置する商会の輸送護衛依頼。
街を発った瞬間から次々と盗賊に襲われ、まともに眠る暇がなかった。
最終的に、依頼内容に虚偽があった事が発覚し、輸送隊を見捨てた。
その後、輸送隊が壊滅し物資全てを奪われた事を風の噂で聞き及び、良心の呵責に苛まれ軽く血を吐いた。
傭兵に向いていないとダチョウに言われ、自分でもその通りだと思ったが、不思議と傭兵を辞めようとは思わなかった。
その他にも、個人への剣術指南や迷子のペット探し、畑の開墾や家事手伝い等々…
本当に傭兵の仕事かと思う物もあったが、多くの依頼をこなしていた。
どこから依頼を持ってくるのか不思議でたまらなかったが、聞いてもはぐらかされてしまった。
―――
「クリック学園に行くって、何をしに?」
汗を流し、服を着替えてダチョウの所に戻ると、食事の用意がしてあった。
野菜がたくさん入って煮込まれた、シチューだ。
こういった食材もどこかから調達しているようだ。そんな様子など欠片もないが。
共に食事をしている際、ダチョウが切り出したのだ。
「知り合いがいるからさ、ちょっと相談に」
「へえ、あの学園に」
「昔の相棒だったんだけどね。学園の設立を色々と手伝ったんだ。中々楽しかったよ、あの時は」
「へえ…」
目の前の男の顔をマジマジと見つめる。
クリック学園が創立され、少なくとも二十年は経っていたと記憶していたリヴだが、目の前の男は高く見ても二十代前半だ。
「前から思ってたけど、ダチョウ。あなた幾つよ」
「さあ? 誕生日を祝おうと思ったこともないから、特に気にした事もないよ」
いつも通りケラケラと笑うダチョウ。
ちなみに、リヴの年齢は18歳だ。
とは言え、傭兵に年齢は関係ない。一攫千金を夢見たリヴと同じ年頃の傭兵もごまんといるし、70を超えてなお現役の傭兵もいると聞いた。
「最寄りの街から十日くらいだから、そこで待っててよ。行ったって良い事はないだろうし」
「行くわ、私も」
「ふーん、物好きだね」
リヴがクリック学園を卒業し、一年と半年といったところか。
その間、様々な事があった。
懇意にしていた後輩に、この旅の事を話すのも面白いだろう。
―――
「久しぶりね、あの校門も」
最寄りの街を発ち、歩き続けて十日。
ようやくクリック学園が見えてきた。
とはいえ、学園そのものは巨大な壁に囲まれ、外部から窺い知ることはできない。
唯一、外部と繋がる門が見えてきたのだ。
しかし、この門を通ることが出来るのは、学生証を持つ学生と職員証を持つ職員のみ。例外は一切ない。
「それでダチョウ、入校許可はとってあるの?」
だが、色々と変なコネを持っているダチョウの事だ。
この学園に入るのも簡単に―――
「え? そんな物ないよ」
「―――は?」
振り向いてもダチョウの姿はない。
壁の上から声が聞こえてくる。見上げると、その姿があった。
「用事が終わったら戻ってくるから。それまでよろしくー」
それだけ言って、ダチョウの姿が消えた。
斜めに立て掛けられた鞘。
頭より少し高い位置に突き刺さった一本の刀。
どうやら、それらを足場にして壁を登ったようだ。
学園内から、何かが鳴り響いてくる。
何か危機感を催させるような低い音が。
唖然としているリヴを余所に、ガヤガヤと門から何十人もの人が殺到した。
手には剣と盾を持ち鎧を着けた、騎士風の人間。
リヴは彼らが誰かを知っている。
この学園の卒業者なのだ。
『武器を捨てて投降しろ!』
『投降しなさい! 悪いようにはしません!』
<生徒会>と呼ばれる組織が学園には存在していた。
学園内の自治を行い、風紀を正す組織。
リヴ自身も学園在籍時、何度か勧誘を受けた事があった。
興味がないと、全て断っていたが。
「あーーーー、もう!」
『パラッシュ』を投げ捨て、抵抗の意志がないと示すリヴ。
ジリジリと近づき『パラッシュ』を拾い上げた<生徒会>の面々。
『よし! 確保だ! 確保!』
『確保確保! 確保ー!』
『久しぶりの侵入者ダー! ヒャッハー!』
リヴを紐でグルグル巻きに縛る面々。
と、言うより、こんなに危ない面子だったのか。
<生徒会>に入らなくてよかったと、ホッとしたリヴだった。
―――
「だから知らないって何度も言ってるじゃない。しつこいわね」
「傭兵の言う事なぞ信用できるか! さあ言え! 男はどこへ行った!」
「だから、知らないって」
今、リヴがいるのは教職塔の三階。
紐で簀巻きにされ、連れて来られたのは生徒会室だった。
学生時代には特に悪い事をした覚えもない。
しかし<生徒会>へ勧誘された時に、この部屋に連れて来られたことがある。
その時、役員についての説明を受けた。
伝統的に、三年生の中から成績優秀な者が選ばれる。
しかし先代の役員の推薦が必須であり、それ故か貴族の中から選ばれることが殆どだ。
「まあ、少し待ってくれ、もうすぐお茶が入るからさ」
ヤカンで湯を沸かしていた<副会長>のレイフ・メタがそう言った。
茶色い髪をボサボサに伸ばしている、線の細い優男。
背中に携えている武器は二本の短剣だった。
片手剣を更に細くして軽くしたような、手数で相手を制圧する武器だろう。
使い手の技量が問われる、難しい武器だ。
「だがレイフ! 傭兵が学園に侵入したんだぞ! しかも未だ所在不明! 手掛かりはこの女だけだ!」
声を荒げたのは<自治長>のスタブ・オットー。
硬そうな赤い短髪はツンツンとはねている。<副会長>よりも随分と体躯が恵まれていた。
腰に携えている武器は斧だ。
随分前、リヴが打ちのめされた盗賊の持っていたハルバードと似た、しかしそれよりも刃の幅の広い斧。
だが、柄が随分と短い。手斧として運用するため、切られたのだろう。
いい加減、リヴはうんざりしていた。
このスタブという男とのやり取りも何度目か。数えるのも面倒になってしまった。
あの傭兵、ダチョウがどこへ行ったのかなど、知る由もない。
知らない物を喋れと言われても、どうしようもない。
「まあいいんじゃないの? 別に騒ぎも起こってないし。面倒事が起きなきゃあたしにゃどうでもいいよ」
<会計長>のトーラ・ドーラが欠伸をしながら言う。
桃髪を一括りにして纏めた、少女と言っても遜色がなく、随分と背が低い。
