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氷の王妃  作者: 素子
9/18

09  衝撃

 出席者が注目する中ゆっくりと所定の位置についた国王は、静かになった人々の前で会の開催を宣言する。あいさつが終わり、玉座に腰掛けて飲み物を手にする。華やかな夜会に相応しく大人数が収容できる広間は、すぐに楽しそうにさざめく人で賑やかになった。


 ランドルフはクリスティーナに飲み物を手渡して、背中を玉座の背に預けた。クリスティーナは飲み物を片手に夜会の様子を眺めている。張り詰めた空気ではなく、自然にそこに溶け込むような雰囲気だ。

 笑顔ではないが、口元はこころもち上がっている。

 レースに透けた肌がいささか目の毒に思えた。


「国王陛下、本日はお招きいただきありがとうございます。一層の発展を心より願い、祝いの言葉とさせていただきます」

「わざわざありがとう。お久しぶりです。国王陛下はご健勝でしょうか」


 建国記念の祝賀を述べにきたのはクリスティーナの兄で、隣国の王太子だ。

 良く似た薄い色の金髪と青い瞳も持っている。顔立ちも整ってはいるが、さすがに男の顔だ。兄妹が並んでいると似合いの一対に見える。

 穏やかな表情で王太子が妹に顔を向けた。


「クリスティーナ。体の調子はどうだ?」

「ありがとうございます。もうすっかり本調子です」


 柔らかく微笑んだクリスティーナに王太子は驚いている。しばらくそのままで、驚いた、と詰めていた息を吐いた。


「……ティーナ。お前の笑顔が見られるなんて。いつ以来だ?」

「わたくしも忘れてしまいました、お兄様」


 王太子の顔に一瞬だけ痛ましいものがよぎったように思えたが、すぐに笑顔に取って代わった。

 王太子はランドルフに好意的な口調で話しかける。


「……妹が幸せそうで安心いたしました」


 父親である国王から笑顔を禁じられたことを知ったランドルフは、かすかに頷くに留めた。さっきのやりとりでは、もうずっとクリスティーナは笑っていなかったようだ。生まれを疎まれて育った寂しさはどれほどだったのだろうかと思えば、今の笑顔が貴重だ。

 王太子は翌日にとクリスティーナと約束をして、他国の高官との歓談に加わった。

 父親に代わり実務にも携わっているらしい将来の国王は、自負があるらしく顔を売り他国と繋がりを持とうとしている。代替わりしても良い関係が築けそうだとランドルフは判断した。


 クリスティーナもランドルフから離れて、人に囲まれている。

 どんな噂が流れたのか、国王との仲がかつてないほどに良いらしいと察した人が群れてくる。今更と心中では醒めてはいるが、おくびにも出さずに会話を続ける。ここから擦り寄ってきた貴族を引いて、真摯な見舞いを寄せてくれたり慈善活動に熱心な貴族を残すと、ようやく信頼に足る少数になると計算する。

 孤児院の子供を引き取ってくれた伯爵夫人と、可愛い盛りの子供の話をしながらさりげなく広間の様子もうかがう。

 国外の招待客は宰相や国内有力貴族、そして国外の者同士で飲み物を手に話――議論の域に達しているようでもあるが――に花が咲いているようで。

 令嬢方も仲の良い者で固まって、あれこれと噂話に盛り上がっている。



 側妃のブレンダは取り巻きに囲まれていた。一番華やかな集団かもしれない。化粧と香水の香りがここまで漂ってきそうな気がする。

 ブレンダは上機嫌で軽やかな笑い声を上げていた。

 ――陛下のここ二晩の行動は気にならないというのか。クリスティーナはかすかな違和感を抱く。

 ひたすらにランドルフの関心を求めていると分析していたブレンダが、別の女、しかも王妃である自分のところで夜を過ごしたことに平気であるとは思えない。

 取り巻きの令嬢達から冷ややかな目で見られたり、ブレンダ自身からも何らかの反応があるかと覚悟していたのにどうも違う。

 自分のことなどどうでもいいような、いや、ある種の哀れみをもった寛容さとでも表現すべき視線を感じる。


 もう目障りと思われなくなったのか。もしくはと、クリスティーナはかすかな不安を覚えた。


 ひとしきりの歓談の後ではダンスが始まる。最初はランドルフとクリスティーナが踊る。周囲には厳選された数組も配置されて、向かい合わせになり音楽がかかるのを待つ。

 手と腰にランドルフの温もりを感じて、鼓動が高まる。ダンスなら何度も踊ったはずなのに緊張している。きっとランドルフが自分を優しく見ているせいだ。婚姻当初の儀礼を含んだ優しさや、関係が冷えてからの何の感慨もない義務感からの視線と違うからだろう。緊張しているはずなのに、指先まで熱を帯びている。


