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氷の王妃  作者: 素子
14/18

14  残酷

 他の誰も入る余地なく触れ合っているというのに、ランドルフはクリスティーナとの間に埋めがたい距離を感じる。


「何故そんなことを言うのだ。そなたの本心はどうだ? 私の気持ちはどうなる?」

「――ランドルフは、わたくしでなくブレンダ様を王妃にしていれば、とお思いになったことがおありでしょう?」


 否定するより早く強張る体が肯定の意を示す。確かにそう思っていた、つい最近まで。めとった王妃に親しみが持てず、その後でやってきた全身で好意を示す側妃に惹かれても無理はないだろう。

 クリスティーナが懐妊せず、また自分が気まぐれで孤児院を見学にいかなかったら遠からず王妃の交代劇があったかもしれない。その際自分はむしろ望ましいとさえ思ったはずだ。


 実際には思ってもみなかった王妃に出会い、その寂しさと不器用さを知った。

 向けてくれた笑顔に、胸が苦しくなるような想いさえ味わった。それを今になって。


「そう思われても仕方ない、わたくしの振る舞いだったのです。ブレンダ様は一途にランドルフを想っていらっしゃる。ご実家はランドルフを支えるでしょう。

 ――この筋書きでわたくしは体面が保てて、生国へも最低限役立つことができるのです。どうか、わたくしのわがままをお聞き届けください」


 肩に額を当ててクリスティーナが説得する。

 ランドルフとて、クリスティーナの言い分が理にかなっているのを否定はできない。

 理性は納得しても、感情はそうはいかない。


「両国間の問題だ。そなたの一存で決められる話ではない」

「兄は承諾しています。父も、領地が戻り今後も関係が悪化しない限り反対はしないでしょう」


 ここに至って、完全にクリスティーナにしてやられたと観念するしかなかった。

 これ以上反対しても今度は自分のわがままになってしまう、とランドルフは悟った。


「ランドルフ。生まれてくるお子と、その母君を第一にお考え下さい。氷の王妃を切り捨ててください」


 それが多数の幸福につながります、と小さく呟いてクリスティーナはゆっくりと拘束から抜け出た。見上げる薄青い瞳には迷いはなかった。苦悩するランドルフを映していてもだ。


「そなたは、残酷だな」


 こぶしを握り、ランドルフは静かに立ち上がって部屋を後にした。

 正論を振りかざして根回しをし、退路も断つ。書いた筋書き通りにランドルフも承認せざるを得ない。

 クリスティーナの表情は変わらなかった。凍ったような無表情のままだった。



 クリスティーナは翌日から荷物をまとめ始めた。王妃の退位などは、手続きは煩雑な上に時間がかかる。その前に必要な書類に署名だけをして、さっさと北へ行くつもりだった。正式に退位するまでは持参金代わりの領地の離宮に滞在し、退位がかなえばそこを出て新生活を始める予定にしている。

 エルマは驚いた様子もなくクリスティーナの説明を受け入れたが、ジェーンはそうはいかなかった。

 やっと王妃が城内でも貴族達から認められるようになった矢先の話に、しかもゆくゆくは側妃と入れ替わりになるという話に憤りと感傷を強烈に滲ませる。


「あんまりです、王妃様」

「わたくしが決めたことですもの、ジェーンが憤慨する必要はなくてよ」


 華美なドレスは要らない、ただ宝石が縫い付けられているものは今後の事業のもとでになるからとドレスを選別し、不用品を処分する。そうしてできあがった荷物は、驚くほど少なかった。

 クリスティーナの希望通りに領地に隣接する土地が与えられ、城下の孤児院への後援も今までどおりと明文化される。ブレンダの父である侯爵と、国から元王妃の体面を保つに相応しいと思える収入も得られた。



 明日は城を発つという前夜、クリスティーナはささやかな宴を催した。

 自分についてくれた使用人、護衛をしてくれた騎士、数は少ないながらも慈善事業に賛同してくれ協力を約束してくれた貴族達に向けて感謝の意を表した。

 会場には国王と側妃は現れなかった。ランドルフにはクリスティーナが会うのを断り、ブレンダはクリスティーナに合わせる顔がないからと断られといった次第でだ。宰相だけは顔を見せた。


