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氷の王妃  作者: 素子
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08  笑顔

 夜が明けてクリスティーナは目を覚ました。温もりは夢ではなかったようだ。欲しくてたまらなかった、それでいてどう接していいか分からなかった存在が傍らで静かに目を閉じている。

 なぜ自分を構う気になったのかは分からない。昨夜の国王にとっては、ここにいるのは無駄な時間ではなかったということのようだ。

 不思議なほどに穏やかな心持ちで、これを幸せというのだろうか。クリスティーナはランドルフを起こさないように、じっと見つめた。

 記憶にとどめようとするかのような、真剣な眼差しだった。


 眉間にかすかに皺をよせ、ランドルフは目覚めた。腕の中には笑うことも泣くことも忘れて久しい自分の王妃がいる。


「お早うございます」


 その声が甘く聞こえるのは自惚れではないかもしれない。ランドルフのものより幾分か小さな寝室は、落ち着いた調度でまとめられていた。側妃のブレンダのような華やかさはないが、品が良く繊細な印象をかもしだしている。

 寝起きで少しぼんやりしていたランドルフは、そういえばと質問した。


「そなたはなぜ寝台の端で眠ろうとするのだ」


 腕の力が緩みかけると、ころりと向こう向きになって体を丸める。そんなに腕の中にいるのが嫌なのだろうかとランドルフはもやもやしたまま、強引に抱き寄せて眠りについたのだった。

 クリスティーナの耳がすうっと赤くなった。


「それは、わたくしの癖です。横向きだったりうつぶせで寝ることが多くて」


 共用の寝室で背中を向けられていたのを苦々しく思っていたランドルフだったが、それが単なる癖だったとしたら。

 昨夜の認識ではないが、本当に遠回りしていたことになる。


「陛下、そろそろ起きなければ」


 式典を明日に控えて今日は二人とも忙しいはずだ。ランドルフはクリスティーナの髪を梳いて、寝台から起き上がった。

 こんなに穏やかな気持ちで朝を迎えたことはなかったように思う。

 

「今夜は共用の寝室にきてくれ」


 耳元で囁いてからランドルフは寝室をあとにした。王妃の近衛はまさか国王が出てくるとは思わずにぎょっとしていたが、悠然と前を通り自室へと戻る。

 着替えや身支度をしながら何年も経っているのに、ようやく王妃の氷の壁の内側に立ち入れたような気がした。入ってしまえば王妃は感情の表し方を知らないがゆえに、仮面をつけるように装って自分を守る、そんな不器用な女性だった。

 関心を示さないようでいて、こちらの様子を気にかけている。まるで――。


「猫のようだ」


 侍従が独り言を発した国王をいぶかしげにうかがうが、当のランドルフは機嫌よく朝食の席についた。

 クリスティーナの給仕をエルマが務めながら、注意深く主の様子を観察する。今朝、寝室から国王が出てきた際には内心で仰天した。近衛からも報告がなかったことから、国王は窓から主の寝室に入ったに違いない。

 今までそんなことはなかった。二人の仲は冷え切っていて、たまに共用の寝室で過ごす程度。それも懐妊、流産からは絶えて久しかった。

 クリスティーナは一見、いつもと変わりないように見える。ただエルマにはいつも以上に雰囲気が和らいでいるのが分かる。

 安堵しながらも、今朝のことはすぐに側妃の耳に入るだろうと危惧していた。


 何事もなければよいのだけれど。エルマは黙ってお茶を注いだ。



 翌日は建国祭ということで式典が盛大に行われた。宗教関係の式典を行い、いよいよ祝賀で集まった民の前にでる時刻となる。

 国王と王妃の衣装、頭には王冠と麗々しい装いでランドルフはクリスティーナに腕をさしだした。

 ランドルフを見上げ、柔らかい眼差しになったクリスティーナが手をさしいれ、二人でバルコニーの端の方に進む。二人が姿を現して歓声が上がる。それにしばらくゆったりと手を振って応えていた。


 国王様万歳の声が多い中、今年は高いよく通る声で王妃様万歳と聞こえてきた。

 声の方を向くと、孤児院の子供達が固まって手をぶんぶんと振っている。子供の声はよく響く。小さな子供は大人の後ろだと埋もれてしまって見ることができず、またぶつかられてしまう。

 孤児院の年長の子供が肩車をしたり、抱き上げたりして国王と王妃を見えるようにと頑張っていた。王妃はボブが小さな子を肩車しているのに気付いた。小さな子が小さな手を一生懸命に振っている、可愛い光景にふと口元が緩んだ。


