第九話〜想いの、重さ〜
セフィの前に立つと、いつも言葉に迷う。
それは緊張とか、照れとか、そういう単純なものじゃない。
彼女の前では、今まで自分が積み重ねてきたものが、すべて透けて見えてしまう気がするからだ。
隠してきた痛みも、誤魔化してきた選択も、全部。
それでも、今日は話さなければならないと思った。
彼女が、あの夜から何度も俺の顔を見て、何かを確かめるような目をしているのに気づいていたから。
――このまま黙っていたら、彼女はきっと、自分を責める。
それだけは、させたくなかった。
解呪をするときの感覚を、俺は常に忘れられない。
最初は、ほんの少しだけ息が重くなる。
胸の奥に、冷たい水が溜まるみたいな違和感があって、それでも動けないほどじゃない。
でも、呪いがほどける瞬間、確かに“持っていかれる”。
体のどこかじゃない。
心でもない。
もっと曖昧で、もっと根源的なものだ。
時間。
あるいは、生きているという感覚そのもの。
解いた直後は、平気な顔ができた。
相手が泣いて礼を言って、金を差し出してくる間は、ちゃんと立っていられた。
問題は、そのあとだ。
夜になると、体が冷える。
指先から順に感覚が遠のいて、関節が軋んで、呼吸が浅くなる。
眠れない夜も多かった。
横になっても、胸の奥がひりついて、まるで空気が足りないみたいに息苦しくなる。
それでも俺は、数えなかった。
あと何回解いたら終わるのか。
どれくらい残っているのか。
考えたら、きっと立てなくなる。
だから俺は、ただ解き続けた。
両親が生きていた頃、俺は普通の子どもだった。
解呪の特別な力なんて、意識したこともなかったし、愛されていることを疑ったこともない。
父は不器用で、母はよく笑う人で、二人とも俺の名前を何度も呼んだ。
それだけで、世界は十分だった。
でも、ある日突然、その世界は終わった。
詳しいことはもう思い出せない。
ただ、家が静かになって、声が消えて、夜がやけに広くなった。
親戚の家に引き取られたとき、俺は「助かった」と思った。
屋根があって、食事があって、寝る場所がある。
それだけ見れば、確かにそうだったんだと思う。
でも、解呪の力を見せてから、すべてが変わった。
その日から特別な力は俺にとって『呪い』に変わった。
期待される視線。
計算する目。
褒め言葉の裏にある、値段。
俺は子どもじゃなくなった。
役に立つかどうかで、存在が測られるようになった。
嫌だと言えば怒鳴られ、断れば責められた。
解けば褒められて、解かなければ居場所がなくなった。
だから、逃げた。
あてもなく、誰も知らない場所へ。
旅をしながら、たくさんの呪いを見た。
静かな呪い。
怒りに満ちた呪い。
誰にも気づかれないまま、身体を蝕む呪い。
俺はそれを解いて、金を受け取った。
生きるためだった。
他に方法がなかった。
感謝されることもあった。
でも、それは一時的なものだった。
呪いが消えれば、人は前を向く。
俺は、そこに残らない。
誰かの人生を少し軽くして、代わりに自分が重くなる。
それが当たり前だと思っていた。
――そうしないと、生きる理由がなかったから。
セフィに出会ったとき、正直に言えば、最初は警戒した。
触れない距離を保ち、目を伏せて、それでもこちらを見ている少女。
恐怖と優しさが同時にそこにあって、どう扱えばいいのか分からなかった。
でも、彼女は俺に何も求めなかった。
解いてほしいとも、助けてほしいとも言わなかった。
ただ、名前を呼んで、話を聞いて、同じ場所に立っていた。
それが、怖かった。
今までの人生で、そんな距離の取り方をされたことがなかったから。
あの夜、彼女が恐怖に呑まれて呪いを暴走させたとき、俺は考える前に走っていた。
解かなきゃ、と思ったわけじゃない。
助けなきゃ、とすら思っていなかった。
ただ、一人にしてはいけない、と身体が決めた。
抱きしめた瞬間、確信した。
――これは、今までと違う。
呪いは確かに鎮まったのに、削れる感覚がなかった。
冷えも、痛みも、息苦しさも、何一つ。
代わりに、胸の奥が熱くなった。
誰かを抱きしめる重さ。
離れなくていい距離。
それは、解呪じゃなかった。
それでも、呪いは眠った。
俺は、セフィを見た。
不安そうに、でもまっすぐにこちらを見る目。
その視線の中に、恐れよりも、心配があった。
――俺を。
その事実が、胸を締めつけた。
今まで、誰かの呪いを引き受けることはあっても、誰かに想われることは、なかった。
想われない解呪は、重い。
想われる解呪は、きっと、形が違う。
まだ言葉にはできないけれど、セフィの想いは、俺が今まで背負ってきたものを、確実に変えていた。
「……セフィ」
俺は、ようやく口を開いた。
「俺さ、君の前では、なぜだか怖くないんだ」
それは、勇気を出した告白だった。
力を使うことが、じゃない。
削れることが、でもない。
自分でも上手く説明できない。
セフィは、息を呑んだ。
俺は、続ける。
「君が俺を大切に思ってくれるなら、たぶん俺は、削られることを恐れなくていい」
それが、どんな意味を持つのか、まだ分からない。
でも、はっきりしていることが一つある。
俺はもう、誰にも想われない解呪を、続けたくない。
セフィの前でだけ、俺の『呪い』が眠るなら。
俺はその理由を、“力”じゃなく、“想い”だと信じたい。