「宰相殿、このたびの尽力に感謝します」

「かの地でもお健やかであらせられますように」


 宰相はクリスティーナの背後に立つ侍女、エルマを認めてそれと分からぬほどに会釈をした。エルマも同様に礼を返す。

 宴に出席した人々は、氷の王妃の笑顔を目の当たりにして誰にとっても忘れられない夜になった。



 翌朝、まだ早い時間に目立たない馬車がつけられる。旅支度をしたクリスティーナはエルマを伴い、馬車に乗り込む。

 そこに決意を固めたといった風情のジェーンが追いすがってきた。


「私も供に加えてください」

「あなたは今度はブレンダ様の衣装係になるはずでしょう? わたくしが行くのは北のはずれなの」

「いいえ、城ではなく王妃さ……クリスティーナ様にお仕えしたいのです」


 若い娘の一時の浅はかな考えではない、と主張するジェーンにクリスティーナは根負けした。エルマの隣を手で示して微笑む。


「とても寒いところよ。風邪を引かないでね」


 ぱあっと顔を輝かせたジェーンが乗り込むのを待って、馬車は静かに動き出した。

 後に荷物を載せた馬車が続く。その列が小さくなって見えなくなるまで、ランドルフは身じろぎもせずに見つめ続けた。


「今ほど、泣けないのがありがたいと思ったことはないわ」


 窓から景色を眺めながら、クリスティーナはぽつりと呟いた。



 何日かしてランドルフはブレンダを見舞うべく、部屋へと赴いた。

 喪失感は拭えず何もする気にはならないが、懐妊に加えいずれは王妃への戴冠式など控える身でもある。顔を見て不都合などないか確認しようとの考えからだった。

 部屋に近づくにつれておかしな空気を感じる。部屋の前の護衛の騎士が、ランドルフを認めてかしこまった。


「どうした?」

「父君の侯爵様がおいでです」


 遠からず義理の父になる侯爵もいると聞いて、そのまま部屋に入る。先触れがされていたはずなのに、寝室の前で立ちすくんで困っている様子だ。聞くと、誰も部屋に入れるなと侯爵が大変な剣幕らしい。国王の先触れなど無視できるはずもないのに、耳に入らない様子だとか。

 全く侯爵らしくないと思いながら、少しだけ扉を開けさせる。

 途端、激高した侯爵の声が飛び込んできた。

 

「懐妊が間違いなどと、よくも。私の顔に泥をぬる気か」

「お父様、ごめんなさい。どうか、どうかお赦しを……」

「私が王妃にいくら払ったと思っているんだ。それもお前と子供の地位を考えてだ。それを、間違いで済むかっ」


 扉に手をかけた侍従長が蒼白になっている。自分でも顎が固く強張るのを感じた。

 夜会であれだけの人物を前に宣言したのが、間違いだと? 自覚症状も他覚症状もあると申していたではないかと、歯軋りしたいほどの感情がわきあがる。王妃は身を引いて去っていったというのに無駄だったのか? ふつふつと怒りが湧き起こる。

 小声で侍従長に宰相を至急呼ぶようにと命令し、扉の向こうのやりとりに集中する。

 泣いて話にならない娘を前に、侯爵が怒鳴り散らしている。合間に、侯爵家から連れてきた侍医がとりなすような声も聞こえた。


「泣いていても始まらぬ。これをどう収拾するかが問題だ。流れたことにするか? 王妃の仕業にはできない。あの時のようには――」


 聞き捨てならない言葉が耳を打った気がする。ブレンダが泣き止んだ気配がした。


「お父様、あの時とは、まさか」

「お前より早く王妃が懐妊したのだ。世継ぎであってみろ、お前の栄達は望めない。だから伯爵に命じて……」

「王妃と子供に手をかけたのか?」


 たまらずに扉を開け放ち詰問する。誰が入ってきたとなじろうとした侯爵が動きを止める。

 ブレンダは寝台の上で口に手を当てていた。それらは認識したが、今は侯爵の言葉だけが脳裏にこびりついている。


「答えよ。階段の件はお前の指図か?」

「陛下……」


 土気色に変わった侯爵の顔色が、事実だと述べているようだ。娘の栄達のため、そのために。――そんなことのために。

 駆けつけた宰相が目で問うてくるのに、端的に事実を述べる。


「け、して、私は、そのような恐ろしいことを、命じた覚えは……」


 つかえながら言い募る侯爵を、宰相がさえぎった。


「面白い資料が手に入っていまして。王妃様付きの掃除係、階段補修担当の営繕係とその上役、上役の遠い親戚の伯爵……。ここまで言えばなんのことかお分かりでしょう?」


 とうに消したはずの生きた証拠と自分にいたる関係をつきつけられて、侯爵の体から生気が抜けたように見えた。その場に崩れるように座り込む。


「審問官を呼べ。侯爵と伯爵の身をゆだねよ」


 審問官の単語にブレンダがひっと息を飲む。相手の身分に関係なく審問を行う審問官は、審議の公正さは勿論だが望む自白を引き出すことに長けている。その自白が得られるまでの審問の苛烈さは、女性が目の当たりにすれば卒倒するだろう。無論目を付けられた本人達にも、苦痛は耐え難いものになる。


「王族に手をかけた罪を、一族の血であがなってもらう」


 自分の宣言にブレンダが怯えた顔になる。この様子では知らなかったと見える。だからといって見逃せない。

 全身をぶるぶると震わせて、碧の瞳は新たな涙を浮かべている。すがるような面差しは哀れを誘うが、愚かしさは否めない。


「へ、いか。私は……」

「特別の温情をもってしても生涯幽閉だ。覚悟しておけ」


 その顔が絶望に染まるのは痛ましい。しかし王族に手をかける罪は万死に値する。例外は、ほぼないに等しい。にわかに慌しくなる周囲への興味は失せて、ランドルフはきびすを返した。

 侯爵と伯爵の断罪、一族への処断、領地の没収など煩雑な処理が必要になる。宰相に処理を任せ、ついで王妃の退位の事務処理の中止を命じる。

 不思議なほどに冷静だ。怒りも突き抜ければこのような心地になるのか、とどこか他人事のように思う。


 今、頭にあるのは静かに去っていった王妃のことだけだ。

 まだ――間に合うだろうか。





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