こりゃあ、たまるか
「おお?何じゃ?箱の中に人がおるがよ。」
わたしは、坂本さんをリビングに通した。そこで、テレビを点けっ放しにしていた事に気づく。洗濯物を片付けたら直ぐに戻るつもりだったのだが、坂本さんが現れたのですっかり忘れていた。
坂本さんは、玄関先ではひどく落ち込んでいた。わたしはその様子から、どうやら本当に時を超えてきたのではないかと思い始めていた。彼をどう慰めるべきかと思案し、とりあえずお茶でも入れて、もう少し話をきいてみようかと思っていた。けれど、坂本さんはリビングでテレビを見つけるや否や、すっかり夢中になってしまったようだ。
わたしはポットに水を入れ、沸騰のスイッチを入れる。彼は目をキラキラと輝かせて興奮し、テレビに近づいて行く。テレビの裏や表を交互に見比べては、どういうからくりだとか、これはすごいとかで大はしゃぎしていた。
「おおい、おまん。これは新しい道具かえ?まっこと、面白いのう。これはどうやって中に入るがか。ワシも入ってみたいぜよ。」
「これ、テレビって言うんです。電波を受けて映像が流れてるだけやから、中には誰も入っていませんよ。」
「むう。なんや、ようわからんちや。お?あれはなんじゃ?」
坂本さんが首を捻りながら次に見つけ、指さしたのは水道だった。
「井戸で水を汲まんでも、ここを捻ったら水が出ます。便利でしょ。」
わたしは、蛇口を捻って見せた。出てきた水を今度は鍋で受けて、そのまま火にかける。
「ひゃー!たまるか!まっこと便利じゃ。」
「お湯も出ますよ。」
「なんと!」
そう言いながら坂本さんは、まるで新しい玩具を与えられた子供のように、蛇口を捻ったり戻したりしている。先ほどまでしょんほりと力無く肩を落としていたのに、すごい変わりようだ。コンロにも興味を持ったらしく、火がついているのにガスのチューブを引っ張るものだから少し焦った。
「そういえば、おまん、名を聞いてもえいかの?」
「はい。藤沢あかねです。」
「そうか、あかねさんか。えい名やのう。」
坂本さんはにっこり笑った。
先程の鍋が沸騰し始めている。わたしは鰹節を一掴み鍋に入れ、コンロのタイマーをセットした。坂本さんには、コンロについても一通り説明すると満足してもらえたようだ。嬉々として観察する坂本さんだったが、次の瞬間には急に火が消えたようシュンとしてしまった。彼はじっとコンロの火を見つめて呟く。
「ほんまに未来に来てしもうたんかのう。こんな技術は、まだどこの国にもないはずやきに。ワシは帰れるんじゃろうか。せねばならん事を、こじゃんと残しちゅうがよ。はあ、困った。」
坂本さんは大きくため息をついた。新しい技術に興味津々、といった具合だった。けれど、それが彼の本来いたはずの時代から、随分と進んでしまった事を裏付けることにもなってしまったらしかった。
「・・・大丈夫ですよ、きっと。来られたんやから、帰れるはずです。探しましょう、帰る方法を。わたしも手伝いますよ。」
坂本さんはありがとう、と言って笑った。けれどその笑みは、漠然とした寂しさや不安も感じられる。わたしは、少しでも役に立ちたいと思った。
わたし達は台所を出て、先程坂本さんが飛び出して来た箪笥をもう一度開けてみることにした。箪笥を置いている部屋に入ると、やはり醤油の匂いがする。
「さっきから、なんか醤油くさいんです。ここには醤油なんて置いてへんのに。」
「おお、これはもしや!」
「心当たり、あるんですか?」
「近江屋は醤油屋やきに、建物中に醤油の香りが漂っちょった。その匂いがするぜよ。」
「そうなの?じゃあ、今なら帰れたりして・・・?」
わたしは期待を込めて引き出しを開けた。中は一瞬だけ淡く光り、その光が渦を巻くように漂っている。しかし、それは本当に一瞬のことで、直ぐに消えてしまった。何事もなかったかのように、ただの引き出しに戻ってしまう。
わたしは坂本さんに視線を移した。彼は引き出しを見つめたまま、愕然とした表情で座っていた。眉を八の字に下げて困り果てた顔をしていたが、視線に気付いた坂本さんはわたしに向き直り、ゆっくりと口を開いた。
「道が、なくなってしもうた。けんど、望みも見えたぜよ。この引き出しが鍵を握っちゅうことは間違いないと、ワシは思うがよ。」
「そういえば、醤油の匂いも消えましたね。どうしたら向こうと繋がるんやろう・・・?」
「むう。そうやねゃ。それは今から考えるき。」
坂本さんはその場にあぐらをかきなおし、袖を袋手にして考え始めた。首を捻って、うーん、と唸る姿がなんともお茶目で、わたしは小さく微笑んだ。
「坂本さん。とりあえず夕食にしましょうか。大したもんはないけど、食べてください。」
「い、いや、そのような施しを受けるわけには・・・。」
「『武士は食わねど高楊枝』ってホンマやったんですか?気にせんでいいのに。」
「しかし、タダより高いもんはないと昔から言うつろうが。」
「食べてください。わたしひとりで食べにくいですから。それに、お風呂も入ってください。」
「いや。ワシ、風呂は好かんき、えいがよ。」
「・・・いつから入ってないんですか。すごく臭うんです、坂本さん。頼むから入ってください。」
「ほ、ほんまか?ワシ、フランス製の香水を付けておるがやけんど、臭うかえ?」
「・・・その分、余計に臭うというか・・・。」
坂本さんはショックを受けたようだ。がーん、と鈍器で頭を打たれたような表情で固まってしまっている。
「ほら、もう沸きますから。その間に食事も用意をしときます。お風呂の使い方も説明しますから。早よう入って、ちゃんと洗ってください。」
喋りながら、わたしは坂本さんを連れてずんずんと風呂場へ向かう。坂本さんは引きずられるようにしながらついて来て、何やらぼそりと呟いた。
「はあ・・・おまん、お加尾さまみたいやのう・・・・。」
「え?何か言いました?」
「い、いや、なんでもないき。気にせんちょき。」
わたしは坂本さんにシャワーやシャンプーについて一通り説明し、彼をお風呂に押し込んだ。彼は臭いと言われたことが相当効いたらしい。連れて行くと、すごすごと入ってシャワーを流し始めた。
坂本さんは如何にも不潔な格好をしていたが、石鹸の事は知っていて話は早かった。外国人と取引をしたことがあるらしく、そうするうちに得た知識らしい。当時の石鹸は相当な高級品だったそうで、殿様への献上品にすらなったそうだ。
わたしは主人の寝間着を出してきた。坂本さんの着替えのために貸そうと風呂場に用意する。サンマも、坂本さんの分をもう一匹グリルに入れて火をつけた。