変化の兆し
「キーラ様いいかげんきちんと食事をとって下さい。」
ワズリーは少々困った表情でテーブルの上に置かれた皿に目を落としていている。
最近皿を片付けに来るワズリーは毎日のようにこう言う。もはや口癖だ。さすがに今日は朝食同様、昼食の皿もほとんど手を付けていなかったから余計だ。
「そう言われても、お腹が空かないんだもの。仕方がないじゃないか。」
「しかし、朝も昼もこれではお体に良くないですよ。」
「ここにいる時点で十分体に悪いよ。」
それなりの大きさの塔ではあるがキーラが動き回れるのはこの塔の内部のみ。外の世界と比べたら狭すぎる空間だ。
軽い運動も出来ないのだから体は鈍るばかりで空腹を感じることなんてここ最近全くといっていいほど無い。
そんな不満が思わず自分の中からあふれ出てしまった。
「キーラ様…。」
こんな事ワズリーに言っても仕方がないことなのに、これじゃ八つ当たりだ。
「ごめんワズリー。でも本当にあまり食べたくないんだ。」
夜はちゃんと食べるから、と付け加えてからキーラはまた窓の外を、空を見上げた。雲ひとつない良い天気だ。
「ん、何でしょうな?」
食器の片付けを終えたワズリーは何かに気づいたらしく塔の入り口の大門に目をやった。
キーラもつられて見てみると何やら門番が誰かともめているようだった。
「いちおう見て参ります。」
ワズリーが部屋を出て行った後キーラは出窓に上がってその様子を見守ることにした。門番と話しているのはどうやら子どものようだ。
「帰れ。ここは民間人を通すわけにはいかないんだ。観光なら他を当たってくれ。それともクレメンティアの財宝が目的なのかな海賊くん?」
門番はやれやれ、といった様子でいかに目の前の少年を追い払うか思考を巡らせているようだった。
「海賊が盗むのは金銀財宝だけとは限らないさ。こんな寂れた塔にそんな物があるとも思えないしな。オレの目的はここにいる囚われの王子様さ。」
門番の反応をよそに少年はいつも公演でやっているように海賊を演じてみせた。
「何を言っているんだおまえは。これ以上ふざけたことをぬかすと本当に牢にぶち込むことになるぞ。」
先程までのめんどくさそうな顔とは打って変わって明らかに怒り爆発寸前の雰囲気だ。
冗談の通じないオッサンだな。
「誰も本人を外へ連れ出すとは言ってないだろ。オレが救いたいのはせめてキーラとかいう王子様の心だよ。」
今度は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
実に表情豊かなオッサンらしい。
「祭りに行くどころか外にさえ出られないって聞いてね、そんなの退屈だろ。だからさ、これを渡してほしいんだ。」
そう言って少年は手のひらに納まるほどの小さな包みを取り出した。
「何処の誰かも分からん奴から、しかもこんな得体が知れない物をキーラ様に渡せるわけ無いだろう。」
「なら自己紹介するさ。オレは幻想旅団所属の道具係り兼団員のクレドだ。それにコレは得体が知れない物じゃなく、祭りの名物のお守りの一種だそうだ。」
門番が何か言いたそうにしているが無視して続ける。
「店の人にお守りの起源とか詳しく話してもらったけどオレにはよく分からなかった。でもこの国の人間ならよく知ってるだろ。願い事が叶うらしいよ。」
「いいか、王妃様の許可なしにこの塔に人は入れられないし、そんな物も受け取れない。私が預かることを許されているのは正式な国書だけだ。分かったらもう帰ってくれ。」
「そこをなんとか。食べ物だと好き嫌いがあったら困るし、さんざん迷って祭りの名物の工芸品だって聞いてこれを選んだんだ。」
これぐらいすぐに受け取ってもらえると思っていたクレドにとっては大誤算だ。
「食べ物なんてもっての他だ。毒でも入れられていたらどうするんだ。」
「毒って、なんだよそれ。オレが悪人だっていうのか?」
「そうは見えんが規則なんだ。」
「頭カタイな。」
「黙れ、この国のことも良く知らないよそ者が。もしこんな現場をエネル王妃派の人間に見られたら面倒なことになる。」
これ以上話しても無駄のようだ。
「わかったよ。今都合が悪いなら出直してくるよ。それじゃ。」
それだけ言うとクレドは幻想旅団テントの方角へ走り出した。
「だからもう来るな!来るんじゃないぞ!」
走りだして行った少年の背に門番は力いっぱい叫んだ。
ふと時計を見てみると、長々とあの少年に付き合わされたせいで門番の交代時間を過ぎてしまっている。
「はぁ。本当ならキーラ様の話し相手になって欲しいくらいだよ。まったく。」
「全く同感だな。」
門番の背後。ふう、とため息まじりに呟くその声の主、ヴィル・カーナに気づき門番の男は慌てて姿勢を整えた。
「楽にしていていいさ。城の中でもないのだから。」
「とんでもありません。」
「ワズリーに聞いて来てみたんだが、さっきの子どもは?」
「はい、観光客か何かのようでこの国の者ではないようでした。何でもキーラ様にお渡ししたい物があるとかで。国書など正式なものではないので受け取りませんでしたが。」
「渡したいもの?」
「ええ。祭りの露店で買ったものだと言っていました。外に出られなくて退屈だろうから渡してほしいと。」
何と喜ばしいことだろう。ヴィルが最初に持った感想はそれだった。
「君、名はなんと言ったかな?」
「はい、ジータ・レバルであります。」
「ジータ、次にあの少年が現れたら品物を受け取ってくれて構わない。」
「よろしいのですか?」
ヴィルの言葉は門番にとって全く予想外のものだった。
しかしこれはヴィル本人にとっても意外だった。まさか自分がこんな判断をしようとは。
「もちろん内密に頼む。エネル王妃派に知られないようにな。」
「はい。承知いたしました。」
「嬉しいことだよ。キーラ様を気に掛けてくれる者は確かにいる。」
「そうですね。」
すでに陽は傾き、空は夕闇と化している。陽が落ちては昇り、その繰り返しで時は流れている。単調だったキーラ様の時の流れに僅かながら変化の兆しが見えてきたのかもしれない。ヴィルはそう感じずにはいられなかった。