 くっと手を握られたかと思ったら、ダンスが始まった。

 ランドルフのリードでクリスティーナが踊る。身をひるがえすたびに腰からすとんとしたラインをつくり、後ろだけ裾を長めにしてあるドレスが優美な曲線を作る。薔薇のように広がるのはなく百合のようにすっとした意匠のドレスはクリスティーナに良く似合い、ダンスで別の印象をもたせる。


「楽しんでいるか?」

「はい」


 顔をよせてランドルフが密やかに尋ねる、傍目からはいかにも親密そうな光景だろう。

 クリスティーナは微笑でランドルフに応えた。顔がひきつることもなく、ランドルフには自然に笑えるようになっているのが思いがけないながらも素直に嬉しい。対するランドルフもクリスティーナしか目に入らないかのように振舞う。

 最初で最高のダンスだった。


 曲が終わるとすぐに新たな曲がかかり、次からは思い思いに踊りだす。一気に賑やかに、華やかになった。

 玉座に戻って飲み物を口にし、クリスティーナはほっとする。

 夜会を楽しんだのは初めてかもしれない。田舎者と思われ、次は愛想のない氷の王妃とあだ名されて夜会はただ時間が過ぎ去るのを待つだけのものだった。

 それでも出席は義務であり、ここでしかわからないことを知る思惑もあって顔を出していた。交友関係、今関心を集めている話題、城内の勢力図、出席する貴族の衣装から察せられる経済状況など。

 こちらが何についても無表情で関心を示さないとなれば、置物のように思って舌の軽くなる人々。上品な裏で毒を吐く人々。

 ものを見る目があり、聞く耳があり、考える頭があれば軽率としか判断できないことを笑いながら口にする場にいきあうのもたびたびだ。


 国王の関心を失った、お飾りの王妃。

 

 その状況が辛くないわけではなかったが、利用していたのも確かだ。

 今はそれが覆されている。国王の関心が再び寄せられたのを目の当たりにしてどう変わっていくのだろう。

 そんな夢想はブレンダによって破られた。



 玉座に戻ったランドルフに裾さばきも軽やかにブレンダが近寄る。クリスティーナは圧倒された。全身を一種異様な雰囲気が覆っている。興奮しているといってもいい。

 大胆に肩と胸元をあけてレースとフリルと宝石で飾り立てている。化粧もやや濃い目で頬紅など不要なほどに紅潮していた。


「陛下、ご報告がありますの」

「どうした、ブレンダ。私に報告とはなんだ?」


 声すら弾んでいる。ブレンダが口を開く前にちらりと自分を見た気がして、クリスティーナは肘掛に乗せていた手に力が入る。ブレンダはそれきりクリスティーナなどいないかのように、ランドルフに熱のこもった顔を向けた。


「私、身ごもりました」


 高らかな声はちょうど音楽の途切れた広間に響いた。玉座の近くにいた人の声が一斉に止んだ。異変に人々もおしゃべりを控え、注目が集まる。

 ランドルフは沈黙した。様々な考えが一瞬のうちに身内を巡る。次に声を出した時は冷静だった。


「それはまことか?」

「ええ、間違いありません」

「侍医が診察を?」

「診断するには早すぎるといわれましたが、つわりもありますし、なにより」


 自覚症状と女性特有の他覚症状が揃っている。ブレンダはただただ自分の幸福に酔って、晴れがましい顔つきだった。

 戸惑いを隠すランドルフと、強張りを隠すクリスティーナには気付く様子もない。


「おめでとうございます、ブレンダ様。どうぞ健やかにお過ごしください」


 沈黙を破ったのは王妃の凛とした声だった。


「ありがとうございます、王妃様。少し辛いので座ってもよろしいでしょうか」


 慌てて椅子が運ばれて、ブレンダは一段低いながら国王の近くに座った。

 誰が見ても明らかだった。興奮した面持ちの父親の侯爵が娘に駆け寄らんばかりに近寄って両手を握り締める。国王からも声をかけられ、涙が光りさえしていた。

 たちまちにブレンダには貴族達から祝いの言葉が降り注がれた。これでブレンダが男子を産めば、次の国王の母になるだろう。

 乗り遅れてはいけない、ブレンダの、父の侯爵の関心を買わなくてはいけない。


 ランドルフは肘掛に肘をついて頬杖でいる。クリスティーナはその様子を見ている、その顔には何の表情も浮かんではいなかった。

 クリスティーナにランドルフが声をかけようとした時、クリスティーナに手が差し伸べられた。


「踊ろうか、クリスティーナ」

「お兄様」


 兄である王太子がクリスティーナを誘い出し、狂騒の群れから離れるように広間の中央へといざなう。緩やかな曲にあわせてゆったりと踊りだす。

 しばらく優雅に踊っていたが、人に聞こえないように会話を始めた。


「お前、大丈夫か?」

「ええ、お兄様。陛下にとっても喜ばしいことですもの」

「お前にとってはどうだ? 書簡にはその、お前が……」

「……ええ。わたくしには今後は子供は難しいだろうと言われました」


 では、と王太子は人に囲まれて姿の見えない側妃を見やった。あの側妃が中心になるのは間違いない。

 もともと国力に差のある国同士の政略でなされた婚姻。側妃の父親は国内でも有力な侯爵位。側妃は彼女一人でそれが懐妊したとなれば、影の薄い妹はますます冷遇されるだろう。