「可愛らしいこと」


 呟きはランドルフの耳にしか入らなかった。何気なく王妃に目を向けたランドルフは絶句した。クリスティーナが笑ってた。

 そのままランドルフを見上げ、子供達の方へと注意を向ける。


「陛下、あそこに孤児院の子供達が」


 ランドルフは手を振るのを忘れた。視線は王妃に固定されてしまい動かない。

 まばたきすら忘れたように凝視され、クリスティーナは居心地の悪い思いをした。


「あ、の、陛下? お手が」

「――あ、あ」


 我に返ってランドルフは手を振った。横目でうかがう王妃は微笑している。

 子供達と目を合わせて手を振っている様子に、人形の名残はどこにもなかった。

 終了時刻になり、二人はバルコニーから室内へと戻った。窓越しにまだ歓声とざわめきが聞こえている。お茶が出され、しばしの休息に室内にほっとした空気が漂う。


「そなた、笑っていたな」


 ランドルフが指摘するとクリスティーナは言われて初めて気付いたかのように、口元に手を当てた。

 

「笑っていましたか?」

「笑っていた。私は初めて見たように思う」

「顔が引きつっていませんでしたか?」


 少しの困惑と羞恥が垣間見える。無表情とばかり思っていた王妃が、実はかなりの表情を乏しいながら隠し持っていた。

 それに気付いて優越感と共に独占欲も生じる。

 ――他の者にはあまり見せたくない。自分だけが発見した秘密の場所や宝物を隠す心理に似ているかもしれなかった。

 

「引きつってなどいなかった。――夜会にはそなたの国から兄上がやってくるだろう」

「まあ、ずっと顔を合わせていませんでしたので楽しみです」


 また、王妃が変わった。『嬉しい』や『楽しみ』などの感情を示す単語がするりと出るようになった。直前で切られると取り付く島がないが、楽しみですと続けられると共感しやすい。

 孤児院で人として生きる力がほしい、子供達から学んでいると言っていたのが身に付いたというところか。

 別の意味で危ないが。

 ランドルフは落ち着けと時間をかけてお茶を飲み干した。



 招待客との昼食やお茶会を挟んで午後の時間は過ぎていき、いよいよ夜会が始まろうとしていた。

 クリスティーナの王妃の間ではエルマとジェーンが最後の仕上げをしている。複雑に結い上げた髪の毛に、王冠の中央にはめこまれた宝石とそろいの耳飾り。ドレスは首元と腕を繊細なレースが覆っている。

 

「どうかしら」

「お綺麗です」


 エルマは満足そうに頷き、ジェーンはいい仕事をしたといわんばかりに感激している。

 クリスティーナも鏡で自分の姿を確認する。

 ありがとうと感謝の念を述べて、夜会の広間へと移動を始めた。

 昨夜から、いや一昨日から夢のようだ。ランドルフの目には慈しみと熱があって、それが自分に向けられている。今までのような無関心か、氷の王妃と冷ややかによこされる目線とは明らかに違う。

 何年もここにいたのに、ようやく居場所が定まったような気がした。ここにいてもいいのだろうか、からここにいたいと思えるようになった。

 胸があたたかい。手足も冷たさで凍えて縮こまることもない。

 広間へ向かうクリスティーナの足取りは軽やかだった。



 側妃の部屋では戦争のような騒ぎだった。


「これじゃないわ。あの髪飾りにして。花はこちら。口紅の色も合わせて」


 ブレンダの次々におこる細々とした要求に、侍女が忙しく立ち働く。

 きつい口調になるのは夜会の時間が迫っているからで、――けして二晩続けて王妃のところに渡った話を聞いたせいではない。

 ブレンダは誰よりも美しく豪華に装うことに腐心した。衣装も何着か作らせていたものに手を加えて宝石を縫いつけ、宝飾品も城に宝石商をよびつけて実家の財力にものを言わせて買いあさった。

 念入りに化粧を施し、ブレンダは鏡の中の自分に満足する。

 ドレスも宝飾品も誰にも負けない。ドレスに合わせた靴を履く。踵を高くして足を長くみせる効果を狙う。踵は高くなければドレスを引きずってしまう。

 鏡の中で角度を変えながら、おかしなところがないかと調べる。


 自分でも満足し、侍女からも賞賛をうけてブレンダは立ち上がった。その姿は華と呼んでさしつかえないほど美しいものだった。瞳は異様な輝きを帯びているし、興奮をあらわして頬は上気している。

 これなら、と思う。陛下のお心をとらえるに違いない。

 それに切り札もある。もう他に陛下の関心がいくはずもない。

 今夜の夜会の主役になるのは自分だ。

 仕上げに振りかけた香水に、やや気分を害しながらブレンダは歩き始めた。



 ランドルフは扉の前に立って自分を待つ王妃に感嘆を禁じえなかった。

 式典の衣装も清楚で日差しに映えるものだったが、夜会の衣装はレースで覆われた首と腕が一段とほっそりと見せて優美だ。手を差し出しながら素直に賞賛する。


「綺麗だ」

「ありがとうございます。陛下も、ご立派です」


 重ねられた手に力を入れる。二人ともに前を向く。

 扉の向こうが静まり返った。重厚な扉が開かれて国王と王妃はきらびやかな明かりと人いきれの中へと漕ぎ出していった。





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