後篇
むかしむかし、別の世界に行ってしまった人がいました。
その人は結局元の世界に帰れなかったそうです。
その代わり、同じ顔をした同じような人が帰ってきたのだそうです。
その人は、人間の手で作ったようには見えない服を纏っていました。
それは「きかい」というもので作られたと、その人は言いました。
そしてその人は、最期にこう言ったそうです。「この世界は下書きだ」と。
*****
「退屈だわ」
サロメ・ノーブレスは暇を持て余していた。彼女はこの地域を治める貴族の娘だった。本来ならとっくによそへ嫁いでいてもおかしくない年齢だったが、彼女は生家から未だに出たことがなかった。というのも、彼女は生まれつき体が弱く病気がちであったため、外出が不可能だったからだ。その上、幼い頃に医者から長くは生きられないと言われたせいで、見合い話も全く来なかった。そのため彼女は、友人もなく恋愛も知らずに今日まで淡々と過ごしてきたのだ。
そして今日も、特に何をするでもなくただ部屋の窓を開けてそこから外を眺めていた。彼女の部屋は高く正面の通りに面していたため、行き交う人々を眺めるのは暇つぶしにもなった。
ビュウッ
突然強い風が吹いた。それと同時に、見たこともない粗末な帽子がサロメの部屋に飛び込んできた。帽子はふわりと彼女の手に落ちた。
驚いて外を見渡すと、一人の青年が慌てた様子でキョロキョロと何かを探していた。それを見たサロメは、手に持った帽子を青年に見えるように窓から出してひらひらと振った。
青年はそれに気づいたようだった。彼はサロメをみるとぺこりと頭を下げた。
それを見たサロメは少し考えた。どうやってこの帽子を彼に渡そうか。どうせなら直接渡したい。彼女の両親は三日前から出かけていて、あと十日は帰らない。使用人の大半は両親について行ってしまっているため、今屋敷にいるのは警備の者と彼女の身の回りの世話をする者だけである。その彼らも、彼女がいつも部屋にこもっていることを知っているため、あまり干渉はしてこない。おそらく彼らの目を盗んであの青年のところへ行くことは可能だろう。
そう結論を出すと、サロメは青年に向かって手を振って屋敷の庭を指し、自身も庭へ向かった。あそこには確か格子状の通用門があり、門を開けなくても外とつながっているはずだ。
***
サロメが通用門のところに着くと、門の向こう側にはすでに青年が待っていた。
「ごめんなさい。待たせたかしら?」
サロメがこう問うと、青年はとんでもないという風に首を振って答えた。
「いえ、そんなことはございません。届けていただけただけでも礼の尽くしようがありません」
どうやら青年は彼女のことを知っているようだった。
「そうかしら? ところで自己紹介がまだでしたね。私はサロメ・ノーブレスと言うものです。あなたは?」
「僕はジャスティン・オーディと申します。失礼ながら貴方のことは、少し前から知っておりました」
「あらそうなの?」
やはり、彼は彼女のことを知っていた。だが、彼女の方は彼のことを全く知らなかった。
「はい。貴方はいつも窓から外を見ていました。僕はここを通る度、貴方のことを見上げていたのです。なんて悲しそうな顔をしているんだろうとずっと気になっていました」
サロメは驚いた。何気なく外を見渡していたが、まさか自分を見ている人がいたとは思いもしなかった。
「私、悲しそうな顔をしていたのね。毎日が退屈でたまらなかったから……でも貴方とこうして話をしているのはとても楽しいわ。しばらく誰とも話していなかったから。ねえ、明日もここに来て下さらないかしら?」
両親以外で自分のことを少しでもしゃべったのは初めてだった。
「喜んで」
***
それから毎日、二人はここで話をした。サロメの家の使用人たちの中には彼女の行動に気づいている者もいたが、特に二人のことを咎めはしなかった。それは彼女の両親が帰って来ても変わらなかった。先が短い娘のことを気遣っていたのかもしれない。
何日か話しているうちに、二人は互いに引かれ合っていることに気付いた。気持ちを確かめ合ってからは、毎日がより一層楽しくなった。
しかしそれもそう長くは続かなかった。サロメの命に限界が来てしまったのである。
***
サロメの部屋には彼女と両親の三人だけだった。母親は今にも息絶えてしまいそうなサロメの手をずっと握っていた。本当ならばサロメはジャスティンもここに呼びたかった。だが、今回ばかりは両親が身分の違うものを家に入れることなどできないと頑なに拒否したのだ。
「ああ……最期…に……彼に会い…たかった……」
サロメは息も絶え絶えに、悲しげに呟いた。
「もしも……生まれ…変われるなら……今度…は貴族なんかじゃなく……彼のよう…に平民に生まれたい……そうしたら誰…にも何も言われずに……彼…といら……れる」
それが彼女の最後の言葉だった。
***
ジャスティン・オーディは困惑していた。いつもなら彼女がいるはずの通用門に彼女がいなかったのだ。彼は言葉を交わす前から彼女のことが気になっていた。彼女はいつも窓際に座って外をぼんやりと悲しい顔で眺めていた。初めは貴族のお嬢様にもいろいろあるのだろうと気にしていなかったが、仕事帰りにそこを通る度、毎回見上げても彼女はずっと変わらなかった。そのうち、かっこ悪いきっかけではあったが、彼女と話せるようになった。そして話しているうちに、彼女のことがだいぶ分かるようになり、彼女に引かれるようになった。
その彼女が今日は来ていなかった。彼女の体の話は聞いていたため、ジャスティンは今日は体調が優れないのだろうと思い、特に気にせず自宅に帰った。
しかし、次の日もその次の日も彼女は現れなかった。
ある日、ジャスティンは屋敷の警備兵にサロメのことについて尋ねた。
「お嬢様? それならもう、十日程前に亡くなられたよ」
ジャスティンは目の前が真っ赤になったように感じた。彼は震える声で言った。
「それなら……何で僕に何の知らせもなかったんだ。最期に一目でも会わせてくれなかったんだ……」
それを聞いた警備兵は少し申し訳なさそうに言った。
「お嬢様も君に会いたがっていたそうだよ……でも旦那様と奥様が『下賤な者を屋敷に入れる訳にはいかない』とおっしゃって……」
そこまで聞いたところでジャスティンは走り出していた。彼を引きとめる声があったような気もしたが、彼はただひたすら目的地もなく走った。そうしていないと絶望に押しつぶされそうだった。
――何で僕は彼女の最期に一緒にいてあげられなかったんだ……! 僕が平民だからか? 何で僕は彼女と同じ貴族じゃなかったんだ! もしも次があるのなら僕は彼女のように貴族になりたい! そうしたらきっと最期まで彼女といられるんだ!
その後彼は行方をくらました。彼の姿を見た者は誰もいなかったという。
*****
あのね 人生は二回あるんだよ
二回目はね 一回目で願ったように生まれるんだよ
こんな話があるんだ
むかしむかし、身分の違う恋人がいました。
二人は身分違いのせいで最期に会うことができませんでした。
だから彼らは願いました。
今度はあの人の身分になりたいと。
そして二人は次の人生で、
願った通りに生まれました。
読んでいただいてありがとうございました。これで完結です。
二人は互いの身分を望みました。そしてその望みは叶ったのです。
しかしその時意思疎通ができなかったため、一緒にはなれませんでした。
そして、もうない次に希望を託してしまったのでした。次がある確証なんてどこにもないのに。




