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第二部・第九話〜アリュス湖と赤い実〜

ヴァルディアの城門を出た朝、空は青くどこまでも高かった。

副局長のテオドールは、わざわざ見送りに来てくれた。

「馬車なら半日で着きますよ」

そう言いながらも、彼は本気で勧めているわけではないとわかった。

ルカは静かに首を振る。

「歩いて行く」

「……理由を伺っても?」

「セフィが見る景色が減る」

私は思わず彼を見た。

テオドールが小さく笑う。

「なるほど。ではせめて、行きと帰りには顔を出してください。これからも」

「わかった」

ルカは頷く。

「旅先で必要だと感じたら、自分たちの判断で解呪する」

「承知しています」

短いやり取り。

けれどそこには、信頼の種があった。

私たちは歩き出す。

振り返ると、ヴァルディアの白い城壁が朝日に光っている。

帰る場所がある。

それがこんなにも心強いなんて、昔の私は知らなかった。




一日目は街道沿いにゆるやかな丘陵を越えた。

途中、小さな野営をして、星を見上げる。

「寒くないか?」

「うん、平気」

隣にルカがいるだけで、平気だった。

二日目の昼前。

道がなだらかに下り始めたころだった。

ふいに視界が開ける。

「……わあ」

思わず声が漏れる。

そこにあったのは、青。小さな湖。

けれどその水は、空を丸ごと落としたみたいに澄んでいる。

湖を囲うように、果樹園が広がっていた。

赤く艶やかな実が、枝いっぱいに揺れている。

アリュス果。

ヴァルディアの露店で食べた、あの甘い実。

ここはその源だ。

「ここが……アリュス湖?」

ルカが頷く。

「村の水源らしい。果樹園はこの湖に支えられている」

私は湖のほとりへ駆け寄った。

水面は静かで、風が止むと空をそのまま映す。

しゃがみ込み、そっと覗き込む。

青い空。赤い果実。

そして——並んだ私とルカ。

「湖なのに、空みたい」

「そうだな」

ルカが隣にしゃがむ。

その距離が近くて、胸が少し熱くなる。

「セフィの目の方が澄んでる」

「え?」

顔を上げると、彼は少しだけ目を逸らしていた。

「今の、ずるい」

「事実だろ」

ルカの耳がほんの少し赤いのに気付き私はくすっと笑う。

「ルカも、赤いよ」

「何が」

「耳」

私がくすりと笑うと彼が無言で外套の襟を直す。

その仕草が可笑しくて、愛おしくて、胸が満たされる。

私は水に手を浸した。

冷たい。

でも優しい。

もう壊さない手。

ルカがそれを見ている。その視線が、あたたかい。

「ねえ、ルカ」

「ん?」

「私、ここ、好き」

それは湖のことか、村のことか、旅のことか。

きっと全部だった。

ルカは小さく笑う。

「セフィが楽しそうなら、それでいい」

胸がきゅっとする。

私は思わず、彼の手を握った。

彼は握り返す。

力強くて、優しい。

アリュス村はもうすぐだ。




村へ入ると、甘い香りが一層濃くなる。

中心部にある宿屋兼食堂で昼食をとることにした。

素朴な木のテーブル。

果実を使った甘酸っぱいソースの肉料理。

「おかわりいるかい?」

女将さんが笑う。

私はなんだか恥ずかしくなって慌てて首を振るけれど、顔が緩んでしまう。

「彼女、果実が好きみたいで」

ルカが言う。

「可愛いねえ。美味しそうに食べてくれて嬉しいよ」

私は頬が熱くなる。

村人たちは穏やかそうで、どこかゆったりしている。

私たちは女将さんに勧められて午後、市場へ向かった。

並ぶのは、同じアリュス果でも様々な品種。

「これはロゼリア。甘味が強いよ。近隣の街に出てるのはだいたいこれさ」

露店のおばちゃんが教えてくれる。

私は一切れ口に入れる。

「……おいしい」

やっぱり甘い。

でも——

「こっちはメルティア。少し酸っぱいよ」

かじると、爽やかな酸味が広がる。

「こっちはヴェルカ。加工向きだね。ジャムやソースにするんだ」

「フィオラは若い子に人気だよ」

私は目を輝かせる。

「全部違う……!」

ルカが横で笑っている。

「全部買うのか?」

「うん」

即答だった。

彼は迷わず代金を払ってくれる。

「ルカは私を甘やかしすぎじゃない?」

「セフィが喜ぶならいいんだ」

その声が、優しい。

私は果実を抱え、大満足で歩く。

湖の青。

果樹園の赤。

ルカの横顔。

幸せって、こういう瞬間なんだと思った。

ヴァルディアに帰る場所がある。

でも今は、ここにいる。

歩いて来た時間も、湖の静けさも、果実の甘さも、全部、私たちのものだ。

私はふとルカを見ると彼は私を見ていた。

目が合う。

「どうしたの?」

「可愛いなと思って」

「……もう」

顔が熱くなる。でも嬉しい。

笑ってしまう。

果実よりも甘い気持ちが、胸に広がる。

私たちはまた歩き出す。

湖の青を背に。

赤い実を抱えて。

この先に何が待っていても。

きっと大丈夫だと思えた。

隣に、ルカがいるから。



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