表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
氷の王妃  作者: 素子
12/18

12  決心

 デレクは五日ほど滞在して国へと戻っていった。見送りのクリスティーナの額にそっと唇を押し当てる。


「ティーナ、私はお前の力になりたい。思う通りにやってみて、それでも駄目なら頼って欲しい」

「ありがとう、お兄様。どうかお気をつけて」


 微笑むクリスティーナをデレクは眩しそうに見つめた。

 クリスティーナを通して別の誰かを透かし見るような眼差しだった。


「本当に母上に似ている。だから父上も、お前を目の当たりにするのが耐えられなかったのだろう」


 クリスティーナは肖像画でしか知らない母だが、長ずるにつれてますます似てきたらしいのは周囲の反応からは察せられた。

 忘れ形見のはずなのにあまりにも似すぎていて、近くにいれば命を奪ったと憎しみをぶつけてしまいそうで父は妹を遠ざけたのだろうかとデレクは思う。


「父上も寂しい人なのだ」

「……分かっています」


 人を想うことを知ったクリスティーナは頷いた。泣くな、笑うな、どこかに連れて行けと言いながら、父の方が辛そうだった。自分がいると否応なく二度と取り戻せない存在を思い出すのだ。

 それだけ母が愛されていたのだと思うと今は羨ましさこそあれ、父への恨みなどは感じない。悲しみを分かち合えなかった寂しさだけは拭えないが。

 デレクはクリスティーナの後ろに控えたエルマに一瞥をくれる。それだけで通じたエルマが頭を下げた。手を取り合い、別れを惜しんでデレクは馬車に乗り込んだ。


 デレクを見送ったその足で、クリスティーナは久しぶりに孤児院を訪問するつもりだった。いつも使っている馬車に御者が乗り、傍らに馬に乗った近衛騎士が付き添う。

 城を出て賑やかな通りにさしかかった時、向こうから悲鳴と大声が聞こえた。


「暴れ馬だっ」


 空の荷馬車を引いた大きな馬が、泡をふきながらひたすらに突進してくる。馬や荷馬車に引っ掛けられた人の悲鳴が飛び交う。狂ったように駆ける馬の勢いは誰も止められない。その行く手に馬車がいた。

 御者が進路を変えようとするが、間に合わずまともに暴れ馬と馬車がぶつかった。馬車は派手な音を立てて横転した。さすがに暴れ馬も行く手を阻まれて止まり、足を折るか傷めるかしたのか倒れこんだまま起き上がれない。

 からからと馬車の車輪だけが空回っていた。


 警備隊の隊員が駆けつけて人垣をかき分けて馬車にたどり着く。御者は無事な様子を確認して安心した後で、ごくりと唾を飲み込んだ。

 装飾は抑えてあるがかなりの身分や経済力を有する人物のものと思われる馬車は、横転した際に破損している。誰も出てきた様子はない。中で気絶しているのか、あるいは……。

 恐る恐る中を覗き込んだ隊員は呆けた声を上げた。


「誰も、いない?」



 クリスティーナは孤児院で近衛の騎士からの報告を受けた。


「負傷者は?」

「暴れ馬に引っ掛けられた者の打撲傷くらいです。御者も騎士ですので飛び降りて無事でした」

「そう、軽く済んだのなら良かったこと」


 王妃はいつもと変わりなく受け答えをしているが、対する騎士の表情は固い。

 念のためにと無人の馬車を仕立てていて正解だったとしかいえない。事故を目撃した者や、警備隊の隊員、御者役の騎士の話を総合すると暴れ馬は異常な興奮状態だったようだ。それが全力で疾走してぶつかっている。馬車に人が乗っていれば無事ではすまなかっただろうと推察された。


「あなた方の機転のおかげで大事に至らずに済みました。ありがとう」


 クリスティーナの感謝の言葉に、騎士はとんでもない、と頭を垂れる。

 直前に空の馬車を先行させると言い出したのは、王妃の侍女だ。いつの間にか手配していた地味な馬車に王妃は乗り込んで、目立たずに城を出て孤児院へと赴いた。まさかこの事故を予測していたわけではないだろうが、結果的に危険を回避できた。