役職的に言えば、誰が学園に侵入しようと彼女には関係のない事なのだろう。
机に枕を置き、突っ伏して眠ろうとしている。リヴが生徒会室へ入った時も寝ていた。
枕の横には幅広の巨大剣が置かれている。身の丈に合わぬとてつもない大きさだ。きっと彼女の武器なのだろう。
「しっかし、学園きっての大物って呼ばれてたリヴ先輩が、今や傭兵とはねえ。あたしにゃ理解できないよ」
どうやら、トーラ・ドーラは自分の事を知っていたようだ。
だが、そんな風に呼ばれていた記憶などないのだが…
「あ、分かんないって顔してる。まあ仕方ないか。雲上人の先輩にゃ、あたしらの顔なんて見えないもんね」
それだけ言って枕に突っ伏したトーラ。
すやすやと安らかな寝息が聞こえてきた。
「ふん! たとえ先輩であろうがなかろうが、今は関係ない! さあ吐け! 男はどこに行った!」
再びスタブによる尋問が始まる。
吐けと言われても、血くらいしか吐いた事は無いが。
レイフは呑気に茶を啜り、茶菓子を口にしている。
どうやら彼も尋問には消極的のようだ。
しかし、どうするべきか。
この勢いでは尋問が終わりそうにもない。
どうしようかと途方に暮れかけていた時、ドアが開いた。
「そこまでよ、スタブ。レイフも、今は休憩時間じゃないわ。トーラ、寝てないで起きなさい」
一人の女性が部屋へと入ってきた。
<会長>だ。
<生徒会>の頂点に位置する、女性。
<会長>の声を聞き、リヴを尋問していたスタブの声がピタリと止まる。
続いて、バタバタと何かを片付け始めたレイフ。そして欠伸をしながら起き上がるトーラ。
「その傭兵は私が預かるわ。三人とも少しの間、出ていてちょうだい」
「は~い。それじゃねリヴ先輩、あたしゃお先に」
「それでは僕も。トーラ、食事にでも行こうか」
「お、いーね。ご飯奢ってよレイフ。この頃金欠でさ」
「嫌だよ。馬鹿みたいに食べるだろう、君」
和気藹々と部屋を出ていく二人。
だが一人、頑な者がいた。
「<会長>しかし! この傭兵は唯一の!」
「聞こえなかった? スタブ」
「ぐっ…」
リヴを恨みがましそうな目で睨みつけ、不服といった風に部屋を出ていくスタブ。
ドアを思いきり閉めていくのも忘れていない辺り、相当頭に来ていたようだ。
「…お久しぶりです、リヴ先輩」
「久しぶりね、アカネ。この縄、解いてくれないかしら?」
「それはダメです。一応、侵入者という扱いですので」
リヴの前に座り、微笑を浮かべるアカネ・ココノ。
珍しい黒髪を腰にまで伸ばし、凛とした印象を受ける。
<生徒会>の<会長>であり、リヴの後輩。
リヴが三年の時の同室であり、何かと世話を焼いていた。
腰にはダチョウと同じ片刃剣を差している。
昔は別の武器を使っていたのだが、変えたようだ。
「質問ですが、先輩。もう一人の侵入者の居場所は知っていますか?」
「知らないわ。あの男の居場所なんて」
「そうですか。なら、以上ですね」
リヴの後ろに回り、きつく縛られていた紐をナイフで切るココノ。
ようやく解放された手をプラプラと動かすリヴ。
「あーあ、やっと自由。散々な目にあったわ。今日は厄日ね」
「スタブは自治長なんです。先代からあんな風にずっと、過激なんですよ」
そう言えば、とリヴが学園に在籍していた時に<教授>から聞いた話をを思い出す。
十年ほど前、ロード・ウェポンを授かり調子に乗った生徒がいたそうだ。
自分の力を過信した生徒は、学園の生徒へ次々と一騎打ちを挑んだ。
幸か不幸かその生徒は、学園で一、二を争う実力者であったため誰も太刀打ちできず、次々と敗れていった。
当時の<自治長>率いる、部下数十名で鎮圧に赴くも、全員歯が立たずに敗れてしまった。
この事態を重く見た<学園長>は、知り合いの傭兵に制圧を依頼。依頼は成功し、学園はその生徒を追放。約束されていたハズの将来を棒に振った生徒は傭兵となったそうだ。
学園の自治を統括する<自治長>が一生徒に手も足も出なかった経験から<自治長>には、主に戦闘面での卓越した能力が求められている。
リヴが<生徒会>に勧誘を受けた役職は<自治長>だった事を思い出した。
「では、先輩。武器はお返しします。確認を」
「ありがとう。もう帰ってこないと思ってたわ」
リヴのロード・ウェポンである、パラッシュが返却される。
それを鞘に納め、いつもの場所へ固定する。
―――うん、帯刀していると落ち着く。
妙な安心感に包まれてホッとしていると、ふと気づく。
「そういえばもう一本、刺さってた剣はどうしたの?」
ダチョウが壁を乗り越えるのに刺して、そのまま放置された刀。
それが、この場にない。
「…あの刀、ですか」
どうにもココノの声に覇気がない。
「実は…引き抜くときに壊れてしまって。なので…」
「そう? 別に構わないわ。私のじゃないし。逃げたアイツが悪いのよ」
「…ごめんなさい、先輩」
ペコリと頭を下げたココノ。
謝るのはこちらだと思ったが、とりあえず受け入れた。
「そういえば先輩、お腹空きませんか?」
「お腹?」
そういえば、早朝に軽食を食べてから何も口に入れていない。
拘束された時には太陽が真上にあった。あれから何時間が経ったのだろう。
「食堂、まだ開いてたかしら?」
「開いていますよ。もう忘れちゃったんですか?」
学園を卒業してから、およそ一年と半年。
その間に多くの出来事があった。
それこそ、学園での生活の記憶が霞んでしまうほどに。
―――
ここは食堂。
ココノに連れられたリヴは、ある種の懐かしさに浸っていた。
―――あぁ…こんな風だったっけ。
食堂の入り口に置いてある料理の名前が書かれたプレート。料金を入れ、そのプレートを押すと注文書が発行される。
これを受け付けに出して少し待てば料理が提供される。ここ以外では見なかった事から、学園独自のシステムなのだろう。
中からは香ばしい良い匂いが漂い鼻腔を刺激し、お腹がぐぅと鳴ってしまった。
リヴは日替わりのランチを注文した。ココノも同じ物を頼んだようだ。
注文書を受け付けに出し、ココノと他愛の無い話をしながら少し待つと、料理が提供された。
皿に盛られた赤く炒められた細い麺と、細かく切られた野菜のサラダ。そして塩気のあるスープ。
サラダには好みで濃厚なソースをかけて持ち、席を探す。
