第二部・第十六話〜王都への道〜
古書店を出たとき、ヴァルディアの空はすっかり夕暮れに染まっていた。
西の空がゆっくりと赤く沈み、その光が石畳の通りを柔らかく照らしている。昼間の賑やかさは少し落ち着き、人々の足取りもどこかゆっくりになっていた。
私はルカの隣を歩きながら、しばらく何も言えずにいた。
エリアスの呪い。
それは今までとは少し違うものだった。
ルカが解けないと言った呪い。
その言葉が、胸の奥で静かに重く残っている。
ルカは黙ったまま歩いていた。
隣から見る横顔はいつもと変わらないように見えるけれど、私は知っている。彼が今、頭の中で色々なことを考えていることを。
依頼局の建物が見えてきた頃、テオドールさんが口を開いた。
「今日の件ですが」
ルカが視線を向ける。
「珍しい呪いですか」
ルカは頷いた。
「ああ」
そして少しだけ歩く速度を落とした。
「二重構造の呪いは、そう多くないだろう」
私はその言葉を聞いて、ふと立ち止まりそうになった。
二重構造。
エリアスの呪い。
古書の呪いと、彼自身の体質。
それが重なって起きている。
テオドールさんは続けた。
「ルカさん」
その声はいつもより少しだけ静かだった。
「もしよろしければ、一つ提案があります」
ルカが短く答える。
「何だ」
テオドールさんはしばらく考えるように視線を落とし、それから言った。
「王都へ行ってみてはどうでしょう」
私は思わずルカを見る。
王都。
その言葉は、どこか遠い場所のように感じていた。
けれどルカの表情は変わらない。
「理由は」
「知識です」
テオドールさんは迷いなく答えた。
「呪いを研究している教授が王都にいます」
私はその言葉に少し驚いた。
「解呪師の学院があるんですか?」
テオドールさんは首を振る。
「いいえ。解呪師自体が少ないですから」
彼は静かに説明した。
「ただ、呪いや呪術を研究している教授がいて、他の学部生向けに授業をしているんです」
ルカは黙って聞いている。
「解呪師がその授業を受けることもできます」
私はルカの横顔を見る。
彼は何も言わない。けれど、その目は少し遠くを見ていた。
テオドールさんが続ける。
「実は」
そこで一度言葉を止めた。
「ルカさんが半専属になったとき…その教授へ手紙を送りました」
私は驚いてテオドールさんを見る。
「えっ」
彼は少し照れたように笑った。
「もし将来、ルカさんが知識を必要とした時のために」
ルカが言う。
「……先回りしすぎだ」
「そうでしょうか」
テオドールさんは肩をすくめた。
「以前もお話ししましたが、正式に登録されている解呪師は国に八人しかいません」
その言葉は、静かに空気に落ちた。
「六人は王都で国の仕事をしています」
「残りは高齢で、解呪の回数を大きく制限している」
テオドールさんはルカを見る。
「ルカさん」
その声には、少しだけ真剣な色が混ざっていた。
「あなたほど若く、そして実力のある解呪師は珍しい」
「正直に言います」
彼は一度息を吐いた。
「私は、あなたを手放したくありません」
私は少しだけ驚いた。
でもその言葉には、不思議と嫌な感じがなかった。むしろどこか、兄が弟に言うような温かさがあった。
「ですが…、あなたの力がこの街だけに留まるのも惜しい」
夕暮れの光が依頼局の壁を赤く染めている。
「だから提案です。王都で学び、知識を得る。そしてまたヴァルディアに戻る」
ルカが聞く。
「その間、依頼局はどうする。解呪の依頼も来ているだろう」
テオドールさんは少し笑った。
「待ってもらいましょう。半専属ですから。旅に出ても問題ありません」
私はその言葉を聞いて、胸の奥が少し温かくなった。
ここは、帰る場所。
そう思っていいのだ。
しばらく沈黙が続いた。
ルカが空を見上げる。
夕焼けが少しずつ暗くなり始めていた。
そして彼は言った。
「行く」
その声は、静かだった。
「今後の為にも知識は必要だ」
私は思わず微笑んだ。
ルカはずっとそういう人だ。
自分の力を誇ることはない。
でも必要だと思ったことから逃げない。
ルカが私を見る。
「セフィ」
私はすぐ頷いた。
「うん、行こう」
迷いなんて、なかった。私はルカと一緒に旅をしている。それがどこであっても、変わらない。
テオドールさんは静かに息を吐いた。
「決まりですね」
そして少し笑う。
「王都までは馬車で十日程。私が手配しておきましょう」
「助かる」
ヴァルディアの空は、すっかり夜に変わっていた。
街の灯りが一つずつ灯り始める。私はその光を見ながら思った。
次は王都。
きっと新しいことが始まる。
でも――
ここが、帰る場所。
ヴァルディア。
解呪師として生きる街。
そのことが、少しだけ嬉しかった。




