東門の塔へ
「はぁぁ、なんか肩こっちゃった。」
言いながらキーラは本を閉じた。
「随分と長いこと読んでおられましたからね。」
「なんか、目も疲れた。あ、ヴィル今日はもう帰っていいよ。僕は平気だからさ。」
「キーラ様、私に気を遣う必要は無いと申し上げたはずですよ。」
なるべくキーラ様のそばにいること。それが最悪の処分決定を避けられなかった自分に唯一できる事だ。
「そんなんじゃないよ。今日ヴィルがこんなに本を持ってきてくれたからさ。あと1冊くらいは読んじゃおうかと思って。」
キーラは本の山から次の本を取り上げる。
「僕が読書する様子を観察しててもヴィルは楽しくないでしょ?」
そう言っていたずらっぽく笑うキーラを見てヴィルは少し救われた気がした。
「そうですか。それでは今日はこれで失礼します。何かあればすぐに駆けつけます。」
「ありがと。そうだ、また面白そうな本があったら持ってきて。」
「喜んで。それではキーラ様また明日。」
笑顔で手を振り、ヴィルを見送ってからキーラは大きなため息をついた。
「帰らないで、なんて言えるわけ無いじゃないか。」
持ってきてもらった本は確かに面白かったが、本当はこんなに一気に読む気はなかった。
出来ればゆっくり、一日一冊ずつぐらいにしたかったのだが今日だけで八冊も読み終えてしまった。
読書に没頭しているふり。
こうでもしなくてはヴィルは安心して帰れないだろうと思ったのだ。
おかげで本はもう三冊しか残っていない。
明日の午前中には読み終えてしまうだろう。
そんな貴重な本を片手に出窓に座ると、ぐるりと自分の棲み処を見回してみる。
テーブルにベッド、本棚や机など必要最低限の家具しかない。自分の持ち物も服ぐらいしかない。持って来たかった物もあった。だが母ユリアネの処刑が決まり、執行されてしまうと晴れて第一王妃となったエネルの手はあっという間にキーラにまで伸びた。
母の死を悲しむ間もなくこの塔へ連れてこられた。城に残してきた自分の私物は恐らく処分されてしまったのだろう。母との思い出の詰まった品も、今は何一つキーラの手元には無い。
もう二年、ここに閉じ込められているが自由になれる日は来るのか、それよりエネルによって処刑される方が先なのか。
もしかすると鳥籠に入れられた鳥もこんな気持ちなのだろうか。大きな変化も無く、狭い籠に入れられて自由に飛び回ることも出来ない。
しかし大きな変化は突然キーラに訪れた。
背をもたれかけていた窓ガラスがカツン、と音を立てたのだ。何かがぶつかったようだ。
気になって振り向いてみたがガラスは鏡のように自分の姿を映して外の様子はわからない。
キーラは体ごと窓のほうに向き直って開けてみる。だが外に特に変わった様子はない。
風で木の葉でもあたったのだろうか?
キーラに考えられる音の正体はそれぐらいだったが実際は全く違っていた。
「よっ!悪いな夜に。」
窓を閉めようかと思っていたキーラに突如こんな声がかけられた。
部屋にはキーラ以外誰もいない。その声は確かに外から聞こえたものだ。
ここは塔の最上階なのに…?