 妹は何も言わないが隣国の事情だ。少し調べれば国王との関係が冷えていたことくらい容易に判明する。懐妊に安堵したのも束の間で残念な結果になった報告をされて、どれほど落胆したことか。


「お父様は何と?」

「あの人は、分かっているだろう、クリスティーナ」

「そうですわね」


 ともに王妃の子である王太子とクリスティーナ。王妃の死で国王は心を閉ざした。王太子はそれでも世継ぎであり、親密でなくともそれが普通の父と息子、国王と王太子としての関係を保った。

 クリスティーナは誕生すら疎まれて離宮で育った。時折の書簡と都合をつけての訪問ができる精一杯であった王太子にとって、クリスティーナは不憫な妹で気がかりな存在だ。

 辛いことのあった後だけに今回の対面も心配していたのに、一層美しくなってなにより笑顔が戻っていた。国王との絆も感じられてそれを喜んだばかりだったのに。


「それよりもお兄様。今後が問題です」

「そうだな」


 小国の二人は冷静に今後を分析する。側妃の懐妊で勢力図は変わる。次にくるのはおそらく。


「書簡で依頼した件とあわせて明日、話し合いましょう」

「承知した。それにしてもお前は強いな。あの時点でここまで見越していたのか?」

「時期は読めませんでしたが、予想はしていましたので」


 氷の王妃をよろうのに、欠かせなかったのが情報だ。誰の悪意が実際に危険か、身を守るための武器になるものが何か。エルマを通じて情報を集めそれを分析して備える。

 ここまでは予想通り。予想外だったのがランドルフだ。

 今更というべきか心が通じてしまった。それとも最後に誰かが哀れんでくれた、ほうびのようなものだったのだろうか。ステップは迷わないのに、心だけ惑ってゆらゆらしている。


 再び玉座に戻ったクリスティーナにランドルフは何か言いたげだった。

 いたわりと、当惑など目線だけで問いかけてくる。クリスティーナは微笑んだ。

 ただブレンダの足元に気付くとすっと表情が冷たくなる。つられてランドルフもそちらに目を向けた。裾をさばいた拍子のブレンダの靴の踵は高かった。


「ブレンダ、その靴はどういうことだ」

「え、あ。申し訳ございません、陛下。考えが足りませんでした。でも私、気をつけます。王妃様のようには……」

「ブレンダ」


 叱責されてブレンダが身をすくめた。ただランドルフはこれ以上言わせるつもりもなかった。ここでブレンダが発言すると王妃が踵の高い靴を履いていた、と既成事実になってしまう。

 今の状況でその発言がなされるのはまずすぎる。

 加えてブレンダの配慮のなさにも呆れる思いだった。発表の場にしても靴のことについても、何よりクリスティーナの立場をなくそうとするような……そこまで考えてはっとする。

 ランドルフは歯噛みする思いだった。無邪気で可愛らしいとばかり思っていたブレンダが、もしや……。

 宰相に依頼した件は一層秘密裏に、そして徹底的に行うと決意した。調査の範囲を広げる必要も感じた。



 夜会が終わり自室に引き上げる際、ランドルフはクリスティーナを伴った。

 長い廊下を無言で進む。二人の間には重苦しい問題が影を投げていた。

 

「私の王妃はそなただ、クリスティーナ」


 低い、決然とした声でランドルフは告げた。

 クリスティーナが足を止める。


「ありがとうございます……ランドルフ」


 かすかに笑ってクリスティーナは自室へと消えた。

 ランドルフは今夜は眠れるだろうかと自信がなかった。



 ドレスを着替え、化粧を落としクリスティーナはエルマと二人になる。


「ブレンダ様が懐妊されたわ、エルマ」

「王妃様、それでは」

「そう、一層身辺には注意が必要。明日お兄様がいらっしゃるから、例の件についても話を詰めようと思うの」


 エルマはしばらく黙ったあとで確認するかのように尋ねる。


「それでよろしいのですか? 陛下は悪いようにはなさらないでしょうに」

「陛下を苦しめたくないの。板ばさみなんてことにはさせられないでしょう?」


 それに、とクリスティーナは続けた。


「お飾りであっても王妃は王妃。それにわたくしは元王女でもあるの。今となってはそれしか価値はないけれど」


 最後にいい思いができたと考えれば悪くないでしょう?

 エルマは何も言えずに頭を下げた。






 

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