お昼時の一番混雑する時間は過ぎたのか、座席ではちらほらと生徒や職員が食事をしていた。
会話に励みながら食事をする者、一人黙々と食事をする者、食事をせず何か書き物をしている者、様々だ。
―――懐かしいなぁ、何も変わってない。
そんな事を考えていると、ココノから声がかかる。
「リヴ先輩、向こう空いてますよ」
促され、席に向かう。
そこでは<生徒会>の役員二人が食事をしていた。
「お隣、いいかしら?」
「どうぞ、お好きに」
一声かけてトーラの隣に座る。
トーラの向かいにはレイフが座っていた。
レイフの前には軽食―――サンドイッチと言ったか―――二切れがあった。
リヴが来るまでに少し時間があったからか、スープは飲み干されていた。
しかし、隣に座るトーラの量は段違いだ。
皿、器、皿。幾つもの皿に盛られた山盛りの料理。
この小さい体のどこに、これだけの量の食べ物が入っているのだろうか。
少し驚きつつ、自分も料理を食べ始める。
少し食べ進めた所で、レイフから話しかけられた。
「どうも先輩、先ほどはお茶も出せずにすみませんね」
「いえ、部外者を持て成す必要もないでしょう」
「それもそうだ。ところで、先輩はどうして学園に侵入なんて?」
「…侵入なんてしてないわよ、私」
「ばくばくむしゃむしゃ」
なぜ自分が侵入者として扱われているのだろうか。
不法に侵入したのはダチョウ一人だというのに。
レイフの物言いに不服を感じていると、次はココノから話しかけられた。
「そういえばリヴ先輩。卒業してギルド員になったと聞きましたが、一体どういった経緯で傭兵に?」
「そうね。話せば長くなるのだけど…」
「んぐんぐがつがつ、ふぅ…レイフ、食べないんなら貰うよ」
いつの間にか大量の料理の三分の二を平らげたトーラは、レイフが手を付けていなかったサンドイッチに手を伸ばした。
特に拒否する事無く皿をトーラに渡すレイフ。
「それにしてもトーラ、もうちょっと静かに食べられないのかい?」
「ここは食堂だよ。食べて何が悪いのさ」
その意見にはリヴも賛成だが、周りの目もあるだろうに。
しかし、時間は余るほどある。
ココノの問いに、リヴが答えようとした、その時。
「おばちゃーん、Aランチ大盛りスープ付きでお願いねー」
『はいよー』
聞き覚えのある声が聞こえた。
ここ一年と半年、毎日のように聞いていた声だ。忘れるハズがない。
イスが引かれる大きな音が食堂に響く。周囲の視線がリヴに集中した。
しかし、気にするリヴではない。
その男の元へと近づく。そして大声で言う。
「ちょっとダチョウ!」
「ん? ああ、キミもお昼? ここのご飯は美味しいんだよね」
いけしゃあしゃあと、よくも言う。
いつもと変わらぬ表情を浮かべて、的外れなことを。
「いい加減にして! あなたがどこかに行ってる間! 私は酷い目にあったのよ! 謝罪の一つもないの!?」
「まあまあ。ここは食堂で、食事をする場所だ。説教をする場所でも勉強をする場所でもないよ。周りの目もあることだし」
ダチョウのその言葉で、急に怒りが冷める。
いつもの自分らしからぬ態度。後ろを振り向くと、多くの視線が集まっていた。
物珍しい物を見るような視線。奇異な物を見るような多くの表情に、急に恥ずかしくなってしまった。
「それじゃあ、キミの不味い文句を聞きながら美味しいご飯を食べようか。席はどこだい?」
何を言ってもどこ吹く風。
そんなダチョウに呆れたのか、諦めたのか。肩を落としてココノの下へ戻るリヴ。
ざわついた中を戻るのはいい気分ではない。
「さて、お邪魔するよ。それじゃ頂きます、っと」
リヴの隣のイスに腰を下ろした。
箸に手を伸ばし手を合わせ、Aランチ―――カツ丼と言う料理だ―――を食べ始めようとするダチョウ。
しかし、それは遮られてしまった。
光を反射する鉄塊。
ギラギラと鋭い刀が、ダチョウの首筋に当てられていた。
「貴方が、例の侵入者ですね? 失礼ですが、生徒会室まで来て頂きます」
「君は?」
あと僅かでもココノが刀を動かせば、容易に首を斬られるだろう。
しかし、ダチョウに焦りはない。
「アカネ・ココノ。僭越ながら<生徒会>の<会長>を務めております」
「へえ、ココノねえ。けど、侵入者って呼び方は嬉しくないな。悪い事をしたみたいだ」
―――不法侵入をしたでしょうが…
心の中でそう言うが、口には出さなかった。
言っても無駄だと、リヴには分かっていたからだ。
「では傭兵さんと呼びましょう。幾つかお話を聞きたいのですが」
「僕が侵入をしたとしても、キミがどうこう出来るとは思わないけど。それに食事中なんだ」
「戯言を。無駄話は後で聞きましょうか」
「最近の若者はせっかちだねえ。好奇心は猫も殺すって言うのに。まあ、仕方ないか。はい」
ポケットから取り出した何かを見せつけたダチョウ。
それを見た途端、ココノは眉を顰め難しい顔をした。
「これは…偽造じゃないみたいですけど」
「正真正銘の本物だよ。で、もういいかい? ご飯が冷めちゃうよ」
首筋に当てられていた刀を摘み、ゆっくりと逸らす。
親の仇でも見るような目でダチョウを睨み付けるココノ。
「あたしもその人に同意だよ、ココノ。食堂で武器を抜いちゃあ、折角のご飯が台無しだ」
丼を一心不乱に掻き込んでいたトーラが言った。
どうやら、彼女はダチョウの肩を持つようだ。
既に二つの皿と器は空になっている。では、その丼はどこから持ってきたのか。
ハッとしたダチョウ。彼の前にカツ丼は、無い。
「ちょ、キミ、それ僕のカツ丼!」
「母親に言われなかったの? 食事は早い者勝ちってさ」
「うわーうわー血も涙もない! この鬼! 悪魔!」
「ははは! 負け犬の遠吠えを聞くのは心地いいねえ!」
机をバンバン叩いて悔しがるダチョウと勝ち誇った顔をするトーラ。
まるで長く付き合った友のように仲が良いように見える。
―――この二人、気が合う? のかしら…
下品にもケプッとゲップをしてから器を重ね、ハンカチで口周りを拭いてから言う。
「ま、許可証があるんなら言う事はないよ。元々あたしには関係ないしね」
「トーラ! でも…」
「教授が直々に書いた許可証でしょうに。ココノ、何が問題なのさ?」
―――許可証、って?
