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氷の王妃  作者: 素子
15/18

15  氷解

 北のはずれはまだ寒さが残っていた。暖かい室内でお茶を注ぎながら、エルマがクリスティーナに世間話のついでように話しかけた。


「ブレンダ様の父君の侯爵が、伯爵ともども罪を問われたそうです」

「そう……ブレンダ様は?」

「情報が錯綜しておりまして、まだ詳しいことは分かっておりません」


 にわかに苦味を増したお茶をクリスティーナは黙って飲んだ。

 父親が断罪されたのなら側妃は心細いに違いない。子供は大丈夫だろうか。心労で体調を崩していないだろうか。短期間ながら子を宿した身から、あの期間は驚くほどに感情が揺れ動くことは想像できる。

 

「少し、庭を散策するわ」


 いまだとけきれぬ雪の積もった庭も、クリスティーナの散策する辺りは雪が払われている。針葉樹のくすんだ緑と、立ち枯れたような茶色の色彩に雪の白が照り映えている。珍しく日差しは明るく、雪に反射した光で眩しいほどだ。


 階段の一件が明るみになり、汚名はすすがれたようだ。ただ気は晴れない。

 失った子供が戻るわけでもなく、ブレンダがいずれはランドルフの子供を産む。その子の立場は微妙だろうが、ランドルフなら悪いようにはしないだろう。

 ブレンダが失脚したとしても別の女性が王妃なり側妃に立つ。

 自分は正式な退位の通知が届けば、この離宮も出て修道院に入るだけ。終の棲家になるはずの修道院と孤児院は建設に着手している。しばらく歩き回り室内に戻ると、意外な客が来ていた。


 鼻の頭を赤くしたボブが恐縮したように、エルマからお茶を出されて座っている。

 クリスティーナが部屋に入ると、はじかれたように立ち上がった。


「王妃様、久し、お久しぶりです」

「まあ、ボブ。よく来てくれたこと。わたくしはもう王妃ではないので、クリスティーナで結構よ」

「ク、クリスティーナ様。孤児院の院長と子供達からの手紙を預かっています。俺は親方からこっちの様子を見て来いって」

「そうね、ためし掘りさせた鉱物を持たせるので見極めてちょうだい」


 エルマもジェーンも孤児院に通い顔見知りになっている。ボブも、段々と緊張がほぐれたらしく孤児院のことを中心に話が弾んだ。


「庭に出てみる? 厳しいけれどわたくしには懐かしくて美しい眺めなの」


 防寒をしっかり施されたボブと、寒さには慣れていて薄着のままのクリスティーナはエルマを後ろに庭に出た。

 ボブはこんな雪は体験したことがなかったようで、道中から興奮していたと告白する。雪がそのまま残っている場所に目を向けて子供っぽい顔つきになった。


「ちびがいれば、大騒ぎだろうな」

「色々雪遊びができますからね」

「冬も楽しいけれど、避暑地としても楽しめると思うわ」


 ジェーンが押しかけ侍女になったように、クリスティーナの近衛騎士二名はここにクリスティーナ達を送り届けた後、城には戻らなかった。

 隊長には除隊届けを出してある、北の辺境では男手はいくらあっても足りない。まして身分を考えると護衛はつけていた方がいいと説得されて、結局彼らは北の離宮にいる。あれこれと働いてくれて、庭の雪かきも庭師に協力しての彼らの仕業だ。


「孤児院はどう?」

「おう……クリスティーナ様に頼まれたって言う伯爵夫人がよくしてくれます。国王様からも、定期的に必要なものが届けられています」


 孤児院の援助継続を条件の一つにして北へと去ったけれど、上手く運営されている様子にクリスティーナはほっとする。

 気まぐれで手を差し伸べて突き放す。孤児院の子供達はいやと言うほど経験しているから、自分の仕打ちが傷になっていないか気がかりだった。ボブにそう言うと、きっぱりと否定される。


「クリスティーナ様は一時的なものではなくて、俺達が一人でもやっていける援助をしてくれた。読み書きも計算も、色んな仕事の世話も礼儀作法も。造ってくれた宿舎の工房のおかげで、そこで作ったものも売ることができる。下働きじゃないもっとちゃんとしたところで働くことができる。孤児院の出身だって卑屈にならずに生きていける、クリスティーナ様はそんな力をくれました」


 まっすぐにクリスティーナの心に届く力強い言葉に、胸が熱くなってくる。

 人として、前を見て生きる力。それこそクリスティーナが欲した力だった。子供達に種がまかれ芽吹いて、ボブなどは力強い花も咲きそうだ。空っぽだった自分が誰かの役にたつことでゆっくりと満たされていく。そんな気がした。

 過去は変えられなくても未来は作れる。子供をなくしたクリスティーナと親を失った子供達の結びつきは、反対の境遇ながらもぴたりと合わさり新しい関係がつくりだせたように思えた。


「わたくしも、皆から生きる力をもらったの。ここへは逃げ出してきたようなものだけれど。戻る場所はなくても行く場所はつくれるでしょう?」

「はい。それで一人前になったら、いつか家族をつくりたいんです」


 照れくさそうに夢を語るボブをエルマと二人で姉のような、母のような気持ちで見つめる。ボブならいい夫や父親になれるのではないか。気立てのいい女性を妻にして、やがて子供が生まれて……。


