僕の名前は災害くん
災害くんがボクの前に現れたのは、五月の初旬、ゴールデンウィークも終わりに差しかかった頃の事だった。
「呼ばれてないのに勝手に飛び出てジャジャジャジャ~~ン!!」
そう言って、彼はひょっこりボクの前に姿を現した。
「やあ、健一君、初めまして。僕の名前は災害くんだ!」
「……」
「災害、サイガイ、SAIGAI。災害のことなら何でも僕にお任せ! 地震を起こすのも自由。火災を止めるのも自由。その規模から種類に至るまで、なんでも思い通りの災害くんさ!」
そう言うと災害くんは、握った拳をまっすぐ天井に突き上げながら、ボクに向かってバッチリとウインクをしてみせた。一方、ボクは何をするでもなく、その突然の珍入者をしばし呆然と見つめていた。
「う~ん、健一君。キミはちょっと表情が硬いね! こういう場合は、もっと不思議そうな顔をするとか、恐怖に引きつった顔をするとか、わざとらしく目をこすってみるとか、そういった人間らしい反応をするものだよ! ノーリアクションはいただけない! いただけないよ、健一君!」
災害くんは、そういってボクの無反応ぶりを非難した。災害くんは、なにやらとてもテンションの高い、やけに元気なヤツだった。その姿は半透明というか、輪郭が薄いというか、とにかく炎とも竜巻ともつかない格好で、薄ぼんやりした色をしていた。
「災害……? 災害なら何でも操れるの? 災害くんは」
ボクがそう尋ねると、災害くんはちょっとニヒルな笑みを浮かべつつ、
「うんうん。健一君は、とっっっても話の飲み込みが早い子だね! その通り。なんでも操れるんだ! 災害ならなんでもござれの災害くんさ!」
と、自慢げに胸を反らした。
「すごい、すごいね、災害くん!」
感心したボクが手放しで褒め称えたので、災害くんは得意になってますます胸を反らしていった。反らしすぎて、なんだかブリッジのような格好になってしまったほどだ。
「じゃあ災害くん。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな!」
ボクが身を乗り出して尋ねると、災害くんはブリッジを解いて再び立ち上がり、
「うむ。任せてくれたまえ!」
と、テレビのヒーローのように格好良い台詞を吐いた。
そのとき、ボクは自分の部屋の、自分の学習机に向かって、ゴールデンウィークに出された宿題をやっているところだった。宿題とは『ゴールデンウィークで面白かったこと』というタイトルで、原稿用紙一枚分の作文を書くというものだ。連休中に体験した面白かったこと、貴重な経験、人との出会い、そういったものを、この一枚の紙にまとめて書くのだという。
その宿題を出されたとき、クラスの大多数は、
「めんどくせーよ~~」
などとブーたれて文句を言っていた。しかし、それでもその顔はちょっぴり嬉しそうだった。みんな予定があるのだ。翌日から始まる連休中、親と一緒に旅行したり、買い物したり、ディズニーランドに出かけたりするのだ。
だけど、残念ながらボクにはそんな予定はひとつもなく、よって書く内容などあるはずもなかった。
ボクは小学生ながらにして、実に孤独な身の上だった。お父さんはボクが小さい頃、お母さんとボクを捨ててどこかに行ってしまったし、お母さんはいつも仕事仕事で、ボクとまともに会話することさえほとんどなかった。
だから作文の宿題が出されたとき、ボクの心の中はしらけた気持ちでいっぱいになっていた。なんでこんな宿題をやらなければならないのか。なんで先生は、みんな五月の連休を待ち望んでいるなんて決めつけるのだろう。
日付が変わって連休に突入したものの、もちろんゴールデンウィークが始まってもボクの予定はひとつもなく、ボクは家で一人、テレビとゲームに時間を費やささければならなかった。テレビは死ぬほどつまらなかったけど、音がしないのは寂しいのでいつも点けっぱなしにしていた。テレビの向こうは五月の行楽シーズンを楽しむ家族連れの笑顔で溢れていて、それはまるで別世界の出来事のようにボクには感じられた。
最終日になって宿題をこなそうとしてみたけれど、何も体験していないのに面白かったことなどかけるハズもない。きっとみんな、今頃はゴールデンウィークに体験したことを嬉々として書いているのだろう。それを思うととてもうらやましくて、ボクは胸の奥がキュッと締め付けられるように痛くなるのを感じた。目の前にある真っ白な原稿用紙が、なんだかボクのことを責め立てているような気がした。お前は一生孤独なんだと、世間から取り残された人間なんだと、繰り返し繰り返し非難されている気がした。
そんなときだった。災害くんが現れたのは。
「あのさ、災害くん。ボク、でっかい災害を起こして、この世の中をメチャメチャにしてみたいんだ。そんなことって出来るのかな」
ボクがそう尋ねると、災害くんは、「できんでか!」と、なんだか意味がよく分からない言葉を吐いて大きく頷いた。
「健一君はやることがでかいね! もちろんお安い御用さ! もう全世界がひっくり返るくらいの、超特大の災害だって起こすことができるよ!」
災害くんは自信満々にそう言ったが、ボクはなんだか世界の人々にまで迷惑をかけるのは忍びなかったので、災害くんの言葉に頷くことはできなかった。
