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氷の王妃  作者: 素子
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06  会話

「失礼いたしました」


 庭を子供達を探して歩いていたせいか、クリスティーナの頬はうっすらと紅潮していた。下ろした髪の毛とあいまって少女めいて見える。

 ただ口調はもういつものものに戻っていた。ランドルフの腕から抜け出て立つ姿は氷の王妃のものだった。


「孤児院に足を運んでいると聞いたので、様子を見に来たのだ」


 わらわらと子供達が集まってきた。好奇心いっぱいにランドルフを見上げている。


「おうひさま、この人だあれ?」


 クリスティーナのドレスの裾を握った子供が聞いてくる。クリスティーナはかがんで、その子と目線を合わせた。自然に頭をなでている。


「この方はね、……明かしても?」


 最後の言葉はランドルフに向けられた。かまわないと頷くと、クリスティーナは子供にゆっくりとした口調で教える。


「この方はね、国王様よ」

「こくおうさま? 一番えらいひと?」

「そう、一番偉い方」


 国王様と聞いて一斉に子供達の目が輝く。ランドルフは至近距離でこんなに多くの子供達に囲まれることも、好奇心丸出しに見つめられることもあまりないので内心たじろぐ。クリスティーナは立ち上がり、子供達を見回した。


「おやつの時間よ。手を洗って院長先生からもらいなさい」


 わあっと声を上げて子供達が院内へと駆けていく。クリスティーナはその後姿を目で追う。見守るような穏やかな表情に、しかしランドルフは穏やかではなかった。

 風で乱れた髪の毛を払いながら『王妃』がランドルフに向き直る。


「わたくしも院内で手伝うことになっております。陛下はお戻りに?」

「……いや。私も付き合おう」


 クリスティーナはランドルフを案内して院内に戻る。壁は明るい色に塗られていて、掃除も行き届いている。最近増築されたような明るい食堂に、子供達がそろっていた。

 クリスティーナはドレスの上からエプロンをかけて髪の毛をまとめて手を洗うと、小さい子供がおやつを食べる介助を始めた。


 食堂内では侍女のエルマともう一人も同じように介助をしたり、こぼれたものの始末をしていたりと賑やかだ。

 ランドルフは壁の前で王妃の様子を眺める。

 服をよごさないようにと布をつけた子供に話しかけて、口元にスプーンをもっていく。口に入れると調子をあわせて傾けたスプーンを引き抜く。


「おいしい? そう、よかった」


 こんな優しい、甘い声も出せるのかと初めて知った。もっととねだられて、またスプーンでおやつをすくっては食べさせている。口元についたものをふき取ったりもしている。まるで――母親のように。


 自分達の子供は失われてしまったのに。


 ランドルフはこぶしを握り締めた。城では着替えから人の手を借りるような王妃が、ままごとのように他人を世話している。一体、どんな目的からだろうか。

 これは氷の王妃なのだと自分に言い聞かせるように、ランドルフはクリスティーナへ探るような眼差しを注ぐ。気位の高い、よそよそしい、情のない王妃のはずなのだと頭の中で何度もくりかえす。



 おやつが終わればまた庭で遊ぶ者、中で遊ぶ者と思い思いに散らばっていく。寝てしまった子供を王妃の近衛が抱き上げて、子供達の寝室へと運んでいく。

 後は食器を片付けテーブルを拭いて、食堂は落ち着いた空間に戻った。

 大人たちがテーブルについてお茶となる。ランドルフも行きがかり上、自分の近衛とともに風変わりなお茶会に参加することになった。

 かざりけのない茶器に、悪くはないが最高級ではない茶葉。王妃はそれに不満な様子もなく静かにカップを口に運んでいる。


「子供が大勢ですと賑やかでしょう?」

「そうだな」


 実に久しぶりの国王と王妃の会話だった。侍女も近衛も細心の注意を払ってこのやりとりに聞き入っているようだ。王妃は無表情ではあるがくつろいだ様子を見せている。対する国王も場に臆することはない。