「んで、傭兵さん。こんな珍しい物どこで手に入れたのさ。この学園にゃ王様や皇帝様ですらおいそれと入れないよ?」
「世の中、知らなくて良い事もあるんだよ、ちびっ子くん」
「違いないね。さて、ご馳走様。行こうかレイフ。この傭兵さんに関わるとロクな事にならなそうだ」
「そうしようか。ココノ、あんまり深入りしない方がいいよ。傭兵ってのは変わり者が多いからね」
イスからピョンと飛び降り、足元に置かれていた巨大剣を引き摺るようにして持ち、食堂を後にするトーラ。
トーラの食べた食器を受付に片付け、後に続くレイフ。
二人はダチョウが侵入した件に手を出さないようだ。
それにしても、レイフはまるでトーラの付き人のようだった。
もしかすると恋人同士なのかもしれないと邪推したリヴだったが、そんなことはどうでもいい。
「くそう、ちびっ子め…負けたのは久しぶりだよ。いつか強敵になる予感だ」
「ねえダチョウ。許可証って何よ」
何が嬉しいのかケラケラと笑いながら、無言でそれを渡された。
目を通すと、このような事が書かれている。
『本証を持つ者はクリック学園、学園長の責任において、いかなる場合での立ち入りを許可する』
そして学園長のサインと、ダチョウのサインが書かれていた。
偽造の防止の為か、見る角度で柄が変化する絵や透かしなど、国が発行している貨幣にも使われている物が惜しげもなく使われていた。
「へえ、こんな物あったのね。知らなかったわ」
「まあ、結構昔に貰った物だからね。今まで使った事もないし」
どこからか取り出した菓子をバリバリと齧りながら言った。
いつも同じような菓子を齧っているが、一体どこから仕入れているのだろう。
以前、一枚貰って食べてみたが、芳ばしい香りと硬い歯ごたえに病み付きになってしまった。
「ダチョウ、私にもそれ頂戴」
「はいはい。キミも煎餅に病み付きだね」
その菓子は煎餅というらしいようだった。
聞いたことはないが、美味しいのだから問題ないだろう。
「それでバリバリダチョウの用事はバリバリ済んだのポリポリ」
「いい返事は貰えたよ。けど、顔合わせは明日になっちゃうかな? 引継ぎとかもあるらしいし」
「ふうん。私の知ってる人?」
「多分ね。引き籠ってるけど、それなりに知られてるハズだよ」
「そう。それで、その人を待つんでしょう? どうするのよ、寝る場所」
「野宿だよ。テントはあるから、その辺に設営すればいいし」
二枚目の煎餅を齧りながらダチョウの話を聞いていたリヴ。
ココノは相変わらずダチョウの顔を睨み続けている。
「そう言えばさ、僕の刀どこいったの? その黒髪くんが持ってるのは違うし」
「壊れたって。壁から抜く時に折れたんでしょ」
「壊れたって、あの刀が? おっかしいなあ」
なんでもかんでも知っているような事を言うダチョウにしては、珍しい表情を浮かべた。
「壁にあんな風に突き刺せば壊れもするでしょ。そんなに思い入れがあったの?」
「んー、まあ、予備はあるんだけどさ。勿体ないじゃん」
その言葉が終わる頃には、腰に刀が差してあった。
今まで丸腰だったハズなのだが。
「…どこから出したかなんて聞かないけど、前のと同じじゃない。何本もあるの?」
「いやいや、別物だよ。前の刀はここ、柄紐が紅と翠だったんだけどね…」
それからペラペラと垂れ流された薀蓄。
刀の事など欠片も知らないリヴにとってはとてつもなくどうでもよかったので、半分以上は聞き流していたが。
刃文の形がどうとか、切れ味がどうとか、刀匠は誰だとか。
「そんで、この刀の銘は―――」
いい加減うんざりしていると、今まで黙っていたココノが突然に口を開いた。
「その刀の銘は… <時> 三百年前に打たれた、最上大業物九工の一つ。既に製法は絶え、逸失したハズの刀…そうでしょう」
「お、黒髪くんは知ってるんだ。流石はココノの家のお嬢様」
細かくは分からないが、どうやら珍しい刀らしい。
リヴには武器を珍重する趣味はないので、気にもならないが。
「へえ、それでこの刀、高いの?」
「もうどこにもないし誰にも作れないし、値段なんて付けられないんじゃないかな」
「ふうん、そうなの」
「ちなみに…」
ダチョウが懐をゴソゴソと弄り、何か一冊の本を取り出した。
やけに古びており、片方が糸で綴じられた本。
表紙にはミミズがのたくった、文字のようなものが掛かれている。
「これが作り方を纏めた本。まあ、技能も材料も設備もないから持ってるだけだけどさ」
「そんなの邪魔なだけじゃない。捨てちゃえばいいのに」
「蒐集癖って言うのかな? 持っている事に意義があるのさ。そういえばキミは、そういうのに理解が無かったね」
ケラケラと笑いながら、ダチョウは本を懐に戻した。
リヴに収集癖はない。どころか、何かを集め置こうとする気概が無い。
武器はロード・ウェポンであるパラッシュだけ。
衣服も基本的に上下で二着ずつ、擦り切れたり破れたりしたらその都度買い替える。
冬は上にコートを着るだけだし、夏はそれを脱ぐだけ。
傭兵としてはさほど珍しい事ではないが、年頃の少女としてそれはどうなのだろうか。
「なぜ、あなたのような傭兵が、その刀を。それに、伝書まで」
「知らない方が良い事もあるんだよ、黒髪くん」
そういえばココノは、ダチョウがいう刀を武器としてもっていた。
ダチョウの持つ刀の銘も言っていたし、どうやらかなり詳しいようだ。
「ねえアカネ。あなたの刀もその、銘ってあるの?」