「う~ん。世界はひっくり返らなくてもいいや。日本だけ。日本だけにしようよ」
ボクが遠慮がちにそう言うと、災害くんも「うんうん」と頷いた。
「日本だけ。なるほど、健一くんは奥ゆかしいね。じゃあ日本をメチャメチャにするとして、健一くんはどんな災害を望んでるのかな?」
災害くんにそう聞かれたが、ボクは災害と言ったら地震と火事と雷くらいしか思い当たらなかったので、どんなと聞かれるとすっかり困ってしまった。
「災害って、どんな種類があるの?」
「うん、そうだね。災害には大きく分けて、二つあるね。ひとつは大自然が起こす自然災害。地震とか、火事とか、台風とか、そういった、いわゆる天災って呼ばれるものがそうかな。そしてもう一つが人災。人の手が起こす災害で、原子力事故とか、列車事故とか、そういったものがこのカテゴリーに入るんだ。大きいものだと、戦争なんかも人災のうちに入るんだよ」
ふむふむ、なるほど。と、ボクは頷いた。なんだかちょっと勉強になった気がした。
「でもね、健一くん。天災にしろ人災にしろ、日本をひっくり返すつもりなら、相当大きな災害にしなきゃだめだよ? たとえば列車事故じゃあこの世は滅茶苦茶にはならない。やるんなら、大規模なものを選択しないとね」
「そうか。なるほど……」
ボクは両腕を胸の前で組むと、目をつむってしばらく考えてみた。それからゆっくり目を開くと、目の前にいる災害くんを見下ろした。
「うん、なんだかいろいろあるみたいで悩んだけど、なんとなく人災のほうが格好良いし、だから人災にしたいと思う。戦争がいいな。日本がメチャメチャになるくらいの、大きな、大~きな戦争を、起こしてみてくれる?」
「よし、分かった! ガッテン承知の助だ!!」
災害くんはまたよく分からない言い回しをすると、つむじ風のようにその場で回転し始め、そして線香花火のような光りをバチバチっと周囲に弾けさせた。ボクはビックリして、慌てて災害くんを止めようと手を伸ばした。しかしそこに災害くんの姿はなく、気がつくと、災害くんはそのままふわりと消えてしまっていた。
蛍光灯に照らされた部屋の埃が、くるくると螺旋状に舞っている。机の上に散乱したプリントの類が、風に吹かれてパタパタと波打っていた。
「災害くん??」
ボクは机の上を見回しながら、さっきまでしゃべっていた災害くんの名前を呼んでみたが、しかし災害くんはもういなくなってしまったのか、あのハイテンションな返事は返ってこなかった。代わりに返ってきたのは耳をつくような静けさで、かすかに聞こえる居間のテレビが、重苦しい雰囲気を更に重苦しくさせていた。
「……戦争。まさか!」
そう思って慌てて窓を開けてみたものの、そこには普段と全く変わらない、いつもの見慣れた風景が広がっているだけだった。道路の向こうには古びた家々が並び、居間の窓から暖かい蛍光灯の光りが溢れている。たぶん、向こうの家から見れば、うちも同じように見えるのだろう。閑静で、平和な住宅地。戦争なんて関係ない、平和な営みがどこまでも続いているように見えた。
「平穏……だよね?」
ボクは誰に確認するでもなくそう呟くと、そっと体を引っ込めて窓を閉めた。閉める瞬間、窓の隙間から春の湿った夜風が吹き込み、部屋の中をかき回していった。
さっきのは、いったい何だったのだろう。寂しさのあまり見た、白昼夢か何かだったのだろうか。
突然現れて、突然消えた、不思議な生き物、災害くん。ボクは学習イスに再び腰をかけると、あらためて机の上の原稿用紙に立ち向かった。
どこかに出かけていなくても、なにか書くことくらいあるかもしれない。
ボクは原稿用紙に向き合うと、まず、災害くんのことを書こうか書くまいか、それを考えるところから取りかかることにした。
ーーあれから八ヶ月。
結論から言うと、災害くんは夢でも幻でもなく、本物だった。
戦争は起き、日本は大きな被害を受けた。
日本は敵国に反撃したらしいけど、敵国から海を越えて飛んでくるミサイルと、国内で立て続けに起こるテロリズムに対処しきれず、事態は混乱しているようだった。
ボクの学校もテロで爆破され、クラスの友達が大勢吹き飛ばされた。体育館や解放教室で避難生活を送っていた人たちも爆弾にやられ、その大半が爆風で千切れて死んでしまった。
学校は閉鎖され、避難所は他の場所に移された。ボクはショックで精神の闇に落ちそうになったけど、今はなんとか回復し、新たな道を歩き出そうとしている。
『お母さんへ。ぼくはたびに出ます。さがさないでください』
そう書いた手紙をドアの前に貼り付けると、ボクは保存食を詰め込んだナップザックを背負って、瓦礫の街を歩き出した。
あの日、災害くんは確かにこう言った。
「地震を起こすのも自由、火事を止めるのも自由、なんでもござれの災害くんさ」
ーーと。
災害くんは、災害を起こすだけでなく、災害を「止める」こともできるのだ。
もう大人たちはこの戦争を止められない。
でもボクは違う。
ボクはこの国を救う方法を知っている。
ボクはどんよりとした曇り空を見上げると、決意を込めて拳を握り込んだ。
「必ず見つけるからね! 災害くん!」
誰もいない、瓦礫だらけの街中でそう呟くと、ボクは堅く握った拳を空に向かって突き上げた。
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