「もったいないお言葉にございます。これが我らの責務なれば」


 騎士の礼を取った近衛は周囲の状況に目を配りつつ、庭に出て子供達の輪の中に入ってまとわりつく男の子達に棒術を教えだした。

 

「王妃様」


 エルマが声をかけると、小さな女の子の髪の毛を編んでいたクリスティーナがなあに? と聞き返す。


「帰りにも別の馬車を用意しましょうか」

「同じ手は使わないと思うのだけれど。わたくしにできるのは待つことだけ」


 穏やかな口調ながら物騒な内容だ。細く柔らかい子供の髪の毛を編みこみながら、クリスティーナはのんびりと応えた。

 いつかの午後のようにおやつの後で夕食の支度までを手伝ったクリスティーナのもとには、近衛から城にも連絡が行ったのだろう、孤児院の周囲に配備されていた騎士とは別の騎士達も迎えに来た。

 思わぬ人数の騎士達に守られながら城に戻る。さすがに今日は城下の屋敷には立ち寄れなかった。帰路は何事もなく、大仰な護衛を従える形になったクリスティーナは、そっと苦笑するしかなかった。


「まるで、わたくしが挑発しているよう」



 翌日、宰相が執務室を訪れると王妃は昨日の事故の衝撃など感じさせずに、書類に目を通していた。冷静で同時に豪胆だと宰相は感嘆の念を抱く。

 ひと段落つくまで宰相は声をかけずに待つ。王妃が応接用の椅子に腰を下ろし、お茶の用意がされて空気が和らいだところで宰相が切り出した。


「陛下のご意向で、孤児院の隣に警備隊の隊舎と詰め所を移転することになりました」

「まあ」


 意外そうな王妃に、宰相は詳細を記した書類を差し出す。


「人口の増加に伴って警備隊の仕事も増え、隊員も増やす必要があります。従来の隊舎と詰め所は手狭でしたのでよい機会だと移転が承認されました」


 孤児院の隣に警備隊。ランドルフの配慮にクリスティーナは黙り込んだ。

 これで孤児院の警備もしてもらえるわけだ。気がかりが解消したこの成り行きは、ランドルフが自分を思いやってくれていることの証に他ならない。噴水の側で、自分を信じて欲しいと手を重ねたランドルフの姿がよみがえる。


「宰相殿。陛下へも勿論ですが、陛下のご指示を迅速に実行に移してくれた宰相殿にも感謝いたします」

「ならば私にも直接言ってはもらえないだろうか」


 明朗な声はランドルフのものだった。クリスティーナと宰相が立ち上がり振り返るのを制して、ランドルフはクリスティーナの隣に座った。


「陛下、執務を抜け出されたのですか?」


 クリスティーナの咎めるような響きにはそ知らぬ顔で、ランドルフは新たに用意されたカップを手に取った。一口飲んで宰相にどこまで話したか確認する。

 書類を渡し口頭で説明したところまでと宰相が答えると、国王の顔になる。


「とりあえずは明日にでも、孤児院の隣に増員した警備隊員を配置する。適当な建物があったように記憶しているので、順次移転だ」

「……陛下、本当にありがとうございます」

「近衛の報告は私も受けた。孤児院周辺で最近不審者も出ているそうではないか。そなたが訪問するのに危険きわまりない」


 王妃に訪問先で何かあっては困る、としかつめらしく言いながら目が笑っている。

 クリスティーナは何度感謝の念を述べても足りない気がした。事故も不審者も黒幕は分かっているのをあえて放置している状況で、尻尾を出してくれるのを待っている段階だ。孤児院の子供達の安全確保が不安材料だったのに、ランドルフが解消してくれるという。

 こんなに甘やかされてしまってどうしよう、そんな思いにとらわれる。差し伸べられた手に全力でしがみついてしまいそうになる。

 できるだけ想いが伝わるようにと、ランドルフを見つめて礼を言うことしかできない。


「わたくしのわがままで孤児院を訪れているのに、よくしていただいて。ありがとうございます」


 何て可愛げのない言い方なのだろうと、クリスティーナは自己嫌悪に陥る。これが側妃のブレンダだったら、目をきらきらさせて全身で喜びを表すだろうに。自分ときたらうわべをなぞるような……。