「<桃花>といいます。大業物十八工の一本。我が家が所蔵している四刀の一つです」
「へえ、ダチョウもアカネも、似たような刀を持っているのね」
「…っ! 全然違います!」
ココノが大きな声で叫んだ。
感情が爆発したような突然の声。
大声を出した事に自分でも驚いたのか、ハッとした顔で俯いた。
「あ、その…すみません、先輩、その…失礼します」
唖然としているリヴにそう告げると、黙って食堂を出て行ったココノ。
首を傾げ、いかにも不思議な風にリヴが言った。
「どうしたのかしら? アカネ。怒ってたみたいだけど」
「キミ、時々すっごい無神経だよね。尊敬しちゃうよ」
「ダチョウに言われたくないわ。それより、お菓子頂戴」
「はいはい。煎餅の虜だね、まったく」
もう一枚渡された煎餅を齧りながら、アカネの出て行った扉を見つめていた。
―――アカネ、本当にどうしたのかしら?
―――
―――、―――、―――
何か、音が聞こえた。
金属を叩きつけ合うと発する、甲高い音が。
そんな音がテントの外から響いてきたのだ。
それも、かなり近くから。
「ふぁ…何よ、うるさいわね…」
その音で目が覚めたのはリヴだ。
昨日はダチョウの作る料理を食べ、少し雑談をして寝てしまった。
この学園までの旅の疲れが一気に出たのか、火の始末をダチョウに任せ、設営したテントに入り、布団に入ったのだ。
辺りを見回すと、まだ薄暗い。それに、いつも一緒に寝ているダチョウがいない。
敷かれた布団が空っぽになっているが、まだ温もりが残っている。
布団から出たのはつい先ほどで間違いないだろう。
「ふぁーぁ…何してるのよ…」
テントから這い出ると、肌寒い空気に体が震える。
未だ薄暗い闇夜に、火花が浮かび上がった。そして、その火花に合わせて甲高い音が響いているようだ。
「ダチョウと…誰かしら?」
心当たりは<自治長>のスタブ・オットーだろう。
侵入者を探すのに躍起になっていたし、昼、食堂に行った時にも顔を見ていない。
<会計長>のトーラ・ドーラも<副会長>のレイフ・メタも、侵入者に対しては無関心だった。
「先輩、起きたんですか。随分とまあ、ノンビリしてましたね」
突然、背後から声がかけられた。
腰に差したパラッシュを抜き、振り返りながら薙ぎ払う。
しかし、手ごたえはない。
「そんな殺気立たなくてもいいじゃないですか。カワイイカワイイ後輩ですよっと」
目線を下げると、桃色の髪が目に入る。
憮然とした表情を浮かべた<会計長>トーラ・ドーラだ。
「トーラ? 何してるのよ、こんな時間に」
「賛成二と反対一、棄権一で<生徒会>全員、総出ですよ。あたしは嫌だって言ったんですけどね」
「…アカネの仕業ね?」
「ま、あたしは早々に負けまして。ほら、せっかくの剣がコナゴナですよ」
彼女の背よりも長大だった巨大剣は、今は無残にも半ばほどで折れ、大小さまざまな欠片が地面に散らばっていた。
それでも手放す気はないのか、短くなった剣の柄を握り鞘へと納めた。
「今はレイフとオットーが傭兵さんと戦ってますよ。けど、二人が劣勢。先輩、あの…ダチョウっていいましたっけ? あの傭兵、何者ですか?」
暗闇に慣れてきた眼が、ようやくダチョウを捉えた。
レイフの左右から迫る二本の剣を右手で持った刀で捌きつつ、スタブの手斧を左手で持った鞘でいなしている。
スタブの表情を見るに、必死に攻撃を加えているのだろう。しかし全て鞘で逸らされ、空振りに終わっている。
「さあ? ダチョウってのも偽名らしいけど」
「【異名】とか持ってないんですか? あんなに強いんですから、一つや二つあるでしょうに」
「あー…そういえば」
『ちなみに僕も異名持ち。その名も【臆病者】さ』
ダチョウに依頼をした際、確かそんな事を言っていた。
もう一年半も前の出来事だった。
しかし、これまでの旅の中で、ダチョウがそう言われていた事などなかった。
「【臆病者】って呼ばれてるらしいわよ。本人は気に入ってるらしいけど、ヘンな【異名】よね」
そうリヴが言った時、トーラの気だるげだった表情が強張る。
明らかに空気が凍った。
「それ、本当、ですか?」
「さあ? ホントかウソかなんて知らないけど。なに? 知ってるの?」
「レイフ! そいつやばいよ! 逃げて!」
トーラの声が響いた。その直後の事だ。
スタブの手斧を鞘で弾き飛ばし、鞘をレイフへ目掛けて投擲した。
突然投げられた鞘に、一瞬だけ動きが止まるレイフ。しかし片方の短剣で鞘を弾いた。
一瞬だけ動きが止まってしまった。
<峰打>
ダチョウの刀が、滑り込むような動きでレイフの首元へ吸い込まれる。
鈍い音。
膝から崩れ落ちたレイフ。技後の隙を狙い、無手のスタブが殴りかかった。
「ダメだよ、退く事も覚えないと」
弧を描いて落ちてきた手斧を空いた左手で受け止め、面で拳を防ぐ。
僅かに怯んだスタブ。その隙を、ダチョウが見逃すハズもなかった。
<一閃>
手斧を用いてスキルを発動したダチョウ。
ボロボロと崩れ落ちながらも、手斧は確実にスタブを薙ぎ払う。
風化したように、完全に跡形もなくなった手斧。
僅かに残った柄を、意識が無くなったスタブに放り投げ、言った。
「て言うか、なんで柄を切ったんだろ? 意味が分からないよ」
リーチの長い方が有利なのにと言いながら、気を失ったスタブ、レイフ両者を拾い上げ、リヴのいる方へ放り投げるダチョウ。