 しばらく無言でお茶を飲み、カップをソーサーに置いた王妃が国王に問う。


「この後は夕食の支度です。陛下はどうなさいますか?」


 エルマが王妃の茶器を下げるのを横目で見ながらランドルフは少しの間思案する。

 気まぐれでねじ込んだ孤児院訪問。帰城しないと侍従長や宰相がうるさいだろう。だが、好奇心が勝ってしまった。


「終わるまでここにいる」

「ではごゆっくり」


 優雅に一礼してクリスティーナは食堂の続きの厨房へと姿を消した。

 ランドルフはもう一杯茶を注いでもらいながら、少なからず自分が混乱しているのを感じる。

 孤児院にいる王妃が、城での王妃と違っているからだ。表情に乏しいのは変わりなく自分への態度もいつもと同じだが、子供達や孤児院の大人達、侍女や近衛に向けるまなざしや口調がどこか柔らかみを帯びていて優しいような気がする。

 自分だけが締め出されているような疎外感をランドルフは感じた。


 王妃を抱き寄せてしまった手を見つめる。王妃から抱きつかれるのも初めてなら、公務以外で触れ合ったのもいつ以来か思い出せないほどだ。

 違和感を覚えたのはブレンダに馴染んだせいだろうか。そもそも抱きしめることなど絶えて久しかったからだろうか。

 玄関の方から人の声がしたと思ったら、遊んでいた子供達よりも年長の少年が入ってきた。多くの近衛と、悠然とした態度で座っているランドルフに少し臆しているようだ。

 院長が最年長の少年だと説明した。


「名は?」

「ボブといいます」


 聞けば鍛冶の工房に通っていると言う。待遇は悪くない、工房の職人は厳しいがよく教えてくれている、早く技術を学んで独り立ちしたいと将来の夢を語った。

 今は帰ってくると年下の子供達の世話をして、決まった曜日に教師から教えてもらっていると毎日の生活も説明した。


「王妃様のおかげです」


 きっぱりと言い切った少年の目は澄んでいた。よほど王妃に信頼を寄せているらしい。

 ランドルフは少年に、疑問に思っていたことを尋ねた。


「王妃はどうしてこんなことを始めたか、知っているか?」

「王妃様は気まぐれだと言っていました。あと、力が欲しいからって」

「力?」


 ランドルフは聞き返したがボブという名の少年は間違いないと頷いた。このような場所でどんな力が得られると言うのか。

 第一、王妃は既に権力を持っている。公には自分の次のだ。

 ランドルフは首をかしげざるを得なかった。

 思い立って厨房の様子をうかがうと、王妃が孤児院の修道女や年長の少女と一緒に野菜を切っていた。意外にも器用に刃物を扱っている。大きな鍋に材料を入れたり、肉を漬け汁に浸したりしている。 


 傍らの少女に話しかけられた時、一瞬王妃が笑ったように見えた。瞠目した次にはいつもの表情だったので見間違いと判断した。しかしやっていることは王妃としてはあるまじき労働であり家事だ。

 ――これで何の力を得るのだ?

 元々何を考えているか分からない王妃だが、いよいよ思考回路が謎だ。

 ランドルフはまた食堂に戻り、手を顎にやって思索した。



 食事もできあがってクリスティーナ達は孤児院を後にした。いつものように馬車に乗り込もうとしたクリスティーナに、国王の侍従が主の言葉を伝えた。クリスティーナと馬車の扉を開けた侍従との間でやり取りがなされる。

 クリスティーナはしばし考え込んで、後ろに控えた侍女達と近衛に言葉少なに指示を出す。そして一人だけ国王の侍従が控える馬車に乗り込んだ。

 外見は地味だが内部は贅を凝らした中に、ランドルフがゆったりと座りクリスティーナを見ていた。クリスティーナが座席におちつくと、馬車が走り出す。

 しばらくの間、二人とも何も言わなかった。


「随分とあの孤児院に肩入れしているな。罪滅ぼしのつもりなのだろうか」

「罪滅ぼし――そうかもしれません」


 ランドルフの直接的な問いに、やや遅れてクリスティーナが返す。目線はランドルフの胸の高さだ。

 抑揚のない冷静な声音は、かえってそらぞらしく聞こえてしまう。

 手を重ねて膝の上に置き端然と座っている姿は王妃そのものの品格で、先程の孤児院での様子が嘘のように思える。


「そなたは、あそこでどんな力を欲しているのだ?」


 クリスティーナがランドルフをゆっくりと見つめた。ふいに庭で見つめ合った時のことが思い出されランドルフの鼓動が高鳴る。


「誰からそれを」

「ボブとかいう少年だ」

「ボブが。そうですか」


 ボブと聞いてクリスティーナの表情がほんの少し緩んだ。親しい者を思い浮かべるような顔になる。

 王妃が孤児院で結んだ絆が察せられて、また奇妙な疎外感を感じる。もう何年も親しい間柄ではなかったのに王妃が城の外に目を向けるようになった途端に、なぜ興味をそそられてしまうのだろうか。