 ランドルフは、そんなクリスティーナのささいな表情の変化を見逃さないようにしていた。少し自分の方に体をずらして、まっすぐに見つめてくる。眼差しにも口調にも王妃の精一杯が感じられた。頬がいくぶん紅潮しているのを、クリスティーナ本人は気付いていないのだろうか。


 本当に久しぶりに自分がする『贈り物』に、儀礼的でない感謝を受けていることがおかしいくらいに嬉しい。警備隊の拡充は城下の治安対策としても必要であり、それをここまで喜んでくれるのならいくらでもという気になる。

 ただ王妃は手放しで喜んでいるわけではないようだ。揺れる瞳に何かをためらっているように感じ、問いただそうとした時に宰相が口を挟んだ。


「時にブレンダ様が臥せっていらっしゃるそうです」


 クリスティーナが息を飲み、ランドルフは奥歯を噛み締めた。

 宰相は穏やかな声で続ける。


「ここ数日のことのようです。なんでも寝台で急に泣いたり、めまいがするとおっしゃったりしているとか」


 数日で思い当たるのは庭園の散策だとクリスティーナは振り返る。誰かがブレンダの耳に入れたに違いない。まだ初期の大事な時期に、動揺させるようなことがあってはならないのに。


「侍医は何と申している?」

「それが侍医には会いたくないと、その……侍医が懐妊の確定診断に慎重なせいかもしれません」


 今はブレンダが親しんでいた侯爵家の侍医が側についていると知らされて、クリスティーナはじっと考え込む。

 ブレンダの不調の原因は間違いなく自分だろう。宰相がここで言い出したのも、世継ぎとなりうる子供の健やかな成長のためにやんわりと釘を刺す目的に違いない。できるだけ刺激することを避け、心穏やかに過ごさせないと一生の傷になるかもしれない。

 クリスティーナは無意識に腹部に手を当てていた。

 自分は空っぽだが、ブレンダのお腹には大事な子供がいる。それをふまえて行動しなければ。


「陛下、ブレンダ様を見舞ってさしあげて下さい。何より心強いと思われます」

「――時間の都合をつけて、そうしよう」


 表情を消したクリスティーナはかつての氷の王妃だった。王妃として最善を選ぶ、ランドルフにも意図は伝わる。心情はどうあれ、大事な子供の問題には違いない。国王としてはそれに応えなければならない。

 やってきた時の興奮して悪戯めいた気分は消えて、ランドルフは残りの執務を行うべく立ち上がった。宰相も付き従うつもりだろう、一緒に暇を告げる。


 クリスティーナは二人を見送り、執務に戻る。当日中の書類を仕上げた後で、便箋と封筒を引き出しから机上に出した。逡巡し、何度か文字を書きつけようとして、結局は再び引き出しにしまう。

 机に肘をつき握り合わせた手を額に押し当てて、目をきつく閉じてクリスティーナは揺れ動く自分の内面と向き合う。

 

 まだ、もう少し、もうしばらく。

 甘やかな関係に浸っていたかった。



 夜にブレンダを見舞ったランドルフは結局朝までブレンダの側を離れられなかった。胸にすがって泣くばかりのブレンダをなだめたせいだ。どこにも行かないでと弱ったブレンダにすがられては突き放せない。夜明け近くにようやく寝入ったブレンダは、しっかりとランドルフの服を掴んでいた。

 涙のあとを拭いながらランドルフは溜息が漏れるのを抑えられなかった。

 王妃と側妃の両方にいい顔をして、結局は両方を悲しませる。クリスティーナを氷の王妃に戻すつもりはなく、ブレンダを泣かせるつもりもないのに。

 デレクには大見得を切ったのに、結局は惰弱な国王かという思いにとらわれた。


 

 ブレンダが少し落ち着いたと侍女から聞かされた数日後、クリスティーナは侯爵と宰相、侍医と現在側妃についている侯爵家の侍医を呼び集めた。

 長い長い会談の末、王妃の転地療養が国王に打診された。

 




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