乱暴に投げられ、呻き声を上げたレイフに駆け寄るトーラ。
「レイフ! 大丈夫!? 生きてる!?」
「うぐ…トーラ…なんとか…」
「よかった…生きてて…」
「いたた…左手が動かないや…」
峰打ちだったとはいえ、骨が折れただけで済んだのは僥倖だったのだろう。
意識もあり、受け答えもできる。
対するスタブは、まともにスキルを受けたのだ。
手斧が崩壊し威力が随分と削がれたとはいえ、未だ意識を取り戻さない。
目立つ外傷はないが、しばらくは目を覚まさないだろう。
「さて、最後は黒髪くんか。一度にかかればよかったのに、その方が手早く済んだし」
「最初から、余り期待はしていませんでした。傭兵、決闘を申し込みます」
そう言って、真っ白い手袋を投げつけたアカネ。
貴族の間で長らく伝わっている、古い風習だ。
決闘を行う際、その旨を口頭で述べ白い手袋を投げつける。
たったそれだけだ。
勝者は敗者から、何か一つを奪うことが認められる。
それがたとえ、敗者の命であれ。
「ふうん。それでキミは何を望むんだい?」
「貴方が持つ、伝書を」
「まあ、ココノ復興の手掛かりだもんね。そりゃ欲しがるか」
懐をゴソゴソと探り、昼間食堂で見せた本を取り出したダチョウ。
「けど、僕が望む物が用意できない限り、この決闘を受ける意味はないよね?」
「これを」
朝日に照らされる二人。
柄に結ばれている紐が紅と翠の刀を持っているアカネの姿が目に入る。
リヴには見慣れていた刀。ダチョウが持っていた物だ。
「最上大業物九工の内の一刀 <彼岸> 貴方が持つ <時> と同時期に打たれた、傑作」
「あ、やっぱり壊れてなかったんだ。おかしいとは思ってたけどさ」
やはりケラケラと笑いながら、ダチョウが言う。
ダチョウは伝書を地面へと放り投げ、同じ場所に <彼岸> を置くアカネ。
「それで、決闘の内容は?」
「貴方も刀を扱う者の端くれ。<居合>は使えるのでしょう」
「問題なく」
「リヴ先輩、合図をお願いします」
そういって投げ渡される、一枚の硬貨。
なるほど、これを投げろと言う事か。
地面は固く踏みしめられている。落ちれば澄んだ音が鳴るのだろう。
それを、開始の合図とするのか。
「いいわ。私が立会人ね」
「…はい」
アカネ、ダチョウ、共に距離を縮める。まさに手が届く距離だ。
共に同じ構えを取る。腰を落とし、鞘は左手に持ち右手で刀の柄を掴んだ。
頭上へ硬貨を放り投げた。
時間が圧縮される。そんな感覚をリヴは感じ取った。
金属音が耳に届いた。
圧縮された中、コマ送りにされたように、二人の動きが見える。
発生した音が二人の下に到達する。
<居合斬>
空気が変わった。スキルを使用したのだと直感した。
先に抜いたのはアカネだった。
弧を描き、ダチョウの首を落とそうとする凶刃。しかしまだ、ダチョウは刀を抜かない。
ダチョウの刀が抜かれる。まるでコマとコマの間を隙間を縫うように、その刃は一瞬でアカネの下へ到達した。
「―――っ!」
「まあ、生まれが違う、ってことだね」
ダチョウの刃は、アカネの首の皮一枚を斬り、止まっていた。
あと僅かでも、ダチョウが止めるのが遅ければ、命を奪っていただろう。
刀を納め、ゆっくりと賭けた物を持ち上げた。
「それじゃ、返してもらうよ」
「何故です!」
伝書は再び懐へと。<彼岸> は <時> と同様に腰に携えた。
「文句でもあるのかい?」
「私が…私が先に! 刀を抜いたハズ! 抜いたんです!」
「ん、まあ、それなりには早かったけどさ、先に抜かれたのなら、それよりも早く動かせばいいだけだ」
気持ちを逆なでるようにケラケラと笑うダチョウ。
「その…刀は! 我が家の宝だった物! 何故貴方が所有しているのです!?」
「買ったのさ。随分昔にね。それで? 何が言いたいのさ。キミがこれを持った所で、上手く扱えるとは思わないけど」
「私には使いこなせずとも! 逸失しないよう今度こそ!」
はぁ…と、ため息を吐くダチョウが、呆れたように言った。
「武器ってのはね、戦う為に作られたものだ。愛でる物でも死蔵する物でもない。使ってこそ、意味がある。キミが何を目的に学園に入ったのかは知らないけど、そんな考えじゃロード・ウェポンも望み薄だろうね」
「なにを言って…!」
『そこまでにしてもらえる?』
頭上から声が聞こえた。
透明な球体に乗り、ゆっくりと降りてきた女性。その女性に、リヴは見覚えがあった。
「あまり、生徒を虐めないでもらえるかしら。ただでさえ、大事な儀式が近いのに。怪我でもしたら大問題だわ」
「それは酷い言い草だね。まるで僕が原因みたいだ」
フワフワと宙に浮いている水晶玉に腰掛け、腰まである長い黒髪を三つ編みにした、眼鏡をかけている女性。
「き、教授…?」
クリック学園学園長の突然の出現に、驚きの声を上げたのはアカネだった。
「アカネさん。貴女のお気持ちはわかります。全ての鍛造技術が失われ、没落したココノ家の一人娘である貴女の立場。それを復興したいという願い。痛いほどに。しかし、貴女は方法を間違えました」
「しかし…! なら、どうすればよかったんですか…」
アカネの眼から涙が流れた。
「私は…わたしはっ! そんな男がっ! 祖先の刀を持っているのが許せなかった! だからっ! だから…!」
一族の悲願、それを達成する糸口がすぐ目の前に現れたのだ。
自分を律する事は難しかったのだろう。
「ダチョウ、その伝書の値段は?」
