クレメンティアの歴史 王立史学会と考察
エル暦982年、クレメンティアではエネル王妃の子ノルベルト・クレメンティアを推す王妃派とそれに強く反発する亡き第一王妃ユリアネに仕えていた者たちの家臣派が対立し、王位継承戦争へと発展した。この戦いにより兵士、市民ともに多くの死者を出すこととなる。そのため、町は破壊と血で覆われたことから後に「紅い染みの年」と呼ばれた。
この戦いは2年間続き、これ以上市死者を出してはいけない、というエネル王妃の言葉により984年のエネル王妃派と家臣派は休戦宣言を経て和解の道を辿った。そして戦いはついに終息した。
翌年985年、これにより王政に代わって市民が政治を行う現在の政治体制の基礎が形成されていくこととなった。
~クレメンティアの歴史 王立史学会 第5巻より~
「クレメンティアの歴史 王立史学会 編第5巻~についての考察」
これはクレメンティアの歴史を記述した文献の中でもエネル王妃側の王立史学会によって書かれたものである。王立史学会によって書かれた歴史書にはこれ以前の歴史的事件の記述においても王及び国側に偏った箇所が多く見受けられる。その為王位継承戦争についても全てが真実であるとは今の段階では断定できない。また、この戦争を終わらせたのは王妃派、家臣派のどちらでもなく第3の勢力であると記した歴史書もある。
この第3の勢力について残っている記録が僅かである為その信憑性には疑問が残るものの、無視できない点でもある。
このように王位継承戦争について書かれた歴史書は完全な形で発見された物、現存する物が少ないこともまた事実であり、『クレメンティアの歴史 王立史学会 編 第5巻』が貴重なことに変わりは無い。
お読みいただきました貴方!ありがとうございます。これは数年前(確か第一回の)スクウェア・エニックス小説大賞に応募した作品なのですが、数種類ある漫画家さんのキャラクター絵からキャラを選び話を書くというスタイルでした。自分は「右目に眼帯をした少年」を選んで話を書いたわけなのですが、手元に資料がないため一体どなたの絵だったのか今無性に気になってたりします。
なにはともあれ楽しんでいただけていたら幸いです。