前編
知ってる? 人生はね 二回あるんだって
一回目で死んだらね 二回目の人生が始まるんだって
だからね
最初の人生はただの練習、ただの下書き 死んでもいいんだってさ
*****
最近開発されたという街灯が、かすかにともる夜の街並み。雪に包まれた冷たい家々の間を、若い男女が手を取り合って走っていた。手を引く男の方は、質の良い新しい服を上等なカシミアのコートで覆っていたが、引かれる女の方は、着古された服の上にこれもまた着古されたウールのコートをかぶっていた。
「ねえ、ユスティン」
女は少し息を切らせながら、自分の手を引く男に尋ねた。
「私たち、どこまで行けばいいの?」
尋ねられた男、ユスティンは振り返り、しかし足は止めずに答えた。
「もうちょっとすれば駅がある。そこに行けば鉄道に乗れるんだ。そしたら絶対逃げられるはずだ。あと少し頑張ってくれ、サロメ」
「分かったわ」
そう言って女、サロメは少しだけ笑顔を見せた。街灯は彼女の美しい金髪を明るく照らしていた。
そこからは言葉もなく、ただ二人は走り続けた。そして五分程経ちようやく街並みを抜けると、できてまだ新しい鉄道の駅が目の前にどっしりと立っていた。
「すごい。私ここまで来たの初めて。こんなものがあったのね」
サロメは感嘆の声を上げた。彼女は家から、あまり離れたことはなかったのだ。話だけは聞いていたものの初めて見る鉄道は、彼女の目を輝かせた。
「そうか。でものんびりはしてられない。今日の最終便が行ってしまうからね。それにうちの追手がいつ来るとも分からない。急ごう」
ユスティンの方は落ち着いていた。彼は何度もここに来ていたため、別段珍しいものは何もなかったのだ。
「そうね、急ぎましょう。でもどこに行けばいいのかしら」
「僕の知り合いがいるはずだから、そこへ行こう」
サロメも落ち着き、二人は駅の中へとはいって行った。
「やあ久しぶり、でもないな。昨日会ったしな」
「これはこれはユスティン様、こんな時間にどうなされたのですか?」
中にいたのは三十代に見える男性だった。挨拶のそこそこに、ユスティンは自分たちを目の前に止まっている列車に乗せるように頼んだ。だがその男性は、それを聞くと渋い顔をして言った。
「しかしユスティン様、この汽車は貨物用です。貴方様のような方を乗せるようなものではありません。それでもよろしければ、少々空きはありますから人二人を乗せることは可能ですが……」
それを聞いた二人は顔を見合わせて頷き合った。
「それでいい、頼む」
「お願いします」
二人の返事を聞いて、男性は頷いた。
「分かりました。ご案内します。それと荷物の運び込みはすでに完了し、点検も先程終了いたしましたので、すぐの発車となっております。お急ぎ下さい」
「ありがとう、助かった。それとこのことは絶対に誰にも言うな」
「かしこまりました。ではこちらへ」
***
走る汽車に揺られながら、二人は話し合っていた。二人とも、今後のことを思うと涙が止まらなかった。
「どうして、こんなことになったのかしら……私たちは……」
サロメは涙を拭いながら呟いた。
「そうだな……僕たちは、確かに愛し合っているのに……。何で父上たちは認めてくれないんだ……」
ユスティンは項垂れていた。
「身分制度は少し前に廃止されて、市民は平等になったはずなのに……どうして立場が違うなんて言われてしまうの? どうして……」
「資本家の息子と労働者の娘だからって、あそこまでして引き離さなくてもいいじゃないか……。何が『お前にはもっと高貴な家柄の者がふさわしい』だ……」
社会から身分が消えても、人の心からは消えない。大資本家であるライヒ家の息子と労働者階級のフリーデン家の娘の仲を認める者は、誰一人としていなかった。それどころか、よってたかって二人を引き離そうとした。だからこそ二人は逃げてきたのだ。共にいられる場所を探して。
しばらくすると、今までの疲れから二人は眠ってしまっていた。
汽車は目的地に向けて走り続けている。
***
「お二人とも、着きましたよ」
二人を起こしたのは、その車両から荷物を運ぼうとする作業員の声だった。二人は飛び起きると、軽く礼を言って汽車を飛び出した。外はまだ日が昇るには時間があるようで、暗いままだった。
彼らが着いたのはどうやら田舎のようだった。しばらく進んで周りを見渡しても、辺りに家は少なく広大な畑がどこまでも広がっていた。
とりあえず、どこかの家にお世話になれないかと訪ねようとした時、
「見つけましたよ、ユスティン様」
急に後ろから声を掛けられて、二人ははっと振り返った。
「おまえ……」
おそらくライヒ家の使用人だろう。ユスティンは何となく彼に見覚えがあった。
「私をご存じでしたか。それなら要件はお分かりですね?」
「僕は帰らない。皆がサロメのことを受け入れないのなら」
ユスティンはサロメを庇うように立った。サロメの方は完全に怯えてしまっている。
「何故僕らがここにいると分かった。聞いたのか?」
「いいえ、全て旦那様のお考えです。おそらく貴方がたは近いうちに鉄道を使って逃げるだろう、と言うことで、私どもをそれぞれ鉄道のある場所に予め待機させておいたのです」
「そんな……」
サロメは息をのんだ。今まで逃げてきたのは何だったのか。
「それでも僕は帰らない。それと……おまえを帰す訳にもいかない」
ユスティンはそう言うと、おもむろに相手に近づき、懐から護身用のナイフを取り出すと、迷わず相手の喉元に突き立てた。
一瞬のことだった。追っての男は血だまりに倒れて動かなくなった。
「ユスティン……」
「……急いでここを離れよう」
「……そうね」
もう後戻りはできない。サロメは涙をこらえて、歩き出したユスティンに続いた。
***
人目を避けて歩き続け、二人は小さな森にたどり着いた。いつの間にか日が昇り、木々をほのかに照らしていた。
「あのね」
サロメが静かに口を開いた。
「どうした?」
「私、聞いたことがあるの。実は人生は一度っきりじゃない、二回あるんだって」
「それは本当なのか?」
ユスティンは初めて聞いた話だった。サロメは頷くと続けた。
「それでね、一回目の人生は絵画で言うと下書きにすぎなくて、本番は二回目の人生なんだって」
サロメは悲しげに続けた。
「昔、もう一つの人生の世界に迷い込んでしまった人がいたの。その人は帰って来るなりこう言ったそうよ、『ああ私は練習だった』って」
「それなら……僕たちは一回目なのか?」
「たぶんそう。なんでも、二回目は一回目で望んだように生まれるらしいの。私が前にこんな不幸を望んだはずがないわ」
自分だって同じだ。ユスティンはそう思った。もし今の人生が二回目だとして、かつての自分がこんなことを望んだとは考えられない。
「なら、こんな苦しい人生は今すぐ終わらせて、二度目の人生に賭けてみようか」
ユスティンは明るさを込めて言った。
「ええ、私もそう言おうと思ったの」
サロメの言葉を聞き、ユスティンは頷くと、洗いはしたものの先程人を殺したばかりの護身用ナイフを取り出した。
「今度は絶対二人で幸せに生きよう」
「ええ、ずっと一緒にいましょう」
***
朝日が輝く中、二人の人間が世界から消えた。
次で終わる予定です。