「現金は嫌いなんだけどね。20万Sでいいよ」
「それじゃ、はい」
「はいはい、毎度あり」
学園長が札束をダチョウに渡し、ダチョウが伝書を学園長に渡す。
僅か十秒ほどで、伝書の所有権が学園長に移ってしまった。
これに唖然としたアカネ。自分があれほど欲した伝書が、あんなに簡単に。
「相手は傭兵なのだから、まずはお金で交渉すればよかったのです」
「そ、そんな…」
絶望するアカネ。
しかし、救いの手が差し伸べられた。
「では、アカネさん」
「はっ、はい!」
「必ず、刀の鍛造法を復興させてください。この伝書は <生徒会長> としてよくやってくださった貴女への、学園長として最後のプレゼントです」
伝書が、アカネの手へと渡された。
学園長にとっては、興味のない物だ。
意味のある物は意志のある者へ。
それが、彼女の教訓だった。
「さい、ご…?」
「ええ、この学園の運営は副学園長へ引き継ぎました。私はもう部外者です。傭兵として、外の世界へ」
気が抜けたのか、呆然としているアカネ。
未だ気を失っているスタブ。
左腕に包帯を巻き固定をしているレイフ。
何か怖い者を見たような目をしたトーラ。
いつの間にかテントは畳まれていた。今のやり取りの間にダチョウが片づけたのだろう。
「さようなら、アカネさん。それにトーラさん、レイフさん、スタブさんも。いつか敵として、出会わないように祈っているわ」
そうして歩いていくダチョウと学園長。
「あ、ちょっと! それじゃあねアカネ! 頑張りなさい!」
すこし遅れて、リヴも後をついていく。
バタバタしてしまったが、傭兵の去り際などこんなモノだろう。
学園唯一の門を潜り、しばらく歩く。
リヴが無言の空間に耐えかねた辺りで、学園長から声がかかった。
「久しぶりね、リヴさん。その後は元気にしていたかしら?」
「ええ、まあ…」
当たり障りのない返事しか返せない。
ダチョウの方に近づき、小さい声で喋りかける。
「ねえ、ダチョウ、アナタが言っていた人って…」
「ん? 昔の相棒だよ。ペンギンと、あともう一人で三人組だったんだ」
「ペンギン?」
「私の名前よ。もちろん偽名だけどね」
なるほど、とリヴは納得した。
ダチョウも偽名だと言った。どうやら、傭兵は偽名を使うことが多いらしい。
「ペンギン、さん? えっと…」
「敬語なんてやめてよ、気持ち悪い。これから長い付き合いになるんだから、普通に喋って」
「えっと、それじゃ…ペンギンは【異名】とかって持ってるの?」
「ああ【異名】ね。昔は【千里眼】って呼ばれてたけど、ここしばらくは何にも。傭兵としても活動してなかったし」
彼女、ペンギンはかつて【千里眼】と呼ばれていた。
所有している水晶玉で千里先の戦局を視通し、多くの戦いを勝利に導いてきた。
そのことから付けられた【異名】だ。
「ところで、リヴさんに―――」
「さん、ってのは止めて。なんだかむず痒いわ」
「そう。じゃあ、リヴ」
「なに? ペンギン」
「貴女の母親から伝言があるわ」
その言葉に、リヴの鼓動は早まった。
何故、ペンギンが母から伝言を預かっているのか。
同じ傭兵同士、親しかったのか。
様々な考えが頭を過った。
「…母さんから?」
「ええ『指輪、大事にしてくれ』って」
「…それだけ?」
「あのバカらしいわね。遺すものなんて沢山あったハズなのに、言葉一つだなんて」
「そうね、母さんらしいわ。あんまり喋らない人だったから」
三人は歩き続ける。青い空が広がっていた。
「ねえペンギン」
「どうしたの、リヴ」
「母さんの、話を聞かせてよ。知り合いだったんでしょ?」
「知り合い、って言うより、仲間だったわ。私と、アイツと…」
ダチョウを指差すペンギン。
煎餅を齧りながら、空を見上げてのほほんと歩いていた。
「貴女のお母さん…フォルテの三人組だったの。一緒に色々バカやったわ」
「ま、色々とね。面白い事ばっかりだったよ。そういえばさ」
懐をゴソゴソと探り、一つの指輪を取り出した。
一年と半年前、リヴがダチョウに依頼をした際、対価として渡した物だ。
「この指輪、キミに返すよ。それなりに面白かったからね。それに、キミからの依頼も終わりでいいだろう」
ポン、と投げ渡された指輪を、指に通すリヴ。
「それで、キミはどうする。僕としては、もう一人立ちしても大丈夫だと思うけど」
「着いてくわよ、もちろん」
一瞬の迷いもなく、リヴは答える。
「母さんも、アナタ達と一緒に戦ったんでしょ? 娘の私が同じ道を辿るなんて、運命的で面白いじゃない」
「へえ、キミも分かるようになったね」
「キミは止めて。リヴ、って呼んで。これから一緒に戦うんだから」
「言うようになったね、リヴも」
ケラケラと笑うダチョウ。今までと変わらずに。
「それで、どこに行くのよ」
「北、かなあ。そんな予感もするし」
「そんな予感って、どんな予感よ?」
「案外、このバカの予感は当たるわ。戦いに関してだけは、別格だから」
彼女ら三人は北へ進む。
それは、世界を揺るがす【強大な魔物】が出現する二ヶ月前。
そして、それをただ三人で倒した、ブリーズと呼ばれる傭兵グループが誕生した日だった。
今回、比較して登場人物が多いため、多少ゴチャゴチャするかもしれません。
※以下、登場人物の解説
・リヴ [Liv] 18歳 165cm【剣姫】
一年と半年前にダチョウへ依頼をし、傭兵となったリヴ・カーチスその人。