「楽しみね。わたくしも、お母さんになりたかったわ」


 ふと口をついた言葉にああ、と納得する。流産した後で自分の現状と今後を認識して冷静なつもりで動いたけれど、ずっとこの気持ちを引きずっていたのだと。

 ランドルフの子供を産んで育てて。――ランドルフと家族になりたかったのだと。

 ふいに束の間の触れ合いを思い出して目蓋が熱くなる。どうしたのと思うまもなく、熱いなにかが頬を伝った。ボブとエルマがひどく驚いた顔をしているのに、視界はぼやけている。


「クリスティーナ様、泣いていらっしゃるのですか?」

「わたくしが、泣いて?」


 頬に指先を当てると濡れたものが触れる。涙などとうに流すことを忘れたはずなのに、あとから湧いてくる。ボブがあたふたしながらハンカチを差し出そうとしたのより早く、クリスティーナは後ろから抱きすくめられた。

 包み込むような大きな体と香りはここにいるはずがなかった。


「ボブ、だったか。悪いが慰めるのも泣き止ませるのも私だ」


 低い、それでいてよく響く声が頭上から降ってくる。既に驚きで止まりかけている涙は、ハンカチでそっと拭われた。なぜという疑問詞ばかりがあたりに満ちている。


「へ、いか。なぜここに……」

「迎えに来た。私とともに戻って欲しい」


 ここは寒い、中で話そうと国王は皆を室内に促した。お茶の用意だけしてエルマはボブを引きずるように退室し、気まずいクリスティーナとありがたそうに熱いお茶を飲むランドルフだけが残された。

 一息ついてランドルフはクリスティーナの目にそっと指を這わせる。顔をのぞきこんで笑いかけた。


「泣き止んだか。そなたの涙を初めて見た」

「わたくしもいつ以来か忘れてしまいました」


 泣けば周囲が迷惑を被る。それを悟って涙を封じたのはやはりこの離宮だった。


「何に対して泣いていたのだ?」

「失ったものに対してです」


 未練を断ち切るように唇をきゅっと噛んで、クリスティーナはランドルフから距離をとった。臣下の礼を取る。

 よそよそしい振る舞いに、ランドルフは少しだけ落胆する。

 

「そなたを迎えに来たのだ。城に戻って欲しい」

「ブレンダ様とお子様は」

「懐妊はしていなかった。ブレンダは側妃を退かせて修道院に入れた」


 意外な処置にクリスティーナは目を見開いた。ランドルフは結局ブレンダを父親と同じにはできなかった。利用されないように、修道女にして監視の厳重な修道院に預からせた。

 貴族の令嬢から自分のことは自分でやる生活へと変わってしまうが、父親の罪を悔いて祈ってくれればと考える。心をよせた女性だ。どんな形であれ生きていてほしいとランドルフは処断した。


「そう……でしたの。でもわたくしは城に戻る理由がありません」

「理由ならば、そなたは私の王妃だ。転地療養が終わるのを待ちきれずに迎えに来てしまった」


 クリスティーナはかぶりを振る。もう王妃ではないし、この身が城に戻っても役立たずには変わりない。

 そんなクリスティーナに、ランドルフは小さな袋を差し出した。中には白い小さな花が土ごと入っている。


「この、花は」

「そなたの封蝋の印で、私にいつも刺繍してくれた花だ。これの意味をデレク殿に教えてもらった」


 クリスティーナが見る間に赤くなる。そんなうろたえぶりは初めてで、クリスティーナも花の意味を熟知しているのが分かる。

 寒さ厳しい北で、雪のとける頃に最初に咲く花。

 年頃の娘は意中の相手にこの花を刺繍したものを渡す。そして若者は花を意中の相手に渡す。そんな風習だった。


「そなたが手紙をよこしてくれるたび、刺繍したハンカチを渡してくれるたびに想いをこの花に託してくれていたのだろう?」


 だから手ずから掘り出したのだとランドルフは微笑んだ。

 氷の王妃と呼ばれ仮面をかぶったような年月の中で、密やかによせられた想いに気付いた時に愛しさがあふれた。王妃の退位も、だから本心からではないと混乱しながらも確信できたのだ。


「これを受け取ってほしい。そして一緒に戻ろう」

「わたくしは、あなたに子供を授けることはできません。第一王妃の位を売り渡しております」

「代価を返す相手はもうおらぬ。それに未来のことなど誰にも分からぬではないか。私はそなたがいいのだ。そなたでないと、駄目なのだ」


 クリスティーナは耳まで赤くしながらランドルフを見上げた。その瞳が潤みだす。


「わたくしが、役にたてるのですか?」

「役に立つ立たないではない。そなたと一緒にいたいのだ」


 袋を両手で持ったクリスティーナを前に、ランドルフはひざまずく。そっと片手をとって手の甲に口付けた。かくりとクリスティーナの膝が折れる。ランドルフの前に座り込んだクリスティーナは、ぼろぼろと涙をこぼしていた。

