第10話 最強の時短術
権田さんの事務所の隅で、私はノートPCのキーボードを叩き続けていた。
書き換えたCSSの記述をチェックし、問題ないことを確認して、本番サーバーへファイルをアップロードする。
プログレスバーが右端まで到達し、「転送完了」の通知が出た。
「お待たせしました。本番環境の修正、終わりました」
私が声をかけると、権田さんは「おおっ」と立ち上がり、自身のパソコンの更新ボタンを押した。
画面に表示されたのは、雑誌のような派手さはすっかり消え、実用的でシンプルなカード型レイアウトになった『奥多摩・再発見』のトップページだった。
「では権田さん、試しに先ほどの写真をそのまま投稿してみてください」
「は、はい。やってみます」
権田さんは緊張した面持ちで、管理画面を開く。
先ほどまでペイントソフトで悪戦苦闘していた、あのトリミングされていない縦長のおばあちゃんと大根の写真を選択した。
そして、祈るような手つきで「公開」ボタンをクリックする。
「おおっ! そのままでも綺麗に出た!」
権田さんが歓声を上げた。
縦長だった写真は、システムによって自動的に最適な横長の比率にトリミングされ、綺麗に枠内に収まっている。
どんな写真が来ても文字が読めるように敷いた「半透明の座布団」の上に、横書きになった明朝体のタイトルがしっかりと鎮座していた。
「あかりさん、すごいです! これなら私でも迷わずに更新できます!」
「よかったです。これでペイントソフトとはお別れですね」
私が笑って返すと、権田さんは何度も何度も頭を下げてくれた。
その安堵に満ちた笑顔を見て、私はようやく深く息を吐くことができた。
「優れたWebデザイン」とは、決して見た目の美しさや情緒だけを指すのではない。
更新する人が迷わないこと。運用者に過度なスキルを要求しないこと。
画面の手前にいる人を置き去りにしたデザインは、ただの「自己満足のアート」でしかないのだと、私は今回の出来事を通して痛いほど学んだ。
***
事務所を出て、最寄り駅へ向かう帰り道。
初秋の風が、火照った頬を撫でていく。
「見事なディフェンシブ・コーディングだった」
隣を歩いていた佐伯が、前を向いたまま静かに言った。
「これで、運用マニュアルは半分以下のページ数で済む。君の言う『最強の時短術』の完成だな」
皮肉なのか褒めているのか分からないトーンだったが、私はスマホを取り出し、勤怠管理アプリを操作しながら答えた。
「……可愛げのないデザインになっちゃいましたけどね」
自嘲気味に憎まれ口を叩く。
「でも、これで運用フェーズでの問い合わせは激減するはずです。引き続き、私の夜の時間は安泰ですね」
「そうだな。これなら金曜夕方の緊急コールは鳴らないだろう」
スマホを鞄にしまおうとした時、佐伯がぽつりと言った。
「ところで、君が休日に見せてくれた、あの熱量……少しは仕事に向けてもいいんじゃないか?」
私は思わず足を止めた。
先日の日曜日。神保町の古書店街でバッタリ出くわし、私が彼を巻き込んでしまったあの日のことだ。
『ここには物理がある!』
『インクの滲みがエモい!』と、私は熱弁を振るってしまった。
合理主義の塊である彼が、あんな非効率な出来事を引き合いに出すとは。
もっと仕事に前向きになれ、ということなのか?
あるいは――私の「熱量」を肯定しようとしているのか?
予想外の言葉に、心臓が少しだけドクンと跳ねた。
私は振り返り、佐伯の横顔を数秒見つめた後、フイッとそっぽを向いた。
「……残業代が出ない情熱は、趣味の領域に留めておきます」
冷たく言い放ち、再び歩き出す。
「またそれか。君の防壁は堅いな」
背後から聞こえる佐伯の呆れたような声に、私はこっそりと唇の端を吊り上げた。
私の「定時」という聖域は、そう簡単には明け渡さない。
でも、不思議と嫌な気分ではなかった。
駅の改札に向かう私の足取りは、オフィスに向かう月曜の朝のそれよりも、ずっと軽く弾んでいた。
応援ありがとうございます。
作者の宮城マコと申します。
この度、第2章まで公開させていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
少しでもWEB制作の現場を感じていただいたり、
また、作品自体を楽しんでいただけたのであれば幸いです。
こちらの作品は元々、第1章部分のみの短編として制作したものになり、
その後の展開を最初から明確に描いていた訳ではないため
作者自身もあまり肩肘を張らずにマイペースで進めていきたいと考えております。
よって次回更新は未定ということになるのですが、
そう遠くないタイミングで続きのお話をお届けしたいと思っていますので
引き続き、応援いただけると嬉しいです。