「人として生きる力、でしょうか」

「なんだ、それは」

「わたくしは、孤児院の子供達と一緒に育てなおしをされているのです」


 成人し、婚儀もあげて子供までできた王妃が育てなおしなどとおかしなことを言うので、ランドルフは面食らった。

 ランドルフが戸惑っている様子に、クリスティーナは内心でいかに今まで表面的な関係であったかと思う。踏み込んだ会話をしたことがないのでどういえばランドルフに伝わるかと悩む。


「最初はわたくしでも人の役に立つことができればと始めたのですが、いつからか子供達から素直な感情や懸命に生きようとする強い心を教えられています。――わたくしは人と接するのに向いていないと自覚しておりますので」


 言葉を選びながら、気持ちを口にするのがこんなに難しいとはと思う。人と距離をとり寄せ付けず、傷つけないように傷つけられないように振舞ってきたつけは大きい。

 王族の誇りで表面を糊塗してきたように思うがそれも限界のようで、がらんどうの自分に嫌気がさしてはじめたことだ。

 役目があるうちはよい。重要な、ほとんどそれだけを目的として生かされてきた自分がその役目を果たせなくなった時、この先をどうしていいか分からなくなってしまった。


 お飾りの王妃で生き続けるべきか、生きられるのか。あるいは。


「……そなたの考えていることは分からぬ」

「分かろうとしてくださっただけ、ありがたく存じます」


 軽く頭を下げる王妃に、ランドルフはやはり変わったと思う。今までの王妃であれば『申し訳ないことと存じます』で済ませていただろう。完璧な謝罪はそれ以上踏み込むことを冷ややかに拒む。王妃はこちらの行動や考えに理解や共感の念を表すことは、ほとんどなかった。

 それがほんのわずかにせよ表情が変わるようになり、自己完結してしまっているようだが表面的でない考えを口にする。

 初めて素の王妃を見出した気がした。


「それにしても、そなたから抱き付かれるとは思わなかった」

「あれは……偶然です」

「そうか、偶然か」


 戯れ半分でランドルフは向かいに座るクリスティーナの腕を引いた。座席から腰が浮いたのを強引に引き寄せる。

 抱きしめて食堂で抱いた違和感の正体に気付く。元々華奢だったのが記憶にあるのよりも一層。


「――やせたな」


 ランドルフの予想外の行動に硬直していたクリスティーナが、ぴくりと肩を震わせた。力をこめれば本当に壊れてしまいそうだ。

 やせてしまうくらいなら何故、とランドルフに諦めきれない思いがおこる。


「何故、踵の高い靴など履いたのだ」

「わたくしは、履いてはおりません。そのことは前にも申し上げたはずです」


 王妃の声が硬質な響きを持ち、ひどく冷ややかに言い放たれる。

 ぐいと胸を押されてランドルフは腕の力を緩めた。後ずさって座席に座りなおした王妃の顔に、表情はなかった。

 先程までの穏やかな雰囲気は霧散してしまっている。目の前にいるのはまさしく氷の王妃だ。


「このような戯れはおやめください。ブレンダ様にしてさしあげればよろしいでしょう」

「そなたは私に触れられるのも嫌なのか?」

「わたくしに関わるのは時間の無駄だと申し上げたく。陛下に必要なのは一日も早いお世継ぎの誕生です」


 王妃の内面がのぞけたかと思えたのに、すぐに氷壁が築かれてしまう。

 共用の寝室には赴かぬ。書簡でもそう記されていたではないか。ランドルフは奥歯をぐっと噛み締めた。



 国王が王妃を伴って帰城したことはすぐに噂になった。

 ブレンダは渡ってきた国王に身をよせる。国王も優しく抱きしめかえすが、ブレンダは背中に回した手で国王の服をきつく握り締める。

 けして渡さない。そんな意思が込められた力の入れようだった。



 クリスティーナは屋敷に寄らずに戻ってきたことを気にしたが、国王陛下自らが孤児院にいてそのまま帰城したのだから病気云々は言っても仕方がない。

 それよりも、と溜息をつく。自分の体に腕を回して抱きしめられた余韻をなぞる。


「子供達から素直な感情を学んでいると言いながら、わたくしのひねくれた態度はどうなの。救いようがないわ」


 まずい対応と振り返り、反省の口調は苦かった。



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