第五話〜残り時間の話は、まだしない〜
ルカがこの村に来てから、私は「旅」という言葉を、以前よりずっと重たいものとして受け取るようになっていた。
村を出る人は、珍しくない。
仕事のため、結婚のため、より良い暮らしを求めて――理由はいくらでもあって、それらはどれも前向きな選択として語られることが多い。
でも、ルカの旅は、どれにも当てはまらない気がしていた。
彼は、目的地をはっきりとは語らない。
いつまでいるかも、どこへ向かうのかも、聞けば答えてくれるけれど、その答えには、必ず少しの余白が残されている。
まるで、自分自身にさえ、はっきりとした期限を与えないようにしているみたいだった。
その日の夕方、私たちは村外れの小さな坂道に腰を下ろしていた。
遠くで羊の鳴く声がして、風は穏やかで、世界は驚くほど静かだった。
「セフィ」
ルカが、空を見たまま言う。
「君さ、自分の未来について考えたことある?」
唐突な問いだった。
私はしばらく考えてから、正直に答える。
「……あまり、ありません」
考えたところで、選べる未来が少なかったからだ。
触れない。
近づかない。
それだけを守って、生きていく。
それが、私の未来だった。
ルカは、小さく息を吐いた。
「そうだよな」
その声に、妙な納得が混じっていて、胸の奥がざわつく。
「俺も、あんまり考えないようにしてる」
言い方が、少しだけ曖昧だった。
私は、問い返す。
「……どうしてですか」
ルカは、少し困ったように笑った。
「考えすぎるとさ、やりたいことが減る気がするから」
その言葉は軽く聞こえたけれど、どこか、嘘ではない重さを含んでいた。
昔から、長く先を見るのは得意じゃなかった。
解呪の力を生まれもち、最初に教えられたのは、その危険性だった。
呪いを解くたび、確実に、何かを削る。
それが何なのかは、はっきりとは分からないけれど、減っていることだけは、身体が教えてくれる。
最初は、ほんの違和感だった。
次第に、それが疲労になり、痛みになり、そして――。
数えるのは、やめた。
数え始めたら、動けなくなる。
だから俺は、助けられるときに助けると決めた。
理由なんて、あとからいくらでもつけられる。
人助け。
金のため。
自己満足。
どれでもいい。
そうやって動いていないと、残っている時間の方が、俺を追い越してきそうだったから。
……でも。
セフィの前では、少しだけ、立ち止まりそうになる。
ルカは、自分の過去を多く語らない。
村で噂になっているのは、彼が「解呪持ち」だということと、いくつかの土地で人を救ってきたらしい、という断片的な話だけだった。
それでも私は、彼の沈黙の中に、語られない時間が確かに存在していることを感じていた。
「……今まで、たくさん解いてきたんですよね」
そう聞くと、ルカは少しだけ視線を逸らす。
「まあ、ぼちぼち」
その答え方が、あまりにも軽くて、逆に胸が苦しくなる。
「大変じゃ、なかったんですか」
「大変だったよ」
即答だった。
でも、続く言葉は、少し間を置いてからだった。
「でも、やめる理由もなかった」
その言葉の意味を、私はすぐには理解できなかった。
沈黙が落ちる。
夕暮れの空が、少しずつ色を変えていく。
「セフィ」
ルカが、こちらを見る。
「君はさ」
そこで一度、言葉を切る。
「……俺みたいな人間、どう思う?」
その問いは、答えを探しているというより、確認に近かった。
「自分を削って、誰かを助ける人」
私は、胸の奥が締めつけられるのを感じながら、答える。
「……怖い、です」
正直な気持ちだった。
ルカは、驚いたように目を瞬かせる。
「でも」
私は、続けた。
「優しいとも、思います」
矛盾した答えだったかもしれない。
それでも、ルカは小さく笑った。
「そっか」
その笑顔は、どこか救われたようにも見えた。
家に戻ったあと、私はベッドの中で、何度も今日の会話を思い返していた。
彼は、長くない。
理由は分からない。
確証もない。
それでも、そう感じてしまった。
解呪という力。
削られていく何か。
未来を語らない態度。
それらが、一本の線でつながっていく。
私は、自分の手を胸の上で握る。
もし、この人の前でだけ、呪いが眠るのだとしたら。
それは、彼にとって、救いになるのだろうか。
それとも、もっと残酷な選択なのだろうか。
答えは、まだ出ない。
でも、はっきりしていることが一つだけある。
私はもう、彼の時間を、他人事として見過ごすことができなくなっている。
それが何を意味するのかを、まだ、知りたくないと思いながら。