家とは縁を切っている為、単にリヴと名乗っている。ダチョウと共に数々の依頼を成功させ、世界にその名を轟かせた。
『パルス殲滅戦線』や『ヒート撤退戦』などの凄惨な戦場を生き延びる【銀針金】と名の知れた傭兵を殺すなど、その力は徐々に強くなっている。
まだ若年ながら【異名】を付けられており、ダチョウには及ばないもののその強さは計り知れない。
時折、空気を読まない無神経な物言いをするが、戦い以外は単に天然なだけである。
・ダチョウ 25歳 175cm【臆病者】【薙刀】
およそ一年と半年前、リヴからの依頼を受け旅を続けてきた。
半年ほど前にリヴが【異名】を手に入れてから稽古をつけており、リヴが強くなるのに一役も二役も買っている。
その経歴には謎が多く、噂によると数百年前から延々と傭兵を続けているという。
所持している刀は最上大業物九工 <彼岸> <時> <薫> <新> 等。これらは初代刀匠フジ・ココノが打った名刀中の名刀。
刀そのものにスキルが宿り、ロード・ウェポンでないのにスキルを使う事が可能となる。
これは現在では逸失した技術であるが、十三代刀匠が目下研究中。
・ペンギン 21歳 159cm【千里眼】【学園長】【教授】
クリック学園学園長を務める女性。
協会にのみ設置されている <特殊儀式用魔法陣> の敷設に当たり、色々な策謀(自身が傭兵だった頃に得た弱みやコネ)を使ったらしく、裏方仕事に適性を持つ。
学園長と言うのも名ばかりで、学園行事に顔を出してはいたが実務全般は副学園長に任せきりだった。
かつてはダチョウ、フォルテと共に三人で傭兵として活動していた。
当時の異名は【千里眼】である。広域探知の術式を用いて戦場の動きを把握し、最適な支持を出すことが得意。兵士と言うより指揮官。
白兵戦ではAクラス程度の魔物を簡単に屠るなど、戦闘面でも隙のない力を持つ。
彼女のロード・ウェポンはバレーボール大の水晶玉。探知術式の増幅や負担軽減など、補佐に特化した性能を持つ。
・アカネ・ココノ [茜 九] 18歳 167cm <会長>
東の国 極東の島国出身、刀鍛冶を輩出するココノ家の息女。
ココノ家、十三代刀匠(ココノ家では一族の代表を刀匠と呼ぶ)を継ぐ立場にあるが、今の家の在り方に不満を持っている。
過去の栄光に縋り付いて意を借り、それでも駄作しか作ることの出来ない現状を打破したいと思い<学園>へと入学した。
<学園> 卒業後は、学園長から進呈された伝書を元に刀の作製に成功するが、まだまだ初代には及ばず、修行を続けている。
所持している刀は、大業物十八工の一本 <桃花> はまぎれもない初代刀匠フジ・ココノの打った名刀であるが、宿っているスキルは <居合斬> のみ。
・トーラ・ドーラ [Tora Dora] 16歳 153cm <会計長>
西の国 中央の街出身、没落したドーラ家の一人娘。
かつては栄華を誇ったドーラ家であったが、当主に反乱疑惑が浮かび上がる。本人は否定するが、周囲の証言と共に証拠が続々と発見され、爵位剥奪及び当主は処刑された。
残された母親とトーラは路頭に迷うが、素質のあったトーラは母親と共に傭兵として生計を立てていた。
しかし一人の傭兵に敗北を喫し、母親を喪いながらも命からがら生き延びた。その経験から強さを求め <学園> へと入学した。
<学園> 卒業後、しばらくはギルド員として依頼を受け生計を立てていたが、レイフと共に突如、傭兵へと転身。数年後には【毀し屋】の再来として畏れられ【首狩】の【異名】を名付けられた。
・レイフ・メタ [Rafe Meta] 17歳 176cm <副会長>
西の国 中央の街出身、代々ドーラの家に仕えていたメタ家の次男。
家がドーラの家に仕えていた事に加え、年が近い事もありトーラとは幼馴染であったが、ドーラ家の没落と共にその関係が途切れ、トーラの身を案じていた。
ドーラ家没落事件の際、それを庇う事もせず傍観していた実家に猜疑心を持ち、同時にトーラを護ることが出来なかった自分に無力感を抱いており <学園> でトーラと再会した以後は、彼女に付き従っている。長男が家を継ぐ事が決まっている為、比較的自由を許されていた。
<学園> 卒業後はしばらくギルド員としてトーラと共に依頼を受けていたが、長男の事故死により実家へと連れ戻される。
自らが当主となった際、前当主(自らの父)がドーラ家の当主を陥れた事が発覚し、その場で殺害した。
その後、償いをする為にトーラに全てを打ち明け、自害をしようとした。しかし全てを許され、共に傭兵となる。
前衛に立ち、まるでトーラを護るように戦闘を組み立てる事から【愛盾】と呼ばれるようになる。
・スタブ・オットー [Stub Otto] 19歳 182cm <自治長>
南の国 北の村出身
目立った特産のない、国から見放されたような寂れた村の出身。
その村は常に魔物の脅威に晒されており、ギルドへ依頼を発注している。その為、いつまでたっても貧乏のままである。
彼は村にいた同年代の者の中でも特に体が大きく、更に頭脳も明晰だったため、村の期待を背負って<学園>へ入学を果たす。
その経緯からか人一倍功名心が強く、尊大な態度を取ることもあるが、それは全て村を発展させるために追い詰められているからである。
<学園> 卒業後は村へと戻り、魔物を退治する日々に明け暮れている。
数年後には村長の娘を娶り、一男二女の家庭を設ける。