「おーい。こっちだよ、目の前の木の上。」
言われた通り、目の前の暗がりの木をよく見ると眼帯にドクロ印の巻物をした、まるで海賊のような出立ちの少年の姿があった。
「な、誰だよオマエ。」
「いやぁ、何回かお前見かけてさ。気になってたんだ。今日の昼間は門前払いくらったからさ。今度はこっそり来てみた。」
「来てみたっておまえ…。」
突然の訪問者に困惑するキーラをよそに目の前の少年は器用に木の枝に腰掛けて話を続ける。
「オレはクレドっていうんだ。よろしくな。今祭りやってるだろ、その関係でオレの所属してる幻想旅団も公演に来てるんだ。」
「なるほど、だから木登りもお手の物ってわけか。」
器用に座っていられるもの納得だ。
「まあね。普段はもっと高いところでやる演目もあるし。朝、腕痛めたせいでちとキツかったけど。」
「大丈夫なのか?落ちるなよ?」
「平気だって。それより、お前は?」
え?と意味がわからず聞き返す。
「名前だよ、な・ま・え!いちおう知ってるけど初めて話するんだし、本人からちゃんと聞かないとな。」
そういうことか。
「僕はキーラ・クレメンティア。キーラでいいよ。」
「オレもクレドでいいぜ。っと、そうそうコレを渡しに来たんだ。」
そう言うとクレドはポケットから白い包みを出すとその手を窓へ伸ばした。
「うわ、バカ危ないだろ!」
クレドが急に木から身を乗り出したのでキーラは慌てて手をさしのべる。
しかし、クレドはというと慌てることも無く平然としている。キーラは包みを受け取ると、落ちたらどうするんだよ、と付け加えた。
「大丈夫だよ別に。」
「でも猿も木から落ちるって言うだろ。」
「お前それが贈り物した相手にする態度?」
クレドは軽く言ったつもりだったのだがキーラにはそうとられなかったらしい。
「ごめん…。」
そう言って下を向き黙り込んでしまった。
「え、いや別に責めて言ったわけじゃないからな!それより中、開けてみてくれよ。」
「あ、うん。」
渡された白い包みを広げると、中から銀色の鳥をかたどったお守りが出てきた。
「オレここの祭りについてよく知らないけど名物だっていうからさ。願いが叶うお守りなんだってさ。」
「これを届けるために今日わざわざ門番と言い争いまで披露してくれたのかい。」
「ああ。頭カタイ人で困ったよ。でもそのおかげで本人に直接渡せたからね、良しとしとくよ。」
「本当にどうもありがとう。」
言って再び銀の鳥に目を落とす。
キーラもかつて母からもらった事がある。クレメンティアの伝統の品だ。
「あ、でも考えたらこの国の人間に名物贈ってどうすんだよ、オレ。うわーバカだ。」
キーラはつい、吹き出してしまった。
「そんなことない。これはクレドが選んでくれた物なんだ。特別な物だよ。」
「そう言ってくれるのはありがたいけど思いっきり笑ってるじゃねーか。」
「だってクレド、気づくの遅いよ。」
クレドもつられて笑う。
「いいんだよ、オレが気に入ったんだから。だから、こうやって持ち歩くことにした。」
クレドが上着の襟を指差すとそこには銀の鳥が光っていた。
「僕も同じように付けようかな。」
「なんだよマネするのか?」
「いいだろ?」
クレドはにやりと笑うだけで嫌だとも言わなかったのでキーラは同じように襟に付けた。
「似合ってるじゃん。」
そう?と答えてキーラは銀色の鳥の輪郭を指でなぞってみる。
物自体は別にどうというわけではない。この国に住んでいれば毎年祭りの時期自然と目にする品だ。
だが、キーラにとってこんなに嬉しい贈り物をもらったのは久しぶりだ。
「よし目的も果たしたし。オレ、そろそろ帰らないといけないんだ。実はこっそり抜け出してきたからさ。あ、それ気に入ってくれたみたいで良かったよ。」
クレドはそっと立ち上がり、確かめるように枝を掴むとゆっくり下りはじめた。
「あの、クレドありがとな!あと、また会えるか?」
「そのつもりだぜ、オレは。キーラと友達になりたくて来たんだからな。」
ともだち。
このような状況で自分にそんな存在ができるなんて。
「待ってるよ。」
だいぶ下に行ってしまった友達を見送るためキーラは出窓から身を乗り出した。
「明日もオレの演目はないから来るよ。その後はいつ来られるかまだ分かんないや。」
「うん。気をつけて帰れよ。」
「ああ。それじゃ、おやすみ。」
クレドは木の下にたどり着くとそのまま走り出した。キーラは塔の敷地を囲んでいる高い壁はどうするのかと思い見ていると助走をつけた勢いで壁の凹凸を利用してまるで階段を駆け上がるように登り、越えて見えなくなってしまった。
なんだか猫を見ているようだった。
キーラは感心してしまって彼の姿が見えなくなっても少しの間壁を眺めていた。