 

「わ、わたくし。わたくし……」

「戻ってくれるな?」


 ああ、氷の王妃の氷がとけたのだとランドルフは思った。こんなに熱い涙を流せる者が、氷であるはずがない。

 肩を抱き寄せ花を潰さないようにそっとクリスティーナを包んだ。

 しばらく泣かせるままにして、涙を拭う。泣き濡れた顔で見上げるクリスティーナは幼い少女のようだった。


「でも、わたくし、ここでやることがあります」

「孤児院の件なら修道女をまわせばよい。そなたの孤児院の子供も職員として協力してくれるだろう」

「この領地を生国に返す件と、隣に賜った土地はどういたしましょう」

「こちらが振り回した形なので、そなたの好きにすればよい。随分とこの辺りに執着しているようだが、何かあるのか?」


 宰相に王妃を迎えに行くと伝えた際に、では現地をよくご覧下さいませと妙な念押しをされた。

 不思議な顔になっていたのだろう、宰相は穏やかに微笑んだ。王妃様は先の先まで見ていらっしゃいます、と。王妃付きの侍女は実に優秀ですな、とも。

 案の定、当て推量のランドルフにクリスティーナが疚しそうに目をそらした。


「ここと、隣接する土地には有望な鉱山があるのです。採掘とその後の加工を共同でできればと、孤児院の子供達が弟子入りした工房にも声をかけておりました」


 つまり、新しい産業を興そうとしていたわけかとランドルフは感心して、呆れた。

 生国へも利益をもたらし北の辺境の暮らしも豊かにする気とは、わが王妃は本当に女性の皮をかぶった男性なのかもしれない。


「それもおいおい取り決めよう。まだ何か障害があるか?」


 たたみかけられて、クリスティーナは観念した。

 手の中の花を見つめ、ランドルフに視線を移す。そして――。





 ランドルフはうろうろと室内を歩き回る。とても執務など手につかない。

 それなのに宰相はいつも通りに書類の束を持ってこさせて、ランドルフに座るようにと有無を言わせない。


「座ってなどいられるか」

「陛下が歩き回ったからといって、何の助けにもなりませぬ」

「もう丸一日だぞ」

「人によって異なりますが、最初は時間がかかるものです」


 奇跡的な懐妊――侍医は懐妊は難しいだろうとは申し上げたが、無理とは言っていないと弁解していたが――の後、クリスティーナが産気づいて丸一日が経過しようとしていた。城中が王妃の様子に固唾をのんでいる。

 転地療養から戻った王妃は、もう氷の王妃ではなかった。ようやく人々からの尊敬と親しみを勝ち取り、ランドルフと子供がなくとも仲良く暮らしていければとの心境だった頃に、思いがけなく懐妊した。

 ランドルフの歓喜は、すぐに憂慮に変わる。あんなに細くて大丈夫なのか、なによりクリスティーナの母は出産で落命している。もし、クリスティーナがそんなことになればと恐怖すら感じた。


「わたくし達を選んでくれた命ですもの、なるようになります」


 既に強さを獲得して微笑むクリスティーナとは裏腹に、ランドルフは情けないが内心はびくびくし通しだった。

 いざ産気づけば自分にできることなど何もない。クリスティーナの部屋で待とうとすれば、うろうろされても迷惑とエルマから暗に脅され、執務室へと追いやられる。執務室でも落ち着かないのは変わりなかった。


「なぜそなたは落ち着いているのだ」

「同じような思いを四度経験いたしましたので。なるようにしかならない、最後は女性次第ということを嫌と言うほど理解したからです」


 書類を選別しながら宰相は諭す。

 ランドルフの目の前に書類を置いた。


「署名だけすればよいものです。これだけでもお願いいたします」


 しぶしぶペンを取り、名を書き記そうとした時に興奮した面持ちの侍従長が入ってきた。

 ランドルフはペンを取り落としたのも気付かなかった。

 穴のあくほど侍従長を見つめる。侍従長は何度か唾を飲み込み、唇を湿らせて声を出した。


「男の子です。王妃様もお健やかで――」


 最後まで聞かずにランドルフは立ち上がり、駆け出した。書類が散らばった気もするが、構っていられない。近衛が間に合わないほど急いで王妃の間へと急ぐ。

 寝室へと入れば、大仕事のあとのほっとした空気を覆すように元気な泣き声が響いていた。

 クリスティーナがランドルフを認めて、疲れた顔に笑みを浮かべる。


「陛下、生まれました。見てやってください」


 綺麗な布に包まれて元気に泣いている子供を、ランドルフはこわごわと受け取って覗き込む。

 髪の色は自分、目の色はつぶっているから分からない。軽いのに、不思議に重く感じる。目頭がじんわりと熱くなった。

 そっとエルマに渡して寝台に横たわるクリスティーナの手を握る。


「ありがとう。疲れただろう、ゆっくり休め」


 いたわりの言葉にクリスティーナが微笑みながら涙を一筋流した。


「嬉しい時にも、泣いてしまうのですね」

「ああ。……そうだな」


 氷の王妃の氷がとけた時、喜びだけが満ち溢れる。





 完

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