第二部・第八話〜焦りと鉄屑〜
ヴァルディアの朝は、今日も賑やかだった。
窓から見下ろす通りは、荷馬車と商人と行き交う人で溢れている。
私たちは新しいアパートで何度目かの朝を迎えた。
まだ家具も少ない部屋。
けれど、窓から入る光はやわらかい。
「今日、依頼があるらしい」
朝食を片づけながら、ルカが言った。
「テオドールさんから?」
「ああ。朝起きたら手紙が入っていた。鍛冶屋から依頼があったと」
鍛冶屋、と聞くだけで熱と火花の匂いが思い浮かぶ。
ルカは淡々としているが、どこか少し肩の力が抜けているように見える。
リオネルの解呪から数日。
ルカの体調はすっかり戻っている。
力務局の受付でテオドールと合流した。
「本日は街の南区にある鍛冶屋です」
歩きながら、テオドールは簡単に説明する。
「見習いの少年で、名はエドリック。十七歳。最近入ったばかりとのことです」
「どんな呪いですか?」
私が尋ねると、テオドールはわずかに口元を緩めた。
「焦ると、金属が手に吸い寄せられるそうです」
「……吸い寄せられる?」
「磁石のように」
想像して、思わず私は吹き出しそうになる。
「怪我は?」
ルカが冷静に問う。
「大きな怪我はありません。ただ、作業にならないそうです」
それは確かに困るだろうと容易に想像ができてしまって、私は思わずクスリと笑ってしまった。
南区は職人街だった。
鉄の匂い、革の匂い、木屑の匂い。
一軒の鍛冶屋の前で、金槌の音が響いている。
中へ入ると、火花が散った。
「失礼する」
テオドールの声に、ひときわ大きな男が振り向いた。
分厚い腕。大きな背中。
「副局長殿か」
低く響く声。
「こちらが例の解呪師です」
テオドールが紹介する。
「ルカとセフィだ」
ルカが短い挨拶をすると大男は腕を組み、じろりとルカを見る。
「若いな」
「よく言われる」
ルカは短く答える。
そのやり取りに、奥から小柄な少年が顔を出した。
焦げ茶色の髪。少し煤で汚れている。背は高くないが、目は明るい。
「すみません、俺です。エドリックといいます」
ぺこりと頭を下げる。素直な声だった。
「状況を見せてもらえるか」
ルカが言うとエドリックはぎこちなく頷いた。
「えっと……やります」
炉の前に立ち、金槌を持つ。
一度、二度、叩く。
問題はないように見えた。
だが、師匠が低く言った。
「手元が甘い!」
その瞬間、エドリックの肩がぴくりと跳ねる。
「す、すみません!」
焦りが声ににじむ。
次の瞬間——カン、と音がした。
足元の鉄くずが、ふわりと浮き上がり、エドリックの腕にぺたぺたと張り付く。
「うわっ!」
さらに焦る。
すると、作業台の釘まで吸い寄せられる。
「ちょ、ちょっと待っ」
ガシャン。
鉄片が胸元にぶつかる。
私は思わず口元を押さえる。
笑ってはいけない。
けれど少し可笑しい。
「落ち着け!」
師匠が怒鳴る。
その声にまたエドリックが焦る。
今度は小さな鎚まで吸い寄せられた。
「すみません、すみません!」
鉄くずだらけの少年。それでも目は真剣だ。
やがて吸引は弱まり、鉄は床へ落ちた。
エドリックは肩で息をしている。
「……こんな感じです」
うなだれる。
「俺、鍛冶屋になりたくて。力はないけど、細かい作業は得意なんです。師匠も、そこは認めてくれて」
ちらりと師匠を見る。
大男は鼻を鳴らす。
「手先は器用だ。細工物はこの工房の誰よりも上手い」
ぶっきらぼうだが、否定はしない。
「でも焦るとこれで……」
エドリックは自分の手を見る。
「焦らなきゃいいんですけど、怒られると、どうしても」
師匠がため息をつく。
「怒られて伸びるのが職人だ。だが、これではどうにもならん」
その言葉に、愛情があるのが分かる。
ルカはエドリックの手を取った。
「焦りに反応しているな」
「焦り、ですか」
「感情増幅型。核は浅そうだな」
短い診断。
ルカは目を閉じる。
「心配するな。これは軽い部類だ」
エドリックが目を見開く。
「軽い……?」
「重い呪いはもっと厄介なんだ」
少しだけ、ルカが笑った。
私はその横顔を見て、安心する。
ルカの指先がエドリックの掌へ触れる。
金属を引き寄せる微弱な流れ。
焦燥と結びついた小さな核。
それを探り、断つ。
今回は、ほんの数瞬。
空気が静まる。
「終わった」
「え?」
エドリックが瞬きをする。
「試してみろ」
恐る恐る金槌を握る。
叩く。
何も起こらない。
師匠がわざと低く言う。
「また甘い」
エドリックが反射的に焦る。
だが——何もくっつかない。
静寂。
エドリックは目をぱちぱちさせた。
「……あれ?」
さらに焦ってみる。
「え、え、なんで?」
それでも何も起きない。
私はとうとう小さく笑ってしまった。
師匠が豪快に笑う。
「よかったな、エド」
少年の目に涙が浮かぶ。
「俺、続けていいですか」
師匠はぶっきらぼうに言った。
「最初から辞めさせる気はない」
エドリックが顔をくしゃりとさせて笑う。
その笑顔は、火花よりも明るかった。
職人街からの帰り道、テオドールは静かに言った。
「見事でしたね」
「今回は軽かったからな」
ルカは淡々と答える。
「だが本人には大事だったね」
私が思い出し笑いながら言うと、ルカは小さく頷いた。
「そうだな」
テオドールが少しだけ柔らかい声で言う。
「若い職人が夢を続けられるのは、街にとっても良いことです」
ヴァルディアの空は高い。
重い呪いもあれば、軽い呪いもある。
でも、どれも“その人の人生”だ。
依頼局へ向かう途中の露店で私はふと立ち止まった。
甘い香り。
露店のおばちゃんが声を張る。
「果実だよ!アリュス村の甘い果実!」
赤く艶のある実。見るからに美味しそう。
「お嬢ちゃん、試食どうだい?」
差し出された一切れを口に入れる。
「……おいしい!」
思わず声が漏れた。
甘くて、少しだけ酸味がある。
ルカがこちらを見る。
「そんなにか」
「うん。すっごく」
おばちゃんが笑う。
「アリュスは隣村。歩いて数日さ。今が旬だよ」
ルカが小さく笑った。
「行くか」
「え?」
「気になるだろ」
私は目を瞬かせる。
「うん」
即答だった。
ルカが果実をいくつか買う。
「次はアリュス村だな」
テオドールが苦笑する。
「もう旅ですか」
「半専属だ」
ルカは肩をすくめる。
「戻る場所はここにある」
私は果実をもう一口かじる。
やっぱり甘くて美味しい。
私たちはヴァルディアを背に、また歩き出す。
重い呪いも、軽い呪いも。
夢も、焦りも。
全部抱えながら。
また旅に出る。




